ラストダンス


「……どういった状況でしょうか?」
「おっとドスくん違うんだ。話をしよう! それではクイズ!!!一体何故私が人間布団になっているのでしょーーーかッ!!!!!!!!!ヒントは、」

…あれ? ドスくん聞いてる?、と首を傾げるゴーゴリの許に、フョードルは無言のまま歩みを進める。
此処は彼女に宛がった部屋。彼女を大切に保管しておくための金庫だ。

然し何故ゴーゴリが居て、彼に凭れるように彼女が居て、床に数多の色とりどりの石が散らばっているのか。その答えは今し方自分が外で済ませてきた用事に関連しているのだろう。
床に跪き彼女の貌を隠す亜麻色を払う。憔悴しきったような彼女の目元は赤く、目尻には涙の跡が見えた。
フョードルは一旦椿から視線を外しゴーゴリへ目を向ける。ゴーゴリはぶんぶんと沢山首を振った。

「私じゃないよ!? 君が外に出たと云ったら泣き出してしまったんだ。寂しかったのかなぁ? ハハハ!!! 罪な男だなぁドスくんは!」
「…ふむ」

フョードルは脱力した椿の体へそっと腕を回し、彼女を冷たい床ではなく寝台へと移動させた。片手間「ぼくが帰るまで何故床に?」と問うと、ゴーゴリは「ドスくんあんまり彼女に触ると厭かと思ってね」とケロリと答えるものだからフョードルも「成程」と頷くしかなかった。
ふぅと肩の力を抜いたゴーゴリは、「それじゃあ私はお暇するよ。きっと先生が探しているからね!」と消える。元々彼が長居するのはそれほど多いことではない。彼もまぁまぁ忙しい身ではあるため、引き止めはしなかった。彼は彼で、計画の最中である。

椿を寝台に下ろす際、彼女の睫毛が僅かに震え、ぱちりと、目が開いた。肩に触れた手が彼女の震えを感じ取る。

「ッ厭!」

彼女は此方をその目に捉えると、脱兎の如く身を捩ってフョードルの手から逃れようとした。寝台の端で小さくなり怯えた顔で此方を見る様は些か加虐心が刺激される。きっと彼女は知ったのだろう。自分が彼女のチョーカーの正体に気付き、彼女の思惑に気付いたことを。
そしてまた、眠る前に起こったあれこれが再び自分の身に降り掛かることを恐れて怯えているのだ。
フョードルはくつりと喉の奥で笑った。
今までこれほどわかりやすい反応を返す人間は幾つも見てきた。その度、変わり映えもなく退屈だと感じていたというのに、それが彼女に変わるだけでこうも自身の高揚が異なるとは。彼女の反応一つ一つが特別に感じられ、またそれが自分に向けられているというだけで尊く感じられる。
フョードルは一等優しい声で、誘い出すように手を伸ばした。

「起こしてしまいましたね。体の加減は如何ですか?」
「……ッ」

僅かに近付くだけで彼女の体は酷くビクリと反応を示した。伸ばされた手を注意深く見詰めて、此方の顔を伺って、と視線は忙しない。まるでこれから叱られることを恐れる子供のようだった。
フョードルは尚優しく言葉をかける。

「薬で辛いでしょう? もう少し、眠っていて宜しいですよ」

にこりと微笑めば、端へ端へと遠ざかっていた椿の体がそろりと動いた。
腕を伸ばし、しがみつくように近付いた椿をフョードルの腕が抱き留める。

「…ごめ、なさ……」
「ふふ。良いのです。もう怒っていませんよ。怒りというものは一時的なものです。…それよりも、ぼくも少々手荒な真似をしてしまいました」

言葉を続けながら、フョードルの手が首をつうとなぞる。彼女の体が強ばるのを察知し、もう片方の手は宥めるように背中を撫でた。

「痛みますか?」
「…」

ふるりと震えた肩は小さく、フョードルは充たされた胸の内の、甘美な蜜を舐める心地でいた。手に取るようにわかる、彼女の感情、心。今は体までも、彼女を支配している。
椿を抱く腕に力が篭もる。より密着させた体。近付いた肩、首、頬へ口付けを落とす。不思議そうに見詰める透明な瞳に男の顔が映る。
これが己だと、彼女を見つける以前の自分が見れば驚嘆することだろう。それ程に彼女の傍に居る自分は人間らしい。愉悦も醜悪も持ち合わせているように見えた。
此方の機嫌を感じ取ったのか、彼女もゆるりと力を徐々に抜いて凭れかかるように体を預けてくる。

「フョードル」

彼女は近付いた肩口で囁くようにして云った。

「また、わたしを置いて行く?」

涙を溜め込んだような声。
置いていく、とは、先程のチョーカーを返しに外へ行った間に置いて行ったことを云っているのだろう。そしてこの後、再び自分がこの基地から離れることも彼女は何となく察しているのだ。
フョードルは椿を安心させるために努めて平静な声で言葉を落とした。

