閑話 友人


中原中也相談窓口もとい椿の相談は、せっせと口にワインを運んでいた事で早くに酔いが回った中也によって今度は椿相談窓口へと移り変わった。…相談窓口と云っても、中也の酒の回った脳から出る支離滅裂な愚痴を殆ど聞き流す、とても相談窓口とは云えないものだが。

現在進行形で中也の愚痴を聞き流し、手元の殆ど中身の無くなったグラスの残りの氷が溶けるのを見る椿。右耳から左耳へと通り抜けていく喧騒の中に、中也の「ああ糞!」という声と徐に取り出した携帯の電子音が入った。

「太宰の野郎、今日こそは一言文句云ってやらんと気が済まねェ…!!手前もだぞ椿!!男の食事で面倒事が起こった後だってのに俺ん所来んじゃねぇ!!!太宰の野郎の面倒がまた俺に回って来んだろ!!!!」
「…う、うん……」

突然の正論に肯定の言葉しか出てこなかったが、中也の耳元に当てられた携帯に椿はヒク、と顔を引き攣らせる。真逆太宰に連絡を取られるとは思ってもいなかった。太宰と中也の険悪は知っている為こうなる事を予想していなかった椿は、「出ねぇ!」と痺れを切らしソファの背もたれに突っ伏す中也の手から、未だプルルルと鳴る携帯を掠め取り、その呼び出しを中断しようとした。

手に取った瞬間に呼び出し音が止まった。ピッという電子音の後だ。恐る恐る画面を見れば、通話中という表示が目に入る。椿は無言で携帯に耳を当てた。

「もしもし」
「……」
「なんだい中也、私息するのに忙しかったのだけれど?」

今通話をしているのは椿だが、太宰は中也だと思っているらしい。当たり前だ、今掛けているのは中也の携帯からなのだから。然し通話音を聞き取ったのか、ソファに突っ伏していた中也がグワッと起き上がり「おい何で椿が取った途端出ンだよ貸せ!!!」と云い、慌てて受話部分を手で押さえる。そしてひらりとソファから離れると同時に、耳元で「…椿?」と云う太宰の低い声が聞こえた。
しまった、聞かれた。キーンと酒の臭いが理由である訳でもないのに頭の奥が痛む。


「今のは中也の声だね。然し可笑しいな、受話器から離れた所から聞こえるなんて。私は中也からの連絡に応えた心算だったのだけれど…それに椿の名前を呼ぶという事は、椿は中也の所にいるの?こんな時間に?あの時たっぷり自覚をさせた筈なのに、真逆そんな軽率な事、私の椿が、する訳が無いよねぇ、真逆、そんな事ある筈が無い。あっていい事ではない。然し若しも、仮に、椿が中也の所に居たのなら、またしっかりと灸を据えなくちゃあいけないな………それで、今携帯を取っている君に聞くけれど、君は椿かい?其れとも中也の飼っている子猫ちゃんかい?」
「………………………にゃん」

苦しい鳴き真似をして椿はブツッと通話を切った。そして喚く中也に既に繋がらない携帯を渡すと、そそくさとお暇する為に扉へと向かう。「切れてやがる畜生!!!」という声と共にボスッとソファに埋もれて大人しくなったところを見ると取り敢えずは寝たようだった。

椿が扉のドアノブに手を掛けようとすれば指先が其れに触れる前に扉が開く。誰かなんて考えずともわかった。

「やァ子猫ちゃん。迎えに来てあげたよ」

太宰だった。
椿は扉に伸ばしていた手を引っ込める。今度は太宰が手を伸ばし、椿の喉を、まるで猫を撫でるように撫でてきた。勿論椿は猫ではない為その喉はゴロゴロとは鳴らない。にこりと太宰は顔に笑みを貼り付けてはいるが通話の内容から察するにこの笑顔はこのあと碌でもないことが起こる笑顔だ、と椿はわかっていた。機嫌を損ねないように一先ずは太宰の好きなようにさせる。太宰に箱庭は通用しない、其れに扉を塞がれている為そこからの逃亡は不可能。残るは窓か…と椿が太宰逃亡作戦を練っていると、無駄だと云うように太宰は笑みを深くした。

「ひとつ云っておくと、中也は子猫を飼ってはいないよ」
「………」
「うふふ。君、私の教育を受けていた時も中也の所に逃げ込んでいたねぇ。その時私は確か『子鼠は紛れ込んでいないか』と聞いた。そしたら君は鼠の鳴き真似をしていた、懐かしいよ」

暫く喉を撫でた後、太宰の手が離れようとする。其れに若干の名残惜しさを感じ、椿は追うように太宰の手に擦り寄った。其れに若干目を見開いた太宰は「ご機嫌取りの心算かい?」と云いつつ、引き続き椿に手を添える。
そのままひょいとソファに突っ伏す中也の様子を見て「あ、寝たんだ」とあっけらかんと云うと、中也の姿と、テーブルに置かれたグラスを観察し、部屋に漂う酒特有の匂いに太宰はピクリと眉を動かした。

