何者


誰かが、泣いている。


天も無く、地も無く。前後不覚の暗闇の中に浮かんでいる体の感覚は朧気で、そこでは自分が存在しているのかも怪しかった。
途切れることなく響く声は幼い。迷子のようなか細い悲鳴。あるかも分からない足を動かしてその声の方へと近付く。
真っ暗闇の中、ぽつりと現れたのは背中を丸めて顔を覆う、少女の姿だった。ざんばらに乱れた亜麻色の髪、折れそうなほど細く頼りない腕には幾つかの傷跡が見えた。

嗚呼、ここは“底”なのだ。

椿は静かなる目でその人影を見下ろした。いつまで泣いているつもりなのか、そんな事をしたって何も変わりはしないのに。然し、羨ましくも思った。こんな風に感情を顕にすることの方がどれほど楽だったろうと。未だ膝を抱えて泣く“これ”は、表には現れない己自身の姿なのだ。人はいつでも心の内に、発散されることのなかった欲が子どもの姿となって存在している。無意識下のうちに、その子の欲を満たそうと彷徨い歩くのである。
これ程弱く、小さな存在であることを忘れて、目を逸らして、異能によって獅子や獣にでもなったつもりでいる。本質は変わらないというのに。

あの男は、私の本当の望みを訊いた。

ゆっくりと手を伸ばせば、当然だが自分の手が視界に映った。そのまま小さな頭を撫で、その下の顔へと手を滑らせる。思いの外すんなりと上げた顔は矢張り私で、大粒の涙を零している。しゃくりあげて歪んだ顔を伝う涙を指の腹で拭って、座り込んだ小さな私に目を合わせるように自身もしゃがんだ。
幼い自身を慰めるのは不思議な気持ちだった。つまり私は、こうしてくれる人を欲していたのだ。手を伸ばして、寄り添ってくれる存在。絶対的な味方。この姿の時に居たあの地獄では、母がそうだと思っていた。だから今も母という存在に固執している。自覚はあった。私の行動原理の全ては母への贖罪とも云えた。

然しあの男は、私の罪は父親だと云った。

「だれ?」
「…貴女の望みを叶える存在」
「……おかあさん」
「母さんはもう居ない。周りを見てみなよ。もう誰も居ない。父親も、あの場所も」
「おかあさん」
「………往生際が悪いな」

自分の事だが。

「大丈夫…私には、私が居る。貴女の望みは私が叶える」

そのために手段は選ばない。いつだってそうしてきた。今回も、何も変わらない。

「あなたはだれ?」

少女の自分が透け始める。私の手も透けていく。やがて声すらも、暗闇に溶けて何もなくなった。







コツ、と僅かな音が鼓膜を揺らした。
いつもより重く感じる体に余程深く眠っていたらしい、と椿は半覚醒の頭で、光が目に染みる感覚にシパシパと瞬いた。未だ神経は眠っているようだ。気だるげな動作で寝返りをうつと、鼻先に何かが当たった。
パチリと開いた途端目に入ったそれに、椿はがぱりと跳ね起きる。その拍子に、寝台の上でそれがころりと転がった。

黒のクイーン。

寝台の向こう側、此方に背を向けたソファにひとつの人影があるのを、椿は感じ取っていた。
身じろぎするとコッと何かが床に落ちる音。下を見ればチェスの駒が転がっていた。よくよく見回すと寝台の上にも幾つかチェスの駒が転がっている。一見無造作に置かれているが、眠っていた自分の体に沿って配置されていたのだと気付くとうげ、と顔を顰めた。シーツをバサリと翻し皺を伸ばすと、駒は凡て床に落ちていった。

「どうです? 本来の罪を自覚した気分は。生まれ変わったようでしょう」

ドストエフスキーの言葉にぴくりと片眉を上げる。
ペタリと、椿の足の裏が白の床に着いて音をたてた。先日寝台脇にあった筈の土塊__ゴンチャロフは消えていた。遮るものは何も無く、椿はドストエフスキーの座すソファの対なるそれに同じく腰を下ろす。

「最悪よ」
「ふふ。驚かないのですね」
「駒のこと?それとも貴方の部下が土塊だったこと? 貴方の存在自体が心臓に悪いからもう大抵のことには驚かない。…あのゴンチャロフとかいう男は、」
「嗚呼。もうすぐ

