見えぬ心


「…ッ、」

上半身へと向けられた2発はナイフで弾いたものの、後の1発は椿の太腿を貫いた。
奥歯で声を噛み殺しながらずると片膝を地面に着く。そして最後に太宰は、銃弾で椿の手からナイフを弾き飛ばした。カラカラと後方に飛んだナイフを確認すると硝煙の上がる銃口をひらひらと振り、太宰はコツリコツリと椿に近付く。
椿は血の滴る太腿を手のひらで圧して止血しながら、太宰を恨めしそうに見上げた。太宰も椿を見下ろし2人の視線が絡み合う。

「…何故、私が居るのかと聞いたね。私が此処に来たのは、君を守るためだ」
「まも、る?」

痛みからか玉のような汗が米神に伝う。
守るためと云うが、その言葉とは全く正反対のことをしている。そして直ぐにそもそも敵だというのに守るなど可笑しな話だ、と椿は嘲笑してみせた。
太宰は膝をおって視線を合わせ、椿が抵抗の術を持たない事をいい事にその手を伸ばしてきた。椿は後退しようと動くもその度に痛みが走る。
その鈍い動きに太宰の伸ばした手は直ぐに椿の細い肩を捕らえた。ボロボロと箱庭が崩壊する。近付く太宰に無意識に背中が震えた。

「触らない、で」

肩に触れていた手を払い落とした。

太宰は幾らか目を見開き、落とされた自身の手を見た。そして、直ぐに椿へと視線を移すと穏やかに目尻を緩め、彼女の頭を自身の胸に引き寄せる。
椿はされるがまま、太宰の胸に顔を埋める事になった。ドク、ドクと通常よりも早い鼓動は自分の体からも、そしてすぐ耳元からも感じる。もうひとつのそれが太宰の心臓の音であると椿は理解した。

「聞こえるかい、私の胸の高鳴りが」

ハッと顔を上げると直ぐそこに太宰の顔があった。案外近いその距離に引こうとした椿を逃すまいと、太宰はぐるりと囲んだ腕の拘束を強くする。

「嗚呼、思い出すね。君と2度目に会ったあの時も、君は」

コツリと額を合わせ熱を孕んだ瞳を向けられる。まるで4年前と変わらないそれに椿は戸惑い、それは声となって太宰に問いかけた。

「………なんで、そんな顔をするの」

絡めるようなそれに椿は、太宰が触れる場所から熱が自身の体を侵食していくような気がした。額も肩も腕も、彼が触れる場所全てが火のように熱い。手のひらが髪を撫でる感触も、久々に感じる太宰自身の匂いも、凡てが椿の胸を掻き乱し何かを溢れさせようとした。
怖い、と。椿はその云い表せない感覚に恐怖を覚えた。呑み込まれてしまいそうだった、呑み込まれてはいけないと頭の片隅で誰かが云った。太宰に縫いとめられていた視線を断ち切るように瞬くと、椿は口を開こうとした。然しそれを狙っていたかのように、太宰は椿の唇に自身のそれを重ねた。
声は音にならず呑み込まれた。深く深く合わせたそこから太宰が入ってくる。苦しい。息ではない。ずっと胸が痛みを訴えて、太宰に触れられてからそれは一層強くなった。理由は、わからなかった。

リップ音をたてて唇が離されると、椿は虚ろな目で宙を見た。

太宰がわからなかった。捨てたというのに守ると云いながら銃を向け、以前と変わらぬ熱を与え、触れる。キスをする。今も太宰の手のひらは頬を滑っている。熱いのは彼の手のひらなのか、椿自身なのか、それすらも痛みと混乱で浮いた思考ではわかりそうになかった。

太宰は耳元に唇を寄せると云った。

「…森さんの判断は正しい。椿、これからも組合の奴等に異能は使わないことだ。君が月の女だと知られてはいけない」
「…太宰まで、何を云ってるの」
「………君、何も聞いていないのかい」
「何…?」

