閑話 小豆抹茶白玉


組合との戦争が終結し、ポートマフィアは探偵社と一時的な協力同盟を解いたものの、ポートマフィアでは当面の間、探偵社との敵対を禁ずる指示が出された。

椿は穏やかな雲が浮かぶ空の下、クレープのキッチンカーの看板前に立ち、うーむと腕を抱く。

「ホイップにすべきか…チョコにすべきか」

否、期間限定のあまおうも捨て難い…。
脳内会議は既に3度目の議論に差し掛かっている。戦争中は食べられなかったのだからいっそこのまま凡て買っても善いか、などと考えている間に看板の前を占拠してから優に数十分が経とうとしていた。

そんな椿の居る公園の入口。ある人影が椿の姿を見つけると弾かれたように声を上げた。

「ああーッ!!」
「? …!」

ダッと駆け出したのは両者ほぼ同時だった。

「なんで逃げるんですか!?」
「追いかけてくるから」
「逃げるからですよ!!!」

「待ってください!」「じゃあそっちが先に止まって」「そのまま逃げますよね?!!」「信じないの?」「それとこれとは話が別では!?」云々と追いかけっこをしている間に、元々本気で逃げていた訳では無い為あっさりと腕を掴まれる。
膝に手を付きハァハァと肩で息をする少年の頭を見た。あ、つむじ。などと考えているうちに治まったのか、少年は顔を上げた。

「……お久しぶり、です。椿さん」
「うん。久しぶり敦」

椿の素っ頓狂な返答に脱力したように項垂れる敦。然しそれは呆れからではなく、安心からの脱力であった。

「善かった、無事で…!」

アンの部屋から白鯨を脱出する時に離れた手を、敦はずっと探していた。白鯨侵入作戦の時も、モンゴメリの姿と、椿の姿も敦は探していたのだ。

その実、椿は敦の投身脱出よりも遥かに安全な方法で脱出していたのだが…。心底安心したような顔色で此方を見る敦には、何となく云うのを躊躇った。
椿は肩を竦めて見せるだけである。

「矢っ張り、敦の脱出方法は不安だったから…」
「ヴッ…」

椿の云う通り、あの後空対空カノンでパラシュートに穴を開けられ落ちた為に敦は何も云えなかった。
あれは敦だから助かったのだ。虎に変身できない人間であれば即死だった。椿の判断は正しかった。信じてもらえなかったという思いの反面、あのまま一緒に落ちなくて善かった、と思う。
敦の胸中は、椿の無事を確認するまで…あの脱出から今日まで椿でいっぱいだった。然しマフィアに直接聞くにも睨まれそうで怖い。結果、戦争前に椿と会っていたこの公園を偶に覗いていた。
そして今日、探していた背中を見つけたのだ。

「…本当に怪我は、無いんですね」
「無い無い。…敢えて云うなら太宰に撃たれた傷くらい」
(根に持ってる……)

敦はそういえば今日は朝から太宰の姿が見えないのだと思い出す。相変わらず彼は同僚である国木田の心労を増やしていた。
そんな敦の横で椿は暫し黙り込んでいたが、突然うんと頷き「…決まった」と何かを決心したようで自身の腕を掴む敦の手をそのままにある方向__クレープのキッチンカーへ歩き出した。

「お姉さん、小豆抹茶白玉1つ…否、2つで」
「かしこまりましたー!」

敦の顔を見たら食べたくなった、と椿は悪戯っぽく目を細める。
彼女は時折、無邪気な少女のような顔をする。
自分が掴んでいたはずなのにいつの間にか腕を掴まれていて、片手にクレープを持っていつものベンチに2人で腰を下ろしていた。

「す、みません…また貰ってしまって」
「人と食べる方が美味しい」
「…そうですね」

そこで敦はあっと声を洩らした。
はて、と椿は首を傾げるが、敦は善いことを思いついたように顔色を明るくして云った。

「いっそのこと、みんなと食べましょうよ!」







「…? 椿」
「…鏡花。久しぶり」
「うん。……何で此処に?」
「それが私にもさっぱり…」

敦に聞いて、と視線を向けた先にはお土産と称して探偵社員にクレープを配っている敦の姿があった。鏡花の手にも、勿論クレープが収まっている。
マフィア程の規模ではないにしろ、探偵社もそこそこ人数は居るもので。買ったは善いが両手に大荷物になってしまった敦の手伝いで椿まで探偵社に来ることになった。
組織的に因縁はあるが今は敵対禁止の為やり合わなければ問題はない…はずだ。自信はない。中也には黙っておこう。

