後悔の功績


寮の宿舎は、消灯時間も間近ながら賑やかに声が響く。
その中の一室、スピーカーにした携帯電話からの報告に留三郎が緩く表情を綻ばせた。
小平太の大きな声が音をビリビリと割れさせ、仙蔵の被せるような叱咤に伊作が苦く笑みを浮かべる。

「あと、氷帝に居たのが二人」

向こうから聞こえる小平太の声が似合わなく萎む。

「彩と鉢屋だ」

無意識に肩が跳ねてしまう。
それに気付いた伊作にどうかしたかと声をかけられるが、頭に浮かぶのは事態が深刻化した後に見た惨状であり何故自分は呑気に座っていたのだろうかと悔やんだあの時。
俺を含む三人の後悔の嘆きを、書籍として書き記したあの時代。

「ここからは、先に居た富松と私が見た見解だから。あまり信用しないでくれ」

過去、俺はとある鉱山関係で成り上がった父のもとに生まれ落ちた。
母が書物を好んだ事と更に昔に本に囲まれていた記憶のせいか、事業を拡大し金を稼ぐというよりも部屋で静かに知識をたくわえる事が愉しくて仕方なかった。
興味は読む事から自ら作り上げる事へと移行し、家督を3つ下にいた弟に譲る代わりに作家を目指す許可を得る。
齢12の時だったと思う。
「彩はちゃんと私たちを覚えてる。みんなが大阪に居ると言えば会いたいと返してきたしな」

薬師見習いだった不破が我が家にきたのはその時。
初対面でも名を分かち合い、雰囲気の変わらない不破は見習いながらに腕が良く、すぐに正式な薬師として俺のそばにつくようになる。
まだ、一作も日の目を見ないまま過ごして三年。
両親が招待されたオペラホウルの公演があったのだが、両親の都合が合わず暇を持て余していた俺が同じく時間に余裕があった不破を連れてオペラを観に行った。

「鉢屋も、記憶持ちだ。矢羽音に反応があったと富松が言っていたからな」

「…小平太らしくもない、まどろっこしい事を言わずに直接確認すればいいだろう」

「仙ちゃんは気付くのが早すぎる!覚えてるのに二人とも何も言わないのは様子がおかしいと思って、富松もあまり追求してないらしい!だから私から鉢屋に何も接触していない」

素晴らしいオペラ歌手の歌声と表現力に魅了され、次に書くテーマにオペラを起用するのもいいと考えを巡らせた。
それ程真剣にそれ程影響を受けるその公演の最中、あまり身近でなくなった爆発音と叫び声を耳が聞きとる。

「彩は鉢屋が覚えているだなんて思ってないみたいだ。鉢屋を見る度に表情を曇らせる」

隣に居たはずの不破が席を立っていたのか、駆け寄ってきてすぐにお願いだからまだホウルから出ないでくれと言う。
周囲は興奮状態の観客で溢れ、不破はバルコニー席の一つをじっと見やり目を細めた。
どこか懐かしい跳躍する影が客数の少ない一階から飛び上がり、バルコニー席に降り立つ。
もう一発の銃声が鳴り響いたのは、不破と共に階段からバルコニー席へと通じる扉を目の前に駆けたどり着いた瞬間だった。

「誰か、何故鉢屋が何も言わないのか知ってる奴はいないか?」

さぶろう。と呟く不破の隣で、俺の視界に映ったのは嘆く恩師と倒れる二人の姿である。
血などその時にはあまりにも見慣れないモノで、思わずこみ上げた吐き気を片手で押さえ込み目の前で眉をひそめながら止血をする恩師と、持ち歩いていた治療器具でどうにかできないかと躍起になる不破の姿があった。
俺はただ呆然と立ち尽くし、早まる鼓動に下唇を噛む

「…皆は、明治時代に生まれたか?」

何も事情を知らないと言う皆の間を縫って呟けば、何人かが首を左右に振り目をこちらに向ける。
携帯電話から聞こえてきた小平太の、長次は何か知っているのか?と言う問いに少し待つようにと告げ隣にある自室に戻った。
最近また入りきらなくなり始めた本棚から古びた鈍色の表紙の本を取り出し、表紙に書かれた『思ゐで』という金で彩られたタイトルと己の名前を指先で撫でる。
奇しくも、前世唯一日の目を見たこの話は、依頼をこなす中で疎遠になった恋人を図らずも殺害してしまう事で最後には自ら命を捨てる探偵の物語。
見ている事しかできなかった自分ができたただ一つの行動を、懺悔の意味も込めて書き綴ったそれを持ち、また隣の部屋に戻る。

途中で確かに感じるのは、何も知らない恋人はいつまでも変わらず探偵を想い続けるのだろうと

むしろ、願っている俺がいた。

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20121001

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