買い物忘れ
最近まで連日降り続いていた雨も止んでいる。
その日は明日に控えた合宿の準備で部活が無く、久々に街中で買い物でもして帰ろうと言う友人からの誘いを断った。
明日の準備に何かを買わなければいけないわけではない、なんとなくぶらぶらと街中を歩いていた。
日の上がっている時間の長くなった今、夕方もまだまだ明るい。
駅前のベンチに座って母からきたお使いのメールを確認してどこで買って帰ろう?などとぼんやり改札を眺めた。
ふらふらとしていたはずの視線は、しっかりと彼女を捉える。
「…彩先輩!」
見間違うわけがない、その姿に鞄を握り締めて駅中に走り込み声をあげた。
視線が自分に集まる事など問題ではない。
振り返ってくれと願い、潤む目元をぐいと手の甲で拭った。
「さく…べ?」
無惨にも、拭ったはずの瞳からはぼろぼろと水が零れ落ち中学になったにも関わらず情けないと手の平を握りしめた。
「はい。富松です、富松作兵衛です。彩先輩」
「私が、わかるの?」
「間違えるわけないじゃないですか」
「作、私…」
「半世紀ぶりです。お元気で良かった」
目を見開く先輩は、前より小さく華奢になったのだろうか。
しかしながら、その手で髪をくしゃりと撫でてくれる様に変わりはなく、はしたなくも鼻をすすってポケットから出したハンカチを先輩に差し出す。
先に使えと突き返されるが、そんなもの関係ない。
「作兵衛、男の子が泣いていては食満先輩に叱られてしまうわ」
「食満先輩だってきっと泣きます」
そう確信の声をあげるも、先輩は変わらぬ困ったような顔でそうかしらと首を傾げて見せた。
顔から出る水分が落ち着いてから近くのベンチに座り、先輩が買ってきてくれた缶の炭酸を喉に注ぐ。
昔の話に花を咲かせ、こんな事があったあんな事もあったと口は饒舌になる。
先輩が亡くなった日の話になれば、ごめんなさいと苦笑いを浮かべて謝られた。
「謝るのは俺にじゃなくてしんべヱら一年にお願いします。あと、不破先輩とか…」
鉢屋先輩にもと続けると、悲しげに笑っていたはずの表情から笑みが消える。
見たことの無い先輩の様子に、押し黙りもう一度炭酸を口に含んで空気をごまかした。
「ねえ、作兵衛。他に誰か覚えている人に会った?」
「…いえ。先輩が初めてです」
ならば知らないのね。と、先輩は消え入りそうな声で続けると今まで聞く側に徹していた口が開く。
記憶を手繰って話されるそれは、自分が持ち得ないもう一つの時代の記憶と現在の実情。
自分と同い年の彼の反応と、彼女を最も近くで愛した人物の態度から打ち出されたのは、そう簡単に記憶が引き継がれるわけがないという事以外になかった。
実際、自分も室町の記憶はあるが明治時代なんて体験した記憶は無い。
自分がその時代に居たか居なかったかすらわからない。
「なんか、現実離れてしてきましたね」
「もともとよ。でも、記憶なんて持ってても辛いと思ってたけど違ったみたい。作兵衛が覚えてくれてただけで私は一等嬉しいわ」
今ならば一番と言うべき単語をわざわざ昔の馴染みある言葉に変えて、先輩はまた頭をくしゃりと撫でてくれた。
それからまた一時間程話をしていれば、先輩が今氷帝学園で男子テニス部のマネージャーである事と明日から合宿に参加する事がわかり歓喜した。
自分も明日からの合宿に参加すると言えば、きょとりと目を丸くしてから嬉しそうな表情へと目を細めて先輩も笑い返してくれる。
暗くなってしまい慌てて先輩と別れ帰宅して見た天気予報で、今日から関東の梅雨があけたと報道されていた。
母から頼まれたお使いを忘れていて、少し怒鳴られたのは天気を確認してから十分後。
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20120707
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