二人の間には、白の駒だけが盤上に乗ったチェスが置かれていた。然しよく見れば、配置された駒の中で唯一クイーンが欠けていた。

「…貴方、」

そう、椿が口を開きかけた矢先、部屋の扉がゴンと鳴った。そちらへ目をやると、次には重いそれがゆっくりと開く。何が出るかと思いきや、向こうから此方を覗いたのは土人形であった。

低い等身の幾つかの人形が、いつものように食事を運んでいく様子に、矢張り仕留め損ねたか、と椿は内心悪態をつく。仕留めたと思っていたあれは本体ではなかったのだ。血も出なければ、死ぬこともない傀儡だった。然しゴンチャロフは常にあの土人形の姿だったため、本体はこの基地には居ないということになる。
遠隔でも操作ができるなら、基本的に此処にはドストエフスキーしか居なかったのだろう。__何度かちょっかいをかけて来た道化師は居たが。
見慣れた長身が何食わぬ顔で現れるかと思ったが、ゴンチャロフはいつまでも姿を現すことはなかった。現れるのはどれも形が歪な不揃いの土塊の姿。それを云えば、ドストエフスキーは「ああ、彼を模した土人形は、此処には貴女が壊した一体しか置いていなかったので……簡易なものであれば幾らでも有るのですが、矢張り仕事の繊細さには欠けますね。壊れてしまったものは仕方ありません」と何でもないことのように答えた。ドストエフスキーが云うように、土人形は不安な手つきで料理をテーブルに置いていく。土人形の運ぶ皿が床と仲良くなる前に、椿は以前ゴンチャロフがやっていたのと同じように皿を順当にテーブルへ並べ、食事に手をつけた。…食べ物に罪は無い。

「おや、食べるのですか?」
「……別に。そういう契約でしょ?」
「律儀なのですね」
「日本人の美徳よ。それに、解毒されることをわかっているなら、そう怖いものでは無いわ」

というか初めの食事では毒なんか入っていないと云っていたのに、その後の食事には毒を仕込むなんて、とじとりと見ればドストエフスキーは「その後の保証はしていませんでしたからね」と肩を竦めた。この様子だと最初以外は凡て毒が入れられていたに違いない。昼に毒、夜に解毒。動いた場合は血の巡りが早くなり、体へ急速に毒が廻る。
なんて男だ、と椿は毒を食んでゆく。毒だと知りながら行う食事は味気ないものであった。

ドクン

「ッ、ぐ」

カランッと高い音が部屋に木霊した。落ちたフォークが椿を見上げている。
どく、どく、と体が厭な音をたてる。視界も目まぐるしく回り出した。何かを吐き出しそうな感覚に口元を押さえた拍子、目が、自身の膝を捉える。白い布に覆われた筈のそれが今は斑模様に見えた。ハッ、と短く息を零す。

幻覚。

滲み出る脂汗を額に、椿の脳裏に元凶であろう者の姿が浮かぶ。調度今、目の前に座っているこの男だ。この状況に何の異も唱えないということは予め想定内だったということ。十中八九、この男の仕業以外、有り得ない。毒が入れられていたのだ。然し可笑しい。まだ料理を口にしたばかりだというのに、症状が出るのが早すぎる。

椿が混乱を隠せないでいると、ドストエフスキーが手にしていた食器を置く。その皿の上は殆ど変化がなかった。

「これは残念ながら、貴女への罰ではなく、仕置きです」
「し、おき…ッ?」

「この部屋の、“外”に、出ましたね?」

「それに、ゴンチャロフさんを壊してしまいました」ハッと顔を上げるといつの間にかドストエフスキーが目の前に立ち此方を見下ろしていた。伸ばされた枝のような手が、今は何よりも恐ろしい悪魔の手に見える。

「毒をそれと知りながら食したことは褒めてあげましょう。然しそれ以外は、契約とは違いますね」

「っおこ、て…る……の、?」
「……さぁ、どうでしょう。ぼくは怒っているのでしょうか。然し、これが怒りだと云うのなら、納得はできます。貴女を大切にしたいのに、今は、壊したいという相反する思いが生まれてしょうがないのです。一時的なものでしょうが」

