手を繋げば、それは


椿は意気消沈した太宰を無理やり風呂に入れた。手についた血は太宰のものでは無い。固く握っていたそれは織田作のものだろう、と椿の勘が云っていた。包帯を取り替える為に風呂から上がった後はベッドに向き直り座る。太宰は気味が悪いくらい静かで、椿が包帯を巻く手をじっと見詰めていた。

顔にも巻こうと近寄ると、包帯を持った手に太宰の手が重なり止められる。

「…いいの?」
「うん。もうずっと前に治っているから」

そう云って椿の手から包帯を取り上げ適当に放ると、太宰は椿を抱擁してベッドにそのまま沈み込んだ。
椿は大人しく太宰の腕に閉じ込められながら、包帯は明日の朝片付ければいいかと目を閉じる。手探りで太宰の手を掴むと、太宰の冷えた指先をきゅっと握り、そのまま眠りについた。



その横で、太宰は空虚を見詰め、椿を見詰め、友人である織田作の言葉を思い出していた。

“人を救う側になれ”

織田作の言葉は、ズシリと太宰の胸に重く残っていた。そして太宰は既に、マフィアから出る策を立てていた。
人を殺すことも、人を救うことも、どちらも同じなら、佳い人間になれ。弱者を救い、孤児を守れ。正義も悪も、太宰にとっては大差ない。それなら佳い人間になれ。その方が幾分か素敵だと、織田作は云った。太宰は友人の最期の言葉を信じ、善は急げと行動に移そうとしていた。然しひとつ、まだ太宰の心にはある種の心配が残っていた。

其れは椿を連れていくかという事であった。
連れて行きたいのは山々だった。太宰が長年求めていたものであるだけあって、椿は既に太宰にとって離し難い存在だった。然しマフィアから抜けるのは太宰であってもそう簡単な事ではない。太宰は珍しく弱気だった。立て続けに友人を失った心理状態がそう思わせているという可能性を抜きにしても、マフィアの網の目を掻い潜る事は容易では無い。其れは太宰が1番よく知っていた。


(安吾、織田作、そして、今残っているのは椿。彼女は私が云えば必ず着いてくる。然し確実に、マフィアから逃げ切れるという保証は何処にも無い。最悪、私は私の手で彼女を失うことになる。………突然失うよりは自分から手放した方がいい。これ以上生に絶望すれば、最期の友人の言葉をとうとう守れなくなりそうだ)


ハッと最後の最後に太宰は理解した。鴎外の計略はここまでに及んでいたのだと。友を喪い、椿を自分から手放す、この最悪の選択を選ばざるを得ない状況によって理解した。
鴎外は織田作の死によって太宰がポートマフィアを出ることまでもを予測して、それも含めたポートマフィアの利益と不利益も天秤に掛けて計画していた筈だ。
その上、太宰が椿を置いていくことを予測し、その後を中也に任せる所まで、鴎外は綿密に組み立てていたのだ。
中也と椿を頻繁に任務に行かせるようになった頃から、既に椿がこの計画の引き合いに出されることは決まっていた。太宰は途中気付けなかった。友人と恋い慕う者、その2つどちらへも向ける感情に振り回されて、目が眩んでいた。鴎外が態々親切にも太宰に椿への気持ちを自覚させたのも、この計画を悟らせない為だったのだ。完敗だ、既に最適解など無理やり選ばされたようなものだ。

太宰は1人ならばポートマフィアを抜けることは恐らく出来るだろう。然し椿を連れていくとその可能性はぐっと低くなる。頭数が増えるほど足がつきやすくなるからだ。見つかれば最悪どちらも殺される、若しくは彼女の死を目の前で見ることになる。それが最も太宰には堪えるだろうことを鴎外は理解しているからだ。
それなら、いっそ、────

身を切る思いだった。心中であれば両手を挙げて大歓迎だっただろうが、マフィアはそうもいかない。捕えられてまず2人は別々の牢屋に入れられ、互いの生死などわからぬまま、知らず知らずのうちに息絶えるだろう。其れは心中とは云えない。
然しそれならば彼女が確実に死なない方法は、最早ひとつしかない。忌々しい事だが、鴎外は彼女を傷付けることはしないだろうという確信が、太宰の中にはあった。


太宰は、眠っていても尚繋がれる手を見つめた。隣で眠る椿にキスを落とす。

「………此処で待っていてくれるね、椿」

永遠に目覚めないことを願いながら目を閉じる。こんな気持ちで眠るのは、随分と久々だった。

翌朝、太宰は早くに任務に出かけ、そして二度と帰らなかった。