灰色の君
椿はお気に入りのクレープを売る公園に来ていた。然しその手には何も持たず、設置されているベンチに腰掛けて遠くをぼうっと見つめているだけである。偶に首元のチョーカーが居着いのか片手でそれを弄るが、それ以外では殆ど動く気配が無かった。
未だ首の異物感に慣れないチョーカーは先日中也が椿に贈った物だった。シンプルだが高級感のある黒地のそれは椿の白い喉元を緩く拘束し、中心にひとつ飾られた宝石は血のように赤い。曰く「目印」なのだそうだ。外に出る時は絶対に着けろと念を押され今回も仕方なく着けてきた。椿は別に光り物が特別好きだという訳では無い。どちらかといえば宝石より食の方に興味が傾く方だった。
公園を行き交う人々は、1度は椿に視線を向けては通り過ぎていった。然しその中に此方に近付く1つの足音を聞くと椿は宙に浮かせていた視線を其方へ向ける。
「椿さん!」
「…中島敦」
かけ足で来たのか少々息が乱れていた。「お久しぶりです」と礼儀正しく挨拶する彼と椿が顔を突き合わせるのは数週間ぶりである。
「うん、本当に久しぶり」
「はは…あれから此処には通ってたんですけど…凄いすれ違いでしたね。今日偶々覗いたら、椿さんが見えて」
「…まあ、正確な待ち合わせもしていなかったし」
思わず走ってきてしまったのが今更恥ずかしいのか、敦は頬を掻いた。
椿が座っていたのは公園の入口から丁度見える場所に設置されたベンチだった。椿が何をするでもなく待っていたのは正しくこの少年、中島敦だったのだ。
「お礼が出来ないまま一生会えないんじゃないかと思ってました!」
「大袈裟じゃない?」
そうですか?と目を丸くさせた敦に椿は光ではない眩しさに目を細める。
かく云う椿も、何となく今会わなければ一生此処では会えないのではという予感がしてこの公園に来たのだ。椿の勘はよく当たる。
中島敦は、件の人虎だ。
探偵社の只の事務員ではなく、芥川を打ちのめした強力な異能を持つ能力者。それが彼だった。然し、かと云って椿には、敦を害する積りは今のところ無かった。人虎捕縛の命も解かれ、芥川の事は寧ろ今すぐ握手をしてやりたいほどだった。彼が椿をポートマフィアだと知らない為にそれは出来ないが…否、知らないからこそ、今こうして普通に会話出来ていると云っても過言ではない。
それに、結局迎えに行くと云って連れ帰ることが出来なかった鏡花の事も気になっていた。然し直接探偵社に乗り込む事は避けたい。彼女があのまま探偵社に居続けているかも分からない今、彼なら何か情報が引き出せるだろうと踏んだのだ。
通信保管所に散らばった記録を拾い集め、一つ一つに目を通せば人虎である彼の事が記されていた。それも彼の出生から生い立ちまで、凡て。彼と初めて会った時、彼は若しかすると孤児院を出て放浪していた最中だったのかもしれない。奇妙な縁とでも云うべきだろうか。
そして人虎に懸賞金をかけていたのは組合という北米異能者集団。マフィアが取引に失敗すると、組合はさっさと此方との交渉の場から撤退した。そしてマフィアもこれ以上人虎を追う利益が無くなった為手を引いた。
然しあれ程の大金を積んでまでマフィアを動かしたというのに、このまま諦める筈がない。そういう意味での嫌な予感が、椿にはあった。
「椿さん……?」
じっと見つめたまま何も云わない椿に戸惑ったような敦の声が掛かる。一拍子遅れて「何?」と返事をした椿に、敦は公園内に止まっているクレープのキッチンカーを指差し云った。
「2つ…でしたよね。トッピングは何にしますか?」
「!」
▽
椿の両手には、眩いばかりのクレープが握られていた。
片手にはティラミス、トッピングはチョコ棒とウエハース。もう片方にはベリー&チーズケーキ、此方はトッピングではないがベリー増量。
敦は前回渡したものと同じ抹茶小豆白玉だった。…気に入ったのだろうか。
「…いただきます」
「はいっどうぞ!」