一先ずはいつまでも立っているのは億劫であるため、ソファに座る鏡花の隣へ腰掛ける。
「…あの人にも、何か考えがある」と黙々クレープを食しながら云う鏡花であったが、椿にはどうもそうには思えなかった。
隣で「おいしい」と零す鏡花の言葉に相槌を打つ。こんな形で彼女とクレープを食べることが叶うとは、と思いながら自分もクレープを頬張った。

そんな椿を探偵社の社員達はチラチラと盗み見ていた。
「敦も中々やるじゃないか」「お日様みたいな綺麗な髪ですね〜」「敦さん、奥手そうに見えて大胆ですのね!お兄様にも見習っていただきたいです!」「っなンでそこで飛び火するんだよ、ナオミ!」「……」

いつもであれば「喧しいわ!!!」と飛んでくる筈の怒号が無いことに、探偵社の面々は今度は揃って国木田を見る。
眉間に皺を寄せ、敦が連れてきた女をジッと凝視していた。

「矢張り ……貴様、何処かで見た顔だな」
「…キノセイ」
「いや待て!矢張り見覚えがある」
「敦帰る」
「あっちょっ、一寸椿さん?!」

「待て。分かった」

椿は無言のまま箱庭を広げた。

「あの時の入水未遂女だな?」

「……えっ」
「…あぁ」

そんなこともあったな、というかあれは入水ではない。国木田の勘違いだ。
然し変に警戒されるよりは一般の不審な入水未遂女で善いか、と椿は異能を解除した。此奴が鈍くて良かった。
「椿さん、入水って」と此方を見る敦には首を横に振って誤解だ、と弁解する。

「入水といえば…太宰の阿呆はまだ戻らんのか」
「今回はまた長いねぇ。今度こそ流されてるンじゃないかい?」
「また拘置所でしょうか?」
「そんな頻繁に…否でも、太宰さんだから有り得る……」
「網に引っかかってるかもね」
「あの阿呆から遂に開放される時が来たか…」

散々な云われようである。国木田に至っては眼鏡を拭く片手間の会話だ。
敦をチラリと見るも敦も心配していない様子。机の上に腰掛けた奔放そうな青年は先程からお菓子の袋をバリバリと開けてポイポイと口に放っていた。
ぼうっと見る椿の前にコトリと湯呑が置かれる。顔を上げると眼鏡をかけた女性がにこりと微笑みかけた。

「こんなものしか出せませんが、ゆっくりしていってくださいね」
「…どうも」
「一寸、妾にもアンタの話聞かせてくれないか。敦との馴れ初めとかさァ」
「ナオミも!気になりますわ!」
「……私も、知らない」

聞きたい、と隣の鏡花からじいっと見詰められる。恋バナ好きな女子2名に迫られ鏡花まで興味津々とは。
「で、敦とはどうなンだい」と与謝野の一言で急遽乙女の会が発足される。男性陣は此方に飛んでこないようにそろりそろりと部屋の隅へ移動した。
「どう、と云うか。勘違い」
「ええ〜っ!そんな!隠さないでください!どこで出会ったんです?」
「…道端」
「道端」
「おにぎりあげた。死にそうだったから」
「おにぎり」
「餌付け?」
「…ははぁ。敦も大変だねェ」
「与謝野医師これは…!」
「アンタ押されると断れないタイプだろ」
「何故わかった」
乙女の推量怖い。
「では、今はまだご友人?」
「どう転ぶかねェ」

