中原幹部とその女
ポートマフィアに最年少幹部として君臨していた太宰の失踪後、龍頭抗争中の幹部襲撃と合わせて空いていた五大幹部2席のうちの1つに就任したのは中也だった。
そして、部下として指名されたのは、太宰の元部下であり、逃亡幇助の疑いのかけられていた椿。かけられていた、と過去形であるのは鴎外の尋問後、幇助の疑いは無いだろうと判断されたからである。
然しそんな状態での椿への印象は良い筈が無く、中也の部下が椿であるとわかると、ポートマフィア中に良いとは云えない噂が忽ち広がった。やれ乗り換えだの、体で幹部直轄の立場を取っただの。通路を横切る度に纏わり付く視線、声を潜めて行われる会話。居心地の悪さに中也は眉間を顰めた。三白眼がギロと睨むと、通路に固まっていた者達はそそくさと退散する。視線と耳障りな音も無くなり、フンと息を吐いた。
「…胸糞悪ぃ」
「いいよ、中也」
慣れている、と後ろから中也の背中を叩く椿。はやく執務室に行こう、と云うと中也は渋々視線を前に戻して歩調を戻した。
この手の噂は太宰の部下だった時も椿は経験していた。好きにさせておけばそのうち飽きて噂も消える。…太宰の場合は噂の元である女を取っかえ引っ変えしていた為に、飽きては発生しの繰り返しだったが、中也のこれはそうではない。椿は自分の噂はどうでもいいと思っていた。其れよりも、太宰失踪後の中也への噂の方が気掛かりだった。
“太宰が抜けたのは相棒である中也の所為”だと。地下牢に入る前もまことしやかにされていた其の噂。中也に地下牢から出されてからも椿は噂の残り滓を聞いた。流石に中也が幹部になってから表立って噂を続けるような命知らずは居なかったが、太宰の部下だった椿を側に置いた事から、其れは椿の良くない噂と共に再び静かに話され始めたのだ。
確かに双黒と呼ばれた2人の仲は険悪で互いに互いを嫌い合っていたが、任務での2人の相性はそれとは正反対に頗る良かった。力で尽くを捩じ伏せる中也と頭脳で敵を翻弄し中也の力を最大化する太宰。口では息をするように罵声と煽り合いを繰り返していたが、唯一無二の相棒であることは成果を見れば何よりも明らかだった。椿も其れは理解していた。
ポートマフィアは太宰という優秀過ぎる人材を失った。椿も太宰という世界を失った。然し其れらと同じく、中也も太宰という相棒を、仲間を失ったのだ。そんな中也の傷口に塩を塗り込むような噂を椿は嫌悪した。
椿は心に埋めきれない穴を抱えたが、其れを中也は埋めようと尽力してくれている。椿も中也の穴を埋めてやりたいと思た。
然し其の穴を埋める方法がわからない。椿は考えあぐねた末に、結局わからないまま、中也の側に居ることにした。共にいればわかると思ったからだ。実際、中也も任務には殆ど椿を同行させている。かといって、中也は椿の異能の代償である悪夢を気にして異能を使わせたがらなかった。側に居るだけでいいと云われているような気がした。
只の兵器として育てたのではないと云われているような気がして、椿を安心させようとしているのだと理解した。
あの日、椿は中也の胸で涙を流した。太宰という世界を失って、凡てを一度は拒絶した。中也の優しさも、あの時は太宰の其れと重なってひたすらに痛く、またその手を取って失うことを繰り返す恐怖が椿を襲った。拒絶することで椿は自分を守ろうとした。兵器として育て利用して要らなくなったら捨てる。其れなら最初から何も要らないと。
然しそれでも、中也は椿の腕を強く引いた。自分の所に来いと。自分の手を取れと。其れは同情では無くて、中也が仲間として椿を必要としたという事だった。ならば其れに応えようと、椿は中也の手を取った。仲間として側に居ようと。
執務室に着けば両開きの扉を抜けて、中也は部屋の執務机の椅子にガタリと腰掛ける。椿はその側に備え付けられている机の椅子に静かに着席した。
部下の1人が中也に近づき任務の報告と新たな任務の資料を中也に手渡す。
「中原幹部、此方の任務は……」
「ああ?俺と此奴で行く」
「承知しました」
「…」
淀みなく、当然のように繰り返されるやり取り。
椿は任務の度に中也の「手前は何もするな」という言葉に従ってきたが、不満もあった。仲間なんだから自分も守らせてほしい。側に居るだけ何もしないなんていやだ、と。中也が椿を兵器として扱っていないということはもう充分わかった。だからそろそろ、守られるだけのお嬢さんではなく背中を預ける仲間になりたかった。
ついでに云うと1人で任務がしたい。地下牢を出てから鴎外に会っていないことも椿の中では引っ掛かっていた。
部下が下がり執務室内に中也と椿の2人だけになると、椿は口を開いた。
「…中也」
「あ?んだよ。任務の資料なら…」
「私1人で任務に行きたい」
「……は?」
ピタリ、と中也は書類に伸ばしていた手を止めた。視線を椿に向けて、暫く黙るとガシガシと頭を掻く。
「駄目だ」
「…何で」
「首領の命令だからだ」
椿は黙った。
首領である鴎外の命令。ポートマフィア内でこれ以上に効力のあるものは無かった。ポートマフィアでは首領の命令は絶対であり、それに逆らう事は死を意味する。
わかってはいる。わかってはいるが…
「んな顔しても覆らねえぞ」
「む……じゃあ私に報告行かせて」
「何でだよ」
「何となく」
「じゃあ駄目だ。そもそも俺と行ってんのにお前が報告に行く必要は無ぇ」
ぺらりぺらりと資料を捲る音が沈黙した室内に響く。チラと中也が椿を盗み見ると、頬杖をついて眉間に皺を寄せ考える椿の姿があった。呆れ声で中也が口を開く。
「……手前、前は首領の所にほいほい行ってただろうが。態々報告を口実にしなくても」
「既に何回か行ってる。でも大体来客中とかで黒服に追い返される…あれは多分嘘」
「マジで来客中かもしれねぇだろ」
「私の勘が嘘だって云ってた。あと箱庭でこっそり覗いたけど普通にエリスと追いかけっこしてたし…」
「どうなってんだよお前の勘。異能をそんなところで使うな。あとエリス嬢のことは云ってやるなよ」
「…」
確かに幼女を追いかける姿はシュールだったな、と思いながら他の方法を考える椿。然し何故、門前払いといい単身任務の禁止といい、鴎外に会わないように仕向けてくるのか。
「会いたくない理由…嫌われた?若しくは後ろめたい事が何か……でも思い当たる節といっても、クローゼットの中に服が増えてることはいつもの事だし……」
無いな、と椿が思案している横で、中也は「首領まだお前に服寄越してんのか」と云う。断れるものなら断りたいが気付いたら増えているのだから仕方が無い。そろそろ断捨離しなければクローゼットが爆発する…いっそ今迄の凡て捨てたら服を詰め込みに彼処から来るだろうか。
ブツブツと云う椿を中也は半目で暫く見た後、手が止まっている椿を置いてテキパキと目の前の仕事に手を片付け始めるのだった。