既に狼煙はあがっている
紅葉の部隊との連絡が途絶えた後、マフィアの部隊が駆けつけると既にそこに紅葉の姿は無かった。転がる死体を回収している中で未だ息のある者を見つけ、その証言によると襲撃は組合によるものであった。襲撃後組合は去り、マフィアより僅かに早く現場に着いた探偵社が仲間と共に紅葉を捕虜として連れ帰ったという。
黒服の報告を聞き、紙面で何度も確認したそれに椿は、鏡花が戻って来ない上に紅葉まで、と肩を落とした。幹部の1人である紅葉を人質に取られては迂闊に手を出せない。然し鴎外は中也に探偵社社長の暗殺を命じた。
手配した後、外部の暗殺者を向かわせるも返り討ちに遭ったと通信から中也の声が首領執務室に響く。探偵社の社長暗殺は奴等の拠点を見つけ出すという本来の目的の布石に過ぎない。案の定、刺客から逃れ気が緩んだ探偵社の新拠点の場所が割れた。
鴎外の鮮やかな作戦によって流れていく戦況。椿は上司である中也が外に出ているというのに、何故かそれとは別の件として鴎外に呼ばれ、首領執務室の鴎外が腰掛ける長椅子の隣に居た。
「却説、探偵社は中原くんに任せるとして…椿ちゃん」
「はい」
「君にも1つ」
「“傀儡”部隊を率いて組合の長と接触しなさい」
「…潰す?」
「それも中々素敵だがね。然し腐っても相手は組織の長だ。一筋縄では行かないだろう」
「むぅ」と椿が不服そうにすると鴎外は訂正するように口を開く。
「何も力不足と云っている訳では無いよ。これはタイミングの問題なのだから。…今回は殺しが目的ではないが、気の抜けない役目でもある。君にして欲しいことは
「伝言…」
「組合の現拠点は海上。陸地から離れている為攻略は難しいだろうね。然し、いつまでもそうではない。海上拠点の利点は数あるが、欠点は補給の際に陸地に近付かなければならない事だ」
その間が攻める絶好の機会だろう。既に戦争は始まっている上、守備に必要な人員以外は陸地に散る筈。接触する機会としては此処しかない。
「丁度、ここ数日は組合の客船が港に見える。組合の長にも監視は既に付けてある。連絡を寄越させよう…そのタイミングで君も出なさい」
「承知。…それで、伝言は?」
そう云うと鴎外はニコリと微笑み、クイと控えの黒服に合図した。そして持ってこられたのは一枚の写真。その裏には住所であろうメモが書かれている。
「探偵社の事務員だ」
「…成程」
探偵社に組合を焚き付ける心算か。これならばマフィア側からの犠牲無く、1番手軽に両組織を消耗させることが出来る。組合は人質にでもすれば探偵社には勝ったも同然。必ず食いつくだろう。
椿が写真を受け取り首領執務室から出ようとスカートのフレアを翻すと「嗚呼、それともう1つ」と鴎外の声が掛かる。
「君が“月の女”である事は知られぬようにね」
「…?」
疑問に思いながらも椿はコクリと1つ頷くと、把手に手を掛け執務室を後にした。
▽
ヨコハマ陸上。
とある街角の小粋なカフェテラスで紅茶を嗜みながら男__フィッツジェラルドは街ゆく人々を眺めていた。
「善い喫茶だ。この紅茶の味も悪くない…この街が手に入ればプロデュースして店舗拡大してみるか」
そう云ってクイと白磁のティーカップを傾けながら、横目で先程近付いてきた気配に視線を送った。
「善い案だとは思わないか、田舎マフィアの刺客よ」
呼び掛ければ、視線を送った影からコツコツと足音がフィッツジェラルドの座るパラソル付きテーブルへと真っ直ぐ向かってくる。フィッツジェラルドの目前、無人であった椅子を引き、その人物が腰掛けた。
「一組織の長が1人で茶会なんて」
「ならば君が付き合い給え。丁度骨の無い奴等の動きに退屈していた所だ」
「それは結構。直ぐに済ませますから」
ニコリと社交辞令のように笑みを貼り付けていたのは、女だった。黒髪を背中に垂らし黒縁の眼鏡を掛け、皮膚と同化するほどピッタリとした黒背広を着た女。口元は笑っていても眼鏡の奥の瞳は寸分も笑ってはいない。
敵対する組織の長と対峙しているのだからその警戒は当然と云えば当然であろうと、フィッツジェラルドはさして気にした様子もなく同じく口角を吊り上げ余裕を表した。
「『直ぐに済ませる』? 俺をそう簡単に排除できるとは思わない事だな。…然し残念だ。こうも早くに単純な策を見せられては、うちの作戦参謀の超大作に目を通した俺の労が報われんな」
