たえまなく流れゆく


その日、何の前触れも無くポートマフィアのフロント企業が入った建物がヨコハマの街の一角から消滅した。それは明確な、敵対組織からマフィアへの攻撃だった。
椿の嫌な予感が的中した。奴等はまだ人虎を諦めていない。人虎の取引を失敗した用済みのマフィアを消して好きに人虎を粗探しする心算だろうか。それにしては腑に落ちない点があった。

今朝、鴎外を含め幹部連中がこの襲撃に対して緊急の会議を開いた。もっぱらこれから起こるであろう戦争についてである。
規模も外つ国の異能者集団となっては大きくなる。これは予兆に過ぎないと、数々の抗争を抜けてきたマフィアはよく理解していた。


「一先ず、此方によくわかる形で警告…さして反応が無ければ怖気付いたと判断して本格的に行動に移る筈。…其れこそ刺客を寄越してくる」

椿は建物の消えた地図を指先でなぞりながらその場所を思い浮かべる。
然し何故、態々7階建ての建物ほどの人目に付く大きなものを消滅させたのか。マフィアへの襲撃であれば武器庫にした方が土地勘も武器の補充も心許ないだろう奴等にとっては都合が良いだろうに。…否、相手は確か成金だったか。然し武器庫の方がマフィアにとっては痛い一撃だ。あの建物のように武器庫がごっそり無くなったらひとたまりもないだろう。
そうなると、態々よく見える街角の建物を消滅させたのは、

「……マフィアだけに喧嘩売ってるわけじゃないってこと?」
「そのようだね」
「…首領、エリス」

首領執務室に椿は居た。そこに部屋の主である鴎外といつも連れ添っているエリスが現れる。どうやら長い会議が終わったらしい。「椿!」と元気なエリスが走り寄り、ぽすりとスカートに顔を埋めて抱き着いて来るのを受け止める。
椿が此処に来たのは以前エリスと約束した買い物に付き合う為であったが、今朝のこの有様を見るに恐らく次の機会に流れるだろうと思っていた。
然し鴎外が出した言葉はそれとは真逆であった。

「却説、支度を済ませてお出掛けしようか」
「え、」
「うん?」

どうしたのだい?と微笑する鴎外を暫く見て、椿はどうしたもこうしたも、と口を開く。

「首領が呑気に買い物…?喧嘩売られてるのに?」
「おや、エリスちゃんと約束したのは椿ちゃんじゃないか」
「そうよ椿!私とお出掛けしてくれるって!約束したわ!遊んでくれるんでしょう?」
「…護衛は?」
「エリスちゃんが椿ちゃんだけがいい〜って」
「だってあの人たち暑苦しいんだもの!それにかさばるわ!」
「かさばる……でも、相手は欧州の能力者。初めから大きく動く奴等は直ぐに次の大きな獲物を狙う、」

そこでハッと何かに気付いたように鴎外を見た。真逆、と思うも直ぐにストンと納得した。嗚呼、この男は既にこれも作戦の内に入れているのだ。
調子に乗っている相手ほど扱い易いものはない。此処で大事なのは、相手へ此方側に抵抗する力があると思わせないこと。油断させ、誘き出す。
恐らく奴等は此方の動きを見るため監視も付けている筈。呑気に首領が幼女と女と買い物に出ていたら刺客は直ぐに飛び込んでくるだろう。

「海老で鯛を釣る…というか、これだとこっちが鯛であっちが海老」
「まぁまぁ、いいじゃあないか。椿ちゃんが居れば大丈夫だよ、ねぇエリスちゃん?」
「椿はやく行きましょ」
「無視しないでおくれよぅエリスちゃん…泣いちゃうよぅ」

トトト、と先を行くエリスに手を引かれた椿は支度を済ませる。暫くして街医者の格好をした鴎外が姿を現したが、「これじゃあ首領には見えないから釣れないのでは?」と密かに思った椿だった。








