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フランス文学の授業が終わって時計を見ると、針は時計の十四時をさしていた。
この時間は騎士団の皆も休憩中。
今なら総司と話せるかもしれないと、私は用意した袋を手に騎士団の別邸へと向かった。

広場を見渡すとそれぞれが食事を摂ったり雑談している中、楽しそうに話している平助君と伊庭君を見つける。
探していた姿が見当たらずに他の場所へと歩いて行くと、彼は重い鎧を着たまま、武器を手にして騎士団の訓練場の中央に立っていた。
彼の前には、鍛え上げられた騎士団員が三人。
見習い騎士である総司にとっては、到底勝てるはずのない相手ばかりだった。


『総司、大丈夫かな……』


総司の訓練は、他の見習い騎士たちよりも圧倒的に厳しいものだった。
むしろ彼だけが異様に追い込まれていると言っても過言ではない。
私は遠巻きに見守りながら、思わず小さく呟いていた。
総司はすでに息があがり、呼吸すら苦しそうに見える。
それでも鋭い目つきで相手を見据え、決して諦める素振りを見せなかった。


「はじめ!」


号令と共に、三人の騎士が一斉に総司へと襲いかかった。
普通ならこんな状況で戦い抜けるはずがないからこそ息を呑んだけど、総司の動きは以前にも増して鋭かった。
二人の攻撃を紙一重で避けながら、彼はすぐに間合いを詰め鋭い突きを放つ。
それを受け止めた騎士がすかさず反撃に出ても、総司はすぐに身を低くし地面を蹴って飛び退いた。

物凄い迫力だった。
恐らく見習いの段階で……ううん、ある程度鍛錬を積んだ騎士ですら総司ほど早くは動けないと思う。
それでも劣勢を否めないのは、総司が相手にしている人達が強過ぎる上に人数も多いからだった。
総司の肩が揺れ、余計に息が上がっているのがわかり、私は思わず唇を噛み締める。
目の下には薄っすらと青い影が浮かび、疲労が蓄積していることが容易に想像できた。

無理し過ぎてないかな……
心の中でそう呟きながら、心配で拳をぎゅっと握る。
誰よりも訓練に励み、誰よりも自分を追い込んで、まるで自分の存在意義を証明するかのように日々こうして励んでいる。
総司の過去を考えると胸が痛くなり、ただ遠くから見守ることしか出来ない自分がもどかしくなった。

それから総司は、最後の力を振り絞るように剣を振るった。
相手の防御をかいくぐり、一撃を叩き込む。
けれどそれでも完全には勝てず、最後には膝をついて息を切らしてしまった。


「……くそ、まだ……足りないかな……」


悔しそうに呟く彼の横顔が、どうしようもなく切なく感じてしまう。
訓練が終わっても訓練場の隅に座り込んでいた総司は、鎧を脱ぎ、剣を磨きながら、疲れた様子を隠そうともせずに小さく息を吐いていた。


『総司』


声をかけると、彼は少し驚いたように顔を上げた。


「あれ、セラ?」


私達公爵家の人間と騎士団の団員は主従関係で結ばれている。
だから初対面でも皆優しくて親切で、私も無条件で安心して話すことができる人ばかりだった。

でも総司に限っては少し違う。
出会った時は、私にとって敵に近い存在で、冷たくも見える切れ長の瞳と視線が合う度、正直少し怖かった。
話し方も男の人にしては高いその声質に反して、素っ気なく感じる時もある。
特に訓練中の総司はその瞳も鋭いから、とても話しかけられる雰囲気ではなかった。

でもあの日、総司は私の命を救ってくれた。
私を助けて得になることなんて何一つなかった筈なのに、自分の命を懸けてまで私を護ってくれた人だ。
私の手を引き、必死に走ってくれたあの後ろ姿を今でもずっと忘れられない。
この人への感謝の気持ちが心の中で大きく残っていたから、心根が優しいこの人を刑罰から救いたいと思った。

そして騎士団見習いになった総司はこうして毎日鍛錬を積み重ねているわけだけど、あの時の私の提案が総司の負担になっていないか心配に思う気持ちもある。
だからなのか、彼の前ではどうしても少し緊張してしまう私がいた。


『毎日訓練お疲れ様。今、少し大丈夫?』


ようやく訓練が終わったばかりだ、もしかしたら少しくらい一人で安らかな時間を過ごしたいかもしれない。
きっと駄目とは言わないだろうけど、なるべく早く用事を終わらせようと彼をじっと見つめていた。


「大丈夫だよ、どうしたの?」

『うん。あのね』


私は小さく息を吸って、持っていたものを差し出そうとした。
でも立ち上がった総司は、私が行動に移す前に言った。


「じっとしてて」


その言葉通り瞬きすらしないまま固まっていると、彼の手が優しく私の髪に触れる。
こうして目の前に立つと改めて総司は私よりずっと背が高くて、その距離の近さに心音が少し早くなる気がした。