「大丈夫です。貴女を取り巻く呪縛は、元の主の許へ帰りました。もうぼくたちを隔てるものはありません」

しがみつく腕を一度解かせ顔を見合わせると、僅かに赤くなった目尻が見える。なぞるように手を滑らせると、椿の瞳がどんどん水を帯びてゆき、つうとその頬に涙が伝っていった。

「ご…めんなさ…私、わたし、どうしても、捨てられない。直ぐになくすなんてできない。ごめんなさい、ごめんなさ、ん、…ふ、……」

頬を支えて、とめどなく溢れる懺悔の言葉を塞ぐ。触れるだけの唇への接吻を数回、流れる涙へも口付けを贈る。

「少しずつで良いのですよ。何れ今までの事、何もかも気にならなくなります。その時まで待ちましょう」
「でも、さっきは、怒ってた」
「…ああ、ふふふ。そんなことを理由に貴女を置いていくことはありません」
「…、」

桜貝の彩る指先が、フョードルの頬へ添えられた。水を溜めた硝子玉が近付き、椿は先程のフョードルに倣うように、その唇を寄せる。
短い間隔で落とされる接吻は、祈りのようであり、まるで赦しを懇願しているようであった。白亜の部屋で行われるその行為は、何処か儀式めいていた。涙を流す彼女の、その白痴のようなうつくしさ。フョードルはその享受に意識を尽くすことにして、瞳をゆっくりと閉じた。

暫くすると、添えられていた手のひらがずるりと落ちる。フョードルが目を開き見ると、彼女の瞼は閉ざされていた。

「…眠りましたか」

涙の乾かぬ間に閉ざされた目。頬に残る小雨を拭い取り、フョードルは椿の背を抱き直し今後の行動を思案した。

外に出て、彼女はポートマフィアの月の女の片鱗を取り戻し始めている。ちょうど、欠けた月が満ちていくように。折角ゆっくりと時間をかけて彼女を籠絡したというのに、大切に温めていた卵を巣ごとひっくり返されたような気分だ。
外部との接触を断ち、また一から彼女を此方側へ引き寄せることが理想だ。彼女の"幸い"の為には彼女を取り巻くあらゆるものを取り除かなければならない。指先に刺した棘を抜き取るように、丁寧に、時間をかけて。彼女の幸福の為に。
然し、現状そうゆっくりともしていられなかった。想定の範囲内ではあるものの、探偵社、そしてマフィアは動き出している。


時間は、数時間前に遡る。
フョードルは薬で椿を眠らせると、彼女の体に包帯を巻き直し、そして次に、件のドレッサーへ向かった。ジュエリーボックスの下段の引き出しを引く。今迄、主である椿を宥めていた紅が顔を現した。

彼女が此処へやって来た時から持っていたチョーカー。手に取ればカチリと宝石らしく光を反射する、一見何でもないただのジュエリーであった。然しフョードルの手の中ではその姿も仮初となってしまう。
暫しの間弄ればパカリと、宝石の部分が開きその下の金属盤が現れる。嗚呼、矢張りとフョードルはそれを持ち端末を翳した。信号を感知した画面が表示された。

そうして次に、そのチョーカーを手の中に収めて向かったのは、ヨコハマの地上だった。

騒がしい街だ、と市警がサイレンを鳴らす脇の道を何食わぬ顔で歩き辺りを観察する。どうやらマフィアが探偵社へ攻撃を始めたようだった。あちこちで交通規制が掛かる様も、良くも悪くも街の住民は慣れたようですんなりと踵を返し他の道へと向かっていく。
煙が上がる、この街では一番大きな病院をフョードルは遠巻きに見遣り、そしてふらりと脇道へ逸れた。


ビュウ、と風が吹き、音もなく背後に現れた気配に振り向く。そこには仮面の男が立っていた。
「それではお願いしますね」と、フョードルは手の中のそれを男に渡した。仮面の男、ホーソーンは受け取ると宙を蹴って飛び上がる。
チョーカーは暫しの間、その男と共にヨコハマの路地を転々とした。ホーソーンは、ある場所でその足をビルの淵に止める。


目下の路地では、同じく足を止めた一人の男がいた。


夕日のような癖毛が揺れる。ポートマフィアを体現する黒を隅から隅へ纏う、男の口が不敵に笑った。

「態々招待状を出されちゃあ、行かねえわけもねぇよなァ」

コツ、と革靴の高い踵の音が響いた。声を投げかけた路地に尚も人影は見えない。

「……どういうつもりだ? 椿」

追いかけっこの次は隠れんぼか?とツカツカと進む度に纏わりつく視線に、中也は気付いていた。此方の出方を伺っているのか、探るような、観察するような視線。
彼奴は此処に居る。その筈だ。