『釣れた』

耳元に装着した隠しマイクから聞こえた中也の声に、椿はスゥと目を細めた。鯛に海老が掛かったらしい。
然しそんな中、鯛__もとい鴎外は

「エリスちゃあん!どこへ行ったのだい〜〜!!!」

エリスを見失っていた。

出てきておくれよぅと半泣きで呼び掛ける鴎外の声は道行く人の視線を集める。ヨロヨロになりながら名を呼ぶ姿はとてもマフィアの首領には見えない。これでよく刺客が釣れたものだな、と椿はある意味感心していた。
然しそんなことよりもエリスがいつの間にか居なくなっていた事の方が鴎外にとっては大問題だった。先程からエリスの好きそうな店の前や公園、植木の草むらの影…そんな所に居るのか?という所まで探しているがエリスの姿はどうにも見つからない。

(エリス、暇すぎて森さんで遊んでるな…)


「____ナオミを返せ!」

鴎外のエリスを呼ぶ声に重なり、また誰かが誰かを探す声が響く。
こんな近くで迷子が2人もいるのか。ご苦労なことだ、と椿はその声を何処か遠くで聞いているような心地で右から左へ流していたが、荒らすような疾い足音がどんどん近付いてくる。
そして次の瞬間には目の前でウロウロヨタヨタしていた鴎外が明るい茶髪の青年に突き飛ばされた。…刺客、ではないな。

「痛たた……」
「……森さん、大丈夫?」
「嗚呼、うん。済まないねぇ」

「大丈夫ですか?!」

よく聞いた声だった。
ハッと椿が振り返れば、矢張り敦がそこには居た。彼も椿と公園以外で会うことは初めてだった為か、それとも同僚が通行人を突き飛ばした為か、その目を幾らか見開いている。

「椿さん、なんでこんな所に…!」
「…買い物?」

「そんな、危険です!はやく此処から離れてください!今この付近に組合…否、危ない連中が…!」

そう敦が云い終わる頃と同時に、谷崎の手が赤い三つ編みの少女の背に伸びた。

「遊びましょ?」




「ようこそ アンの部屋へ」

確かに街中にいた筈の景色は、壁と天井のあるファンシーな室内へと180度変わっていた。ぐるりと見渡すとぬいぐるみや本、プレゼントボックス、リボンで装飾されている壁。まるで子供部屋のようなそこには扉が2つ。窓は無い。通信も遮断されているのか外へ反応を求めても何も返ってはこなかった。
そう椿が状況判断している間にも、赤い三つ編みの少女は喋り出す。
どうやら少女の目的は、探偵社であるらしい。

(一般人も沢山…一定の範囲内の者を転送したから此奴はさっきの海老とは別、か。云うならオキアミ)

そして思わぬ鯨を誘き寄せた。探偵社員、そしてマフィアの首領。
鴎外を狙った訳では無いが、組合の能力者の異能の情報が得られるかもしれない。そう踏んだ椿は状況の記憶に努めることにした。勿論いつでも異能を発動できるよう警戒をして。

そして突然、深淵のような空間の歪みからひり出て来たのは、恐らく能力者の異能。久作のよりかは趣味が良い方だろうそれは、継ぎ接ぎの服にボタンの瞳。人間よりも幾らか大きな人形だった。
その姿を見た途端、巻き込まれた一般人達は一目散にひとつの扉──先程外に繋がっていると説明された──そこへと走っていく。外へ出ると此処での記憶を失うらしい。

(……それは少し厄介か。記憶が消えてしまえば敵の進撃も忘れることになる)

然し、刺客といい、この少女といい、組合は1つの組織へ自らの組織の能力者を1人ずつ派遣とは…余程自信家であるらしい。椿は未だ見えぬ組合の長の、ピノキオ張りに伸びた鼻をへし折る想像をした。探偵社はまだしもマフィアを莫迦にされたような心地がしたのだ。
どうする、と椿が鴎外にチラと目線を寄越すも、彼は未だ冴えない中年を演じていた。いつまで床に座っているのだろう。

「あら。残ったのは4人だけ?」

赤毛の少女の声が部屋に響く。
敦はチラと椿と鴎外の方に目配せしながら「此処は危険です。逃げた方が佳い」と云った。鴎外はそれに「女の子を捜しているんだ」と云い、いつものエリス惚気を始める。初対面の敦は若干困惑していた。無理もないだろう。