毒の所為なのか、男の顔は歪んでよく見えなかった。伸ばされた手は靴を履いていない椿の真白の脚をつうと撫でる。

「この世の何処に、ひとりでに動く宝が在るでしょう」

ぞ、と背が粟立つのを感じた。柳のような体がかがめられ、なぞる手が足首に行き着くと軋まんばかりに力が込められる。反射的に脚を引っ込めようとしたが毒の回った体では上手く力が入らず、逆に男の方へと引かれてしまった。
気付けばもう片方の悪魔の手が腰へまわされ、次の瞬間には目の前に紫水晶が浮かんでいた。「あっ」と声を発す間もなく、唇が男に呑み込まれる。合わされたそれが、男の冷たい唇から覗く熱い舌によって割り広げられていく。毒か混濁した意識の所為か、ぐらぐらと視界が揺れた。景色の中で唯一目視出来ていた紫水晶がとろりと溶けていく。
僅かに残った理性で椿は抵抗を試みたが、弱い力で胸を押す手はドストエフスキーにとって何の弊害にもならなかった。さんざ舐られ感覚がなくなった舌は呑みきれない唾液を顎へと伝わせる。手足を放り、自由を男に奪われた椿の体はソファへと押し付けられ、淡泊な見目と裏腹に獣のような接吻を繰り返される。それその物が生き物のように口腔を侵していく男の舌が、上顎を掠める度にびくと体が震えた。ぢゅう、と舌を吸われ銀糸が唇を繋ぐ。椿の指先はぴくりとも反応しなかった。は、とひとつ息を吐くとドストエフスキーは椿の口元、顎へ短い接吻を落とす。幻覚の次に椿の体に起こったのは、体の妙な無気力感。感覚神経の麻痺であった。

宙を見て視線の合わない椿の空の瞳をドストエフスキーは眺める。真白の肌にぺたりと手を這わせるも彼女に反応はない。陶人形のように白くまろい頬、小ぶりな耳、花の茎のように細くもスっと通った首。女性らしい丸みを帯びた華奢な肩、流れるように隆起した胸、それを支える肋、下肢へ繋がるくびれ、と、形を確かめるように椿の体に触れる。
その顔には、夜光のような恍惚とした笑みが浮かべられていた。

彼女に触れる度、もっと近付きたい思いに駆られた。
然し、嗚呼、とドストエフスキーの口から、落胆の声が漏れる。どれだけの触れ合いをもってしても、彼女と自身がひとつになることは無いのだと思い知らされるばかりだ。せめて、彼女が応えてくれるなら、この自身を苛む思いも満たされるだろうに、彼女は元の巣ばかりを見ている。
矢張り生まれ持った性質は、中々変えることができない。

ドストエフスキーは杞憂そうに顔を顰めた。
懐から解毒の為の器を取り出す。元々、今日は外出する予定であった為に“仕置き”が終われば直ぐに与える心算だった。椿の上体を起こし、薄く開いたままの彼女の口を指で開かせ液体状のそれを注いだ。コク、と喉が動くのを確認し、僅かに零れた口元を指の腹で拭ってやる。

「先ずは、貴女の気掛かりを取り除いて差し上げます」

その言葉に、椿の耳が僅かに動く。
安静なソファに椿を寝かせると、ドストエフスキーは席から離れていった。宙を見ていた瞳がその背中を捉える。未だ覚束無い手がテーブルへ伸ばされた。ドストエフスキーは振り返ることなく部屋の扉を開き外へ出る。

部屋の扉が閉まると同時。その扉に、皿が投げつけられた。
重い扉に叩き付けられ割れた皿は重力に逆らうことなく破片を飛ばして床に落ちる。

「ッち、」

早急に起き上がった為頭が揺れ、次いで激痛が頭の奥を貫き椿の顔が歪む。矢張り薬の類との相性が死ぬほど悪い。
否、今はそれよりも、先程の男の言葉の方が大問題だ。

私の気掛かり? 当て嵌るものはひとつに決まっている。

毒が抜け切るのを待たずに椿は箱庭を呼んだ。頭は死ぬほど痛い。このまま異能を使えば痛みで気絶するかもしれない。正直今のこの状態で異能を使うのは正気じゃなかった。それでもあの男を今、外へ行かせるわけにはいかない。
目を閉じるな、痛みでも何でもいいから目を覚ませ。箱庭を途切れさせるな。あの男を外に出せば、今なら絶対にマフィアへ危害が加わる。

