死霊たちの行進
弾丸の雨。耳を劈く機関銃の合唱は月が高く昇る真夜中、高らかに響いていた。
目の前で呆気なく拘束される者共を、太宰は詰まらなさそうに見詰める。期待していたが為に、この五円玉のようにぱっとしない連中には早々に興味を失ったのか、部下に「後は任せるよ」と云って夜の闇に身を溶け込ませた。
「…あ」
椿はポートマフィアアジトエントランスに、見覚えのある姿を見つけて思わず声を漏らした。
高い身長に赤髪。見えた横顔にはいつものように髭は見当たらなかったが、その顔はつい最近、太宰経由で知り合った男のものだ。見間違えるはずがない。然し彼とは本部ビルで今迄一度も会ったことは無かった為に、珍しい事もあるものだと椿はその背中に声を掛けた。
「織田作」
「…? 椿か」
トトト、と椿が駆け寄ると親切にも歩んでいた足を止める織田作。椿はその顔に酒場では見ない皺が刻まれている事に目敏く気付き、彼が此処に来た理由を推測した。
「……招集?」
「嗚呼。そんなところだ」
「不本意だけど断れない用事…首領」
「……エスパーか?其れとも君の異能か?」
「女の勘」
そうか、それは恐ろしいな。と神妙な顔で頷く織田作。首領という言葉を聞いて自分の目的を思い出したのか、止めていた足を再び動かした。その後に続く椿。
丁度太宰も居ない、机に張り付く書類整理も終わった為に椿は暇だった。織田作が外に出るなら、その後ろには野良猫の大名行列が出来るだろうと踏んで、椿は着いていこうとした。其れともう1つ、椿の口から云わせれば所謂女の勘が、織田作に着いて行けと云っているような気がしたのだ。
然し後ろに続く椿に、織田作は珍しく声を掛けた。
「……今回は首領直々の任務だ。連いて来ない方がいい」
「む…」
「そんな顔をしても駄目だ」
織田作は椿と知り合ってからはしょっちゅう椿にカルガモの親子よろしく着いて回られていたが、基本的に自由にさせていた。いつもの仕事は大体溝浚いである為機密性も何も無いのだが、今回は違う。織田作が椿に注意をするのは、何だかんだこれが初めてだった。
「…でも、目的の場所に行く迄は任務じゃない。目的地に着いて織田作の任務は開始される」
「……其れも、女の勘か?」
「そ。……私の目的は猫」
「猫?椿も飼い猫探しの任務か?」
「違う。暇潰し」
「…そうか」
確かに椿の云う通り、織田作の任務は目的地に着いてから…坂口安吾の家に着いてから本格的な捜査が始まる。それなら道中は好きにさせてもいいか、と考え付くと、織田作の口はそれ以降椿に注意をしなかった。
椿の読み通り、織田作の後ろには野良猫の大名行列が出来上がっていた。マタタビか何かを付けているのか?と以前聞くと、そんなものは付けていないと相変わらずの顔で云われた為にこの現象の理由は分からない。然しもう少し聞けば、飼い猫探しでよく餌場の張り込みをする為に仲間だと認識されているんじゃないか、と返ってきて、椿は割と真剣に自分も猫の餌場に張り込もうかと考えた。
暫く織田作が携帯で何処かと連絡を取っては切りを繰り返している間に、椿は野良猫と戯れる。三葉電子音が鳴り、切る行為を耳にした後、織田作が緩めていた歩調を元に戻した。
ピタ、と前を歩く織田作の歩みが止まり、仰ぐようにして高い建物を見上げた。それに続いて椿も見ると、其れは砂色の外壁を持つホテルだった。
「…此処?」
「嗚呼。此処でお別れだ」
「わかった」
寝転ぶ野良猫の腹をぐるぐると撫でる椿を置いて、織田作はその建物へと入っていった。猫達は動く気配は無い。猫に埋もれながら道端でしゃがむ椿だったが、一体は酷く静まり返っており、表通りなら数人は足を止めて見る人が居るだろう椿と猫のその奇妙な光景を、足を止めて見る者は居なかった。