「喜べよ。首領は手前を怒っちゃいねえ。帰ってくるなら何のお咎めもナシだ。勿論上司である俺も認めた。高待遇なもんだろ? 太宰の時じゃ有り得ねェ」

ふ、と顔を路地に隣接するビルの上の方へ向ける。目に入った仮面に、中也の目が鋭く細められた。それは紛れもなく敵へと注がれる視線だった。

「…椿は何処だ」

地を這う低い声が、闇の中落とされた。
対面するビルとは別の、中也の背後のビルで狙撃手が引き金を引く。けたたましい音とは裏腹に、銃弾はひとつもその背中を貫くことなかった。地に転がった空の銃弾がカランカランと高い音を立てる。

「余っ程俺を怒らせてェらしいな。こんな弾当たんねェぞ。椿を出せ……ッ!!」

見た者を震え上がらせる眼光は、噛み付くようにホーソーンへ向けられた。ホーソーンは一言も言葉を発することなく、握っていた物を見せるように突き出す。その姿が椿と重なり、一時の間中也の動きがピタリと止まった。
ホーソーンはその掌をくるりと地に向ける。何かが、落ちた。

放られ、地面に落ちたそれは、チョーカーだった。中也はそれに見覚えがあった。というよりも、それを椿に贈ったのは中也自身だった。見間違える筈もない。

紅い宝石の首輪。椿をマフィアに縛り付ける為の、そして彼女を守るための鍵。然し今、彼女の代わりに寄越されたそれが何を意味するのか。

中也は出かかった答えを否、と振り払う。彼奴が俺たち仲間を裏切ることは天地がひっくり返ってもありえない。
チョーカーの宝石は無機質に輝く。語らないものを読み取ろうと邪推して身を崩す必要は無い。

「…喋る気がねェなら、厭でも喋りたくなるようにしてやるだけだ」

グン、と異能を全身に込め、一気に地を蹴る。ビルの淵に立つ的へ向かって飛び出した中也の体は、勢いそのままに重い拳をその身にお見舞した。反応する間もなく吹っ飛んだホーソーンを次いでぶちのめしてやる、と拳を握る中也。然し二度目の攻撃へ移ろうとした時、丁度耳元の通信機から連絡が入った。

この数刻前、マフィアは探偵社との全面衝突を開始していた。探偵社の社長とマフィアの首領の両者を繋いだ呪いは、巫山戯たことにどちらかの命が消えない限りどちらの命も奪うという。
病院に立てこもっていた筈の探偵社が逃げ、人質として残っていた筈の幻像の異能力者も元マフィアの泉の手助けによって取り逃した。
戦線が一時停滞したその折に、中也の持つ椿の発信機に反応があったのだ。今迄うんともすんとも云わなかった筈のそれに不信を抱きながらも向かった。

それがこのザマだ。椿は居ない。それも、たった今来た部下からの連絡はマフィアビルへ探偵社が乗り込んできたという報せ。

おびき出されたのだと、中也は悟った。
何かが居る。この衝突を掻き乱そうと裏で操る何かが。
なら此奴の役割は陽動に近い。これ以上構っても何の得にはならない。本懐を討たなければ。

チッ!と舌打ちをして、中也は急ぎマフィアビルへと向かった。その途中、確りとチョーカーを拾い、その手に握りしめて。
中也は通信の向こうへ叫んだ。

「椿の居場所を洗え。発信の履歴の先がわかったら部隊を送り込めッ!」





「__…成程。マフィアは少々手強いようで」

その様を見届け、フョードルは帰路へと着いた。

何れこの基地もマフィアに割れる。この地下自体は特別な通信以外の電波を通さない作りになっているが、マフィアもそれだけで食い止められる敵ではないだろう。いくら此処がカモフラージュされているとしても、彼女のチョーカーの反応は近隣までは残っている筈だ。マフィアにとってはそれだけで充分だ。
この時を眈々と狙って、彼女は中々希望を手放さなかったのか。楽しませてくれる。フョードルは薄笑みを浮かべた。
然し探偵社とマフィアの衝突は避けられない。それに彼女は勘違いしている。自分がこの基地を捨て何処かへ隠れるという可能性が無いと、誰が云っただろうか。確かに此処には彼女専用の金庫も、整った通信設備もある。然しそれが何だと云うのだ。手放してもまた集めれば良いだけのことだ。彼女の為の箱庭を、この手で。

このまま計画は滞りなく終わるだろう、とフョードルは筋書きの通りに動く双方の行く末を頭の中でなぞる。


「…さて、貴女は何処が気に入るでしょうか」


眠ったままの椿の体を支えて、フョードル達は寝台から立ち上がった。椿の片手を持ち、もう片方は腰に添えて、踊るように足を踏み出す。

そうして地下からは、一人の人も見る影もなく消え去った。優雅な悪夢のような白の部屋だけが残った。