死霊たちの行進
「…説明が欲しいな」
太宰が云った。
マフィアの地下収監所。その奥にある特別収監房に、太宰と椿を含めた部下達が、死体を囲んでいた。
死んでいたのは以前に織田作を襲った敵…現在ポートマフィアと敵対する組織、ミミックの兵士。太宰が仕掛けた罠に掛かり、生け捕りにした筈のそれは、今は物言わぬ死体に成り下がっていた。
部下の1人が状況説明をする為1歩前に出て口を開く。椿は太宰と共にこの地下に来た。その時には兵士は既に死んでいた為、部下の言葉に耳を傾ける。
曰く、昏倒性のガスで眠らせたが想像よりも早くに兵士の1人が目覚め、隙を突いて銃を奪い、余計な事を喋らせないために他の仲間を射殺。その後襲い掛かってきた兵士を──
「それを僕が処断した」
椿はあちゃーと1人顔を手で覆いたくなった。答えた黒外套の少年は芥川。椿の弟弟子である。
太宰が芥川の方を見れば、芥川も大きな目を太宰に向け、じろりと見返した。
「何か問題でも?」
問題ありありだ、と椿は今すぐ芥川の後頭部を引っ叩いてやりたくなった。若しくは芥川の外套の裾を引っ張ってここから離れたかった。そんな事はお構い無しに、太宰は「成程ね。いや、問題など何もないよ」と芥川をまっすぐ見つめたまま云った。
「不撓不屈の恐るべき敵兵士を倒し、仲間を守った訳だね芥川君。全くもって素晴らしい」
芥川のほうに、太宰はゆっくりと歩み始める。歩みながら、太宰は捲し立てるように芥川へ語りかける。
「君の異能でなければ、そのような強敵を一撃の元に倒すなど出来なかったろう。流石は私の部下だ。お陰で捕らえた敵兵士は三名とも死亡だ。罠を張ってまで苦労して生け捕りにした兵士をね」
これで手掛かりは無くなった。この死体が生きていれば引き出せたかもしれない情報の数々を羅列し、最後に全く善くやったよ、と皮肉めいた言葉を掛ける。
「情報など…連中如き僕が纏めて四つ裂きに」
太宰は芥川が云い終わらせる前に、いきなりその顔を殴りつけた。
芥川は吹き飛び、床の石畳に叩きつけられる。鈍い音がした。
「きっと君は、私が言い訳を求めているように見えたのだろう。誤解させて悪かったね」
「ぐっ……」
芥川が呻き声をあげる。然し後頭部を打ったのか、その体はふらふらとしていて立てそうもない。
次いで太宰の冷たい声が収監房に響き渡った。
「君、銃貸して」
真逆、と椿は太宰を見る。その顔は芥川に向けられている為に背中しか見えない。太宰も椿の視線には気付いていた。気付きつつも、弾を3発込めた銃口を芥川へと向ける。
「私の友人に、孤児を個人的に扶養している男が居てね。芥川君。貧民街で餓死寸前だった君を拾ったのが織田作だったら、きっと君を見捨てず、辛抱強く教え導いたろう。それが“正しさ”だ。けれど私は、“正しさ”の方から嫌われた男だ。…そう云う男はね、使えない部下をこうするんだ」
言葉が終わると同時に3発の銃声が響いた。
「…………………」
芥川の額を、汗が滑り落ちる。
弾丸は、芥川のぎりぎり手前で静止していた。芥川が異能で止めたのだ。然し、芥川に余裕は無かった。椿はその顔を何度か見た覚えがある。精神をすり減らし、力の殆どを使い切った時の顔だ。ゴホゴホと咳き込み、血を床に吐き出す芥川を、これが終わったら医務室に連れて行ってやろうと椿は1人考えた。2人の間ではそれが約束だった。
「へぇ、やれば出来るじゃあないか!」
太宰が楽しそうに云う。
「何度も教えたろう。哀れな捕虜を切り裂くだけが君の力の凡てじゃあない。そうやって防御に使う事も出来る筈だって」
「…………これ迄、この防御に成功した事は無かった」
「でも今こうして成功した。目出度いねえ…」
芥川は生命力を削ぎ落とされたようなかすれた声をしていた。太宰の言葉に芥川の眉間がこわばる。感情が噴き出す寸前の、危険な緊張が走っていた。