探偵共よりは楽しめると思ったが、俺の思い違いだったようだ、と云うフィッツジェラルドに黒髪の女は「真逆」と口を開く。
「私の目的は貴方の命ではありません。うちの首領から、貴方達へちょっとした贈品を」
「……ほう?」
聞こうじゃないか、と片眉を上げ見るフィッツジェラルドに、女は一枚の写真を突き出した。
「これは?」
「探偵社の事務員ですわ」
パチリとフィッツジェラルドは瞳を瞬かせ、その次には「ハハハハハ!!!」と愉快そうに笑い出した。
「ハハッ……全く、とんだサプライズだ」
「理解が早くて助かります。お気に召していただけました?」
「嗚呼気に入ったとも。仮令罠だとしても魅力的には変わりない。然しこれを俺達に渡して、お前達はどう動く?島国のマフィアよ」
「…ふふ、動くまでも御座いません。探偵社には此方にも借りがありますから…敵の敵は味方と云いますもの、お手伝いですわ」
真意の読めない女の瞳が蠱惑的に細められる。フィッツジェラルドは暫くそのまま思案するようにじっと見詰めた後、フッと息と共に笑いを漏らした。
「では有難くこの贈品はいただくとしよう。“そこらに配置した仲間共”の回収を忘れるなよ」
「………嗚呼、矢張りバレていましたか」
そう云うと、女の背後に数人の黒服が足並みを揃え列を成す。同じく着込んだ黒背広は、よく見ればその内部に短機関銃を仕込んでいることがわかった。矢張り気の抜けない連中だ、とフィッツジェラルドは目を細める。
女は「それではご機嫌よう」と、黒服を引き連れその場を後にした。
再び1人となった席で紅茶を口元に運び傾けると、未だそれは温かい。テーブルの上に置き去りにされた写真を見て、ティーカップをカチャリと戻す。
「……スタインベックくん」
今の女を追え。フィッツジェラルドが誰も居ない筈の宙へそう云うと、カフェの植え込みに伸びていた蔓がスルスルと元の場所へと戻って行く。カフェから数百メートル離れた場所に居た青年は「了解」と帽子をくいと被り直し、女の向かった方向へと歩き出した。
「給料分は、仕事をしますよ」
「首領、接触完了した」
『ご苦労様』
「多分あの様子だと向かう」
『だろうねぇ。交戦は無かったかい?』
「うん………、否。今から、かな」
「その通信、お宅の首領と繋がってるんだ?」
人気のない路地の通り、背後から呼び掛ければその黒髪を翻して女は振り返った。
さして驚いた様子もなく、スタインベックの存在を目視すると上から下までじっと観察するように見詰め、耳元の通信へ一言残すと体ごと対峙する。
「お前は、組合の」
「随分と口調が違うんだね」
「する必要がもうない」
成程、先までのは猫か、とスタインベックが頷くと黒髪の女は何用かと問う。お察しの通りだと、スタインベックは首元の傷に種を植え込み戦闘態勢へと入った。パキパキ、ペキ、と音を立てながら伸びたそれは植物の蔓。然しその根本は人体と繋がっている。通常では有り得ないその状況に、女はぽつりと「異能か」と呟いた。
「葡萄は好きかい?」
「?…果物は全般好み」
普通に好き嫌いが返ってきた。
余裕な態度が気に食わないな、とスタインベックはズルリと蔓と蔓を組むと鞭のようにしならせ轟速で女へと振った。女は軽い身のこなしでひらとそれを躱し、女の元居た場所は蔓の分だけ歪な凹凸を地面に作る。…組織の長に接触するだけあり、それなりの戦闘力を持っているらしい。
然し未だ異能を発動しないあたり、異能を持たないのだろうとスタインベックは女を見た。悠然と立つ姿は自分の窮地を理解していないのか、それとも何か策が有るのかと思案する。
そして突如現れた気配に、ハッとスタインベックは自身の背後に蔓で壁を作った。その直後けたたましい音と共に撃ち込まれる銃弾。一矢乱れぬ隊列を成してスタインベックを背後から襲ったのは、カフェで女の背後に立っていた黒服達であった。女は何の合図もしていなかった筈、とスタインベックは狼狽するも挟み撃ちとなり一般的に不利な状況であると理解する。
然しそれが如何した、とスタインベックは敵を睨みつけ、背後の黒服達へと蔓を伸ばした。変わらず撃ち込まれる銃弾を蔓で受けながら黒服の中の数人を捕え締め上げる。パキパキ、ゴキ、ぐちゃり、と骨や臓腑が悲鳴をあげるがその喉から断末魔が発せられることは無かった。