目覚ましの為に、追って痛みを感じようと皮膚を抓るが毒の麻痺が未だ続いていた。その間にも、ぐら、と頭が落ちそうになるのをぐっと堪えて扉の外へ意識を向ける。土壁を辿る先にドストエフスキーの姿を捉えた。
両足を止めるだけでいい。寧ろそれ以上を今は出来ない。頭が沸騰したように熱い。意識を保っているのもやっとだ。もっと強い痛みが必要だ。

殆ど無意識に探した鉄扉の近く。厭に白光りした、皿の破片が目に飛び込んできた。

引き摺るようにソファを離れて、床に落ちたそれを蹲りつつ拾う。自分の呼吸と脈動が、大きな音となって体中で鳴り響いているような気がした。破片を手のひらに握っただけでも僅かに皮膚が切れる。然し痛みはいつまでも届くことは無かった。

戻れ、戻れ。

念じながら、握り込んだ破片の切っ先を片方の腕へ振り下ろす。肉へ鈍い刃が埋め込まれる感覚。じゅぐ、と血が溢れるが痛みは届かない。「くそッ」と再度拳を振り下ろそうとした。

「ッは?!」

ガクンッと上げようとした腕が落ちる。その拍子に、脆弱な箱庭は弾けた。
思いがけず片手に加わった重量に驚愕の声が喉から発せられる。見ると、そこには腕に纏わり付く土色の姿。言葉なくとも土人形は椿の腕にへばりつきその行為を止めようとしていた。

「…ッハ。貴方も、私が貴方の話が鬱陶しいと云ったから、言葉をなくしたの? それで私の望みを叶えたつもり? そんなゆるキャラみたいな姿で私を止められると思わないで」

椿の細められた目が土人形へと向けられる。小さくとも重いそれが椿の腕を床へ固定し、手の中の破片までも取り上げようとする。奪われまいと椿はその度に破片を握り、手のひらの傷を深くしていった。隙を見て土人形を腕からふるい落とした拳から血が流れ、白い部屋の床へぽつぽつと赤い花を咲かせる。片方は手のひら、片方は腕からの出血により、土人形から距離を取ろうと立ち上がった椿の体が、ぐらりと傾いた。

(今、頭は、流石にやばい)

然し出血によって体から力が抜け、次いで今更痛覚を取り戻し始めた感覚神経が有り得ないほどの痛みを脳へ送り込み、防衛本能が両腕を動かすことを拒否する。視界の端で駆け寄る土人形が見えるが、とろい土人形では受け止められない。このまま床に激突して気絶か、と頭のどこか冷静な部分が云う。
ドストエフスキーの背が、遠ざかる。

「…ッい、」

厭だ、マフィアに手を出さないで。私のものを奪わないで。
私の、世界をもう奪わないで。



ガクン、と浮遊感が消える。頭部が床に着く前に、何者かが椿の体を受け止めた。

「おやま。酷い有様だねぇ、こんなことをドスくんは望んでいないだろう?」

「ッ……ごー、ごり」
「ハーハハッ!!!正解! まったく、君ってば目を離すとすぐこれだ! 脱走の次は獄中死かい? お騒がせなお宝だ」

獄中死と云った。今獄中って云ったこの男。牢屋か、この部屋は。矢張りそうか。この金庫は私と外部を遮断する強固な牢屋なのだ。
不本意だが2度も助けられた。椿は男の支える腕から抜け出そうと、鈍いながらも体を動かそうとする。それを、ゴーゴリの手が制した。

「……もう、諦めたらどうかな。そうすれば今よりずっと楽になれる。恐怖も不安もない。君は世界を捨てて、新しい世界を手に入れることが出来るんだ。今の君がやっている足掻きは、何の意味も無い」
「……み、りょくてき、な……話…ね」
「何故君はドスくんを受け入れない?」

何故、なんて決まっている。私はずっと前からあの男を許していないし、受け入れられない。

「今の君の世界は、ね。然し君の居場所は、もうこの部屋の外には無いんだよ」
「……な、」
「知らないだろうけれど親切ついでだ。教えてあげよう。君が気に掛かって仕方がない、マフィアの現在をね!」

