見えぬ心
椿はバラバラとなった合成皮膚を放り、黒縁の伊達眼鏡を懐にしまう。路地を赤く汚す死体を見て、嗚呼これどうやって片付けよう、とぼんやり考えていた。
組合の長、フィッツジェラルドと接触後尾行が着いていたのは分かっていた。恐らく組合は情報を渡したマフィアの本来の目的を聞き出そうとしたのだろう。然し頭数ならば3組織の中でも抜きん出ているマフィアの刺客に対して1人の能力者では間に合わなかったのだ。
それに云ってしまえば椿の箱庭内に居るスタインベックも操ろうと思えば操れてしまう。首から伸びる蔓は厄介だが、鴎外の『月の女である事は知られぬように』という言葉がなければ今すぐにでも椿はスタインベックに舌でも噛ませていただろう。敵に自殺させる方法は月の女の代名詞のようなものになっている為出来ないことが悔やまれる。
また、一応念の為変装もしていたがそれも意味はなくなった。顔は割れていない筈である為問題は無いだろうが…然し何故、鴎外は月の女であることを知られないように椿に注意したのか。椿はそれだけが何処か引っ掛かっていた。
「なるほど、喉が潰されていたから声が…君の異能は、“ある条件下での人間を傀儡にする”って所かな?」
「君も私の傀儡になる?」
「…遠慮しておくよ」
「そ、残念」
「それで、まだ続けるの?」
椿のその言葉に、スタインベックはチラと周囲を見回し、残りの敵の数も確認した。
既に消耗を始めている体力・精神に、これ以上敵の応援が来たら自分も危ない。葡萄の蔓には恐らく数百発は銃弾が撃ち込まれているだろう。
無言を続行と受け取ったのか、再び銃弾がスタインベックを襲った。然し先程に比べれば小雨のような銃弾だ。葡萄の蔓は難なく受け止める。そして体を壊してしまえば傀儡は動かせないとわかってスタインベックは残りの部下も絡め取り1つに纏め、雑巾のように絞り上げた。水のように血が滴る蔓は赤く染まる。傀儡を失ったというのに椿は「おお」と声を漏らすのみで特にそれ以上の反応はしなかった。…本当にこの傀儡達には微塵の関心も無いようだ。
然しこの異能は恐ろしく強力だ、操る条件を知り得ない今、いつ自分も傀儡にされるかわからない。
蝕むような緊張感が汗となって米神に伝う。コツリと椿が前に踏み出し、スタインベックは蔓を伸ばしたがそれもナイフで切り刻まれ避けられる。
「…イイコト教えてあげる。君達の海上拠点、マフィアが攻略の最中なの」
「!」
「今すぐ戻れば、間に合うかもね」
「……ご丁寧にどーも」
それが本当なら組合にとっては一大事だ。前線基地であるあの客船が沈められでもすれば組合のヨコハマ攻略が一歩遠のく。然し直ぐにやられる程自分の仲間もヤワではない、とスタインベックは前を見据える。
椿は顔色一つ変えず、「もうひとつイイコト」と口を開いた。
「私が来たのは命を奪うためではない。伝言は届けた、もう用は無いの」
今ここで引けば見逃すという事か。
「じゃあこっちもひとつ聞きたい。マフィアの本当の目的は何?」
「本当も何も。云ったでしょ、お手伝いだって。…うちの首領は合理性の権化でね。貴方達がこれを使って探偵社を潰してくれればマフィアが労を掛ける事はない。その上、探偵社は組合が動くことを知らない…こんなチャンス、滅多にないでしょ?」
「ああ。それが本当にそれだけなら、うまい話だね」
そう2人の話している路地に、コツ、と新たな足音が響いた。
ハッとスタインベックは椿を見るが驚いた様子はない。ならばいつの間にか通信で応援を呼んでいたということか、と奥歯をギッと噛み締めた。流石戦争慣れしている、敵の厭な所を的確に突く奴等だ。
今回は分が悪い、とスタインベックはじりじりと後退した。これ以上は給料分に見合わない。これほどの能力者がマフィアに居たことを報告しなければ。
スタインベックが消えた路地。残された椿と死体、そして路地に入らずに角でこちらを見張る2つの気配に椿は「最悪」と零した。
箱庭の範囲内である路地に入って来ない限り椿は相手を操ることは出来ない。それを知っているのはマフィアの一部の人間。それと、考えられる中でもう1人居た。
証拠隠滅の為清掃部隊は先程呼んだが、それよりも明らかに早いその気配はマフィア関係者である可能性は低い。恐らく後者だろう。
そう推測する椿が立つ暗い路地に、懐かしい、声が響いた。
「非道いな、久々の再会だろう?」
あれ程逢いたいと思い求めていた筈の熱は何処へやら。スゥと椿の体から温度が逃げていく。
