ご褒美の攻防
「初めての任務はどうだったかね?」
「無茶苦茶」
「そうか…良かったねぇ」
話を聞いていたのだろうか。
椿は近頃、自身の周りの人間に耳がついているのか疑いつつある。穴の存在を確認しなければならないな、と鴎外の前に立ちながら考えていた。
裏社会の闇そのものと云われるポートマフィアの首領の前で他の考え事とは、椿も中々強靭な図太い精神を持つようになったものである。
燦々とした光を執務室内に取り入れる窓の下には、ヨコハマの街が広がっていた。
龍頭抗争が終結し、街の秩序を奪還したヨコハマでは、数日に渡り街の修復作業が行われていた。
ポートマフィアも死亡した仲間の弔いや倒壊した管理ビルの対処、書類の作成に追われている。
そんな中椿が鴎外の元へ訪れたのは、初任務の報告、という名の世間話面談の為だった。
「…太宰と中也だけでアレは収められた」
「そのようだね。然し、“陰鬱なる汚濁”は大変な危険が伴う。自分で制御ができないのだからね。太宰君が居てやっと使える。彼自身の体への負担も、勿論有るのだよ」
「…どのみち私は、あの場所で澁澤龍彦を捕えられなかった」
「? そうなのかい?」
椿はあの時、あの場所で“箱庭”を使った。その範囲内には勿論澁澤も居て、ホログラムは澁澤とその背後の死体までも映し出していた。
然し澁澤は、“そこに居なかった”。
椿の異能は精神操作だが、Qの悪夢とはまた異なる作用をしていた。
Qの異能は脳に干渉し対象に悪夢を見せ、その後の行動は凡て対象に任される。
その点椿の精神操作は、精神と呼ぶには些か強力過ぎるほど相手の体を操る。脳に干渉し、Qのように幻覚を見せることも出来る。然しそれだけに留まらず、脳の神経、感覚神経運動神経から筋肉に至るまで、椿の“箱庭”は操ることが出来たのだ。感情や異能には干渉する事は出来ないが、それも幻覚で誘導等が出来るようになればゆくゆくは意のままに相手を支配することが出来るだろう。
然しそれも、干渉する人間の脳が機能していればの話だ。
人間は死亡してから9時間脳は生き続けるというが、概ねの死体を椿は動かすことが出来なかった。
そして澁澤が霧を発生させたと同時に、椿は澁澤を拘束する為に干渉しようとしていたのだ。然しそれは虚を掴む。
椿は1人動揺した。目の前に居る男の異常性を嫌でも認識したのだ。その男は本来そこに居ない筈だった。然し自身の目はこの男を認識している。アレが何だったのか、澁澤が消えた今では知る術はない。
「……詳しいことは、わからないけど」
「ふむ。あれだけ中原君が壊したビルから彼の遺体が見つからなかった事と、関係あるかもしれないね」
「…矢っ張り見つからなかったんだ」
太宰が中也の汚濁を止めた後、ビルの瓦礫を暫く探したがあの白は見当たらなかった。胸がザワザワと騒ぐ。あの男には嫌な予感がした。
「…まぁ、目標は彼ではあったけれど、最終的な目的はヨコハマの秩序の奪還だ。初任務成功おめでとう、椿ちゃん」
「…私は、何も」
「ふふふ。そんな事は無い。頑張っただろう?それだけで良いのだよ。それで、御褒美をあげようと思うんだ。出来る範囲のことなら、何でも叶えてあげるが…何がいい?」
「御褒美?」
「そ。御褒美」
「……」
暫く考えたが特に思い付かない。黙り込む椿に鴎外はおやおやと首を傾げた。
「今すぐで無くとも良いのだよ。見つかったら何時でもおいで。出来るだけ叶えよう」
「……わかった」
そこに、外の黒服から声が掛かる。来客だそうだ。椿は部屋を出ようと踵を返そうとしたが、鴎外に「ここに居なさい」と云われ動きを止める。
何故だろうかと今度は椿が首を傾げたが、それは扉を開けた人物を見れば何となく理解ができた。
「太宰君」
「お呼びでしょうか、首領。……おや」
「椿もここに居たの?」と太宰はにこりと笑顔を浮かべるが、その表情は何処かいつもの陽気さを引いたようだ。流石の太宰も首領の前では身が引き締まるらしい。ぼんやり2人の会話を聞く。鴎外の言葉は太宰の龍頭抗争を含めたそれまでの功績を並べ、どれもを絶賛するものだった。
「君にはよく働いてもらった…そこで君には、ある事をお願いしたいのだよ」
「太宰君、君に五大幹部の1人として私の力になってほしい」
「…謹んで、お受け致します」
「その言葉が聞けて嬉しいよ」
五大幹部。
ポートマフィアの中枢とも云われるそれに、太宰治は最年少という言葉を連ね就任したのだった。
ハッとふと湧き上がったそれに椿は頭の上で電球を照らした。
太宰を見て思い出した。
「それで、先程椿ちゃんにも云ったのだけれど、君には就任祝いとして、お願いを聞こう。私に出来る範囲のことなら何でも叶えるよ」
「彼女は何と?」
「ふふふ。それが思いつかないみたいだから、保留になったところなのだよ」
「お願い、決まった」
キョトと鴎外が椿を見る。太宰も釣られて椿を見ていた。
椿は太宰をチラと見た後、鴎外の方を見て口を開いた。
「私を太宰の教育からはず「椿?」
部屋の温度が幾らか下がった。
ギギギとブリキの玩具のように、鴎外から太宰に視線を移すと、それはそれは、綺麗な笑みを浮かべていた。ぴしりと椿の動きが固まる。
鴎外は苦笑いを零した。
「済まないね、良く聞こえなかったみたいだ」
「私も聞きたいなぁ、椿?」
「………ヤッパリナンデモナイ」
これが所謂生命の危機か、と椿は先程出かけた言葉を泣く泣く飲み込んだ。椿の危機察知能力は優秀だった。逆らってはいけない。これもあの忌々しい父親の元で培ったものか、と百面相(然し外から見ればあまり変化が無い)をしていると、今度は太宰の声が耳に飛び込んでくる。
「私のお願いは、椿を正式に私の部下に。そして、もう1人見込みのある者を見つけたので、その人物のスカウトの認可を頂きたい」
「おや、2つかい?」
「数は指定されていませんでしたので」
「………うん。まぁ、元々幹部には、直属の部下を自由に1人雇い入れる権限がある。スカウトは勿論いいよ。そして、椿ちゃんを部下に、だったか。………うん、どちらも認可しよう」
「!!」
「ありがとうございます」
太宰のお願いはあろう事かどちらも許可された。
愕然と鴎外を見る椿に太宰は「うふふこれで教育が終わっても椿と一緒だねえ」などと云っている。鴎外は「何でも叶えると云ってしまったしなぁ仕方がないのだよ」と宥めてきた。
「スカウトが成功したら椿の弟弟子という事になるね」
楽しげな太宰の声に今すぐ首の包帯をキツく締め上げたくなった。また暫く太宰の彼是に付き合う事になるのか、と椿は途方に暮れる。
燦々と降り注ぐ日は少しも傾いていなかった。
結局その後の椿の御褒美の件は、死ぬほど並ばなければ手に入らないという桜本舗のケーキが食べたい、というものに落ち着いたのだった。