求めたもの
ポートマフィアビル内。
椿は探していた人物を見つけると足早に近付きその背を叩いた。
歩みを止めると黒い外套の裾も止まる。ぎょろりとした黒い瞳が振り向いた。椿が探していたのは、芥川だった。
「…何だ」
「何処に何しに行く積もり?」
「何のことだ」
「樋口が狼狽えてた」
「……おのれ樋口…………」
樋口が何かあればそれは芥川が無茶をしようとしている時だ。椿はいつもより忙しなく視線を泳がせていた彼女に目敏く気付き、芥川の姿が見えないことで早々に察した。
今のこの状況であれば、組合の拠点に乗り込む気だろう。椿は呆れの溜息と共に言葉を吐き出した。
「矢っ張り。また置いていくの?」
「これは僕の独断。課された任務ではない」
「…」
だから樋口も連れていく必要は無い、と。
じっと品定めでもするように見る椿に芥川は居心地の悪さから眉を顰める。暫く視線での攻防が続いたが、椿は再度溜息を吐くと共に紙の束を差し出した。
「白鯨内部の大体の構造と、奴等が使ってる運輸会社、それのヘリポート位置。輸送の統計資料。あと組合の現時点で分かっている異能者リスト。行くなら必要でしょ」
ポイポイと半ば一方的に投げられる情報に芥川は怪訝そうにパチリと瞬き口を開いた。
「…止めぬのか」
「どうやっても行くとわかっているのに止めるほど物分りは悪くない。…何を目的に行くのかは知らないけど。でも私は、お前に死んでほしいわけじゃない。ちゃんと帰って来るように協力くらいはする」
その言葉に芥川は黙って椿の手から資料の束を受け取った。
丁度芥川も通信保管庫に行き、目的の情報を探そうと考えていたところであった。「手間が省けた。感謝する」と芥川は端的に礼を云う。
紙の束が手から離れると、椿は徐に口を開いた。
「……ごめんね、龍之介」
「何の事だ」
「鏡花の事。龍之介の云う通り私のエゴだった」
「守る方法も、救う方法も幾らでもあった…龍之介が私と同じだってことも、分かっていたのに」
「…あれしきのことで僕が項垂れるとでも?」
「ううん。でも、伝えておきたかった。これも私のエゴ。……樋口の事は任せて。私は私に出来る方法で、龍之介を守る。龍之介も、私の大切な人だから」
「何を云い出すかと思えば。どんな風の吹き回しだ」
「?」
「彼の人に会ったのだろう。何を云っていた? 彼の人は貴様に何を与えた」
「……龍之介はその質問が好きだね」
「『何故、どうして』と聞くのはいつも貴様の方だろう」
「…」
「何も」椿の瞳が一瞬のうち昏い色を宿す。睫毛に伏せられたそれが次に開くと、真っ直ぐ芥川を見詰めた。
「何も、わからないままだよ。何も云わなかった。何も与えてくれなかった。太宰は与えるくせに肝心な事はいつも教えてくれない」
いつも、ひとりで。私を置いていく。
「なら、私は自分で探さなくちゃいけない」
あの日、地下牢で揺らいでいた瞳はどこにもなかった。
「成金背広ぶっ飛ばして、ちゃんと帰ってきなよ」
包帯まみれにしてやるから傷はいくらでも作ってくればいい、と云ってヒラヒラと手を振り踵を返す椿に、芥川の腕がぴくりと動く。
「……矢張り貴様は」
くん、と腕を引かれ後ろへ傾く体。背中に感じる体温。耳のすぐ傍で声がした。
「! 龍、」
「貴様に云われずとも、僕が死ぬなど有り得ない」
「僕は未だ、彼の人から何も与えられていないのだから」
ハッと椿が向き直る。その瞳に映る黒は薄笑みを浮かべていた。
▽
「あ」
落ちた、と声を出したのは、横浜一等地から遠く離れた、見晴らしの良い高台で双眼鏡を覗く椿であった。傍らには同じく双眼鏡を構え固唾を飲み込む樋口も居る。
2人の視線の先には空を浮遊する要塞『白鯨』。その高度は1時間ほど前から徐々に降下しており、地上とその白い腹の衝突も近いだろうと見張っていたところだった。
