朱色の視線


孫兵という名前は、顔も記憶に無い母が付けてくれた名前でそのまま伊賀崎屋という菓子問屋に奉公に出ることになった。
僕の居た村は、貧困ゆえに子などは働ける年になればすぐに街に働きに出された。
無論、自分も例外なく出されたがとてもいいところで働けたと村には少し感謝している。
伊賀崎の旦那様も奥方様も優しくて、お子を僕がくる少し前に亡くされたせいか本当の子供のように厳しさも優しさも与えてくれた。
ある日、街で一番の大金持ちの跡部の家から和三盆の注文が入った。
奥方様から和三盆の入った木箱を受け取り、代金を記憶していってきますと店を出た。
大きなお屋敷の大きな鐘を鳴らす。
これだけ大きくなければ屋敷内に響かないのだろう。
自然と、いくらだろうなんていう無粋な考えが頭を掠めた。

「まいどー、伊賀崎屋です」

重いであろう扉が開き、現れたのは自分よりも少し年上だろう使用人の女だった。

「…」

「こちら、ご注文の和三盆で…あの?どうかなさいましたか?」

「まご…へ?」

「え?」

僕と顔を合わせた瞬間に目を見開いた使用人の女は、間違いなく初対面だった。
しかし、不安げに今にも泣き出してしまいそうな顔で僕の名を呼ぶのだ。

「人違いではないでしょうか?」

少し震えてしまったのは相手に気づかれてはいないだろうか?
彩さんという彼女は、僕が昔の知り合いに似ていてと言葉を続けた。
まだ12〜3にしか見えない彼女に昔の知り合いというのも不思議なもので、少し府に落ちない気もしながら自分も簡単な自己紹介をした。
代金を受け取り、まいど。とかかとを返す。

「君…蛇は好き?」

後方から聞こえてきた声に眉間に皺がよる。

「どちらとも?普通、でしょうか」

「…そう。ごめんなさいね、突然変な質問をしてしまって」

「いえ、またご贔屓に」

なぜか無性に逃げ出したくなってその場を駆け出す。
この胸がぎゅっとして悲しくなる感覚はなんだろうか、このままあの場所に居続けたが最後なにかを思い出すような気もした。
それが、どうしてか怖くて仕方が無かった。
帰る途中、日ごろお世話になっている竹谷の次男坊に声をかけられた。
泣きそうだぞ、何があった?と聞かれたがいまいち自分でも分からない事を答えもできなかった。

「大丈夫です。店に戻らないと」

「ああ、何かあれば言えよ?俺、暇だからさ」

「ええ、いつもありがとうございます。八助さん」

彼は、とても優しい。
それなりの名家の生まれにも関わらず毎日毎日山や川に遊び歩くせいで髪はぼさぼさになって、顔や腕には小さな傷がいくつもあった。
兄のように慕うこの人は、じゃあな。と後ろ手にどこかに歩き出す。
手に籠を持つあたり、また虫でもとりにいくのだろうか。

そんなことよりと、大金の入った懐を抱えて店に走りこむ。
この時には、さっきまでの変な緊張感と悲壮感はなくなっていた。

数日後、街の真ん中にあるオペラホウルで奇襲がかかったと街で噂になった。
なんでも、跡部の家の息子が狙われていたのだが使用人の一人が身代わりとして死んだと聞きふうんとお使い帰りの道端に何の気なしに聞き流す。
今日は、福富の家にポルトガルから取り寄せた砂糖の買出しだった。
甘い匂いを小脇に抱え、いつものように店にはいると旦那様と奥方様がこっちへおいでと手招きする。

「孫兵、今日は少しお前に相談があるんだ。聞いてくれるかい?」

「はい、旦那様」

「嫌ならば嫌と言っておくれね?」

「?はい」

普段笑顔を絶やさぬお二人がそわそわとどこか不安げな表情を浮かべる。
私ももう何もできない子供ではない、もしかしたらもう人手は要らないからと別の家に回されるか?と考えた。
結果は、まったくの別物であったのだが。

「別に跡取りになってくれと言うのではないんだよ、ただ。うちに正式な子として入ってもらいたい」

「お前は随分と働いてくれたからね。私たちを父と、母と呼んでくれないだろうか」

願ってもない事だった。
この優しい人たちを両親にできるのであれば、私は彼らのために今以上に尽くして幸せになってもらいたい。

「よろ…しくおねがいいたします」

頭を下げて感謝を示すと、ふと店の裏から視線を感じた。
大きな朱色の蛇がちろちろと舌を出してこちらを見ている。
二人は気づいていないのか、うれしいねえと笑い合っていた。
あれは、きっと毒蛇だ。頭がそう言うのに危険だとは思わないのはなぜか、かくんと首をかしげた。

「孫兵。今日から君は私たちの息子の伊賀崎孫兵だ」

旦那様、もとい父様からのその台詞のが耳についた瞬間、いろいろな景色がフラッシュバックする。
痛みなのか混乱なのかもわからない気持ち悪さに思わず、その場にしゃがみ込み頭を抱えた。
突然の事に心配そうな声をかける二人と僕の近くにゆっくりと蛇が近づいてくる。

「ジュン…コ?」

ああなんて事だ。
なんて大切な事を忘れていたのだろう。

手を伸ばせばジュンコは嬉しそうに擦り寄ってくる。
二人は僕が毒蛇に襲われていると思ったのか慌てて外に助けを呼びに行ってしまった。
説明する暇もないというのは、この事でこぼれ続ける涙と共に苦笑を浮かべた。

「ジュンコ…僕はなんて事をしたんだろう」

彼女は大好きな先輩じゃないか。

「蛇だって、僕は大好きじゃないか」

彼女は僕の事を覚えていてくれたのに、なんて冷たい答えを返したのだろう。
そうして直感的に気づくのだ。
跡部の屋敷で身代わりで死んだ使用人がきっと彼女だと
また誰かを救って死ぬのですねと、その場でぐすりと鼻をすすった。

end
20120525

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