あの時のご連絡先、通じてますか?


職場は、下世話は下ネタで溢れている。
本日の現場はそうでもないが、ほぼ毎日通っている劇場のメンバーは特にひどい。
あの店のお姉ちゃんがどうだ、こないだ借りたAVがどうだ。
特に直属の上司やそれらすべてをまとめている上司が下っ端でからかい甲斐の塊である私に容赦なんてない。
私一人しか女がいないからと言ってなぜ毎日の性生活や性癖曝露を聞かねばならぬのか。
時たまあきらかにセクハラだろうそういった発言も私にまっすぐ飛んでくる事もあったが、正直慣れてしまって「はっはー、何言ってるんすか」と笑って返せるまでに成長した。
高校生の頃の読書家で美術部の純朴な私が今の私をみたらどう思うだろう。
きっと、びっくりしてこの業界には入りたくなくなるんじゃなかろうか。

「え?なんで?え?!」

とにかく、本日の現場に関してはそういったうんざりするような事も無いだろうとたかをくくっていたがそうでもないらしい。
目の前でにこやかに笑いかけてくる佐助さんに気付いた上司がにやにやと緩んだ表情でお迎えか?と興味津々で聞いてきているあたり、明日の現場で他の方からのつっこみが激しいだろう。

「お先失礼します!」

投げつけるようにそう言い放ち、がちゃがちゃと煩いリュックを揺らして佐助さんに駆け寄る。
名前を呼ぼうとしたのがわかったが聞くこともせずに腕を掴んで地下鉄の入口に駆け込んだ。

「名前ちゃんお疲れ様」

「いや、あの、なんでこんなとこに」

「ん?偶然偶然」

へらへらとする佐助さんの手を半分引きずる様に帰宅してみれば、一度買い出しに出たのだろう形跡のスーパーのビニール袋が見えた。
一度帰宅してもう一度外に出た。で、間違いないだろう。
ふう、と一息ついていたところにぐいっと突き出された名刺に目が丸くなってしまったのはこの業界でいなくとも聞いた事のある名前のそれだったからだろうか。

「え、まじで」

「まじで」

KKプロダクション。
此処十年ほどで力をつけてきた引退した女優によって設立された大手モデル事務所。
モデル事務所とは名ばかりなところもあり、最近はアイドル歌手や俳優まで排出し始めた今ある意味一番怖い事務所の名前が其処に刻まれていた。
一瞬、達の悪い詐欺か何かかと疑うかもしれないがその名刺に並んだ名前に見覚えも聞き覚えもあるのだから信用せざるを得ない。
副社長兼マネジメント部総括阿藤茂。
業界にも顔が広く、社長であり元女優をデビューから支えて辞める時もついて辞職した敏腕マネージャー。
そういえば、昔に一度だけ現場が同じになりわざわざ名刺をもらった記憶もある。あの時、律儀だなとだけ思っていたがその下っ端のペーペーにまで手を伸ばしていくのが凄腕な証拠なのだろう。

「興味あります?」

「興味っていうか、もし働けたら給料ってどれくらい?」

「さあ…?」

タレントの給料な裏方は到底把握していない。
そもそも、ピンキリである事は明白であるし、歩合制なのか月額基本給かで差もあるだろう。
少し何かをしたら給料が発生するのがこの業界だ。
よくバラエティ番組でギャラの低さ云々だとかの話があるがあながちあれもウソではない。
ちなみに、私は基本給+深夜手当や出張手当なんかでそこらへんの方々よりも収入はあると自負している。
その分税金やらと細かく引かれるのは仕方のない事だろう。
正直、一般企業の初任給程度でなど仕事内容として考えても割があわない。

「直接聞いてみます?」

「そう簡単にできるもん?」

「阿藤さん直々のスカウトならありっぽいですけど」

そう呟いて記憶をたどる。
昔もらった名刺は、丁寧に棚の名刺ホルダーの中だろう
と開き見てみれば、案の定一番前のページにその名刺は鎮座していた。
その名刺には、少し佐助さんがもらっていた名刺と違い個人あての連絡先も記載されている。
名刺を相手の名前を覚える以外にこんな活用の仕方をするのも初めてで、少し緊張しながら携帯で番号を打ち込む。
数回のコールのかわりに流れたのは、所属のタレントの曲だろう若者向けの音楽が耳に響いた。

「もしもし?」

ぶつりと途切れた音に変わって、不審げな男性の声がかえってくる。
そのまま、自己紹介と本日声をかけた赤毛の男の橋渡しだと告げれば、かぶりつくような反応を返された。
これはまた、私の周りに居なかったタイプのワーカーホリックに違いない。

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20130610

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