「あの扉の向こうに居るかもしれない。若しそうなら、今逃げたら私は一生後悔する…だから、私も残るよ」

恐ろしい程に冴えない中年の演技が上手いな、と椿は心の中で拍手を送った。完全に敦は鴎外をこの場では守る対象として認識しているだろう。
鴎外に注がれていた視線が今度は椿へと向けられた。知り合いである為か、心から心配そうに見詰めてきた敦に椿は鴎外と同じく此処に残る事を伝える。

「私も、…探している人がいるから」
「椿さんのお知り合いも、消えてしまったんですか…?!」
「…うん、まあそんなところ」
「……判りました」

キッと敦が強い瞳を椿へ最後に向けてきた。それは何か決心のようなものを感じさせるが、真意まではわからない。赤毛の少女と向き合った敦と谷崎の後ろで椿は首を傾げた。









「はいっおしまーい!」

明るい声が部屋に反響した。
直ぐに同僚の谷崎が捕まり、扉の鍵が使い物にならないことを知ると敦は一度外へと出ようとした。然し鴎外の静止によって持ち直し、再び人形と対峙するも.1つだと思っていたそれの2つ目が背後から現れ、あえなく敦も捕まり奥の扉へと吸い込まれていった。

部屋に残されたのは鴎外と椿。赤毛の少女、ルーシーは其方へ向き直るとご機嫌なようでまたぺらぺらと喋りだした。

「それで、貴方達はどうなさるの?おじさまの言葉のおかげで虎の彼に逃げられずにすんだわ。だから感謝の印におじさまは見逃してあげてもいいわよ。どうせ捕まえる指示のないこきたない中年1人見逃したってフィッツジェラルドさんは怒ったりしないもの。それとも__」

__おじさまがアンに捕まった時の絶望した顔を見てみようかしら。

その言葉に鴎外の背後の空間が歪み、人形が顔を出す。それから庇うように椿がコツ、と1歩前に出た。ルーシーはピクリと眉を動かすと標的を変えたように視線を移す。

「あら、貴女がアンと遊んでくださるの?」

ニコニコと笑みを浮かべながら鴎外よりも前にいる椿へ近付きぐるりと周りを一周する。「ふぅん」と心底面白くなさそうな声を漏らして元の位置に戻ると、ルーシーは口を開いた。

「何処を見ても小綺麗なのね、羨ましいわ…さぞ愛されて育ったのでしょう?大切に大切に、危険なんて何も無いところで温室の植物のように育てられたに違いないわ。貴女は最初から凡て持っているのね」
「…凡てなんて、持ってない」

「………嘘吐き!!!アンタみたいな奴はみんなそうよ、自分が恵まれているとわかっていないで振る舞うから余計にあたしが惨めになるんだわ!アンタみたいな奴が一番嫌いなのよ!!」

突然割れるように叫んだルーシーに椿はじっと黙って目を向けたまま、その場からは1歩たりとも動かなかった。

「ああ、ああ、………不公平だわ。どうして、あたしばっかり。ねぇ、貴女もそう思うでしょう?貴女の沢山の幸福をあたしに分けてちょうだいよ。少しでいいのよ、そう、____貴女の、絶望した顔が見られれば」



「やって みる?」

その言葉と共に、ルーシーの視界が、照明が落ちたように暗くなった。
自身の異能空間である筈が全く予期せぬ出来事にルーシーは狼狽える。何処を見渡しても暗く、まるで夜のようだった。人影さえ今のルーシーには見えない。然しこの部屋から逃げられるはずが無いと視線を忙しなく動かす。
そして現れた気配に、バッと体ごと顔を向けた。

そこにはぽつりと、白がぼんやりと浮かんでいるようだった。
暗闇の中でも光るように目に入るそれは、まるで月のような、女の姿。

「貴女のお家は、私の『箱庭』」
「?……は、アンタ…?!」

ルーシーは遂に声を出すことすら億劫になった。背筋を駆け巡った悪寒に咄嗟に腕を抱き込むも、その後は只ガタガタと震えることしかできない。釘付けられたように見詰めるその白の後ろの空間が歪む。先程敦を引き止めた鴎外の姿が、そこにはあった。
そして立て続けにルーシーは気付く。この悪寒の正体は、何も突然暗くなった異能空間でも、月のような女の存在でもなく、その女の背後、あの男から感じるのだということに。

