淡く、記憶


初恋、というやつだった。
彼女は覚えていないかもしれないがほんの小さな頃に数か月だけ同じ幼稚園で何度か遊んだことがあった。
その頃から彼女は妙に大人びていたし年上であることは感覚で感じ取っていたが、園児ので一人でぼんやりとしている事が多かった彼女に興味を持ったのはなぜか自分だけで毎日遊ぼう遊ぼうと躍起になって声をかけた。

「とりくんはいいこだね」

ある日、そんな言葉と一緒に手を引かれて一緒に絵を描いた。
といっても描くのは自分だけで彼女は一切クレヨンを持つこともなくただ無我夢中で自分の手によって描かれていくだけの宇宙空間を眺める。
正直、いいこ。と言われて悪い気はしなかったし何より彼女がほかの子に呼ばれる事はあっても名前を呼んだりすることがなかったから自分が彼女にとって特別になれた気がした。

「何回も聞いた、いい加減鬱陶しいぞ鳳」

がつんと拳が斜め下から後頭部に向かって飛んでくる。
視線の中にはその彼女が四天宝寺の一年に挟まれて立海と青学のダブルス試合のスコアをつけていた。
鈍く痛いと感じつつ視線を離さないまま後頭部をさすり、なんともだらしない溜息を口からこぼれさせる。
再会して一年以上経過したが、彼女は一切自分の事は忘れてしまっているようで、いくら特徴のある銀髪だったとて同じくらいの目線だったはずがこんなにもデカく成長するなど自分も予想外だった。
今回の合宿は思い出してもらえるいい機会だと思って朝から彼女の通路挟んで反対側を死守し、飲もうとしていたペットボトルを運よく手渡すことに成功したがそれもあっけなく終わった。
気になっていた鉢屋先輩の事も聞いてみたがするりとかわされてしまう。
挙句、合宿所につけば彼女の知り合いらしき人物がぽんぽんとあらわれてくれるものだから、自分の影は一層薄くなっているだろう。
もちろん、彼女の中でである。

「…え?」

呆れかえってしまった日吉がその場から離れる足音を聞きつつ、ふと彼女の後ろ姿を見ようと顔を上げる。
前髪だけが色素の薄いひょろりとした一年生。
たしか名前は次屋だったか、目線をあげた先で彼女の前髪を片手で持ち上げ唇を軽く(きっと軽く)押し当てる姿に思わず声が漏れた。
どういう経緯でそうなったのか、反対側にいたはずのもう一人の一年はそこにおらず二人っきりのその空間にはもう一歩も近づけるわけもなく立ち尽くした。
嫌がるわけでもなく、茫然とした彼女の表情に満足げな次屋がその場を去っていく。
ひたひたと撫でられる額、そこにゆっくりと変わる彼女の頬の色は紅色で、くしゃりと歪んだ様はもう自分に失恋の二文字を掲げるに十分だった。

「そ、っかー」

てっきり鉢屋先輩の事が好きなのだと思っていた。
しかしどうやら敵は他校のしかも年下で、目の前状況は恋仲のそれなのだろう。
きっと、と思うもののどうも自分のなかでもやもやは晴れない。

「長太郎!行くぞ!」

フェンスの向こう側から聞こえてくる宍戸さんの呼び声に慌てて立ち上がり、ラケットを片手に握る。
彼女のそばを駆け抜ければ、普段と変わらぬ表情の薄い彼女がそこでスコア表を覗き込んでいた。
そこに並ぶ彼女が書いたのだろう自分の名前にきゅっと胸元を掴まれるような感覚。
どうやら自分はまだあきらめきれていないのだと、かかとをくるりと返して彼女の前にかがみこむ。

「春本先輩。俺の事見ててくださいね」

きょとんと少し目を丸く開いた彼女が、声も出さずにうなずいたのを確認して宍戸さんの元へと地面を蹴った。

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20130401

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