「ポートマフィアは血眼になって月の女を探しているよ! そのおかげで私達はここ暫く自由に動けない。何故なら、マフィアの情報網によって海上も地上も押さえられているからだァー!」

「ああ困った!」とゴーゴリの声が遠くなる。違う、と椿の口が動いたのを、道化師の瞳が捉えたが、彼女の顔は蒼白だった。

「マフィアが、私がマフィアを裏切ったと…?」
「せいかーーーーいッ!!!客観的に見れば姿を消して音沙汰がないまま数日、数週間もすればそれは裏切りの可能性を考えるだろう」

そうだ、その場合マフィアがすることはひとつ。内情の口封じの為に捕獲し必要であれば拷問・始末する。マフィアは裏切りを赦さない。特別な例外でもない限りは。
いつまでも触れているとドスくんに怒られそうだ、とゴーゴリは椿をゆっくりと床へ寝かせた。

「力を抜いて。怪我をしているんだ。ゴンチャロフくん…達に包帯は持ってきてもらっているから大丈夫だよ」

何も考えられなかった。何かを、誰かを失ったわけじゃないのに、ただ漠然ともうあの場所には戻れない気がした。

掴んでいるつもりで手放したのは、私の方だったというの?

「おや、おや。酷い汗だ。それに呼吸も。私の声に合わせて息を吸って、吐いてごらん。吸って、吐いて、吸って……そう。次は数に合わせて、心を落ち着かせよう。1、2、3、4…」

緊迫していた意識が、体の緊張が解けていく。体の中心が、奥の奥へと沈んだような感覚。汗が引いて、あれ程うるさかった鼓動も今は鳴りを潜めている。

「ドスくんから聞いたよ、君の望みをね。然し本当の望みを聞けないって、すこおしだけ困っていたなぁ」
「…」
「ねぇ、たった今、君は世界がその手にないとわかったね。____新しい世界を、手にする気はないかな?」

ぼうっと天井に向けられていた眼がゴーゴリの言葉に反応し、その吊りあげられた口を見る。「ドスくんの作る世界だよ。君もきっと気に入るさ」と、道化師の顔が近付く。

「何故かって? 君と私は自由を求める者同士だ。私がドスくんに力を貸しているのはね、彼の作る世界が、僕の、求める世界にほど近いからだよ」

「君を此方に勧誘するのも、僕にとっての彼が、唯一の理解者だからだ。そして君にも必ず、彼は理解を示してくれて、そして孤独な僕達を彼は救ってくれる。僕はね、そんな彼の力になりたいんだ。僕を唯一理解してくれる親友の、手伝いをすることは当然だろう? 君が世界を信じるように、僕は僕の自由意思を信じている。他のみんなは否定するけれど、それを彼は理解して肯定してくれるんだよ、素晴らしい、とね! つまり、僕は、僕に似た君が、僕と同じように、彼に救われて欲しいのさ」

「そうしたら僕達、親友とまではいかないけれど、友人にはなれると思わないかい?」
耳に馴染む音がすんなりと頭の奥へと入り込む。十字架のように刻まれた瞳の奥の自分と目が合う。

瞬きが、ひとつ。
カチリと脳内で何かの欠片が合わさった。弾かれたように景色が感覚が鮮明に流れ込む。輝かんばかりの白の部屋、じくじくと痛む腕と手のひら。ずっと感じていただろうそれらが、鮮やかな、痛烈な刺激となって椿へと一気に襲いかかった。

「ッあああああぁぁぁあ!! !!!あああ、あぁあああッ!!!!!!」

「わっ! と、うんうん、痛いだろうねぇ! 待って待って!! 動いたら駄目だよ、君、出血が!!って、あれ、急に大人しくなったね。如何したのかな、うん? …………………………うそぉ、気絶してる…」


だから云ったのに、と呆れるゴーゴリの居る金庫の部屋の扉が、ゆっくりと、開いた。






「短期間でも洗脳をかけることは容易です。閉鎖的な空間、自分が間違っているのかという疑念、極限の恐怖と痛み。そこに与えられる親切、“救い”」


「ありがとうございます、ゴーゴリさん。彼女が死んでしまうところでした」

「おや? ドスくんが先に行ってと云うから行って、後は君の云う通りに話をしただけだよ。まぁ、同僚の役に立てたようなら何より、何より!」

「ええ。あとは、ぼくが────」