悪夢を喰って


鴎外の処方した睡眠薬の効果は覿面だった。
あれから任務で箱庭を使っても、椿はその夜に夢は見なかった。寧ろよく眠れて万々歳だ。太宰にもあれから「よく眠れているかい?」と聞かれるが、椿はざまぁみろとでも云うように胸を張って「首領のお陰で快眠」と云ってやる事まで出来ていた。然しその報復か任務が増えた気がするのは気の所為ではない。心の狭い男だと椿は出先で愚痴を零した。
然し今日の任務は太宰経由では無く鴎外経由からの任務だった。それも中也と共に行う物だ。太宰の采配では絶対に無い組み合わせである。
いつもよりウキウキと心を弾ませていると、珍しく太宰が出掛けざまに「気を付けてね」と云った。今考えると意味深だった。

ツキリ

椿は感じた痛みに眉間を寄せた。箱庭の許容範囲を越えたか?否、そんな筈は無い。寧ろ何時もより箱庭の範囲は狭いくらいだ。それに箱庭の危険を知らせる痛みとは、また違ったような気がした。

ツキリ、ツキリ

(っ…なんなの)

痛みが思考を阻害する。これでは集中できない。

「! っ椿!!!」
「は、」

中也の声が遠くに聞こえた。
何かが体を貫いた。熱いものが腹を、これは、?
衝撃のあった場所を押さえた手のひらを見るとそれは赤く色付いていた。

ツキリ、ツキリ、ツキン

頭が痛い。箱庭はさっきの衝撃で解けた筈なのに。

「ックソ!!塵共が!!!待ってろ椿!」

スローモーションのように見えた世界は、中也が焦る顔を鮮明に映し出した。最後には走り寄る彼を瞼の向こうに残して、椿は1つ深い息を吐くと共に目を閉じた。





「だから云っただろう?気を付けてね、って」
「……何の話」
「椿! 目が覚めたか。人を呼んでくるから動かず待ってろよ、いいな!!」
「中也は本当に心配性だなぁ私がいるから大丈夫だよ」
「手前が居るのが一番心配なんだよッ!!」

目覚めて直ぐの椿の脳には色々と衝撃の強い会話だった。
中也は荒々しく出ていくとそこは太宰と椿のみの空間となる。白い簡素な、以前太宰の教育を受けていた頃はよくお世話になっていた天井。そして簡略化された衣服に、嗚呼、医務室かと椿は理解した。
身じろぎすれば腹がずきりと嫌な痛みを訴える。撃たれたのだとあの時は一瞬理解ができなかった。

「…もう、薬を飲むのはやめておいた方がいい」
「? くすり…?」
「首領から処方されている睡眠薬だよ」

何故だ。そう聞けば太宰はハァと溜息を吐いて「わからないのかい?」と呆れた声色で云った。何がわからないと云うのか。

「君の怪我はただの不注意ではない。頭痛による注意散漫だ。頭痛は君が飲んでいる睡眠薬によるものだよ」
「どうして頭痛の事がわかるの?太宰はあの場にいなかったのに」
「任務に同行していなくともわかるさ、普段殆ど共に過ごしているのだから」
「……それ殆どは太宰がちゃんと書類整理しないから」
「頭痛はこの任務が初めてではないだろう?事務作業中もよく顔を顰めていたし、水を飲むようになっていたね。その症状が出始めたのは睡眠薬を処方された頃からだ」

太宰の職務怠慢の話は無視されたが、云われた事は全て当たっていた。椿は睡眠薬の副作用か、悪夢からは逃れられたが度々頭痛が襲うようになっていた。然し普段は我慢出来ないほどではなかった。今日の任務で偶々、一段と強い頭痛の波が来たのだ。

「気になって首領に聞いたけれど、あの睡眠薬に目立った副作用は無い。それから処方する薬を首領は色々と変えていたようだけれど、君の頭痛はそのどの種類のものであっても発生した。…君自身が、薬との相性が頗る悪いという事だよ」
「……ええ………………」

真逆安眠グッズであった筈の睡眠薬が原因で怪我をしたとは思いもよらなかった。
其れよりも飲まない方がいい、と云われてもそれでは悪夢を見て再び睡眠不足の生活に逆戻りだ。其れこそ注意散漫になるのではないか?と椿は危惧したが、太宰はそれなら問題ない、とにっこり笑って云った。

「私と共に寝ればいい」
「は?」

「あ゛?」
「………おかえり中也」
「太宰手前……矢っ張り最初から叩き出しときゃ良かったじゃねぇか!!出てけスケコマシ!!!」
「やれやれ」

「中也はタイミングが悪いなぁ」などと云って渋々太宰は出ていった。入れ違いに白衣に身を包んだ人が数人入ってくる。
中也は「検査が終わったらまた見舞いに来る」と云うと、最後に大人しくしてろよと念を押して去っていった。