太宰は続けざまに、氷よりも冷たい声で云う。
「次しくじったら、二回殴って五発撃つ。いいな」
芥川は何も云わなかった。否、太宰の圧によって黙った。
「さて、不出来な部下への教育はこの位にして、仕事にかかるよ」
其れから敵の情報は、兵士の靴から見つかった。そこにはある広葉樹の枯葉が付着しており、広葉樹の種類を調べてそれが多年生植物である事に行き着くと、今度は除草専門業者を調べる。そうしていくうちに、敵対組織ミミックの拠点の在り処へと辿り着いた。場所は十年以上前に廃棄された気象観測所。その付近には、枯葉と同じ広葉樹が広がっていた。
然し、いざそこへ向かうと、爆発と炎に包まれた廃墟があるだけだった。
「…椿、織田作を」
「織田作?」
何故彼が此処に居るというのだ、と椿は首を傾げたが、云われた通りに箱庭を展開し、周囲を囲む。そして草むらの中に、見覚えのある影が倒れているのを確認すれば一目散に駆け寄った。
影は織田作だった。何故彼が此処にいるのかなど、彼が以前にミミックの兵士の襲撃に遭った事と関係があるとしか思えなかった。倒れた織田作の体には特に外傷は見られない。銃も拳銃吊具に収まっている。あれほど手馴れの織田作が地に伏してしまうとは、敵は一体。
近くの草が、不自然な青い粘液を付着させていた。
「其れには触れない方がいい」
「!」
椿が丁度手を伸ばしかけた時、織田作の手のひらを見ていた太宰から声が掛かった。織田作の手は、変色していた。
「……毒?」
「嗚呼、皮膚から浸透する麻痺毒だろう」
「生きてる?」
「きちんと処置すれば大丈夫だよ。椿、この付近に他に人影は?」
たっぷり辺りを見回しても、太宰と椿を含めた部下の人影以外は見当たらない。その事を伝えると、太宰はあっさりと「帰ろうか」と云った。織田作の処置の為でもあるだろう。椿は大人しく従い、運ばれる織田作を見送った。チラと太宰を見ると、いつの間にか白いハンカチをその手に握っていた。
▽
ポートマフィアのミミック拠点襲撃…とは云えない襲撃後、また新たにミミックはポートマフィアへの襲撃を開始した。
織田作が目覚めたらしい医務室の外で、椿は部屋の中で繰り広げられる会話を右から左へ聞き流す。
暫くすれば医務室の扉が開かれた。
「あ」
「…椿か」
「おはよう、織田作」
「嗚呼、おはよう。君が俺を見つけてくれたと太宰から聞いた。ありがとうな」
そう云うと織田作は椿の頭に手を乗せ、うりうりと撫でた。その手のひらにはもう変色の跡は見られない。大雑把ながらも悪くは無い心地に椿は大人しくしていたが、2、3度往復すると手は離れ、短い別れの言葉を残して織田作は医務室から去っていった。次いで「他意は無い、他意は無い…」と繰り返しながら太宰が出てきた。
「私も龍之介の所に行った方がいい?」
「…いいや、君は私の所に。織田作が行ったのだから大丈夫だよ」
その通りになった。織田作が気絶した芥川を担いで帰った頃には、その日分刻みで行われていたミミックの襲撃はぱたりと止んでいた。
その夜。太宰は出掛けていった。
織田作がミミックの兵士に襲われたあの日から、太宰が云った通りに椿は太宰の行く任務に同行していた為、今回のは任務では無い。出る直前に携帯で誰かと連絡を取り、手にいつか見たハンカチを持って出る後ろ姿を椿は見送った。
「此処で待っていてくれ」と一言残して太宰が出掛け、帰ったのは時計の針が真上を過ぎてから暫く経った後だ。
椿は太宰の手にハンカチではなく写真が握られている事、太宰の云いようもない雰囲気に気付くと駆け寄った。吸い込まれるように腕の中に収まると、太宰は張り詰めていた息を吐き出す。抱きしめられた背中でぐしゃりと、写真の潰れる音がした。椿は只黙って太宰の言葉を待つ。話したくないのならそれでいいとも思っていた。太宰は今、何か深い感情に支配されていると感じ取ったのだ。