暫くすれば元来気侭な性質である猫達は各々の縄張りへと1匹、また1匹と帰っていった。最終的に1匹の三毛猫が残り、椿は撫で飽きた為手を休めていた。
刹那、静かな一体に何処からか銃弾と破砕音が響く。バッと辺りを見回すが椿が狙われたわけではない。続けてもう1度鋭い音が響く。その音が聞こえた方向へ目を向ければ、先程織田作が入ったホテル上階の1つの窓が、太陽の光を反射させていた。2発、穴の空いたそこだけが不自然に反射を映し出さない。椿は箱庭を展開した。窓が割れていて銃弾の音が聞こえたのならスナイパーの可能性が高い。そして織田作が入ったホテルが狙われたのも、偶然では無く織田作を狙ったもののような気がした。
ホテル上階に窓の反射ではない光がチカチカと明滅した。鏡。恐らく彼は生きていて、同じく狙撃手を確認しているのだろう。
椿は展開した箱庭で織田作が生きている事を確認し、次に狙撃手を探した。ホテル上階の窓に対して角度はほぼ水平。同じ位の高さの建物は、近くて古書通りの向かいのビル。見ればそれらしき人影が足早に逃げるのを見つけた。
「ッ椿!まだ居たのか!」
何処か叱責のような声の方向へハッと目を向けると織田作が息を切らしながら走って来ていた。無事を確認して胸を撫で下ろすと、走る織田作に続くように椿も走る。織田作は手に携帯を持ち、誰かに連絡を取っているようだった。走っているということは、狙撃手の追跡だろう。協力の要請の為の電話だと直ぐに気付いた。
繋がった相手の名を織田作が呼ぶ。太宰だ。確か彼は今日、港へ出向いている筈だとスケジュールを思い出す。今朝、携帯電子盤を片手に意気揚々と出かけた太宰の後ろで書類整理を言い渡された椿は人知れず苦い顔をした。
通話を盗み聞いていると狙撃手の逃げ道を塞ぎ追い込むらしい。然し椿は箱庭の中で、敵がどこに向かっているのかなど手に取るようにわかっていた。自分に聞けばいいのに、と思ってからはたと気付く。そういえば織田作には、自身の能力を明かして居なかった。
通話を終えた織田作の袖をパシリと掴む。突然引かれた其れにくんっと体制を崩しそうになるが体幹がしっかりしているのか大きく崩れた様子は無く、織田作は椿を見た。
「何だ」
「狙撃手を追ってる?」
「そうだ。今、太宰に逃げ道を塞いで…」
「織田作、敵は逃げていない」
「…何だって?」
「私の異能、教えてあげる」
敵は2人組だ。箱庭の中で狙撃手が何者かと連絡をとる姿が見える。それと同時に近くとも遠くない距離にいるもう一方の仲間…恐らく観測手が耳に手を当てて応答していた。当初予想していた逃亡ルートの1つへと進んでいる観測手。2手に分かれているのは、このまま織田作を挟み撃ちにする心算だろう。つまり奴らの目的はまだ何かある。素性の知れない女との合流も、敵には的が増えただけとしか思われていないようだ。
「…それが君の異能か?今度は女の勘、では無く」
「あんまり詳しく云うのは首領と太宰に止められてる。空間把握が私の能力の1つ……着いてきて」
其れを伝えれば、今度は椿が織田作を率いる番だった。
▽
「敵の目的がわかるまで手を出すな」それが織田作が椿に云った事だった。
コクリと椿は頷くと、織田作の入っていった路地の入口の上、ビルから敵と織田作の接触を見る。勿論箱庭で周囲を見て警戒していた。直に狙撃手もこの路地にやって来る。挟み撃ちだと思って来たそこは、餌を吊り下げられた鼠罠とは知らずに。
