双つの黒と葡萄狩り


「ほんとに行くの?」
「ああ。手前は大人しく留守番しとけ」
「……矢っ張り私も行きたい」
「命令受けたのは俺だ」
「レッツ直談判」
「そんな気軽さで首領んとこ乗り込むなッ!」

マフィア首領の鴎外と探偵社社長の福沢が秘密の茶会と称し密会を果たしたその夜。Qを組合の手から奪還するため行動する探偵社に対し、鴎外は中也に探偵社への援護とQ救出の命を云い渡した。

身支度をする中也を手伝いながら、椿は自身が久作を助ける気満々であったため出鼻をくじかれたような気持ちだった。むぅと不満を無言で主張するも、中也は知らぬ振りで目を逸らす。
いつもなら暫くすれば折れるのは中也の方であったが、今夜は特に手強いようだ。中也曰く“嫌な予感がする”のだと。
これは何を云っても駄目か、と中也への説得は諦めた椿だったが、執務室を出る直前、中也が振り返る。
呆れたような顔でじっと見つめられ首を傾げるも、次に中也が「ん」と指差したそこで合点がいった。
椿の手は確りと中也の外套を掴んでいた。

「手前は、此処で待ってろよ」

手に力が篭もった。もう見えないはずの包帯がチラついた。黒い外套からも目を逸らすように俯いた椿に、中也は如何したと覗き込む。

「……なんて顔してんだ」

中也は呆れたような溜息を吐いた。椿はピクリと反応した細い肩を中也に寄せ、ぎゅうと腕を絡ませる。
ゆっくりと椿の頭を梳く中也の指の隙間から髪が滑り落ちた。

「手前を置いて消えたりしねえ」
「…」
「黙りか」

「しょうがねえ奴だな、手前は」そう云ってニッと笑い、「心配すんな。組合なんざさっさと片して帰ってくる」中也は椿の背を名残惜しそうに撫で、外套を翻し執務室を出ていった。
扉の閉まる音が響く室内、残された椿は消えた温もりを腕に立ち尽くす。

そして暫く経つと、その足を首領執務室へと向けた。







夜も耽け月が高く昇った空の下、鬱蒼とした森林奥にQの監禁施設はあった。
裏社会最恐を謳われた双黒、一夜限りの復活。予想だにしなかった探偵社とマフィアの奇襲に狼狽する組合の面々であったが、2人の息の合った攻防に成す術もなく戦線は崩壊した。
敵を蹴散らし地下へ着くと眠るQの姿。太宰はナイフの切っ先をその首に向けた。鴎外から「生きて連れ帰れ」と命令されたものの、中也は止めはしなかった。Qの異能と組合の手によって死んだ仲間の死体袋が目の前をチラつく。殺せと云う中也の言葉に、太宰はナイフをQの首ではなくその体に絡まる蔓へ振り下ろした。そのままザクザクと蔓を解いていく。

「…ふん。甘ぇ奴だ。そう云う偽善臭ぇ処も反吐が出るぜ」
「Qが生きて、マフィアに居る限り万一の安全装置である私の異能も必要だろ? マフィアは私を殺せなくなる。合理的判断だよ」
「…どうだか」

太宰は此奴を殺せば椿が悲しむとわかっている。そんなことをしても今更、彼奴が負った傷は癒えないというのに。そう云えば、Qを蔓から解放し終わった太宰は「私だって、彼女を徒に悲しませるのは趣味ではないしね」と立ちながら云った。どの口が云うのかと眉間に皺を寄せる中也に、太宰は真意の読めないニコリとした笑顔を浮かべる。
中也がQを背負い、太宰が人形を持って階段へと足を進める途中、徐に太宰が口を開いた。

「…然し、それを云ったら中也。自分が何者かは、君が一番よくわかっているだろう?」

ピクリと中也の肩が僅かに反応するのを、太宰の目は確りと捉えていた。
異能生命体である中也は人ではない。突然生まれ、その出生は謎に包まれていた。マフィアに来る前は“羊”として少年少女で結成された組織に居た。そこが中也の居場所であった。いつ生まれたかわからなかった中也は自分の事はおろか、いつ死ぬかもわからなかった。
中也は嘗て得体の知れなかった自分を、何処か遠くで立って見ているような心地がした。足は動かしながらも太宰の言葉に耳を傾けていた。

「椿は再び失えばもう戻って来ない。森さんに利用されるまま、自我のない怪物になる」

傀儡部隊が良い例だ。
あれは倫理観というものは愚か、扱うには人間の理性という理性を切り刻み捨てるようなもの。若しくは、あれはじんわりと毒で少しずつ殺していくようなものだ。気付いた頃には遅く、彼女は沢山の亡骸の中に嘗ての仲間の姿を見ることになる。
彼女は異能の暴走による殺戮を恐れているのに、あれでは理性を持ったまま異能を暴走させるのと同じことだった。正気な分、彼女は少しずつ、然し確実に蝕まれていく。
傀儡を使う度に彼女は人間から遠のいていく。彼女が恐れる殺戮の怪物に近付いていくのだ。