「………君は酒の匂いが嫌いではなかったっけ」
「? 嫌いだけど」
「そうか。然し中也とは飲むんだね?」
「……私が飲んでたのはぶどうジュース」
「私から酒の匂いがすると寄ってこない癖に…」
「太宰からはそれと一緒に女の臭いもするから嫌」
「…え、」

バッと椿を見る太宰に、キョトンと顔を合わせる。何か可笑しな事を云っただろうか、と記憶を巻き戻してみるが特に思い当たる節は無い…筈。その隣で太宰も顎に手を当てて考えている。
ソファに酔いつぶれた中也、扉付近で2人の男女…太宰と椿が顎に手を当てて思案している。奇妙な空間だ。

(女の臭い…が嫌だから避けてたってこと?)

可愛いことをしてくれる。
それに気付けば先程まで太宰のイラつきが収まってしまう。残ったこの微妙な気持ちをどうすれば良いだろうか、と太宰は考え、ピンと良い事を思いついた。

「?」
「ふむ、中也と飲んでいたなら、私とも付き合ってもらおうか」
「……え、やだ」
「中也と飲めて私とは飲めないって云うの?」
「……」

忽ち面倒臭い空気を漂わせてくる太宰に、椿は渋々了承したのだった。







カラン、と鳴るドアベルの音は、店内に客が来たことを告げる。

中也には一応彼の外套を掛け、椿が太宰に腕を引かれるままに行き着いたそこは、ひっそりとした路地裏に構える、隠れ家のようなバーだった。
外の看板は時折ジジ、と鳴り、褪せたLupinの文字が時代を感じさせる。
内装も期待を裏切らない雰囲気で、客は太宰と椿、そしてもう1人居るようだった。
その赤髪の男は、口に酒を傾け乍らふと此方に視線を向けると、グラスから離した口を開いた。

「…太宰か」
「やァ、織田作。先に始めていたのかい?」
「嗚呼。…後ろのは」

誰だ?と続けて云った織田作と呼ばれる男。その織田作という呼び方を、椿は以前にもどこかで、聞いたような気がした。

「オダサク?」
「其れは俺だ。君は……嗚呼、太宰の部下の」
「椿」
「そうだな」
「織田作、彼女の事を知っているのかい?」
「知っているも何も、噂にはよく聞く」
「ふぅん……あ、マスターいつもの」

噂とは、あまり良くはない噂だろう、と椿はぼんやり思いながら太宰に手を引かれるままカウンター席に就く。
酒の臭いが肺の奥まで染み渡りそうなバーの空気。眉を顰めているとトントンと肩を太宰が叩いた。

「椿は何にする?ま、此処にはお酒しかないけれど!」
「…? 安吾は車で来た時はトマトジュースを飲んでいるだろ」
「……一寸、織田作ぅ」
「トマトジュース」
「椿……」

じとりと隣から突き刺さる視線には見向きもせず、コトリと置かれた朱色の液体で満たされたグラスを凝視する。赤。それで思い出したと云っては失礼だが、椿は嗚呼、と納得したように1人声を出した。

「龍頭抗争の、」
「?」
「太宰が通信で呼んでいた人」
「龍頭抗争とは、また懐かしい。否、あれは2年前か」
「太宰が幹部に成った時のあれか」
「うふふ。でも、そんな立場は此処では関係ないよ。椿、彼は私の友人の1人だ」
「…」
「もう1人居るのだけれど、今日は遅いようだね」

太宰の口から友人という言葉が出たことに、椿は少なからず驚いた。太宰の横顔を挟んで織田作を観察する椿の視線に、織田作は「?」と不思議そうな顔をして口に蒸留酒を運ぶ。品定めのように暫く見つめ、太宰が紹介した人物であるということ、そして椿の勘が、この男は大丈夫だと云った。
其れに挟まれた太宰はうふふと笑みを浮かべるだけである。

「織田作が気になるみたい」
「? そうか」
「彼はねえ椿。殺さずのマフィアと呼ばれる至極変わった男でね」
「…殺さずのマフィア?」

マフィアなのに?と椿が興味ありげに見ると、織田作は肩を竦めてみせる。訳ありらしいと察するが、殺さずにマフィアが成り立つのだろうかと考えて、その思考が読めたかのように太宰が応えた。

「成り立たないよ、普通ね。だから織田作は最下級構成員だ。然しね、椿。織田作は私の部下の誰よりも強い。君も覚えておくことだ」
「…わかった」
「嗚呼!そうだ!織田作、今日という今日は君の仕事の話を聞かせてよ!私は其れが気になり過ぎて夜しか眠れないんだ!」
「眠れているんだな、良かった」
「…」

この日は結局、太宰のもう1人の友人は現れなかった。
そしてこれは余談だが、後日見かけた織田作の後ろに、野良猫が列を成しているのを発見した椿がカルガモの親子よろしく着いて行く所を太宰は暫く面白がって見ていたという。