空白の男
太宰の教育が第二段階へと移行してから暫く経ち、椿は地上で起こる抗争の事も知り始めた。
龍頭抗争。
五千億円を契機に始まり、今や裏社会の組織という組織が血で血を洗う戦いをしている。既に80日以上続くこの抗争は、そこに一般人への配慮などは微塵も無く、それも相まってか死体の生産量は史上で最も多いとされる。
そんな龍頭抗争が激化したうちの理由の一つに、政府が飼っていた能力者の暴走が挙げられた。
その男の名は澁澤龍彦。コレクターの異名を持つ能力者。その男は政府の手から放たれた後、命令をすんなりと無視してみせた。抗争に参加する組織から引き抜いて新たに自ら組織を編み、抗争を更なる渦に引きずり込んだとんでもない男。ヨコハマ凡ての人間が死ぬか、この男を止めるか。抗争はこの2つの境に近づきつつあった。
椿の所属するポートマフィアも、例に漏れずこの抗争に参加していた。そして椿が抗争について知るようになったのは、首領である鴎外から言い渡されたからであった。
曰く、この男はドラゴニア・ルームという異能を持ち、現在はとあるビルに立て篭もっているらしい。
椿が箱庭の制御が出来る今、澁澤龍彦の捕獲に協力してくれないか、と。
そして、この日。
「さぁ、行こうか椿。君の初陣だね」
「ボサっとしてたら置いてくぞ」
「………うん」
太宰の手を取る。
椿は1歩、踏み出した。
赤い満月が、空に浮いていた。
「目標のいるビルまでにも敵はうじゃうじゃいる。私と椿は裏から回るけれど…中也はどうする?」
「ハッ、正面切ってくに決まってんだろ。俺の仲間6人の行方も気になる。見回りつつ敵は潰していく」
「オーケー。君が無残に蜂の巣にされて死んだ報告を心待ちにしているよ」
「手前こそビルから狙い撃ちされて死ねよ…椿」
ビク、と肩を跳ねさせた椿に中也は呆れた顔で「柄にもなく緊張しやがって」と云った。「そうなのかい?確かに私の手をいつもより強く掴んでいるなとは思ったけれど」と太宰も椿を覗き込む。
「……緊張してない」
「嘘つけ」
「落ち着き給えよ。私と、ついでに中也もいるんだ」
「ついでは余計だろ!!」
吠える中也とボケる太宰。何処までもいつも通りな2人に、確かに肩の力が抜けるのがわかった。然し気の抜きすぎも良くないだろう。椿は1度箱庭で地上の様子を見ていた為に、その凄惨さはよく理解していた。初陣がこれとは鴎外も中々に無茶振りである。
然しこれを止めなければ、ヨコハマには血が流れ続け、何時かは流す血を持つ人間すら居なくなる。
椿はきゅ、と太宰の手を再度握った。これを離せば箱庭を使える。澁澤龍彦を捕らえる事が出来る。
この抗争を、終わらせることが出来る。
中也のバイクが遠ざかる音と共に、太宰は行動を始めた。
「付いておいで」
▽
「何故ここが分かった?」
「いやぁそれが」
「動くな!!!」
「………」
本当に付いてきて大丈夫だったのだろうか?