「一人の人間にしたいなら、椿に外を見せるべきだ。箱の中にいつまでも大事にしまっているばかりではいけない。わかっているだろう?」

言外に手を引けと云う太宰に中也はわかりやすく舌打ちをしてみせた。ねちっこい此奴の弁舌相手は御免だと、地上へ向かう足も早める。
然し、中也も気付いていた。使えるものは凡て使うマフィアはいつか、椿のその異能を利用するだろうということも。傀儡が椿の異能、体力や精神力以上に何か椿の人間としての大切な部分を抉り取っていくことにも。

だから正直、太宰が椿を撃った時、首領である鴎外に背かずとも此奴を守ってやれると心のどこかで安心していた。それが椿を外から遠ざけることになろうと、守れるなら何でもよかった。
癪ではあるが、この男は自分がそう行動することも見込んで、椿を組合からも鴎外の思惑からも守る為に撃ったのだ。
本当に気に食わない。マフィアを出る時といい、今回といい、椿には何も云わずに好き勝手掻き乱し苦しめていると思ったら、1番彼奴を守っていたのは此奴だと、終わった後に気付く。
だが、それでも。

「____…それでも、惚れた女を守らねえ理由にはならねェんだよ」

中也は足を止め、太宰を鋭い目付きで1度見遣ると、再び歩き出した。
手前の云い分はわかった。然しやり方が気に食わねえのは変わんねぇ。手前ならこんな回りくどい事せずに“出来る”だろうが。その頭ん中は睡眠薬でも詰まってんのか、と中也は悪態をついた。
太宰は先を進む中也の背中にキョトリと目を丸くして視線を送った。そして「回りくどいのは百も二百も承知さ」とその背中の後ろで僅かに目を細めた。
この相棒は本当に、自分よりもよっぽど真っ直ぐで人らしい。いっそ羨ましく思うも、直ぐにそう思った自分が心底気持ち悪く嫌悪した。
きっと椿は彼と共に居た方が苦しまずに幸せになれる。然しそれでも、血潮のような熱き想いはとどまることを知らず太宰を突き動かす。もうずっと、これは太宰の鼓動と共にあった。
自分は彼のように正しく愛せない。骨の髄まで刷り込まれた“さが”のようなものなのだ。正しさに近付こうとする度に何かがずれていく。今更どうしようもない。

私は、正しさから嫌われた男だ。

「…ほんと、君のそういうところが嫌いだなぁ」
「ハッ。俺も、手前の凡てが気にくわねぇ」









不夜城の如く横浜の街に聳え立つポートマフィアビルの最上階。中也が任務に出かけた後、椿は鴎外の元へ訪れていた。
矢張り来たか、と鴎外は椿の口から発せられるだろう言葉を待ったが、一向に「自分も前線に行く」という言葉は発せられなかった。寧ろ厭に落ち着いた態度で、いつものように横浜の街を見下ろす全面窓付近に誂えたソファで茶を飲んでいる。
はて、と暫し考えた鴎外。「中原君の所に行かなくていいのかい?」と聞くも、椿から聞いたのは「中也なら、大丈夫」という澄んだ言葉だった。
彼女は、彼を信じて待っていた。

近頃急激に感じる椿の成長に目頭が熱くなりそうになった鴎外であったが、出した紅茶がすっかりカップからなくなった頃、高く昇った月を見ながら椿が「そろそろ、かな」と口を開いた。
そして空のカップを弄る手を止め、ソファサイドにあるテーブルへそれを戻すとその場でいそいそとホルスターのナイフを確認し始める。

「…何がだい? 椿ちゃん」
「頃合かと思って」

「葡萄狩り」その言葉に鴎外は沈黙した。
前線に居る中也へと繋がれた通信で、組合との衝突直後にその場にいた組合の異能者の情報も鴎外には伝えられていた。そしてそれは傍らにいた椿にも聞こえていた。
あの組合の異能力者には個人的に借りがあるのだ、と。

「異能で育った葡萄…だけど、まあ、調理すれば……」

惨すぎるだろう。
そして椿の料理の腕前は一度マフィアを阿鼻叫喚の渦に落とした前例があるため、狩ってきた葡萄の哀れな最後さえ予想できる。
然し中也の迎えも兼ねるそれに、鴎外は無言で椿を送り出したのであった。
鴎外とその場に居合わせた黒服たちは椿が葡萄を持って帰ることがないことを祈るばかりである。

「…頼んだよ、中原君……」

痛みがない筈の胃のあたりを擦りながら、鴎外の声が執務室に響いた。





(確か、この付近だった筈)