『白鯨』からひとつの人影が落ちる。双眼鏡で微かに見えた姿からして芥川ではないことは確かだった。
その直後に『白鯨』は降下を止める。上を見回してみると、見知った黒外套と、その傍にもう1つ見覚えのある少年の姿を見つけた。芥川に付けておいた盗聴器から聞こえる音声は、彼の声と探偵社の人虎・敦の声も拾っていた。
「…龍之介が動いたのはこのためか」
ならばこれは太宰のたれこみだろう。不本意にも因縁となった2人だが、擦り合わせでもしなければ鉢合わせなどそうあることではない。
芥川が1人で出ていく際に独断であると云ったのは首領とは別の線から情報を得ていたからだ。
大方、太宰と接触した何者か…広津辺りから更に樋口。そして彼女なら、芥川にそれを必ず伝える。
「太宰はここまで読んでいたってことか……上手いこと乗せられたわけね」
心配して損した気分だ、と椿は双眼鏡から目を離す。青い空にぽつりと浮かぶ白鯨。その白い腹が太陽の光を遮り海面に影を作る。ぼんやりと見ていればだんだんと小さくなるその影に異変を感じ、気付いた。
「……落ちてる?」
『白鯨』はその体をどんどんと降下させていた。然し可笑しい。確かに一度降下は止まっていた筈、と椿は再度双眼鏡で『白鯨』の芥川と敦を見る。
手元を見て何かしているようだが…あれは操縦機の類だろうか。然し使い物にならないらしくそれも投げ捨てられる。
愈々拙い状況だ、と椿は耳の通信機へ無人機の出動提案を伝えた。このままでは街に『白鯨』が落ちる。あの白い腹に横浜は皆諸共潰されてしまうだろう。街へ落ちる前に力をぶつけて海に沈めてしまえれば、と思案する椿の頭上を、影が通り過ぎた。
見上げた先では一機の小型飛行機が青空を泳いでいた。
「…? ねぇ、樋口。あれマフィアのじゃないよね」
「いくら何でも早すぎますね…然し首領なら、この事も予想して用意していた可能性も」
「否、それは……」
それはない、と続けようとした椿の背後で1人の黒服が口を開いた。
「……恐らく、異能特務課の危険異能者収容の為の無人機かと」
成程、と相槌を打つも椿と樋口はそろりと目を見合わせる。
「…貴方」
「はい」
「白鯨の墜落範囲外に態と私達を運んだ?」
「……な、何を」
「ストレート過ぎます椿さん…。白鯨が横浜に墜落すると知っていたのか、と聞いているんです」
「真逆!」
「…首領も白鯨の墜落は想定していなかった。そうでなければ最初から芥川や黒蜥蜴に出動命令が出ているだろうし、最悪の場合、制御の利かない白鯨を落とす為の策も組織の端まで行き渡らせている筈…でも私達にその情報は来ていない。白鯨の墜落範囲も、事態が起こるまではわからない」
その黒服は、『白鯨』を監視する為の椿と樋口を横浜中央から遠ざけるように車を走らせていた。近場では駄目なのかと車内で聞いたがはぐらかされた。その時から不審に思っていた。
樋口は広津を介して太宰の告げ口があったから兎も角、幹部直麾である椿にすら伝わっていない情報を何故この黒服は知り得たのか。
カチャリ。樋口が懐の銃に手をかける。
「云え。何処から…否、何処の組織から紛れ込んだ。作戦を知っていたなら組合か?」
「いえ、いいえ!…私は!」
「脅さ」
その後に言葉は続かなかった。
黒服は首元から破裂し頭ごとその喉が吹っ飛ぶ。パタタ、と飛沫が地面に染みを作りドサリと重い音を立てて首のない黒服の体が落ちた。
「なっ狙撃か?!」
「銃声はなかったから違うと思う。でも一応身を低く保っていて…『箱庭』」
異能で周囲を見回す椿だったが狙撃手の姿は見えない。死体を確認する為近付くと不自然に爛れたネクタイが目に入った。
「…狙撃じゃない」
「然し一体何者が…脅された、と云おうとしたのでしょうか」
「…わからない」
