バッドタイミング
「今日という今日こそ、いい加減にしてください」
ビリリとした声が長官室に響き、背筋が自然と伸びる。
何故だ。俺は此処で一番偉く、力のある人間で、CP9ですら逆らえない存在のはず、だ。
なのに何故ただの長官専属というだけの雑用の前に正座までさせられているのか、疑問に思う反面言い返す余力は無い。
「私は言いました。次珈琲を零したら自分で珈琲豆の栽培から収穫、製造、すべてを体験して事の重さを知りなさいと」
「たかが珈琲零しただけで…」
「何度目か覚えておられないようでございますね?」
長官。と艶を含んだ笑みと声が降りかかる。
体中に走る鳥肌と悪寒に顔面が自分でもサァッと色味が引いていくのがわかった。
この女なまえも、元々は仕事が出来空気の読める大変使い勝手の良い使用人である。
普段ならばこんなにも頭ごなしに怒鳴られ諭される事もない。
俺が珈琲を零すなど(認めたくはないが)日常であるし、例え零しても次からはと次回への期待を告げられるのみ。
しかし、タイミングが悪すぎた。
「あれほど、今日は大将青キジ様のご来訪がありますのでお部屋は汚さいませんようにと言いました」
今日は、不定期に来る訪問日。
「カーペットもカーテンも洗い替えがありませんので撒き散らさないようにと言いました」
「ごめんなさい」
長官室に漂う香ばしい珈琲の香りと、ベージュに金糸の刺繍の入ったカーテンと様式美漂う高貴なカーペットにべとりと意図的にも見える黒いシミ。
割れたティーカップも今月何個目だろうなどと考えている余裕も無い。
いつもよりむしろ酷い形で零した珈琲の残骸を見たなまえは、ワナワナと震えてから長官室でくつろいでいたフクロウらを追い出して今説教を始めている。
謝るしかない、謝る以外どうするかも思いつかない。
時計を見る暇すら与えてくれない為、大将青キジがまもなく到着しかねない時間。
「時間がありません、長官。第一会議室を臨時に準備しておりますので移動してください」
「…へ?」
「聞こえませんでしたか?狭いと文句を言っている場合ではございませんよ」
「いや。え?説教は、終わり?」
「まだ聞きたいのでしたらご希望通り」
いや!いらないと両手を振ってその申し出を拒否し、机の上にまとめた書類を抱えて長官室を出る。
第一会議室と言えば、普段あまり使わないが小綺麗にしているという記憶があり出入り口からも程ほどに近い。
中に入ってみれば、この現状を見越したかの様に長官室には少し劣る程度の家具が揃えられていた。
カーペットもカーテンも一回り程度小さく、かといって貧相な印象は無い。
やはりなまえは、よくできた使用人だ。
「おや、いつもと違う場所だね?」
書類をテーブルに並べている最中、ノック音と共に現れた大将青キジに背筋を伸ばし敬礼する。
ドアが少し小さいのか頭をかがめて入ってくれば、場所の違いは問題無いとソファに腰をかけた。
定例書類を差し出し向かいのソファに腰を落としていれば、ふうんと鼻を鳴らす青キジの姿に少しだけ背中に寒気が走る。
じきに、なまえが持ってきた珈琲がテーブルに並び青キジの口元へと湯気の揺れる珈琲が滑り込む。
ふと、自分の手元にある珈琲の湯気が青キジのモノと比べて薄いと感じカップに口をつける。
(、適温)
温いわけでもない珈琲は、普段熱いと感じる事の無いあたたかさで隅に立つなまえがわざわざ温度を調整した事がわかり少しほくそ笑んだ。
「スパンダム、君。長官室でまた珈琲零したでしょ?」
青キジが持つ書類の何枚かに、今回の原因である珈琲のシミがついていたなどと気づくのはその後すぐ。
end
20120708
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