奔走
椿のいた路地から離れ暫くした後、太宰と敦の許に福沢からとある指示が降りた。
秘匿されていた筈の探偵社拠点に先程ポートマフィア幹部の中原中也が単身乗り込み、避難させた探偵社事務員を餌に組合をおびき出したとの情報を寄越したからだ。事務員を保護せよとの命に、比較的近くにいた国木田と谷崎は事務員の隠れる民宿へ直接出向き、太宰と敦は事務員が列車で逃げた後駅で保護する為に行動を開始した。
国木田と谷崎は組合のスタインベックとラヴクラフトと接触するも、事務員を逃がすことに成功。その旨は探偵社福沢、敦と太宰にも連絡され、一同は一旦胸をなでおろした。
然し太宰は、鴎外の合理的かつ冷徹な手を読み警戒していた。まだ何かある。そう踏んでいたところ、駅に着いてから暫く感じていた気配へ、態と一人になり接触する。そこに居たのは、ポートマフィア黒蜥蜴の銀とその上司樋口であった。樋口は太宰へ鴎外から言伝を預かってきた。それは、「マフィアの幹部に戻る気はないか」という勧誘であった。
その頃、1人駅のホームに取り残されていた敦は到着した列車から無事降りてきた事務員の春野、ナオミに駆け寄る。然しそれでは終わらなかった。
ポートマフィアは座敷牢から“Q”を解放し、列車内で探偵社の事務員と接触。敦にもカッターの刃を巻き付けた腕で擦り寄ると、Qの異能『ドグラ・マグラ』が発動したのだ。
樋口と対峙し、勧誘を心底可笑しそうに嗤って否定した太宰だったが、Qを解放したとの言葉に笑みを消す。嘗て居たマフィアでQの異能を見つけ、封印したのは太宰であり、その逸脱した異能力も太宰はよく知っていた。
「___莫迦な。Qに敵味方の区別などない。命あるのを等しく破壊する。狂逸の異能者だよ」
「戦争を征する為ならば、マフィアは手段を選びません」
「…何を解き放ったか、判っているのか?」
あれは呼吸する厄災。何故Qが座敷牢に封印されたと思う?
「異能の中でも最も忌み嫌われる、“精神操作”の異能者だからだよ」
Qの詛いが発動したものは幻覚に精神を冒され周囲を無差別に襲う。詛いを発動させる契機は詛いの根源たる人形が破壊される事である。但し人形が破壊された時詛いを受けるのは『受信者』のみ。受信者になる条件は『Qを傷つけること』。
そこで太宰は、樋口の言葉にある引っ掛かりを覚えた。
「…此処に来た時……『私を守る為』と云ったね?」
真逆、
「しまった……!!」
態々太宰をホームから遠ざけるよう仕向けたのはこの為だったのだと気付いた頃には、敦は既にQの異能によって事務員へと手を伸ばしていた。
攻撃を仕掛ける春野を躱し、同じく赤い滴を瞳から流すナオミの手から武器を払い落してその首に掴みかかる。もう誰も守れない弱い自分ではないのだと叫ぶ敦の背中に、駆けつけた太宰の声が突き刺さった。
「止めるんだ敦君!良く見ろ!」
瞳から赤い滴を流しQに精神を冒されていたのは、敦の方だったのだ。
ベンチ下に不気味に嗤う声を聞きつけ見るとQの人形が横たえられていた。太宰が『人間失格』で人形に触れると敦を蝕んでいた幻覚は姿を消した。
Qを乗せた列車が駅から発つ。矢張り組合への密告だけで終わらなかったのだと、太宰は鴎外の淀みない策に手強い相手だ、と腹を括った。
嘗てミミックで太宰に最悪の選択を迫り、かつあの場で最悪を選ばせた。自身さえあの男に踊らされたのだ。一筋縄でいく相手ではない。
それにマフィアが椿を組合に接触させたということは、鴎外はこの戦争に椿を出すことを躊躇しないということだろう。その上座敷牢からQを解き放ち、ただでさえ特異である精神操作の異能力者が二人。未だ椿は善悪の区別はあるものの、仲間以外への容赦と躊躇の無さは上司であった自分がよく知っている。鴎外に従順な彼女はこの戦争で嘗てないほど傀儡を使うことになる。
Qは椿よりも善悪やその他の倫理観に乏しい。攻撃の対象は敵味方関係無いが、それも含め鴎外なら画策する筈だ。引っ掻き回すには十分すぎる。
「____私も策の清濁に拘っている場合では無い、か…」
▽
ヒョイと頭のみを扉の外に覗かせると、椿はキョロキョロあたりを見回した。
医務室に隔離され数日が経った。太宰に撃たれた傷は塞がりかけており、多少不自然ではあるが歩ける状態になった椿は既に医務室での生活に飽きていた。