ニコニコとしている敦に見守られながらクレープを一口齧る。此処のクレープは生地も若干パリパリしていて美味しい。そしてくどくならない甘さなのだ。二口、三口と食べ進めていくと中のベリーソースとチーズケーキが顔を出した。ぱくりとそれを口に含み、もぐもぐと動かすと広がる甘みと酸味。ベリー増量は正解だった。果実感が最高。
舌の上でそれらを堪能し呑み込むと自然と溜息が出た。満たされた溜息だ。
「…美味しい………」
「良かったですね〜」
敦は食べ方が下手なのかまた小豆を口の端につけている。まだまだだな少年、と笑う椿は此処に通っているだけあって綺麗に、着実にクレープを食べ進めていた。
椿のその様子を見て敦は驚いたような顔で見つめる。
「椿さんって笑えるんですね」
「……喧嘩売ってる?」
買うけど、と続けた椿に敦は塞がっていない方の手で否定する。椿は両手が塞がった状態でどう喧嘩を買うというのか。生憎と突っ込む輩は居なかった。
「いや…なんというか、あまり表情に出さない人だと思って」
「……」
「でも、何だか同じ人だったんだなぁと思って少し安心しました」
「君にとって私って人じゃなかったの??」
「あっいやそんな意味では…!!僕とは住む世界が違うと思ってて…!」
「…………私、君が思うほど綺麗な育ち方はしてない」
「へ、」
「思考を悟られるのは危険だった」
椿がその顔から感情を尽く消すようになったのは、あの地獄が始まりだ。否、椿の始まりの凡てがあの地獄だった。
出さないというだけで喜怒哀楽などはあるものの、度々名の付けられない感情に振り回される事がある……今も。
今もこの少年を、敵とするか味方とするか、迷っている自分がいた。
触れてはいけない話題だった、と察した敦がわたわたと慌てて支離滅裂な変な話を始めたので椿は適当に相槌しつつ軌道修正し、探偵社や鏡花の事もちゃっかり聞き出した。勿論鏡花とは知り合いではない体で、世間話のように話しているのだが。
偶に零れそうになっている敦の手元を注意してやったりとしているうちに、ぺろりとクレープをたいらげた椿は、包装紙を徒に折り目に沿って畳み小さくしてみる。
手持ち無沙汰になった後、食後の所為かぼんやりしていると隣の敦がソワソワしているようだった。
「あの、今日は用事は無いんですか?」
「? 何で?」
「前に、此処に来るのは用事の前だって云っていたので」
「…嗚呼。無いよ。しいて云うなら、君への用事だったし」
「? そうなんですね」
「でも、そろそろ帰ろうかな」
「…そうですね。僕も休憩が長いと叱られそうですし」
「じゃあお開きにしよう」
そう云うと椿はすくりと立ち上がり、「クレープ、ありがとう」と振り向いて云った。
「また、会えますよね」
「…」
「さぁ、どうかな」
曖昧な返事にも気にした素振りなく、敦は「それじゃあ、また!」と椿に手を振って去っていった。椿は控えめに手を振り返し、敦が去った方とは反対方向へと歩み出す。
次にあの瞳に映る自身は、何者になるのだろう。
此処で会う敦という少年は敵でも味方でもなかったし、椿という女も彼の敵でも味方でもなかった。
彼と会うのはこれで3回だが、クレープを食べながら彼の話を聞き、彼の事を聞き、話す内にいつの間にか絆されてしまっていたようだ。…断じてクレープを奢ってもらったからとか、そういう訳では無い。
白とも黒とも付けられない、不規則で、不安定な均衡の彼との関係を、いつの間に心地よく思っていたのか。
恐らく次に彼と対峙するのは、組織として互いに敵となった時だろう。椿は何となくそんな気がしていた。
然し害することを一瞬躊躇してしまうと思うこの気持ちは、一体何なのか。
椿がどんなに躊躇しようと、敦が敵だと認識すればいとも容易くひっくり返る。それに恐らく椿も実際に戦場で彼と対峙すれば、椿は彼女の仲間を守る為に彼を害するだろう。
然し、それでも。
私はこの時ばかりは、君の瞳に月が映らないことを願ってしまった。
予感はとうに警鐘を鳴らし始めているのに。