信仰者の集い解散のお知らせ
視界の端に黒い外套が映った。
思わず包帯の彼を探したが居る筈もなく、目に映った黒は無表情で此方を見ていた。
「…龍之介」
元気か、と椿が近寄ろうとすれば足元からギュルと黒獣が姿を現し体を拘束される。椿は不思議そうな顔をして芥川を見た。カツカツと靴の踵を鳴らして近付く芥川は半歩ほど距離を開けて椿の目前で止まり、手を伸ばしたかと思うとグッと椿の襟元の布を掴み凄んだ。芥川の顔は感情が噴き出す一歩手前だった。
「中原さんの部下になったと聞いた。真か」
「…………………ああ」
そんなことか、と云うように椿が声を漏らすと羅生門は牙を剥いた。首の皮膚が薄く切れる。ツ、と一筋の赤い線が引かれた。未だ羅生門が首を捉えたまま、椿は芥川を見据えた。芥川は椿をじっと睨みつけた。
「何故だ」
「……中也が私に手を差し伸べてくれたから」
「ならば僕が…ッ!!」
僕が手を差し伸べたら、貴様はその手を取ったのか。そう訊けば椿は何処かいつか見たように、薄く笑って「そうかもね」と呟いた。然しそれは芥川に向けるでも、誰に向けるでもない。その声からは只自嘲が読み取れた。
「…私は太宰に縋り付いて生きていた。其れこそ、太宰が居なければ生きていけないと思っていた。でも、今は?世界そのものに思えていた太宰が消えた後、世界が消えれば当然死ぬと思っていたのに変わらず私の鼓動は刻まれているし血は流れる。太宰に縋らずとも生きていけてしまうことに気付いて仕舞った」
それに気付いたのは地下牢だ。鴎外の尋問の末に自分の口から太宰が居ないことを、自分は捨てられ置いていかれたのだということを云った。云ってしまえば立ち所に自分は死ぬと根拠も無く思い込んでいたところで、椿の心臓は当然止まることは無く、今も動いている。
「縋ることが出来るなら、誰でも良かったのかもしれない」
其れこそ乗り換えだと椿は思っていた。中也には申し訳ないが、ポートマフィアに蔓延る椿の噂に椿自身が何も云わずにいるのは、あながちそれが間違いでは無かったからだ。太宰から中也へ、部下という立場としても、身を捧げるという意味でも、自分は乗り換えたのだと。
芥川は道端の吐瀉物を見るような視線を椿に向けた。同胞だと思っていた故に、こうもあっさりと他に移り変えた椿に大いなる軽蔑も抱いていた。椿はその視線を受けても、何も云わないどころか眉一つ動かさずに薄い笑みを貼り付けている。その様子にも芥川は眉間を寄せた。
何故平気な顔をしていられるのだ、僕には貴様の気持ちを乱すことさえできぬと云うのか。いっそ言い訳をしてくれた方が良かった。
「何故、何も云わぬ」
「云わないんじゃない。云えないんだよ、龍之介」
「!」
「君の望むものを太宰は必ず与えてくれる、と私は云って君に辛い思いをさせてきた。治されたくもない怪我を無理やり治療して、太宰の背中を追い掛けさせた…見たところ、太宰は君に何かを与えてくれた訳ではないみたいだけど」
「寧ろ何かを君から奪っていったんだね」
「………其れは、貴様にも向けられる言葉だ」
途端、椿の顔からみるみる表情が消えてゆく。芥川はフン、と息を吐くと続けて口を開いた。
「勘違いするな。貴様が僕の傷をどうしようとも、貴様に云われずとも、僕は太宰さんに着いていった」
そして其れはこれからもだ。消えた太宰さんの背中を追う。貴様は精々中原さんの部下の役目を全うしていろ。そう云って芥川は羅生門を解いた。椿はキョトと首を傾げて口を開く。
「…殺されても仕方ないかと思ってたんだけど」
「今の貴様を殺しても何の成果にもならない」
「それもそうか」
「開き直るな」
「貴様の異能で太宰さんを見つける事が出来ただろう。何故探さない?」
「しない。…太宰が私を捨てたのなら、もう私に太宰を追うことは許されない」
太宰は捨てた女とは二度と会わない。それは椿が一番よく知っている。
なんだ、矢張り囚われた儘ではないか、と芥川はその言葉を聞いて眉間に刻まれていた皺を漸く戻した。