その上仲間の痛烈な状況に他の黒服が怯む気配も無い。只の肉塊となったそれを盾に進撃を続けても銃弾は止まず、肉片ごと金属の雨が降り注ぐ。スタインベックは直ぐにこの戦闘の異常を感じ取った。
(なんだ、この違和感は)
いつの間にか女の方にも黒服達が列を成す。本格的に前後から放たれ始めた銃弾を受けるも、異能の前では銃火器も意味を成さない。スタインベックは着実に黒服達の数を減らしていく。そして積み上げられる人間。これだけ痛めつけているというのに、その路地には銃弾の弾ける音と蔓が風を切る音以外が響くことは無かった。
これだけの人間がいれば1人くらい悲鳴を漏らすだろう、それに連携するにも一言二言言葉を交わすものだ…それなのに、此奴等は死ぬ時すら何の音も立てず、一矢乱れぬ連携でスタインベック1人に対し多勢でじわりじわりと追い詰めていく。
その内蔓の動きまで読めているかのように避け始め、埒が明かない、とスタインベックは一度長い蔓を周囲360℃を薙ぐようにして黒服達を絡め取った。女はそれすらも避けたようで、蔓が届かなかった範囲の黒服は未だ数人残っている。スタインベックの周囲には骨を折られ身動きのできなくなった黒服や、その死体が幾つも転がっていた。
然し女は関心が無いのか無表情のまま此方を見る。スタインベックはその様子に口を開いた。
「仲間がこれほど倒れて死んでいるのに、何とも思わないの?」
「……仲間?真逆、此奴等は元はと云えば敵。敵が死んで何を思う事があるの?」
ますます意味がわからない。この女の敵ならば何故、女を守るように此方を攻撃している?
スタインベックは直接攻撃を仕掛けるべく、女の足元に蔓を忍ばせそれを固定させた。動けない女へと槍のように鋭く真っ直ぐ伸ばした蔓は、女へと届く前に近くの黒服の身によって阻まれる。貫かれる体。そして矢張り、黒服は声をあげなかった。
まるで従順すぎる下僕か、物言わぬ人形のようだとスタインベックはこの異様な光景に立ち尽くす。蔓で一纏めにしたままの黒服達は抵抗を見せない。じっと黒服の目を見るもそれは只深い闇を見せるのみであった。
「終わり?」
女はひとつも着崩れした様子のない黒背広姿で、タイトスカートから伸びるその足に装着していたホルスターからナイフを取り出し、足を固定していた細い蔓をブチブチと切った後、黒服の体を貫いていた蔓を試し斬りでもするようにザクリと切った。胸を貫かれていた体はそのまま支えを無くして地に落ちる。恐らく死んだだろう。女も落ちた死体を見下ろしてぽつりと「嗚呼、この体はもう使えない」と零した。
スタインベックは聞き逃さなかった。そしてその言葉から、先程から感じていた違和感の正体を突き止めるべくカマをかけることにした。
「ふぅん…それが、君の異能?」
「……」
死体に視線を向けながら黙りこくる女にスタインベックは掛けたカマが成功したか否か反応を見る。暫く沈黙を続けた末に、女はゆっくりとスタインベックにその目を向けた。視線がかち合う。そして無表情だった女の顔が、蠱惑的な笑みを浮かべ口を開く。
「いつから?」
まるで月下で怪物にでも会ったような心地がした。
『何、アレらは“仲間”ではない。捕虜のまま帰る組織をマフィアの手によって無くした者達だ。もう生きる希望も望みもない。彼等にあるのは死へと自堕落的に只流れる生のみだよ』
どう活用しようかと思っていた。そこで君の異能を用いた活路に目を付けた、と鴎外は云った。
一応喉を潰し、余計な事は喋られないようにした。生きてさえいればその体は自由に操ることが出来る。そう、生きてさえいれば。意思は必要ない。
それこそ彼女の“傀儡”であると、名をそのまま部隊に付けた。
目の前で貫かれた黒服、その体から伸びた蔓によって女の頬には一筋、大きく皮膚に線が引かれていた。然しそこから血が滲む様子は微塵も無く、寧ろその下により白く蝋のような肌が見える。
これではもう着ける意味が無い、と女は顔面の皮膚に爪を立てて引っ張った。
黒髪は合成皮膚と共に落ちて色素の薄い亜麻色が姿を現す。スタインベックは目を剥き女の本来の顔を見た。
月のような女が、そこに立っていた。