「はい、元通り可愛くなったよ」

『ありがとう……』


何かと思えば、私の髪飾りを直してくれただけみたい。
緊張して固まっていたせいか、何を話すつもりだったのか頭からすっかり抜け落ちてしまった。


「身体はもう大丈夫?あと手の傷は治ったの?」

『え?あ……うん。もうすっかり元気だよ。ここもだいぶ治ってきたから大丈夫』


塞がりかけている掌を見せると、総司は何も言わないまま眉をしかめていた。
私こそ彼に労りの言葉をかけるべきなのに、すっかり私の方が気を遣って貰ってるから少し複雑な気分。
でもそんな私の心情なんて知らないだろう総司は、今度は少し眉を下げて言った。


「この前はごめんね、怖い思いさせて」


私達が言葉を交わすのは、総司が仮入団した日以来だった。
だからこそ、改めて助けて貰ったお礼を総司に言いたかったのに、総司は先にごめんねと言う。
謝ってもらう必要はないと首を横に振ってみても、彼の笑顔は少し淋しそうだった。


『総司は謝らないで?私は総司がいてくれて良かったし、助けてもらって本当に感謝してるよ』

「あれは別に助けたことにはならないよ。そもそものきっかけは僕達側にあったんだし」

『そんなことないよ。総司がいなかったら、私はここには戻って来られなかったから』

「でも今度からは君が傷つかないようちゃんと護るよ。それに剣術も頑張るから。折角君がくれた機会だからね」


あの人達の会話から、総司は見張りの対象が私であることを知らない様子だった。
私を見た時の少し戸惑いを見せた表情を今でもまだ覚えている。
檻の鍵も総司は管理していなかったわけだし、金銭のために引き受けてしまった仕事が運悪く誘拐だっただけだ。


「それに助けて貰ったのは僕の方だよ。本来であれば刑罰を受ける立場なのに、こうやって騎士団にまで入れてもらってさ。君には改めてお礼を言わないとって思ってたんだよね」

『私も総司にありがとうって言いたかったんだよ。今日はそのために来たのに……言いたいこと、総司が全部先に言っちゃうから困るよ』


そう言って総司を見上げると、彼はようやく少し笑ってくれる。
その顔を見て少し嬉しくなったから、私はずっとこの人の微笑んだ顔が見たかったんだと気付いた。


「ははっ、先に言ったら駄目だった?他には何が言いたかったの?」

『総司の腕の傷や体調、大丈夫かなって気になってたの』

「お陰様で傷はすっかり塞がってるよ。体調も問題ないしね」

『本当?それなら良かった』


安堵の息を吐きながら、私は少し躊躇った。
それでも、きちんと言わないといけないと口を開く。


『あの……ごめんね』

「ん?なにが?」


総司が小首を傾げる。
その仕草はどこか無防備で、でもその瞳はやっぱり少し鋭い。


『私が助けてもらったばっかりに、総司のことを色々巻き込んじゃったかなって思って……。騎士団のことも見習いで始めることも、総司の意思を確認する前に私が提案したから、総司に無理させてないか気になってたんだ』


そう言い終えると、総司はしばらく私を見つめたまま黙った。
その沈黙がなんだか心臓に悪かったけど、総司はまたくすりと笑っている。


「君って、本当に変わってるよね」


ようやく口を開いたと思ったら、そんなことを言われてしまうから、今度は私が首を傾げた。


「普通は逆じゃない?僕が騎士団に入ることで、君に迷惑をかけるんじゃないかって思うならともかく、なんで君が謝るのか意味が分からないな」

『でも私が総司にここにいて欲しくて、勝手に提案したことだから。それに総司は……』


なんて言えばいいんだろう。
私は、総司のことはまだよく知らない。
考えていることも今感じていることも、何一つ分からないから、総司が無理しているのではないかと心配になってしまう。
でも総司があの日言葉にしてくれた誓いを信じているからこそ、ただ何も言わずに応援したい気持ちもある。


『騎士団に入ってから毎日一日中訓練ばかりしてるでしょう?皆が休暇してる時もいつも総司だけは頑張ってるから、疲れてないか心配なの』

「んー、確かに疲れはするけど心配しなくても平気だよ。僕は好きでやってるから」


思いの外、軽い返事が返ってきて、そこで会話が終わってしまった。
でもたまに盗み見る総司の顔は、とても平気なようには見えない時がある。
弱音を吐くことをしたくないのかもしれないけど、総司の本音、少しくらい聞けたらいいのに。


