それが君の意味になる
密輸船は爆発する前に海に沈んだ。探偵社の国木田が人虎…それに鏡花も回収し、去った後に密輸船周辺を捜索。こちらも浮き上がる黒外套を回収し、市警が来る前にその場を去った。
数本の管が伸びる白いベッドに、芥川は眠っていた。樋口は鴎外に首領執務室に呼ばれ、重傷の芥川を最後まで心配そうに見つめながら医務室を出ていった。
椿はベッドに頬杖を付き乍ら、眠る芥川を見つめる。
「…私と樋口がいなかったら市警送りだったねえ、龍之介」
返事は無い。
芥川は昏睡状態だった。然し椿は構わず、まるで芥川が話を聞いているかのように独り言を続ける。
樋口は今、芥川の代わりに鴎外にお叱り(そう甘いものでもないが)を受けている最中だ。
探偵社襲撃失敗に懸賞金作戦失敗。おまけに芥川のこの重傷。そして懸賞金作戦の内に、芥川が潰した密輸組織の残党が手勢を集め復讐を企てているらしい。
…芥川の怪我に関しては何とかできないこともなかった。最初から人虎を椿の箱庭で捕縛してしまえば良かったのだが。
樋口も芥川のこの姿を見て、責めるような声で云っていた。
何故あの時直ぐに船で近付かなかったのか、先輩を扶けなかったのか、と。何処までも芥川に従順で、彼の身を案じ、彼を思う彼女は瞳に涙を滲ませていた。船の上でも悔しそうに唇を噛んでいた彼女に、それでも椿は無感情に静止の声を掛け、淡々と芥川を回収した。
然し涙の顔を見て、椿にも若干の心苦しさが生まれなかったわけではない。
「…それでも私が、お前を扶けなかったのは」
椿が芥川を扶けなかったのは、芥川の目に余る単独行動への仕置きと、少しの仕返し。前者と後者どちらが大きいかと問われればどっちもどっちである。そして眩しいほどにひたむきな、彼女の為でもあった。
誰の扶けも要らない。それが芥川の口癖だった。その通りに芥川は、今迄単独で成果を挙げてきた。然し単独行動があまりに目についてきた為に、強引ではあるがこの機会に矯正を試みたのだ。
芥川はもう、太宰の直轄麾下でなければ一介の構成員というわけでもない。上級に名を連ね、部下も居るのだ。只我武者羅に太宰の下で力を奮っていたあの時と今は違う。命令を下される側でなく下す側になった為に、前者よりも行動に制限が無くなった末に起こっている芥川の独走だ。それは他を寄せ付けない。部下でさえも。
加えて、上に名を連ねるという事は、同時により危険と近くなるということだ。芥川に続く部下にも、当然危険は降りかかる。彼女の思う心が彼女の身を滅ぼすことは、彼女が浮かばれなさすぎる。どうにかしなければ、と椿は思っていた。
それに、怪我をまた放置して任務に出た芥川の事もだ。一度痛い目を見なければ自覚をしないだろう。
今回は想定していた中でも酷い方の怪我を負ったが…芥川は体こそ脆いが精神は頗るタフだ。太宰に受けた教育の賜物であると同時に、それは芥川の才能でもある。どんなに満身創痍になっても彼の精神力があれば大丈夫だろう。必ず目を覚ます。
そのような椿の思惑、タイミング的に、今回の人虎との戦闘はぴったりだった。
…それと同時に敗北と大きな戦果を逃すことを味わった為に、単独行動が悪化する事を杞憂してはいる。然し芥川も莫迦では無い筈だ……多分。
芥川には、部下である樋口や黒蜥蜴の存在。それらに気付いて欲しかった。
そしてもうひとつ、芥川を扶けなかった理由が、椿にはあった。
(…私の知らないところで消えないように)
狡い方法だとは分かっていた。それでも、芥川を繋ぎ止める方法として、心残りとなるような存在を椿は宛てがうことにした。遠い太宰では無い、近く彼を生かす理由を。
「人はひとりでは生きていけないんだよ、龍之介」
ひとりであれば、それはまるで先の見えない闇の中に、ぽつりと立っているような心地だろう。嘗て椿は、そこに立っている者を近くで見ていた。
芥川の戦果と強さに固執し他を置いて行く姿は、自ら闇へと転げ落ちて行くようにも見えた。
そして孤独の闇の中での心地を、道標も無い闇の中で湧く絶望と諦観を、椿は知っている。
知っているからこそ、芥川をそこから遠ざけたかった。今彼は太宰の背中を負っている為に、標はあるものの、それもいつまでも有るとは限らない。
嘗ていつまでも有ると思い込み身を浸した、自分の二の舞にはしたくないと椿は思っていた。
未だ目を覚まさない芥川の顔、ガーゼの当てられた頬を撫ぜる。貼り付けたのは椿ではない。医務室の人員に混じって樋口がやった。
「こんなに大掛かりにしないと分からないか……手が掛かる弟弟子だね」
手を離し席を立つ。医務室を出る椿の目は、柔らかく細められていた。