椿は薄暗い山道を進んでいた。箱庭を展開し周囲の茂みに警戒しつつ、それよりも先程から響く地鳴りのような轟音に眉を顰める。この音を、以前も聞いた覚えがあった。
目的の場所へ近付く度にそれは大きくなっていく。そしてきっと、そこには太宰が居るだろう。若しかしたら中也は『汚濁』を使っているのかもしれない。
段々と間隔を狭くして響く地鳴りと共に椿の歩みも早まる。遂には駆けるようにして箱庭の印す場所へと向かっていった。

開けた場所に出ると同時に一層大きく地面が揺れる。何かが破裂したかのような衝撃波が吹き、椿の髪を攫っていった。

風が止み、地面を抉るようにして出来た大きなクレーターの中心に人影が見えた。『汚濁』によって体のそこかしこに痣が浮かび上がった中也の姿が、そこにはあった。
敵はもう居ないというのに中也の『汚濁』は解除されない。当然だ。中也は自分で『汚濁』を制御できない。今、彼は、自我のない怪物だ。
椿は中也の許まで広げた箱庭で、暴走する中也の体を縛った。

「…ッ中也」

戻って来て。そう願うも、椿の箱庭であっても未だ体を大きく揺らす中也の『汚濁』は解けない。彼の口元から血が滴り落ちる。足元の岩石が揺らめくと、それは椿へと迫った。

「!」


「はいはいそこまで。敵は消滅した。もう休め、中也」

パシとどこからか現れた太宰が中也の腕を掴む。『人間失格』によって中也の体からはスゥと痣が溶けるように消えていった。
途端地面に崩れ落ち咳き込む中也。『汚濁』が解け、気力を使い果たしたようで立つこともままならないらしい。

「手前を信用して……『汚濁』を使ったんだ……ちゃんと俺を、拠点まで……送り届けろよ……」
「任せなよ。相棒」

太宰のその言葉を聞き、中也からふっと力が抜ける。その体を走り寄った椿の腕が抱きとめた。

「……椿? てめ、待ってろ……て、云った……じゃね…か……」

その言葉を最後に、瞼が完全に閉じられる。ドクドクと鳴る鼓動を落ち着けるように椿は、中也の体を抱く腕に力を込めた。

「よかった、中也」
「…」

そう呟く椿を、太宰は面白くないものを見るような目で眺めていた。そんな3人の背後でガサリと茂みが鳴る。

「信じられない…あのラヴクラフトが…」

出てきたのはスタインベックだった。太宰と中也を見て「君達は、一体」そう問う彼に太宰は「悪い奴の敵さ」と答える。その横で、ギラ、と椿の瞳の奥が獲物を見つけたかのように光った。
スタインベックの背筋をゾワッと悪寒が走ると同時に、ビッと向かってくるナイフ。「うわあっ?!」と声を上げ間一髪直撃を避けたスタインベックの頬を掠って、ナイフは背後の木に突き刺さった。

これ以上の長居は無用だ、とそそくさ森林へ姿を隠したスタインベックに椿は「ちっ仕留め損ねた」と呟く。その脇で一連の流れを見ていた太宰は何とも云えない顔をしていた。
それには1ミリも気を遣らず、椿は通信に迎えの要請を伝えた。中也はああ云ったが、太宰は彼を送り届けることはしないだろう。昔からそういう男だ。
中也の腕を肩に掛け、ほぼ背負うような体制で椿は辺りを見回した。半壊した小屋が見える。彼処が久作の監禁施設だろう、と立ち上がろうとする。

「手、貸そうか?」
「……要らない。久作は何処」
「そうかい。Qならあの小屋の脇で眠ってるよ」

それを聞くと椿は重い足取りで小屋へと向かった。太宰は宣言通り、手は貸さなかったものの後ろを着いてくる気配は感じる。何がしたいんだ、と椿は胸中考えていた。
小屋に辿り着くと、云った通り久作が小屋の壁に凭れて眠っている。その隣へ中也の体を預けた。
特に外傷は見当たらない。確かめるように椿が触れていると、その腕を何者かが強い力で引いた。

云うまでもなく太宰だ。
睨むように椿は背後の男へ振り返る。

「離して」
「もう確認しただろう? 中也にもQにも傷はない」
「…離して」
「君がその手を止めるなら離すよ」
「太宰には関係ない」
「嗚呼、そうだろうとも。然し君が他の男に触れるのを黙って見ていられる程、私は優しい男ではない」
「……」

ニコリと笑みを貼り付けながら云う太宰に、椿は立ち上がり口を開く。

「なら、一つ訊きたい」

漸く真っ直ぐ目を合わせた椿に、太宰はその顔から笑みを消し対峙する。
冷たい風が二人の間を通り抜けた。

「如何してあの時、私を置いていったの。如何して、私を撃ったの」


その答えは、ずっと前から決まっている。


「君を守る為だよ」


そう云った太宰の頭上には、月が白く輝いていた。