「……椿、」
「うん」
「椿、椿椿椿」
「何、太宰」
名前を呼ぶと、ハッと太宰は椿を見た。そして心底安心した、とでも云うような顔をして、再びぎゅうと抱き込んだ。
「椿、此処に居るね。よかった」
聞けば太宰は友人を1人、失ったらしい。
手に入れた瞬間に失うことは約束される。その瞬間が来たのだと太宰は云った。太宰の友人と聞いて織田作の姿が浮かんだが、そうではないらしい。太宰の2人のうちのもう1人の友人と、椿は結局会うことはなかった。
その日は朝まで眠らずに過ごした。
▽
朝になると太宰は椿を置いて再び出掛けた。
眠らなくてもいいのかと聞けば、鴎外の動向が気になると云う。何か、あるのだろうか。椿はここの所書類整理ばかりで、任務も太宰と共に行っていたので報告の為に鴎外の元に行くことが無かった。椿が知っているのはミミックとポートマフィアの苛烈な武力のぶつかり合い。部下の死傷。被害の規模。紙面で見える部分のみだ。今太宰が感じる不穏は太宰の頭脳でしか紐解けない。
太宰の顔には珍しく何処か焦りが浮かんでいた。昨晩と同じく「椿は此処で待っていてくれ」と云う太宰に、椿は大人しく従った。
暫く太宰の執務室で時間を潰す片手間、書類を無感情に見詰めているとコツコツコツというノックが響く。この部屋の主である太宰は不在だ。居留守でもしようかと思っていると、再びコツコツコツと鳴る。仕方なくどうぞと云うと、黒服が口をきつく引き結んで立っていた。
「首領がお呼びだ」
エレベーターを昇る。最上階に着くと、椿は迷い無く首領執務室へと向かった。
開かれた扉の先には、勿論鴎外の姿があった。ヨコハマの街を映す窓の前に設置されたソファに腰掛け、テーブルの上には飴色に輝く紅茶の入ったティーカップが2つ、湯気を立てていた。
「お呼びでしょうか」
「…嗚呼、椿ちゃん。久しぶりだね」
元気だったかい?と聞く鴎外に変わりないことを伝えれば、それは良かったと微笑む。手招きされてソファに寄れば、「遠慮せずに、座りなさい。紅茶は君のだよ」と云われ、特に断る理由も無い為鴎外の隣、3人掛けソファの奥に座った。
「いい匂い」
「おや、わかるかい?北欧産の高価な葉が届いてね。椿ちゃんは紅茶が好きだろう?」
差し出されるティーカップを受け取ると、品のある甘美な香りが鼻腔をくすぐった。口をつければ丁度良い温度で、コクと喉に流し込む。暖かいそれがじんわりと体内に広がる。ミミックとポートマフィアが戦っているというのに、こんな所でのんびりと紅茶を飲んでいると、その現実を忘れそうになる。現にぽかぽかと射す陽の光によってか、椿の瞼はだんだんと重くなってきていた。
「眠そうだねえ、椿ちゃん。また眠れていないのかい?」
「ううん。今日は寝てないけど、いつもは寝れてる」
「…そうか。それは良い」
瞼が落ちる前に、ツキンと頭が痛んだ気がした。
其れからすっかり紅茶が冷めた頃に、首領の執務室の扉が開かれた。
鴎外は執務机に座り直すと、待ち侘びたとでも云うように目の前の少年へ笑みを浮かべた。
「おや太宰君。執務室に君の方から来るとは珍しいなあ。紅茶を用意させよう。北欧産のものすごく高価な葉が届いてねえ。饅頭にかけて食べるとこれが絶品で──」
「首領」
太宰が遮って云った。
「私が何の為に此処に来たか、ご存じなのでは?」
組んだ手の下でくっと鴎外の口角が上がる。太宰の問いかけに、やや間を置いてから鴎外は答えた。
「勿論だよ太宰君。緊急の用件だね?」
「そうです」
「いいよ。その用件が何であれ、認可しよう」
そう云って鴎外はにこりと笑い「俊英たる太宰君の考えだ。間違っていよう筈がない。君はいつだって私とポートマフィアに絶大な貢献をしてきた。今日もそうであることを願うよ」と続けた。太宰は自身の考えをもう一度頭の中で思案し、口を開いた。