当人の椿を置いて進む乙女の会。今までにないタイプとの話は新鮮だ。マフィアではそう上がる話題ではない。

ナオミは空になった湯呑みを見て「お茶淹れてきますわね」と席を立った。
ひとまず小休止だ、と息をついていると与謝野が口を開く。
「アンタ、ポートマフィアだろう」
「…」
「わかるさ。彼の人の趣味は厭でも知ってるんでね」
「彼の人?」
「森医師の事さ。まァこれを云って、やり合おうって気は無いよ。アンタもだろう?」
「貴女のことは知ってる。でも、首領とのことは知らない」
「…彼の人は恐ろしい人だ。アンタが善いなら善いが、…彼の人の傍は正直お勧めしないね」
「何故わかるの」

「妾もアンタと同じだったからさ」

「同じって?」
「…命は大事にするンだ。妾から云えることは、その程度さ」
「…」
ナオミが戻って来たことによって会話は強制的に終わった。その後乙女の会には乱歩が加わりお菓子パーティーへと変貌した。
その結果、椿は駄菓子という新境地を切り開くこととなった。







「鏡花ちゃんが、貴女のことをよく話してくれました。会いたいって」
「…鏡花が?」

帰り道。
依頼ついでに送れと乙女の会に後押しされ、椿と敦は並んで歩いていた。

取り留めもない会話。その中で鏡花が、椿に会いたがっていたことを知った。敦は、会わせてあげられたらと思っていたようだ。
…普通、組織の裏切り者と現組織の人間を会わせるだろうか?矢張り敦は何処か考えが甘い。

「私が裏切り者の鏡花を始末するとは思わなかったの」
「し、ませんよね?!」
と云いつつ目が泳いでいる。
「…今、マフィアでは探偵社との敵対を禁ずる指示が出ている」
「そうなんですか?」
「そ」
「それなら、尚更です。しませんよ。椿さんは」

「如何して云い切れる? 私は手を離したのに」
「…?」
「そんなに善い人間に見える?」
「…椿さんは、僕にとって善い人です。僕を助けてくれて、正体を隠してまで会ってくれた」

そういう解釈か。
この少年にはどうやっても善い人間に映るらしい、と呆れにも似た感情が湧く。
「今は探偵社と争っても利益が無いからしないだけ。ポートマフィアはそういう組織」
だから、もっと真剣に考え直して欲しい。仮にも対立組織に居る人間を信じるとは如何いう事なのか。
それは人殺しに向けられるべきものではない、危うさすら感じる透明な思いなのだと。

「でも、人を殺すことが、好きなわけじゃないんでしょう?じゃないと、死にかけの僕にご飯をくれる筈がないですから」
「…敦はお人好しが過ぎる」

苦言を呈す椿に敦は苦笑いをした。

「貴女の笑った顔を、もう一度見たくて……なんて、駄目ですかね」
「…、」



「人誑し」
「えっ……え?!」

敦の言葉は時々、真っ直ぐすぎて戸惑うことがある。

白鯨で敦の言葉がなければ今頃私は、あのまま組合に与していたかもしれない。
だから完全に否定もしきれなかった。それは敦の弱点であり、美点だ。…何度脅してもタフに信じる所も。
そんな敦だからこそ、諦めなかったお陰で今回の組合との決着だ。その功績は大きい。
敦が居るから、今がある。

「君は私に恩を感じてるようだけど、私も、敦に助けられたことはある」
「……そうなんですか?」
「うん」

だから、と続けようとした先は敦の「こんな僕でも、椿さんの助けになったなら嬉しいです」という言葉と朗らかな笑みに打ち消された。
気付けば敦の依頼先に着いたらしく、「それでは、また」と別れる。
また、とは、次もあるということだ。

「……うん」

本当は、「これで君は私に特別恩を感じなくても良い」と、この奇妙な関係に終わりを告げようとしていた。

遠ざかる敦の背中を暫し眺めて、踵を返す。
鏡花も、きっと彼のこういう所に憧れて、救われて。光の中に行けたのだろう。

「……少し、眩し過ぎる」

敦の傍は心地好い。然し闇に身を浸す自分が浮き彫りになる。
辛くはないが、何処か寂しくて、やり切れないのだ。

『人を殺すことが、好きなわけじゃないんでしょう?』

若しも、私に異能が無かったら。敦の言葉を素直に受け入れられただろうか。