死霊たちの行進
太宰は理解していた。鴎外の計算も、心理も、計画の論理性も。ポートマフィアとはそういう性質の組織なのだ。論理的には鴎外が正しく、太宰は間違っていた。
然し太宰は踵を返し、出口に向けて歩き出した。それに反応して黒服がいっせいに銃口を向ける。鴎外が太宰の背中に、引き留めるように声を掛けた。
「君は行ってはならないよ太宰君。それとも、彼女をこのまま置き、自分の身を危険に晒してまで、彼のもとに行く合理的理由でもあるのかね?」
「…云いたいことが4つあります、首領」
太宰は目を細めて振り返り云った。
「ひとつ。貴方は私を撃たない。部下に撃たせる事もしない。次に、椿を撃つこともしない」
「ほう?何故かね。君が撃たれることを望んでいるから?椿ちゃんはどうだろうね」
「いいえ。私達を撃っても利益が無い」
「確かにそうだね。だが君にも、私の制止を振り切り、彼女を置いてまで彼のもとに行く利益などないだろう?」
「それが3つ目と4つ目です、首領。椿を置いていくのは、私に利益があります。貴方のもとが椿の身の安全を保証するには1番だと判断するからです。薬を盛ったのも、椿が下手に暴れない為。彼女が傷つく事を未然に防いだ。それに私が行けば、椿は目覚めれば追い掛けてくる。今から行く場所に、私は彼女を近づけたくありません」
「……そして4つ目ですが、確かに利益はありません。私が行く理由は一つ。友達だからですよ。それでは失礼。椿を頼みます」
部下達が銃を構え、引き金に指を掛けた。太宰は気にすることなく、軽い足取りで扉へ向かい、廊下を抜け、やがて見えなくなった。
鴎外は腕を組んで太宰の背中を薄笑で眺めていた。太宰の背中が見えなくなった執務室でぽつり、呟いたのだ。
「…本当に素晴らしい推理だ。最早訂正する所など殆ど見つからない……然し満点ではないよ、太宰君。君は見落としている、それも椿ちゃんの事をね」
彼がこれから行く先は、彼にとって最大の地獄であり、鴎外が用意した最悪の選択の場所だ。それに気が付いているのは、未だ鴎外ただ1人だった。
▽
日が傾き沈みかけた頃、椿は目を覚ました。鴎外は寝る前と変わらずソファに座り、椿の隣で微笑んでいた。
「おはよう、椿ちゃん。よく眠っていたね」
「……」
窓の外を見れば其れは一目瞭然だった。寝る前は真上にあったはずの太陽が沈みかけて空を赤く照らしているのだから。昼寝にしては寝すぎだ、と椿は頭を持ち上げる。そして立ち上がり、太宰も流石に帰ってきているだろうと鴎外の執務室から去ろうとした。何処か何かが引っかかる心持ちで扉の把手に手を掛けると、椿の背中に鴎外が呼び掛ける。
「ミミックとの抗争は終結したよ。織田君のお陰だ。太宰君も救援に向かったが、もうじき帰る頃だろう。迎えてあげなさい」
椿は振り返り、コクリと頷くと、鴎外の執務室を後にした。
太宰の執務室に着くと、既に中からは人の気配がした。帰ったのか。此処で待っていてくれと云われたのに居なかったことに文句を云われそうだが、椿は執務室の扉を開けた。
夕陽の赤い光で執務室内は染まっていた。太宰は座るでもなく只執務机に力なく寄り掛かり立っている。椿は歩み寄る。昨晩のような空気が執務室内を包んでいた。
「…太宰」
椿が名を呼ぶと、やっと気付いたかのように太宰は顔を上げた。ひどい顔だった。まるでこの世の凡てを恐れているかのように、一瞬怯えた目を椿にも向けた。然し名前を呼んだのが椿だと気付くと、太宰はよろりと机から離れ、なだれ込むように椿を掻き抱いた。椿は戸惑った。そして嫌な予感がした。彼は織田作の救援に行ったのだ。この反応は、真逆。
「……椿」
「太宰、織田作は」
「私はまた、失った。…織田作は、敵と相討ちだよ。本当に、本当に莫迦だ…!」
太宰の腕は痛いほど椿の身を締め付けた。然し椿の心もまた、織田作という人間の死に痛いほど締め付けられた。昨日まで温かかった、椿を撫でた彼の手のひらの感触を、椿はまだはっきりと覚えていた。その織田作が、死んだ。太宰は昨晩も友人を1人失ったと云った。立て続けの不幸に、太宰はもうその身が切り刻まれる程に苦しんでいた。
震える背中を撫でる。太宰と暫くそうしていた。太宰が椿を離したのは、すっかり日が落ちた後だった。
もうミミックとの抗争が夜を騒がすことは無い。久々の街の静寂は、織田作之助という一人の男の命と引き換えに齎された。