「………そんなに大人しくしないと思われてる?」







数週間経って漸く腹の傷が塞がった。何が治療中一番大変だったかと聞かれれば中也のアフターケアである。面倒見が良く真面目な男だ。それが甲を制したか仇となったか、何方とも云えないのだが、見舞いにはほぼ毎日来ていた。何でも責任を感じているらしかった。曰く、「俺が居たっつーのにこんな怪我させちまうなんて」云々。弟子、それも女に目の前で倒れられたのが相当キたらしい。
然し毎日ふと懺悔されるこちらの身にもなって欲しい所だ、と椿は苦い治療期間の思い出をぼんやり頭に思い浮かべていた。そもそも怪我は中也の所為ではない。薬と合わない体の椿と、そのまま任務に出た椿と、敵の銃口に気付かなかった椿が悪い、詰まるところ凡ては椿の所為である。勿論それを中也に伝えたが中也は納得しなかった。つくづく真面目な男だ。

「何時まで現実逃避しているつもりかなぁ?」
「太宰が目の前の書類の山1つを処理し終わるまで」
「? 私これから街に出るけど」
「仕事して太宰幹部サン」

態とらしく“幹部”を強調して云うと、うげぇと太宰は声を上げた。
数週間でどれだけ書類を貯めれば気が済むのだこの男は、と椿が呆れる横で、太宰は「だって書類整理の類は詰まらなくて嫌いなんだよ、体を動かしたいのさ。あとめんどくさい」確実に後者の方が本音である。
因みに先程上司命令という名の職権濫用を振り翳されそうになった椿だったが、「前に外套から出てきた名刺の女に連絡先教える」と云ったら静かに着席した。聞けば相当押しの強かった女らしく、名刺も無理矢理ポケットに突っ込まされたのだそうだ。名刺の女はそれからというもの椿の対太宰最終兵器である。

数週間溜まった書類は、太宰が珍しく執務机に向かったお陰か夕日が射し込む頃にはその山が綺麗さっぱり崩されていた。コキコキと肩を鳴らす太宰は「あ〜もう暫く書類は見たくないよ」と云っていたが、サボらなければ良いだけの話だ。というか元来太宰は要領が頗る良い筈であるのに書類をこれ程溜める意味がわからない、と椿も出来上がった書類の端を揃えながら考えていた。

「この後任務だよね?」
「…うん」
「そうか。終わったら真っ直ぐ来るんだよ」

ヒラヒラと手を上げる太宰を背に、椿は執務室を出た。


そして、深夜。
報告の為に椿は太宰の執務室前に立ち、扉をコンコンとノックする。中から太宰の「入り給え」という声を確認して扉を開けた。

「お帰り」
「……ただいま?」
「うふふ、まるでこの前とは逆だねぇ」

この前とは何時の事か、以前の椿は寝惚けていた為に知らないのは当然だった。簡潔に報告を終えると、太宰は椿の手を引き仮眠室へと足を進める。
真逆本当に寝るつもりか、と椿は足を床に踏ん張って抵抗した。

「? 何やってるの?」
「何やってるはこっちの台詞…本気?」
「本気も何も、これしか無いだろう」
「太宰の異能と私の夢に、何が関係あるの」

キョト、と太宰は目を丸くした。そして次いで声を出して笑ったのだ。椿は何故笑ったのかわからないため目を白黒させる。

「ふ、くく!そっかぁ、そうだよねぇ。君は知らないんだ」
「?」

椿が悪夢を見て体を震わせる時、太宰が背中を撫でてやっていることを彼女は知らなかった。無理もない。眠っているのだから。然しネタばらしするのはもう少し先でいいと太宰は特に詳しく語る気は無かった。

「まぁ、眠ってみればわかるさ。シャワーは使うかい?」
「………使う」

云われた通りに任務が終わって真っ直ぐ来た椿は勿論シャワーはまだだった。丁寧に体を洗い、硝煙の臭いを髪から洗い流す。長い髪を乾かすのには苦労したが、見兼ねた太宰が手伝った為一人でやるよりは早く終わった。
ころりとベッドに転がる。本当に悪夢を見ないのか、椿は未だ半信半疑だった。

「羊を数える?それとも子守唄がいいかい?」
「子ども扱いしないで」
「子どもじゃないか。夢が怖いなんて」
「む……」
「子どもはとっくに寝る時間だよ」

さぁ目を閉じて。その言葉に従い視界は暗くなる。
静かな呼吸音と、鼓動の音、時折太宰が背中を撫でる音が椿の世界を支配していた。意識がゆっくりと沈み、世界の境界が曖昧になる。
椿は直ぐに眠りへと落ちていった。


「………私の隣でこんなに早く眠るなんて、矢っ張りまだ君は子どもだよ」


結局朝日が昇るまで、悪夢が椿を呑み込む事は無かった。