織田作の銃弾は見事なものだった。彼が殺さずのマフィアと呼ばれる所以である人を殺さない信条が無ければ、観測手は瞬く間に眉間を撃ち抜かれていただろう。体術も言わずもがな。観測手の手が織田作の持つ白い金庫を狙い虚を掴む。
(狙いは金庫か)
織田作がホテルに入る前は持っていなかった其れは、目的の場所で見つけたものだろう。そして其れを見つけた事によって織田作は狙撃された。敵にとってその金庫の中身は大変重要らしい。
そこまで考えて織田作の背後から狙撃手が近づく。既に構えられた銃口を、椿は悟られること無く箱庭に寄って逸らした。銃弾は織田作に掠ること無く空気を裂いた。2対1だと思っている敵は両側からジリジリと織田作を追い詰める。既に追い詰められているのは敵の方だ、と椿は路地に入る黒い影を見た。
「織田作!屈め!」
太宰の声によって織田作が地面に体を投げ出すと同時に、放られた閃光手榴弾が路地を照らす。そしてあっという間に蜂の巣になった敵はバタバタとその場に倒れた。
終わった。そう判断して椿はビルの階段へと向かった。箱庭はまだ路地一体に展開したまま。
「頼むよ。私を一緒に連れて行ってくれ。この酸化する世界の夢から醒めさせてくれ。さあ、さあ、さあ」
ビルの階段を降りる途中で敵の1人がゾンビのように復活し、その上太宰が銃を構える敵へと接近したことによって事態は一変した。椿はビルの手摺を滑るように階段を駆け下りる。箱庭であっても太宰の体を操ることは出来ない。彼は異能に干渉されない異能力者だからだ。かといって震える銃口を向ける敵の体を刺激することも下手にはできない。負傷した体を操作することは難しい。手元が狂って太宰に当たる可能性がある。
唇を噛みしめて路地へ着くと同時に、二つの閃光が路地に煌めいた。
腕を撃たれた敵が衝撃で回転した。
太宰が大きく仰け反った。その永遠とも呼べる刹那、椿の息が止まった。
そして次の瞬間鋭く敵を睨みつけると控えていた黒服たちを箱庭で操り、短機関銃の引き金を引く。その追撃に敵はボロ布のように吹き飛び、肉と血を撒き散らして絶命した。
コツコツと近付く椿の足音に紛れて「残念だよ」という太宰の声が路地に響いた。椿は無言で織田作の背後まで歩くとその歩みを止める。
「また死ねなかった」
「…」
「悪いね、吃驚させて」
そうして太宰は自分の見解を話し始めた。右目に巻かれた包帯にじわ、と赤い染みが広がる事を意に介した様子も無く喋り続け「後は織田作が何とかしてくれる。そう踏んだのさ。合理的だろう?」と締め括られたそれに、織田作は「そうだな」と答えた。それを合図に踵を返すと、椿にすれ違いざま「助かった」と云って去っていった。
椿と太宰の視線がかち合う。椿は顔を顰めていた。
「やァ、椿。また織田作のカルガモかい?」
「…今日のは大名行列」
「ふぅん。それはまた、楽しそうだ」
「如何して近付いたの」
「…如何して、か。其れが最適解だったというだけだよ。君がビルの上で見物していた事も知っていたさ。それも含めて織田作と君が何とかしてくれると思った。実際君は、私の部下達を操り敵を仕留めたじゃないか。お見事だよ」
「私が聞いたのは、そうじゃない。如何して自分から死にに行く行為をするの」
「其れも先程云った通りだよ、椿。私はこの夢からはやく目覚めたい。今が1番、私にとって満たされている事は、他の誰でもない自分の事だからよくわかる。君という存在、私が見つけた何よりも欲するものを手にしている今が、一番人生の終焉に相応しいと思うんだ」
「……」
「この気持ちのまま、長年望んだ死が訪れたら、それこそ私は幸せすぎて死んでしまうだろうね。否、死んでいるからそれは可笑しいか。うふふ」