「では織田作を救援する為、幹部級異能者の小隊を編成し、ミミック本部へ強襲をかける許可を頂けますね」
「いい切込みだ。時として自分の本音を先に開示することは、最大の交渉力となり得る。いいよ、許可しよう。だが理由を教えて貰えるかな?」
「…今織田作は敵対組織の本拠地で、単身による威力偵察を行っています。緊急対応として、近隣にいたマフィア構成員を援護に向かわせましたが、とても戦力が足りません。このままでは貴重な異能者である織田作が死にます」
「だが彼は最下級構成員だ。勿論彼も大切な仲間だよ。しかし幹部級を最前線に晒してまで救出する必要があるのかね?」
「あります」
「…あるに決まっている」
太宰は断言した。鴎外は沈黙した。
鴎外は太宰を、太宰は鴎外を、各々見詰めた。鴎外は太宰の、太宰は鴎外の心理を理解し、それに対する反論も理解していた。太宰よりも先に口を開いたのは鴎外だった。
「…太宰君。ひとつ訊きたい。君の計画は理解出来る。だが織田君は恐らく、誰かの救援など望んではいないだろう。それについてはどう思うかね?」
太宰は答えようとした。しかし開いた口から出たのは息だけだった。答えるべき言葉が、見つからなかったのだ。
鴎外は執務机の書類棚から封筒を取り出し、眺めながら云った。
「太宰君。首領と云うのはねえ、組織の頂点であると同時に組織全体の奴隷だ。ポートマフィアを存続させる為なら、凡百汚穢に進んで身を浸さなくてはならない。敵を減耗させ、味方の価値を最大化し、組織の存続と繁栄の為なら論理的に考え得るどんな非道も喜んで行わなくてはならない。私の云う事が判るね?」
鴎外は手に持った封筒を机の上に置いた。それは大きく黒い高級封筒で、端に小さく金色の箔押しが施されていた。太宰はその封筒を見て、ハッと息を止め、そして、凡てを理解した。「そうか」と絞り出すように云い、太宰は「失礼します」と踵を返して鴎外に背を向けた。
「何処へ行くのかね?」
「織田作のもとへ」
歩みを止めることなく太宰は扉へ向かい、その把手に手を掛けようとした時、背後で複数の銃の安全装置の外される音がした。ぴたりと手を止める。目を伏せ、小さな溜息と共に太宰は鴎外と再度向き合った。
部屋には隣室から音もなく現れた黒服の武装マフィア構成員が5人いた。4人は銃口を太宰へと向け、1人は鴎外の傍らにいる。太宰はそれを見ても驚かなかった。ただ室内を眺め、それから鴎外を見る。鴎外はかち合った太宰の視線を誘導するように、目を窓際のソファへと移した。
太宰はハッとソファを凝視する。
背もたれによって見えなかったが、よく見れば、そこには椿が横になり眠っていた。鴎外の傍らから黒服が移動し、椿へと銃口を向ける。太宰は唇を噛んだ。これほど人がいる場所で、幾ら信頼する鴎外の側であってもここまで深い眠りにつくことなど有り得ない。ソファの傍らのテーブルに置かれた空のティーカップ、椿は恐らくそれを飲んだ。太宰は自ずと理解できた。そして鴎外をキツく見据える。
鴎外は太宰に微笑みを向けている。
「紅茶がまだだよ太宰君…まあ座りなさい」
太宰は微動だにしなかった。「織田作が待っている。椿も連れていきます」
「座りなさい」
太宰は銃口を向けられたまま、執務室の中央へと戻った。鴎外は椿を用意してまで自分を引き止めたいらしい。然し太宰は戦場へ椿を連れていく気は無かった。眠った椿を仮眠室に届け、どのみち太宰は織田作を助けに行く心算だった。
太宰は理解した。この抗争の全容を。凡ては、ミミックとポートマフィア、果てには政府の異能特務課までもが、鴎外の手のひらの上であった事を。凡てはポートマフィアの首領である鴎外が、異能特務課に、執務机の上に置かれた黒い封筒───異能開業認可証を発行させる為の長い長い計略だったのだと。