『総司はとても頑張ってるなって思うよ。でも急に厳しい鍛錬をするのは大変だよね?身体に負担になってないかなって気になって……』

「そんなに心配してくれるの?うーん、じゃあセラが心配しないように、これからはもっと頑張って疲れないようにするよ」


総司は冗談のようにそう言うけど、その言い方には少しだけ余裕が感じられる。
それでも私が心配していることに気付いて、わざと軽く受け流すようにも感じられた。


『総司は今の環境で大丈夫そう?困ってることとかない?』

「勿論。僕が決めたことだからね」

『でも無理はしないでね。総司のことは応援してるけど、少しでも疲れたり辛いこととかあったら相談して欲しいって思ってるんだよ』

「へえ、そんなに僕のこと気にかけてくれるんだ。いい子だね」

 
いい子だねって……。
私が真剣に話してるのに総司はずっと飄々としているし、私が怪訝そうに眉を顰めてみても、そんな私の顔を見て総司は少し意地悪な笑みを浮かべていた。

でも総司はあまり人に干渉されるのが好きではないのかもしれない。
だからあまりしつこく聞くのも良くないだろうと、私はそのまま口を閉じた。


「セラ?」


一人で色々考えていると、総司が私の顔を覗き込んで微笑んでいる。


『うん?』

「僕が騎士団に入りたかったのは本当だよ。だから見習いから始めることになったのが気に入らないとか大変だなんて思ってないし、むしろ努力すればするだけ強くなれると思ったら嬉しいんだ。それにさ」


総司が一度目を伏せ、それから私を真っ直ぐに見つめた。


「さっき言ってたけど、君は僕にここにいてほしいって思ってくれたんでしょ?だったら、それでいいよ」


その言葉が、どうしてか胸の奥に優しく響いた。
よく意味は分からなかったけど、小首を傾げてみると総司はまたくすくすと笑って言った。


「だからそんなに心配しないで」


そう言いながら、瞳を細めてまた笑う。
どこか意地悪そうな、けれど穏やかな笑顔。
私はただその微笑みを見つめながら、やっぱり私はこの人の笑った顔が好きなんだと思わずにはいられなかった。


『うん、分かった。総司のこと応援してるね。あと』


総司の手に、小さな布をそっと置く。
それは先日の誘拐事件の時、彼が私の手の傷に巻いてくれたハンカチだった。


『あの時、貸してもらったハンカチ。ちゃんと洗っておいたから返すね。どうもありがとう』

「ああ、そんなこともあったね」


総司は少し驚いたようにハンカチを見つめ、それからまた微笑んだ。


「別に返さなくてもよかったのに。でも、どうも」

『それとね、これも総司に』


私は少しおずおずと、もう一つの包みを差し出した。


「マフィン?」

『うん。いつも頑張ってるから、甘い物を食べて少しでも元気になってくれたらいいなって思って持ってきたんだけど……』


普段はこんな風に緊張することなんてないのに、今日はどうしてかうまく話せなくなってしまう。
総司はそんな私の目の前で、袋に入ったマフィンのラッピング袋を取り出すと少しばかり嬉しそうに微笑んでくれた。


「ありがとう。あとで食べるよ」


目の前で食べてくれる想像をしていたから、ほんの少しだけ残念に思うけど、そんなことを考えてしまうなんて子供みたい。
それを悟られないよう笑顔で頷くと、総司は僅かに瞳を細めて言葉を続けた。


「それとも今食べて欲しい?」


お菓子作りが好きな私は度々騎士団の皆に差し入れをしているけど、今食べて欲しい?なんて聞かれたのは初めて。
しかもまた少し意地悪な笑みを浮かべてるから、それに気づかないふりをして、にこりと微笑んでみせた。


『ううん、総司が食べたいと思う時でいいよ』

「そう。じゃあとっといて来週あたりに食べようかな」

『ふふ、そんなに日持ちしないよ?』

「どうして?」

『どうしてって、牛乳やバターとか沢山使ってるし』

「へえ。詳しくわかるってことは、もしかして君が作ってくれたの?」


そうだけど、それが知りたくてわざと来週って言ったの?
それとも深い意味はないのかな。
よく分からなくて返答に困った私が頷くだけでいると、総司は袋からマフィンを取り出しぱくりと食べた。


「うん、おいしいね」

『そう言ってもらえて良かった』

「また作ってよ」


総司がそう言った時、騎士団エリアに号令の合図が鳴り響く。
最後の一口を口に入れた総司は、私の頭にぽんと一度手を置くと「ありがとう」と言ってそのまま皆の方へと戻って行った。


『びっくりした……』


お父様以外の男の人に触られることは殆どないから目を瞬いてしまったけど、少しぎこちなくて、でもどこかくすぐったくて、言葉にしきれない気持ちが胸に芽生える。
こうして少しずつ総司との距離が近づいていくのを感じて、一人嬉しく思う私がいた。

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