「如何して、其れを手にしているのに自分から手放すの、如何して、太宰は置いていかれる方の気持ちを、何も考えていない!」
足早に近付きダン、と太宰の胸に拳を叩きつける。頭の包帯は既に殆どが血で染まっていた。椿の叩きつけた拳に太宰は手を添えると、腕を回して体ごと包み込む。
「……嗚呼、済まないね。恐ろしかったのかい?私が撃たれたと思ったんだろう。うふふ、君も私の迫真の演技に騙されたねぇ」
ピクリと椿の肩が反応する。図星だった。太宰が敵の銃弾によって仰け反った時、椿は死の文字を連想した。そして彼がいなくなった世界を想像した時、言い表すことの出来ない絶望と闇が胸の中に広がったのだ。騙されたとわかればそれはふつふつと怒りに変わったのだが。然し何に対して怒っているかと聞かれれば、其れはあの状況をどうする事も出来ない自分の無力さに対してだった。
つまりこれも八つ当たりだと椿は理解している。太宰も、それはわかっていた。わかった上で、自分の行動に一喜一憂する椿への愛しさが溢れる。幸せが胸に満ちた。
然しこの行動を咎められるいわれはない、と太宰は口を開く。
「何故自ら死にに行く行為をするか…ね。この世界は、失いたくないと思うものは必ず失われる。手に入れた瞬間に、凡てのものは失うことが約束されるんだよ、椿。そして私は今、長年求めた価値のあるものを手にしている。其れを失う時が来るのが恐ろしくて堪らない…だから失う前に、君を永遠に私の中で私のものにする為に、死は避けられない事なんだ」
「置いていかれる方の気持ちを何も考えていない?其れは違う。寧ろよく分かっているからだよ。私は何度も置いていかれた者の気持ちを味わった。その末に私は求める事をやめた。何かを手に入れようと躍起になる事も諦めた。諦めた…筈だったのに。私の予想を覆して、君が現れた時私はまた恐ろしくなったよ。それも恐怖を感じているというのに、諦めるなんて事が出来ない自分にも、心底呆れたさ。でも、もう私は絶望をしたくない。これ以上世界に絶望してしまいたくはないんだよ。だから置いていく方を選ぶんだ」
太宰の胸の底からの言葉に、椿は人知れず背中を震わせた。闇が広がっていた。自分を抱く腕は闇そのものだと、椿はこの時理解した。然し今理解したとしても、戻れないところまで来ていたことも理解してしまった。太宰の心の闇、孤独に触れた直後、椿の心は直ぐに其れに寄り添うという答えを出したのだ。その答えを出すために突き動かされた感情の名は、矢張り空白だった。
「それなら私を連れて行って。私だって太宰を失うことは怖い。太宰が撃たれた時、私、もう、」
太宰を失うことは既に、椿にとって世界を失うことと同義だった。手を引かれて知った世界の先には常に太宰がいた。導をなくしてどう生きればいいかなど、椿にはもうわからなくなっていた。太宰が椿の生きる意味になっていると云っても過言ではない。それは太宰がそうなるように仕向けたものだった。
母を亡くし、祖母を亡くし、異能を恐れ、世界に絶望した幼い椿の前に垂らされた1本の糸。太宰に寄って垂らされた其れを、掴む以外に椿が地獄から解放される方法は無かったのだから。
椿の言葉を聞くと、太宰は口角を釣り上げ、「そうか」と幸福を滲ませた声を漏らした。
「其れなら私が死ぬ時は、君も一緒に連れて行ってあげよう。嗚呼、考えるだけでも幸せだね。其れなら明日からの任務は凡て君を連れていかなくちゃ。いつその時が来るかなんて、わからないんだから」
椿をそのまま抱き上げると、太宰は部下達の手配した車に乗り込む。
こびりついた血は既に乾いていた。