閑話 遭う前に逃げろと言われても
敦は探偵社で初めてとなる依頼を受け、その準備をどこか緊張した心持ちで行っていた。コトリコトリと心の整理をするように鞄に現場を押さえるための荷物を詰めていると、その背中に国木田の声がかかる。
「おい小僧」
「不運かつ不幸なお前の短い人生に些かの同情が無いでもない。故に…この街で生き残るコツを教えてやる」
そう云って国木田が手帳から取り出し敦に渡したのは写真だった。
「こいつらには遭うな。遭ったら逃げろ」
どこかの路地だろうか、黒い装束を身に纏う男が写っていた。視線を此方に寄越していないことから隠し撮りだろう。
「この人は───?」
「マフィアだよ」
何処からか、何時からか。にゅっと顔を出して会話に入ってきた太宰の姿に敦はビクゥッと驚きを露わにする。
「尤も、他に呼びようがないからそう呼んでいるだけだけどね」と続けた太宰は、敦のその反応を特に気にしていないらしい。
曰く、この男は芥川と云い、港を縄張りとするポートマフィアの狗であると。
曰く、マフィア自体が黒社会の暗部のさらに影のような危険な連中だが、芥川は斬った張ったの荒事が領分である探偵社でさえ手に負えないと。
「何故───危険なのですか?」
「そいつが“能力者”だからだ。殺戮に特化した頗る残忍な能力で軍警でも手に負えん」
「俺でも奴と戦うのは御免だ」と云う国木田の言葉に、ごくりと生唾を呑み込んで写真の姿を見る。
すると、指に力を入れた拍子に角がずれ、芥川という男の写真と重ねられていたのか、もう1枚写真が渡されていたことに気づいた。
確か、と敦は国木田の言葉を思い出す。「こいつ“ら”には遭うな。遭ったら逃げろ」芥川と同じ危険な能力者がもう一人いるのか。握りすぎて白くなった指先をずらし、もう1枚を見た。
その写真は、芥川に比べればよく撮れているとは言い難かった。
髪だろうか、風に靡いたそれが顔の半分以上を隠してしまっている。暗がりで人物の白が浮き上がっているかのようだ。唯一見える瞳は露西亜の凍った湖の底のようで、写真を通して此方を鋭く睨んでいた。
「あのう、国木田さん。こっちは…」
「嗚呼。其奴は、芥川ほど目に見えて殺戮に特化しているということは無い。が、遭遇すれば一瞬で終わる可能性が高い」
「そんな?!」
「其奴は芥川と同じく能力者だ。同じ空間に居る者を意のままに操り殺す…と云われている。何でも、其奴に潰された内のあるマフィアの首領は風変わりな男でな。死因は自分の喉に羽根ペンを突き刺して自殺…かと思われていたのだが、暖炉から紙の燃えカスが見つかり、その女に殺されたということがわかったのだ」
ひぇえと情けない声を上げる敦は顔面蒼白だ。季節柄寒くもない筈なのにぶるぶると肩を震わせ、写真の人物を網膜に焼き付けるかの如く見る。
(芥川は会ったら逃げる…こっちは会う前に逃げる……)
会わずしてどう逃げろと云うのだろうか。
「会うなと云われても、わからなくないですか?!」
「其奴は遭うと厄介以外の何物でもないが、目撃情報が少ないため芥川と比較すればあまり外へは出てこない……らしい。実際に此奴を目撃した者は徹底的に殺されているからなんとも云えん」
曖昧な表現をしてくいと眼鏡を上げる国木田に、敦はええ…と肩を落とした。
つまり遭遇する可能性は低いが、遭遇すれば死ぬ可能性が高いということだ。
敦は自分の今日の星座占いは何位だったかと思い出す。6位。微妙だ。
「うふふ、よく撮れたねえこんな写真」
いつの間にか敦の手の中にあった写真の1つが太宰の手に渡っていた。自分の手の中のを確認すると芥川だったので、太宰はもう1枚の方を見ているのだと察する。
「ええ…。それ、全然顔が見えないじゃないですか…」
敦は頭の中で、この2人の危険人物とはどうすれば遭わずにすむかを考えていた。然しそんな方法は有れば誰でもやっているし、無いからこうして危険人物として注意され回避方法も逃げの一択しか用意されていないのだと気づいて更に肩を落とす。
其れとは対照的に太宰はウキウキとした笑顔で、沈んだ敦の肩をぽんぽんと叩いた。
「よく見給え敦くん。こっちとそっち、違いはなーんだ?」
「あえ…?」
違いと云ってもこの写真から何を読み取れというのか、敦には微塵もわからなかった。敦がわかっているのはこの2人がポートマフィアであるということと、遭うな、遭ったら逃げろということのみである。
「うふふ!時間切れー!!ブブーッ!」
「この写真だけで何の違いがわかるんですか……」
後ろで国木田が「何を遊んでいる太宰」と呆れたような溜息を吐いた。因みに遊ばれているのは敦の方である。
太宰は2つの写真を並べて云った。
「ヒントは目線だよ」
「目線?」
芥川の目線は何処かを見ていて此方には向いていない。
もう1枚の目線は此方を睨みつけるようにしている。
「隠し撮りか、気付かれたか…という事か」
「ぴんぽーーーん!でも時間切れだったから景品は無しね!」
「へ?………ああ!!」
国木田の言葉に2つの写真を見ればその差は歴然とそこに写し出されていた。それよりも太宰の景品という言葉に敦は引っかかり太宰の方にギュンと顔を向けたが、太宰はニコニコと何処吹く風だ。
「この写真が出回るまではこっちの方は全く姿が見れなくてねぇ。却説ここで第2問、それは何故だと思う?」
「ええっえっと、えっと……それまで外に出ていなかったから…とか…?」
「うーんブブーッ!」
「“姿を見た者は凡て殺されていたから”だ。此奴が出てきた時は大抵皆殺しだ。それも殆ど仲間内で殺し合い、自殺のように仕組まれる。地獄のような現場になると云われている」
「ぴんぽんぴんぽーーーん!!!国木田くん正解!裏山キノコあげる」
「要らんわ!!!!!!!!」
「す、姿を見たら殺され…え、じゃあこの写真」
「撮った人はこの後まもなく殺された。辛うじてフィルムは残っていたのさ」
「ヒッ………」
云うなれば最期の遺物を持っているということだ。手の中の写真を見ると、目が合った気がして米神を汗が伝った。
「この写真は本当に奇跡的な物だよ。見目どころか、此方は名前さえ割れていないのだからね。有るのは通り名だけさ」
「嗚呼、それも羽根ペンの男が遺したメモから付けられたのだったな。確か──」
「月の女?」