可愛い子には何とやら


「椿の初任務も終わった事だし、第三段階に入ろう」



対人戦をしていた椿と中也に、太宰の「あっそう云えば」という言葉が降り掛かった。
太宰は芥川という少年をスカウトする事に成功した先日から機嫌が良く、今日も何処か嬉々としながら椿と中也の格闘を観戦していた。

彼は五大幹部に就任してからというもの、書類の整理が増え、抱える部下も多くなり、身を粉にする勢いで仕事が舞い込んでいた。然しその黒い外套はひとつも草臥れた様子はなく、むしろ皺ひとつない。
五大幹部の事務に会合、更に今まで通り任務も請け負っているのだから、今こうして椿の教育をする時間だって惜しいはずであるし、芥川という少年の教育もある。そんな中、こんな所で油を売っていても良いのだろうか。近頃彼は酒場にも足繁く通っているらしく、五大幹部という肩書きもついて以前より増して女も寄ってくるようになったという。
そうなると、一体何処に外套の皺を伸ばす時間があるのだろうか、と椿は、座っていた積み荷からふわりと羽のように軽やかに降りた太宰を見詰めた。

勿論、今こうして椿と格闘している中也も暇ではない。双黒と呼ばれるようになった彼等は椿に比べれば頗る忙しい身である。然し中也が今でもこうして付き合っているのは、彼の元来の面倒見の良さと真面目な性格からだろう。結局彼には第二段階中は毎回稽古を付けてもらうことになってしまっていた。

そんな中の第三段階とは一体何だろうか。

「第三段階は何だ?」

椿よりも先に中也が太宰に問いかけた。太宰の返答を椿は静かに待つ。太宰は相変わらず人好きのする笑みを浮かべていた。

第三段階は、手っ取り早く云えば任務に慣れる事だった。
椿が初任務が終わりアジトに帰った後、いつの間にか太宰の手を痺れるほど握っていた事は記憶に新しく、同行した双黒の2人には「矢っ張り緊張していたじゃないか(じゃねえか)」とからかわれた。外、それも久々の戦地は、元々育ったであろう場所であっても、つい最近まで温室育ちであった椿の緊張を促すには充分だったらしい。それも銃より恐怖の対象だと云える異能を使っての戦地だ。
然し緊張は脳の働きを阻害する。今後も戦地に出て一々緊張していてはキリがない。それに毎回双黒2人が付いてやることも勿論出来ない。椿は1人で任務に向かい1人で異能を制御し1人で帰ってくる。普通ならば当然の事であるが、それを第三段階の最終的目標とした。この第三段階が終われば教育は終わりだ、と太宰は締めくくる。

「君はもう異能を扱いきれる。あとは心の持ちようだ。こればかりは使って慣れるしかない」
「……」
「うふふ、不満そうな顔だね。私の教育から離れたかったのでは無かったのかい?喜ぶところだろう」
「…それは、そうだけど」

然し不安なものは不安なのだった。
椿は異能を以前とは比べ物にならないほど上手く扱えるようになった。それこそポートマフィア以前にマフィア潰しの名を欲しいままにしていたあの頃とも比にならない。椿1人で敵地に侵入し“箱庭”を発動すれば、敵は彼女に触れることなくその命を散らす事になる。それに例えその手が椿に届いたとしても、中也によって磨きの掛かった対人スキルの前では赤子の首をへし折る以上に容易く、手の主を地に伏せる事も出来る。
双黒と呼ばれ恐れられる2人に面倒を見られ、最早何を恐れる事があるというのか。其ればかりか、2人以前は首領である鴎外にも面倒を見られていたのだから、椿の師の遍歴は見るものを震え上がらせるだろう。1年と少し。その間に椿は、石ころ同然となった原石を、再び光眩い宝石へと磨き上げたのだ。

「大丈夫。君なら上手くいく」
「寧ろ上手くいかねぇ事がねぇ。俺達がここまで面倒見たんだからな…それに、太宰の野郎が無理でも、任務は俺が偶になら付き合ってやれる」
「中也は心配性だねぇ」
「とか何とか云って手前も此奴の為に任務の選別してるの知ってんだからな」
「…うふふ」

まぁ、これは私からの初任務成功祝いだよ。そう云った太宰はからりと笑ったのだった。以前の鴎外からの五大幹部就任祝いで申告した通り、椿は太宰の直属の部下となっていた。その以前の所属は空白だった。部屋に篭もり鴎外の教育を受け、教育が太宰に移り。椿の所在は根無し草の如くふらりふらりとしていた。
其れが此度漸く確定し、任務を与えることが出来るようになったのだ。これは即ち、椿がポートマフィアの一員になったということを示していた。

椿は部屋を出る迄は、異能が恐ろしく、大切なものを増やすことも守る事も諦めていた。然し太宰に手を引かれ、外に出て世界は一変した。いつの間にか増えていた大切なもの、居場所。守りたいと思う感情も、そして其れを守る術も、今の椿は持っていた。あれ程使いたくないと拒否し続けていた異能だが、其れを今は、使う事も悪くないと思い始めてきていた。それこそが、太宰によって齎された、椿の何よりの変化だった。







太宰の宣言通り、椿に回ってきた任務の資料を目にして、「嗚呼、第三段階に入ったのだ」と実感した。

そして椿は、あの夜以来、初めて1人で戦地へと赴いた。

月の無い夜。空を浮かぶのは無数に明滅する星々。時折凪ぐ風は、椿の長くなった髪を攫ってゆく。

静まり返ったその場所。今回の任務のターゲットは、以前よりポートマフィアの積荷の横流しを行い目をつけられていた傘下のマフィア。此処は、その根城として使われている場所だった。
事前に資料で周辺と内部の地図は頭に入っていた。そろりそろりと難なく侵入し、この建築物を含めた周辺の地図を思い浮かべる。椿の脳内では、その地図が四角の切り抜きとして浮かび上がった。これでいい。
誰にも見つかること無く、椿は其れを口にする。

「“箱庭”」

ホログラムは脳内の四角の切り抜き通りに敵アジトをすっぽりと範囲に閉じ込めた。未だ其れに気付くものは居ない。それ以前に椿が侵入した事も、誰も気付いていなかった。

(…ぬるいな)

太宰が用意したものだからもう少し意地の悪いものを想像していた椿は拍子抜けした。

まずのうのうとワインを飲む頭を潰した。調度品に飾っていた趣味の悪い銃を自らの米神に当てて引き金を引くとワインよりも赤く濃厚な血がその部屋を汚す。
その次に幹部連中はその腰に仕舞っている銃で相討ちさせ、残った1人は狂って窓から飛び出して勝手に死んだ。
そして次に、次へと、椿はアジトの人間を壊していく。ある者は調理場で腕を輪切り、ある者は味方の喉を食い破り己の首を捻り砕き、ある者は暖炉へ突っ込んだ。燃えた身体を振り乱して死ぬまで焼かれて暴れる者は、アジトの至る所へ火をつける。其れを確認して椿はまたそそくさとアジトを出た。瞬く間に敵アジトは火の海に包まれる。

ホログラムを見ればもう既に生きている者は居ない。凡ての人間が不審な相討ちか自殺、まるで仲間割れの末にマフィアが崩壊したかのようだ。あとは火が全てを灰にしてくれるだろう。
最後にもう一度生存者が居ないことを確認すると、椿は箱庭を解除した。脳への周辺の情報が遮断される。


終わったのだ。ずり、と肩から力が抜ける。燃える炎を朝日が昇るまで見続けた。
椿の第三段階はこうして何の障害もなく終わった。