十、鳴らせ


「人違いではないでしょうか?」

私は、愕然としていた。
鐘を鳴らし屋敷へと入ってきたのは、見た目が何も変わらない後輩である孫兵そのもので思わず涙を浮かべて名を呼んでしまった。
しかし、彼は名前は確かに孫兵だが自分は伊賀崎ではなく雇われ奉公人で名字は無いと語る。
冷静すぎる彼の反応に、思わず間違えましたと静かに謝罪をして引き下がった。
代金を渡している間に周囲を見渡したが、いつも彼が側に寄せている綺麗な朱色の蛇の姿は無い。

「君…蛇は好き?」

帰ろうとする彼を引き留める様に、言葉を続ける。
こちらに振り返る事無く足を止めどちらとも?と答える様子に、嘘偽りは感じられない。
やはり他人のそら似、というやつなのだと諦める他なかった。

「…そう。ごめんなさいね、突然変な質問をしてしまって」

「いえ、またご贔屓に」

ぺこりと頭を下げて走り去る後ろ姿に無意識に少しだけ彼を追い、振り返ってもくれぬ事に思わず涙がこぼれ落ちた。
そのまま一人で居れば、きっとわんわんと大声で泣き喚いたであろう。
しかし、丁度学校からお帰りになられた景吾様のお車が屋敷に入り私は涙を止めて頭を下げた。

「おかえり…なさいませ」

「ああ、ん?それは何だ」

「伊賀崎屋から本日引き取りました和三盆で御座います」

「…そうか、で?何故泣いていた。ついに仕事に音をあげたか?」

実に楽しそうに笑う景吾様は、私がいつ辞めるのか顔を覗き込んでくる。
ぴたりと止まる涙は、喉を伝い落ちた気がした。

「いいえとんでもない。外に出た時に目にゴミが入ってしまいまして、景吾様にご心配いただけてありがたいのですがまだまだお世話させていただきたく」

こうやって私はいつもと変わらない毎日をこれからも過ごすのだろう、そう思っていた。
しかしその夜、景吾様に向けて暗殺計画が練られていると密告が舞い込んできた。
嘘かどうかもわからない曖昧な情報である。
しかし、景吾様は楽しげにご当主様に笑い返すのだ。

「お父様、ならばこの日に変わり身をたてましょう。ご招待いただいた方は存じ上げませんが、私は別の席で」

「変わり身か、誰を使う」

「彩がおります。身丈もまだ似ておりますし、髪を切らせれば遠目からではわかりますまい」

同じ室内に私がいる事のが常でる上で、景吾様がそう言いやったのはわかりきっていた。
私に今身内は居ない。
私の世界などこの屋敷しかないのだから、私一人身代わりにしていなくなるぐらい問題が無いと言いたいのだろう。

私にもちろん拒否権などなかった。

その日のうちに、胸下まで伸びていた髪を景吾様と同じ短さまで切りそろえられた。
一気に軽くなった頭で私が思ったのはただ一つ、私はまた死ぬのかという予感であり確信だった。

普段ならば袖を通す事の無い上質な布で仕立て上げられた景吾様の服を着て、私は静かに足を踏み入れる事も無いと思っていたオペラホウルの中へと進む。
煌びやかな装飾品、通された席は個別に分けられたら優遇席で舞台を一望できた。
これでは、狙ってくださいと言っている様なものだろう。
少し前のめりになって下を覗き込めば、この席より少し質の落ちる席に景吾様の姿が確認できた。
ニタリと笑うその姿から、彼はオペラなどよりも私が死に対し怯える様が楽しくて楽しくてたまらないのだろう。
ふかふかと座り心地のよい、ソファに腰を下ろしてぼんやりと視線を漂わせた。
オペラが始まっても私はそのままで、聞こえてくる独特の声量ある女声に時たまびくりと体が震える。
不意に、久方ぶりに感じるぞくりとした悪寒に目を見開いた。
感覚は鈍ってはいないらしい、どこからか私は殺気を当てられているようだった。

「おい…」

内心、焦る気持ちを抑え景吾様を真似るようにそばにいた普段から帽子を根深くかぶり無愛想な運転手を手招きして顔を寄せた。

「今、おそらく私に銃口が向いております」

「わかるのか」

「なんとなく、ですが」

小声でやりとりされる中で運転手は、ほうと息を飲み込みまるで当然というように頷く。

「景吾様の側にはいつも私がいるのだから居なければなるまい、君は私を離れさせたいみたいだが」

「危険ですので」

「君は、もっと自分を大事にしなさい」

ふっと今までの無愛想だった雰囲気は、なくなってしまう。
どこだったか、感じた事のある優しい感覚に思わずありがとうございますだなんて場違いな台詞が私の口からこぼれ落ちた。

オペラは、クライマックスを迎えていた。

観客が感動を演出する立ち上がっての拍手に、私はきたかと息を飲み何もしらない景吾様を演じて手を打ち鳴らしつつ立ち上がる。
ちょうど十回目の拍手を打ち終えた瞬間。

高らかに鳴り響いた銃声が、私の頭を貫いた。

それはちょうど、十回目の拍手。
それはちょうど、十四回目の誕生日。

end
20120521

- 3 -

*前次#


ページ:



ALICE+