「狙われているのは君もだよ、月の女」

耳朶に接吻をひとつ落として、太宰が体を離す。
狙われている、とはどういう事なのか。そんな話鴎外から聞いていないと半ば叫ぶように云うと、太宰は思案するように顎に手を添える。何故自分が知らない事を太宰が知っているのだ。そう云いたげに椿が見ると太宰は目を細め、口の前に人差し指を持ってきて「内緒」と答えた。

「まぁ、知りたければ森さんに君から聞くと善い。…与えられるものばかりでは何も見えないよ、椿」
「あ…」

そう云い残し、くるりと向けられる背中は何十、何百回も見た夢のようだった。手を伸ばすもそれが届くことも太宰が止まることもない。

「まって、」

一瞬太宰の歩みが反応したように止まるも、直ぐに元の歩調で歩き出した。


太宰が敦と共に去ると、入れ違いのようにマフィアの清掃部隊が到着した。このタイミングまで読んでいたとしたら、と考えて否それは流石に無いと頭を振る。
負傷した椿は追って到着した車に乗り込むと、応急処置を施してシートに体を沈み込ませた。帰ったら医務室行きだろう。怪我なんて久々だった。
“傀儡”はずっと箱庭を展開した上に人体も操る為に疲労の蓄積が早い。更に、思いがけず出くわした太宰も、椿の体力と精神をゴリゴリと削っていた。
アジトへと向かう車に揺られ瞼が落ちる中、いつまでも太宰の言葉と熱が脳裏に焼き付いていた。
嗚呼、異能を使った今日も彼の悪夢を見ることになるだろう。









パチリと椿が目を覚ますとそこはマフィアの車ではなく、薄暗い地下の自室でもない。白く清潔なシーツの上、医務室のベッドであった。
バサリとシーツを捲ると太腿には若干大袈裟なくらい包帯が巻かれている。すると視界の端から伸びた手がシーツを元の位置に戻した。そして呆れたような声が耳に入る。

「手前、目ェ覚めて直ぐやることがそれかよ」
「…おはよ、中也」

不機嫌そうな顔をしてベッド近くの椅子に腰掛けていたのは中也だった。只の1発太腿に受けただけだというのに見舞いに来たらしい。
ぼうっと宙を見る椿に中也は怪訝そうに片眉を上げ、「手前が怪我なんざ珍しいじゃねえか」と口を開いた。

椿は云うべきか否か迷った。探偵社員を見逃した挙句太宰まで殺し損ねた。組合と戦闘になったと云って目敏い中也が納得する筈が無い。弾は椿の持っていた銃のものだとわかっているだろう。
椿は結局、ありのまま話す事にした。

「…太宰と会った」
「!! それで、如何した」

中也の問に椿は口を噤んだ。
その様子に、中也はぐるぐると腹の中に何か黒いものが渦巻いていく。早すぎる2人の再会、目覚めてから此方を見ようとしない椿に焦りと苛立ちが募っていた。太宰に会った、殺し損ねた、それ以上に何かが此奴にはある。そう踏んでいた。
椿の腕を引っ掴んで無理矢理にでも顔を合わせた。瞳が揺れる。息を呑む。掴んだ腕から感じる脈は通常よりも早い。
嗚呼、矢張りと中也はもう一度何があったと云った。

「椿」

念を押すように名を呼ぶと、ボロボロとその無表情が剥がれ落ちていく。苦しそうに歪められた顔に、未だ何処か怪我をしているのかと中也はその肩を掴んだ。
椿は違う、と頭を振る。そしてぽつりぽつりと子どものように嗚咽を漏らしながら口を開いた。

「銃で、私を撃って…それでも、守る為だって。敵なのに…可笑しい、私の体も可笑しいの、ずっと熱くて、痛くて堪らない…」

太宰に触れられた所から、熱は未だ冷めていなかった。体の中心まで熱が届いて痛いほど心臓が脈打っている。あの時太宰に包まれる中で椿は、一瞬嘗ての安堵を感じてしまった。こんなの違う、間違っていると直ぐに否定したものの、体に残るその感覚は椿の身を焼き続けていた。

