さて、お仕事お仕事


本日のスケジュールを記録した携帯のアラームが鳴り響き、私は眠っていたのだろうか冷たいフローリングの上で目をさました。
頭がガンガンと痛くてどうもどこかにぶつけたらしい。
記憶も曖昧で、一歩を踏み出す度にふらりふらりと壁に寄りかかった。
貧血か?月のものは先日終わったばかりだし、何が原因だろうと首をかしげる。

「あれ、青年…」

そうだ。と思い出した時には背中を向けていたベランダにガラス窓を見る。
開け放たれたそれをみて、こんな状態で寝ていたのかと無意識に額に触れてため息を吐く。
念のためだと体温計を左脇に挟んだまま携帯を開けば、本日の日付とカラオケ屋からのサービスデーの連絡メルマガが受信されたと表示があった。
あ、いいなカラオケ。なんて余裕ももっていられない。
微熱となっている体温計の表示を見て見なければよかったと大きくため息を吐いた。
いくら辞める日が決まったとは言えど、芸能界なぞに憧れたおかげで簡単には休めない。
今日は、そうだ毎週の収録セットの仕込みの後劇場付き、その後またバラしにスタジオの往復2現場だ。
休めない。何せ人が足りない。
うーだのあーだの無意味なうなり声を上げながら、頭の奥で響く頭痛に気合いをいれる。
我慢できるだろうか。というのが現状正直なところだ。
時刻は六時。七時入りの現場で下っ端の私がギリギリに行くわけにはいかない。
時計を確認してしぶしぶジーパンとTシャツを着込み、少し肌寒さを誤魔化す為に薄手のカーディガンを羽織る。
救急箱から常備している風邪薬を取り出して飲み干し、マスクをつける。
がっしりとした登山用だというリュックになぐりとバールと皮手袋とスケール、釘も三種類あると確認して目線をガチ袋に移動させ随分汚いが買い換える手間がなくなる現実にホッと胸をなでおろす。
冷却シートを箱ごと入れてスニーカーを履いて家を出る。
昨日、家の前にいた青年はどこに消えたのだろう。
本当に身投げされていたらと、マンションを出る時に周囲を確認した中には何も見あたらなかったから飛び出してはいない(と思いたい)
部屋の鍵は締まっていた事に首を傾げるしかなかったが、どうも何かが引っかかった。
考えながら電車を乗り継ぎ一現場目のテレビ局の裏から通行証を警備員に見せると、風邪かい?と声をかけられる。

「熱だけですよー」

「お大事に」

「はーい」

マスクをずらして愛想よく笑いかけ、スタジオの中に入ればいつも一番にスタジオ入りしている管理の人が丁度電源をつけていた。

「おはよーございまーす」

ん。とばかりに片手で返されいつものようにリュックをスタジオの隅に置いて道具を取り出す。
まだ誰も来ていない中、カーディガンを脱いで冷却シートを額に貼り、腰にガチ袋を道具を入れた状態で下げた。
ずしり、と左後部に重量感がのし掛かった。
この間は一時間半で仕込みができたし、メンバーは悪くない。きっと同じぐらいのスピードで終わらせられるだろう。
ゲホッと一度咳き込むと、誰かが入ってきた気配に立ち上がり挨拶を向ける。
6人。女一人に男五人らしい今日の面子に珍しい顔はない。
搬入口から運び込まれるセットを全員で振り分けられた場所で組み合わせていく。

「名字風邪か?うつすなよー」

「はい」

安全と返事、時間厳守。
怪我なんて当たり前、軽い風邪ぐらいで休むな。
それが現場の暗黙の了解だった。
セットが仕込み終えた頃に照明スタッフが入れ違いになる。
私は別現場があるからと出て行けばいってらっしゃいと手をふられた。
嫌いじゃないこの仕事。
優しい人も厳しい人も沢山いる。
しかし、先ほどあげた暗黙の了解が全員の暗黙の了解だとしたら女の私には別の暗黙の了解があった。
女だからと自分に甘くなるな、泣くな、泣くなら辞めろ。結婚なんてできると思うな。
大道具、の職はほとんどが男性である。
先に働いていた唯一の女上司に叱咤され十年しがみつけと言われた。
結婚については、学生の頃に講師に言われた。
結婚している人は居たが、出会った同職の女性に子供がいたひとはなかった。
結婚したいから辞めるわけではない、正直な話体が連日の仕事についていけなくなったのだ。

「おはようございます」

もう一つの現場に入ると、入れ替わる予定の社長も居てギョッとした目で見られる。
手にはゲーム機、流行りのゲームでも皆でやっているのだろう。
私は自分のロッカーに荷物を入れて先ほど同様にガチ袋を準備し始めた。

「どうした?風邪か?」

「ちょっとだけ、大丈夫です」

「無理すんなよ」

そう言うが、休ませないだろうがと荷物をまとめて帰りはじめる社長の背中を見送って私は下っ端らしく木材や釘などの在庫確認に向かう。
明日が休みでよかったと本当思う。
劇場の仕事は普段よりもどこか簡単に終わり、駆け足でまたテレビ局に戻る。
収録終わりのタレントを横目にぎりぎりだったと片付けに加わった。
自宅最寄り駅についた時に時計を見ればもう日付も変わる。
がしゃがしゃと煩い背中を携えたままマンションのエレベーターから自分の部屋がある階に足をつけた。

「や。お姉さん、昨日ぶり」

昨夜の青年が変わらぬ格好でこちらに笑顔を向けるから、幽霊か?なんて思ったのはきっと疲れがたまっていた証拠だろう。


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20120909

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