椿は銃を向ける男と、反していつも通りな太宰を見て遠い目をした。
太宰と椿は路地を周り、のらりくらりとしているうちに1度も敵と遭遇すること無く澁澤龍彦がいるというビルへ辿り着いた。
順調過ぎかと思われるそれも、ビル屋上で仮面を付けた男達に囲まれてそうでは無かったとわかる。
巫山戯た態度の太宰は既にここに来るまでに2度殴られていた。椿は1度。口の中が切れたのか血の味がうっすらとしている。
手錠を嵌められた腕は動かす度にチャリ、と鎖が揺れた。然し足は拘束されず、しかも奴らは太宰と椿の仕込んでいる隠しマイクの存在には気付いていないようだった。まるで統率が取れていないな、と。
一体何が転がり込んできたのか、分かっていないようだ。
暫くして見張りは銃を持った1人になる。
(……何してるの)
(うふふ。さて、何でしょう)
不審な動きをすれば真後ろの銃口が火を噴くというのに、気楽なものだ。
然しその太宰の態度は寧ろ安心できた。太宰ならば手が不自由であっても足がある。それなのに未だ逃げないのは、考えがあるのだろう。今すぐ殴られたお返しをしてやりたい気もあったが、太宰が動かないのなら自分も大人しくしておくべきだ。マイクに向かって喋る太宰の声を耳の通信で聞きつつ、椿は静かにしていた。
『織田作』
『太宰、どこだ』
『何してるのか大体察しがつくけど、早く逃げろ。そこもすぐに危険になる』
ザザ、と雑音が混じる。もう一方からのの通信が割り込んできた。
『引っ込んでろ、サンピン!』
通信の向こうで中也の声とバイクのエンジン音が聞こえる。
『ハーイ、中也。敵の射程距離に入ったから、弾受けて死んでね』
『うるせえ!』
中也が太宰を怒鳴り散らす。それを過ぎると通信が途切れ、静寂が耳に戻ってきた。
するとすぐ隣でバキッと音がする。ハッと目を向けると、太宰が背後の敵に殴られていた。
「! だ」
「大人しくしろ」
銃口が向けられる。
もしもここが室内であれば、椿は箱庭を使い、その銃口で仮面の男を殺していただろう。然し、もしもの話をしたところでこの状況はどうにもならない。距離も仮面の方が太宰に近い。「どうする」と椿が奥歯を噛み締めていると、太宰と目が合った。
その目は、待てと云っているようだった。
(…なんで、)
守らなきゃ。
椿は箱庭を呼ぶために口を開こうとした。
刹那、バイクのエンジン音が鳴り響く。
ビルから空に向かって垂直に単車が躍り出た。赤い満月を背に出てきたのは、中也だ。
椿の口は音を出すことはなく、口を開けたままその光景を見る。
中也は勢いのついた車体を屋上のタイルに滑らせ、速度を殺して着地した。後輪とタイルが擦れ合い、耳障りな音が響く。
スピンしながら止まる単車を鞭のような光が追いかけた。其れは単車のエンジン部に落とされる。
爆裂音が屋上に響いた。
「中也!!!」
椿の叫びは爆裂音に掻き消された。後ろの仮面が腕を振り上げる。
椿の後頭部に銃が振り下ろされた。
▽
「…雷に打たれて死んでたら面白かったのに」
「ぶっ殺すぞ」
爆煙を吹き飛ばして中也が不機嫌そうに現れた。爆破に巻き込まれた筈だというのに、中也には傷一つない。
「5分の遅刻だ」と太宰が告げると背後の敵を蹴り上げ1発で沈めてしまった。
「おかげで3発余計に殴られた…椿は2発も」
「ついでだ。俺が手前を殴り殺してやろうか」
「君が殺すのは私じゃない」
太宰はあっさりとその腕にはめられていた手錠を外す。次いで椿の側に腰をかがめると、その腕にはめられた手錠も外した。
「……」
なんだかとても騙されたような気分だ、と後頭部に痛みを感じながら太宰を見上げる。ニッコリと何処吹く風で椿の手を取り、「痕にはなって無いね」と撫でた。
最初から、わざと捕まっていたのだ。監視を倒すのも手錠を外すのも、太宰にとっては容易いことだった。
足並みを揃え悠然と歩き出した3人の元へ、仮面の男達が集まってくる。どうやらまだ敵がいたらしい。
「ゴミがぞろぞろと……」
「ちゃっちゃとやっちゃって。想定内でしょ」
顔を顰める中也に、太宰が面倒くさそうに云った。2人に挟まれた間で「………これも想定内…」と椿がゲンナリする。現在抗争中のどの地上よりも、今ここが1番の危険地帯だろうとぼんやり思った。