「中也、お願い……消して。私の居場所は此処だと云って」

もう太宰は何処にも居ないのに、帰りたいと思う場所は中也の許なのに、熱が痛みがジクリと体の中心を刺す。

「あの時みたいに私を、助けて」

縋るように中也を見る椿を、堪らず中也は掻き抱いた。
ふわりと中也の香りと温度に包まれ、余計にじわりと涙が滲む。抱き込む腕の強さが、髪を撫でる手が、太宰のそれを上書きしていく。
耳元で中也の押し殺したような声が椿の鼓膜を揺らした。

「何処を触られた。どんな風に、彼奴は手前に触れやがった」

云えばそれも上書きしてくれるのか、と中也の何処までも律儀な性格に椿は一瞬迷ったが、痛いほど抱く腕は云わなければ赦さないとでも云うようで、恐る恐る椿は口を開いた。
スルリと腕を腰に回しなぞるように手を這わせ、肩口へと行き着くとそのまま首を通って中也の手が頬を撫でる。温かい、然し手袋を介して伝わる温度に椿は足りない、と頬の手に自身のそれを合わせ、布の隙間に指先を滑り込ませた。
中也はスゥと目を細め、親指を椿の唇に押し当てる。カリと椿が手袋を咥えると手を引き、スルリと中也の素手が晒された。もう片方の手袋も外し中也の体温が直に椿の頬を包む。
静寂で満たされた室内、2人の唇が重なった。

「ぅ、ン…」
「……後は何処だ」

そう云いながら中也は、あやす様に頬や額へキスを落としていった。
椿がもう大丈夫だと云うと体が離され、じっと中也が椿の顔を覗き込む。瞳に映る自身の姿を確認すると、最後に瞼へキスをした。
熱も痛みも引き、椿は息を吐いた。案外あっさりと解決して拍子抜けしたついでに力が抜け、そのままぽすりと中也にもたれかかる。

「もういいのか」
「うん、結構あっさり…」

不思議だ、あんなに苦しかったのに中也に触れられてからはこんなに安心している。あんなに脈打っていた心臓も今はもう平常通りだ。
太宰に感じていたそれとも違う体を満たしていく感覚、心地良さに擦り寄る椿。
中也は暫し黙った後、口を開いた。

「____手前は、俺を愛してんだよ」
「………あい?」

パチリと見る椿に中也は「俺が触れると安心すンだろ?」と頬に触れる。椿はうんとその手に擦り寄った。

「太宰の野郎に感じていたのは罪悪感だ。彼奴はマフィアの敵だ、無理もねェ」
「罪悪感……そ、か。すごく、痛かった」

嗚呼、と椿を労わるように抱きしめながら、中也は彼女の足、太腿の包帯を睨むように見た。

太宰が傷つけた、此奴を。矢張り彼奴に任してなんざおけなかったんだ。閉じ込めなければ。もっと、強固に。
そしていっそ、気付く前に己のものにしてしまえと、脳裏で誰かが囁いた。こういう時は皆口を揃えて悪魔が嘯くのだと云うが、悪魔の声がどんなものかは知らない。然し、もしも聞いたならそれは自分自身の声と似ているだろうと、中也は1人自嘲を漏らした。

「……私は、中也を愛してる?」

恐る恐る背中に回された腕に、中也は返事をするようにぎゅうと抱き込む。「ああ、手前のそれは愛だよ」と耳打ちし、そのまま唇が押し付けられた。

中也が云うなら、そうなのだろう。
椿は名の付けられたそれを口の中で繰り返す。最初は何処か引っ掛かっていたそれも、数回目には納得と共にストンと心の中に落ちて嵌った。

チクリと僅かに、何かが胸を刺した。