振り向かなくとも箱庭はその相手の姿かたちを捉えていた。コツコツと近付く足音は1つ、椿の箱庭の中でも操れないのは紛うことなきあの男の異能。
背後でその歩みは止まる。
包帯まみれの手が視界の端に映る。そのままスルリと形をなぞるように回された腕は、椿の体を抱き寄せた。
「椿」
耳のすぐ側で聞こえた声に、椿はすぐさま体を反転させその手に握っていたナイフを男の首に突き立てる。路地の向こうで男の名を焦ったように叫ぶ声が聞こえた。もう1人の気配は敦だったようだ。
包帯の巻かれた首に切っ先を押し付けるが男は薄笑を浮かべるのみ。その上抱き込む腕を強くした為、よりナイフが食い込む。
流石自殺を趣味にしているだけある、と椿は不愉快そうに眉目を寄せ口を開いた。
「…太宰」
呼べば太宰は、首に死が迫っているというのにゆっくりとした動作で椿の頬を片手で撫で上げ、笑った。
「随分怪物じみた異能の使い方を覚えたじゃあないか…否、これは森さんの計らいのようだけれど」
「相変わらず、君は森さんに従順なんだね」いつか聞いた言葉に、椿はバッと身を離し太宰と距離を取った。
途端太宰に走り寄って来た敦は、椿の姿を目視すると「如何して、椿さんがこんな所に」と青い顔で呟いた。そして椿の足元に転がる死体の有様を目にして更に顔を白くさせる。敦はにわかに信じられないものを見るような、然し縋るような目を椿に向けた。
「椿さん…貴方は、何者なんですか」
「何者?」
「マフィアだと、…芥川と、同じ。敵なんですか」
「…、」
____君は、どちらだと思うの
その言葉は愚問だとは分かっていた。敦は瞳を揺らして口を開いては閉じを繰り返し、「そんな」「いや」「真逆」と意味の無い言葉の羅列を吐き出す。混乱しているのだろう、と椿は目を細め、“箱庭内に居る”敦にその支配を伸ばした。
ピクリ。彼の肩が予備動作をする。
「ッ敦君!」
太宰の鋭い呼び声とほぼ同時に敦の拳が敦自身の腹にめり込んだ。ヒュと息が漏れる喉、敦は何が起こったのか一瞬理解ができなかった。誰かに操られているかのように、腕が1人でに握り拳を作り今度は顔面へと向かってくる。駄目だ、と思った。
咄嗟に目をぎゅうと瞑り衝撃に耐えようとするも、その腕が敦の顎を撃ち抜く前に太宰の手が捕らえた。途端に拳から力がだらりと抜ける。太宰の異能『人間失格』が発動したのだと理解して、敦は力なく「太宰さん、」と呟いた。
「…敦君、此処は彼女の支配圏内だ。異能無効化の私以外は皆例外無く今の君のように操られる。…路地から出ていてくれるかい」
「は、い。済みません」
椿が太宰にナイフを突き付ける前にも、敦は太宰に「路地には入らぬように」と云われていた。何故かはわからなかったが、敦は今身をもって思い知った。
鈍く痛む腹を押さえながらチラと椿を見る。太宰の云う彼女、椿は異能力者だったのだ。それもポートマフィアで、この戦争においては組合と並び探偵社の敵。
未だ椿を見る敦に太宰は、そっと耳打ちするように云った。
「アレは、“月の女”だ」
敦の瞳が見開かれる。
今度こそ怯えを孕んだその視線に、椿も気付いた。嗚呼終わりだ、と脳裏で誰かが呟く。背中を向け路地から走り出る敦を目で追うも、角を曲がってすぐに見えなくなってしまった。
そして敦への視線を遮るように太宰の体が視界に滑り込んでくる。
「噂より随分と優しいのだね、月の女は」
「…何が云いたい? それより、どうして太宰がここに居るの」
「うふふ。敦君と君が公園で逢瀬していたのは知っていたからね。……敦君を手っ取り早く逃がす為だろう、月の女が敵を見逃すなんて。交戦していた組合の彼は森さんの指示だろうけれど、マフィアは探偵社の鏖殺を謀っていた筈」
「…」
「ふふ、この4年で君も少しは成長したようだ」
「4年……そう。もうそんなに経ってたの」
太宰に流れていた4年と椿に流れていた4年。それは多くの意味で異なるものだった。
椿はゆっくりとナイフを逆手に構え直し身を低くする。戦闘態勢へと入った彼女に、太宰は目を細めて云った。
「…君では私を殺せないさ。誰が、君を育てたと思っているんだい。君の癖も、間合いも呼吸も把握済みだよ」
「…」
「そして、銃の仕舞い場所もね」
「!」
カチャリと突き付けられたそれに、椿は目を見開き自身の懐を確認した。無い。足のホルスターとは別に仕舞っていた筈のそれを、太宰は恐らく最初に背後から抱きしめたタイミングでスっていたのだろう。
仕方ない、と銃弾がいつ襲ってもいいように神経を研ぎ澄ませる。カチャリと安全装置の外れる音の後、路地に3度の発砲音が響いた。