「無理だな。何故ならば君は、既に負けている」

何に?誰に?この女に?それとも、

「見るといい」

そうして指差した先、先程敦が吸い込まれた扉へとルーシーは目を向けた。途端、扉に掛かっていた幻像と共に暗闇だった筈の部屋の照明がいつの間にか元に戻る。

そこには、虎の手足で扉の中へと引き込む力を抑え込んでいた、敦の姿があった。




「幻像の異能…厄介な。今殺しとく?」
「待ちなさいってば…」

ルーシーが扉にへばりつく敦に拘束されている間、鴎外と椿の2人はもうやることは終わった、と云わんばかりにコソコソと小さく話し始めていた。
それにしても、と鴎外は、先程のルーシーの様子を聞いた。すると椿は「ちょっとおどかしただけ」と一言云い、自分よりもえげつない殺気を放っていたのは鴎外だ、と付け加えると事の成り行きを見守るために黙った。
先程の、というのはルーシーにかけた幻覚だ。今回は体を操るまでもない。暗くなったのは彼女に見えた景色だけで、実際はずっとあの部屋は明るかった。自分の異能空間だというのに自分で制御ができない事に彼女は一瞬、その顔に絶望を顕にした。
椿は、今に伸びきった鼻を折られる彼女が扉に吸い込まれていくのを見ていた。




そして、元の見慣れた街中へと戻ってきた視界に、上手くやれたのだと敦は周囲を見渡す。
そして見つけた道路の脇で震える背中に駆け寄り、境遇を同じくしているも結局彼女から奪うようなことをしてしまったと敦は罪悪感を吐き出すように一言、「ごめん」と云った。
然し敦が次の言葉を最後まで云う前にルーシーはキッと睨みつけると、背を向けて人混みへと走り去ってしまった。その背中を複雑な気持ちで見詰めていた敦の鼓膜に、次の瞬間には「あああっ!!!エリスちゃん!!!!!」という声が突き刺さり、どっと力が抜けたのだった。
そしてその声の主の近くに、椿の姿を見つけると「嗚呼、守れてよかった」と敦は胸をホッと撫で下ろした。

孤児院から出てから飲まず食わずで1度目の餓死寸前の時、あの場所で助けてくれた彼女には、クレープでも返しきれない恩を敦は感じていた。椿はクレープ2つでいいと云ったが、自分の命といえどお礼としては足りる筈がない。本当はあの異能空間の中から一刻も早く彼女を出してあげたかったが、残ると云われてはもう敦には必ず椿を無事にあの部屋から出すという事しか助ける道は残されていなかった。


『ッおい!…漸く繋がったか。何やってンだ。此方は終わったぞ』
「…ん、ごめん。ちょっと巻き込まれてた」

耳元から聞こえた声に通信が機能し始めたのだと椿は応答する。マイクの向こうで中也の「巻き込まれたァ?…無事か」という声にも答えると、鴎外にもそれを伝える。
鴎外はくるりと周囲を見渡すと敦の姿を見つけ、そのまま彼に声を掛けた。椿はその様子を黙って見詰める。
敦の隣には、鏡花が居た。



「____楽しい一時だった」


コツ、コツと足音が細い路地に響く。椿は一応エリスと手を繋いで鴎外の隣を歩いていた。「私も童心に返って異能で敵をばっさばっさとやっつけたくなったよ」と笑う鴎外に、エリスの無慈悲かつ率直な「中年には無理」という言葉が浴びせられる。

「非道い!私はこれでも、__」

路地が終わり、3人は開けた場所へと辿り着いた。そこに居たのは、よく知る面々とその集まる中心に横たわる海老…ではなく、組合の刺客。然し既に事切れた後だった。
現れた鴎外に皆揃って膝を折る。椿もエリスの手をそっと離し、ふわりとスカートの裾を地面に付け頭を垂れた。

「これが組合の刺客かね?」
「はい」
「探偵社に組合、我々もまた困難な戦局と云う訳だ。最適解が必要だね」

足を進め皆々の囲む真中に横たわる血溜まりを跨ぎ歩く。
振り向いた鴎外には、ポートマフィア首領の顔があった。

「組合も探偵社も。敵対者は徹底的に潰して____殺す」