中也が太宰にキレそうになったところで、こちらに近づく影に気がつく。電撃を腕に纏わせる仮面の男。…能力者だ。
「…そう云やあ、手前には借りがあったな」
隣からピリピリとした殺気を感じる。その対象は自分ではない筈だが、椿の背中に悪寒が走った。
強い衝撃が屋上を襲う。圧殺。
砂埃が舞い、仮面の男たちは死体の山となって積み上げられた。中也の異能を初めて見た椿が其れに気を取られていると、太宰が手を引き、中也が背を押す。
「ほら、行くよ。目標はこの中だ」
「他所見すんな」
3人の影はビル内部へと進んでいった。
▽
室内に入り、椿は箱庭を使って立ち塞がる敵の悉くを排除した。
迷うことなく歩みを進める3人は、段々と鮮明に聞こえてくる声に誘われるようにそこへ辿り着く。
「───手に入る、手に入らない、手に入る、手に入らない……」
花言葉にも似た言葉がビル内部のとある部屋、天幕のような不審な空間に響く。
声の主は俯きながらブツブツと呟き、火を熾したバケツに花弁…では無く、札束や有価証券、宝石を焼べていた。
それを見た太宰がぽつり呟く。
「あれ全部、本物の宝石だ……あ、今のは五千万」
大振りな宝石が「手に入らない」という言葉と共に投げ込まれる。それが最後のひとつだったのか、男は溜息をついた。
「こんな占いばかり当たっても全く嬉しくない……組織など編んでみても、矢張り欲しいものは手に入らぬか」
白い髪、一部が編み込まれた其れは垂らされている。男は恐ろしいほどの美しい白を纏っていた。然し瞳は血のように赤く、炎を映してゆらゆらと輝く様は人の命を吸い取る危険な宝石のよう。
椿はその男が澁澤龍彦だとわかると、太宰から手を離し箱庭を呼んだ。頭上から瞬く間に広がり、すっぽりと部屋を覆い尽くす。これでいつでも捕らえることができる。
然し、椿はホログラムを見て息を呑んだ。
「中也」
「あ?」
「…あの男の、後ろ」
指摘した先、澁澤の後ろには、中也の仲間6人が絶命して床に伏せていた。
中也が1歩、前に出る。
「…俺の仲間を返せ」
静かにその声が響いた。
すると、やっと存在に気付いたのか、顔を上げた澁澤龍彦が無機質な眼差しをこちらに向ける。
「ようこそ、退屈なお客人」
「どうせ君たちも私の欲するものを与えられはしない……早々に死にたまえ、彼らのように」
背後に霧が立ち上る。続けて澁澤は告げた。
「君の友人はみな自殺したよ。退屈な人間は死んでも退屈だ」
「てめええ!」
中也の顔に赤い異能痕が浮き上がった。強く握りしめた拳は震え、手袋が弾け飛ぶ。顕になった腕にまで、異能痕は広がっていった。風が起こり、中也の髪が揺らめく。
「止めるなよ」
「……やれやれ」
中也が短くそう告げると、太宰は溜息混じりに、椿の手を取り「作戦変更だ」と云って後ろに下がった。
「“陰鬱なる汚濁”……か」
椿は箱庭が崩壊しても尚澁澤から目を離さなかった。というよりも、この男の纏う空気とそれを色濃く宿す赤い目から、何故か目が離せなかった。
死体よりも空虚で、石のように冷えている。生きているのに、生気というものが感じられない。
男の言っていた"退屈"とは、こうも生身の人間から温度を奪うものなのか。
「椿」
太宰の声が耳に届いてハッとする。中也の汚濁によって浮き上がった瓦礫が鼻先まで迫ろうとしていた。
振り向くと、太宰の目が見下ろすように椿を見ていた。繋いだ手を先程よりも強く引かれ、移動した傍から足元に罅が広がっていく。
(……つめたい、)
その時、中也の異能が暴走を始める。
絶叫、咆哮、轟音。
ありとあらゆる音をあげ、ビルがまるごと破壊される。衝撃波が大気を揺るがし、破片が砲弾のように飛び散った。
結果、澁澤龍彦は捕えられず、殺すにも至らず、行方不明という形になったことで史上最悪の龍頭抗争は88日間で幕を下ろした。
太宰と中也の2人は、澁澤のビルごと一晩で破壊したことで「双黒」と恐れられるようになる。
そしてその双黒に挟まれ、ひとりの女がいたことは、一部の者の間でしか語れることは無かったが、その者達は女を「黒衣の女」と呼び、双黒と共に畏怖したと云う。