何はともあれ不気味だ。死体の体を更に調べるため取り掛かろうとした椿の通信機に、盗聴器を介した音声が響く。芥川と敦、それに組合の異能者の会話から、『白鯨』は外部に制御を奪われたようで全く云うことを聞かないらしい。
『未だ方法はある』
「! …鏡花」
何処か覚悟を決めたかのような彼女の声が厭に鼓膜へ響いた。
死体から目を空へ移す。無人機は一直線に『白鯨』へと飛んでいく。
『私は虜囚。足首が鎖で繋がれているから、脱出装置のある部屋まで行けない』
「駄目、駄目。鏡花…!」
『私のことは諦めて』
鏡花が乗った無人機が遠のいてゆく。
「待って、鏡花。もう少しできっと、鏡花が行かなくても、」
『これまで私には一片の光も無かった』
『でも今日判った。私にも選択肢はあると。命を犠牲にして皆を助ければ、きっと私は入社試験に合格できる。探偵社員になれる……なら何も惜しくはない』
「やめて鏡花!鏡花!!!」
盗聴器では此方の言葉は届かない。機械は只少女の決意と独白を流し、椿の声は彼女に届くことはなく、悲痛に叫ぶ敦の制止の声も彼女は聞こうとしない。
『ありがとう。ごめんなさい』
鏡花の声が遠のく。無人機はその機体を『白鯨』へ勢いよく当て、空を浮かんでいた白い腹は海面へと落ちていった。
「……鏡花、」
「椿さん…?」
消沈した様子の椿の肩に樋口がそっと手を置く。
「あの無人機には、35人殺しが?」
彼女はきっと、光の許へ行きたかった。それでもこんな結末だと知っていれば彼女を自分は止めただろう。
鏡花はマフィアを裏切り姿を消した。もう、仲間ではなかった。それなのにこんなにも胸が痛い。如何して痛い。
悲しみが喉まで込み上げて呻くような嗚咽を小さく洩らした。死んでしまった。彼女は届かないところに行ってしまった。
彼女が救われる方法は、本当にこれしかなかったのか。
項垂れる椿の通信機には未だ音声が流れていた。
これで善かったのだと云う太宰。
自分に克ち、望みを叶えた鏡花。
然し彼女が死ななければならない理由など、どこにもなかった。椿が要請していた無人機も間に合っていたのに。
『でも、そうしなくてはならない理由があったのだよ』
探偵社社長・福沢諭吉の異能『人上人不造』は異能制御を可能にする異能力。福沢の部下、探偵社員にのみ発動する。そして鏡花は衝突の直前に探偵社の入社試験に合格した。それは、つまり、彼女は夜叉白雪を制御できるようになったということ。
『夜叉の刀で鎖を斬って脱出した』
「!」
再び通信機から聞こえた鏡花の声に、椿は脱力した。わかりやすく安堵するその様子に樋口は首を傾げ「何があったんですか?!」とそのまま肩をがくがくと揺らされる。
そういえば彼女に盗聴器のことは云っていなかった。
『……太宰さん』
通信機の向こう、太宰と芥川の声が聞こえる。この2人が言葉を交わす所など懐かしい。気力を使い果たしてふらふらだろうに、芥川は太宰へ力を誇示しようと迫った。相変わらずの芥川に太宰が呆れたような声色で掛けたのは、厳しい叱責でも嫌味でもなかった。
『強くなったね』
ドサリという音を聞き目を伏せる。欠片の気力しかなかった芥川には刺激が強かったらしい。
「椿さん、先輩はご無事ですよね…?」
不安げに覗き込む樋口に椿は心配要らないと口を開く。然しあの戦いの後だからきっと怪我は沢山ある筈だ。
「龍之介回収してから、帰ろうか」
「! はい!」
来た車で帰りますか?と云う樋口に椿は暫し考えて否と答える。調べてみると車内部のシート裏に昏倒性のガス装置が取り付けられていた。
死体処理の為にも通信に再度連絡し迎えを頼む。
この黒服は一体、何者だったのか。喉ごと吹き飛ばされた死体は何も語りはしなかった。
横浜の海に大鯨の白い腹が浮かぶ。
こうして3組織による巨大な異能力戦争は幕を閉じた。