何度かもう大丈夫だと外へ出ようとすれば中也に目の端を吊り上げて「寝てろ」と云われ医務室のベッドへ送り返される事が続き、「俺の目が黒いうちは怪我した手前を外に出すわけにいかねぇ」と云われる始末。
「過保護」「どうとでも云え。怪我してんなら手前は足でまといだ。大人しくしろ」「足でまといにならない。傀儡使えばいいでしょ」「それも手前の体に負担掛かるだろうが!!!」云々。1度は外でなく医務室で戦争が起こりそうであったが、そこは流石上司と云った所か、うまく中也に丸め込まれ椿は絶対安静を余儀なくされたのだった。
然し椿は諦めが悪かった。
「…私は役に立ちたい」
医務室に中也が居ない今、恐らく外に出ているだろう監視の目を掻い潜って椿は医務室脱走計画を実行しようとしていた。
目標地点はエレベーターを上った先の首領執務室。中也の任務先を聞き出して颯爽と駆け付けてやるつもりだ。
それに、太宰が云っていたことも気になっていた。
組合が月の女を狙うのは何故か。
よしと意気込んで再度横断歩道よろしく右左右と確認すると、「…ゴー」と小さく呟き、計画実行の合図をした。が、椿は視界の端に映り込んだ黒い蝶を見落としていた。
「…ハッ」
「何を、している」
「……何だ、龍之介か」
「聞こえなかったか。貴様の耳は正常に機能しているか?精密検査でも受けてきたらどうだ」
「そんなことしてる場合じゃないの。用事あるからこれ解いて」
これ、と指したのは椿の体に巻き付く芥川の異能であった。
黒い蝶は椿の目前で止まり、そのままぐわりと獣の口のように大きく広がると椿の体を飲み込んだのだ。そして気付けば恵方巻きのようにぐるぐると体に巻き付かれていた。
芥川は目を細めると「その要求は諾しかねる」と云った。何故だ、と問うまでもなく、中也が留守の間に椿に付けられた監視役は芥川なのだと椿は直ぐに理解した。
「…医務室の退屈と苦痛を龍之介ならわかる筈」
「嗚呼、貴様にその苦渋を飲まされてきた故によくわかる」
「ぬ…」
「寧ろ生まれて間もない子鹿同然の足でよく外に出よう等と思ったな」
「ぐぬ…」
「中原さんは『絶対に出すな』と。ゴホッゴホ、」
「…戦争真っ只中で戦果がそこら中に転がっているのによく引き受けたね」
「……」
そう云うと芥川は若干目を逸らした後、椿へと視線を戻してフッと鼻で笑った。
「姉弟子の吠え面に比べれば大した戦果ではない」
「次怪我したら覚えとけ…………」
芥川に拘束されたまま椿は医務室に送り返された。そして芥川はベッドごと椿を羅生門で縛り付け、ベッド脇の椅子に腰を下ろした。
椿がズリズリと辛うじて拘束から両腕を出すも、胴は固定されている為特に何か出来るわけでもない。「哀れな姿だな」とここぞとばかりに云う芥川に、椿は医務室の天井の染みを数えながら次に芥川が怪我した時にどうしてやろうかと考えていた。
然し清潔な医務室の天井に染みなど元より少なく、椿はまた直ぐに手持ち無沙汰となった。再び襲い来る暇という名の化物を消したのは、意外にも芥川であった。
「太宰さんに会ったと聞いた」
「…嗚呼、会った。私が怪我したのは太宰の所為」
「……何か。彼の人は何を、貴様に云った?」
「何、を…?」
思わず天井から芥川へ視線を移すと、射抜かんばかりの目と目が合った。然し椿はその手の質問は既に中也にされた、と目を逸らした。そして直ぐに別の話題を振った。
「組合の海上拠点、梶井と龍之介で落としたって聞いた」
「フン。客船を落としたのは僕ではないがな……貴様も、組合の長と接触したと聞いたが」
「…何?」
「…奴等、月の女の顔は知らぬようだな」
「! 組合が月の女を狙う目的を知ってる?」
「詳細には知らぬ。僕が担っていたのは人虎捕縛のみ。僅かに噂程度のものであれば聞いたが…恐らく首領や、幹部の者の方が知っているだろう」
「太宰がその事を知ってた」
「!」
芥川は目を見開くも、然し特別驚きはしなかったのか「そうか」と云って黙った。椿はその噂が気になるのだが、とソワソワしていると「鬱陶しい」と釘を刺される。
「中原さんは間もなく来る。大人しくしていろ」
「……」
暫くして中也が帰ると、ベッドに縛り付けられた椿を見て「何やってんだ」と呆れた顔をしたのだった。椿の脱走計画は失敗に終わった。