3
前の世界で、牢獄の中で受け取った懐中時計。
それは書き損じた手紙と一緒に、セラが最後に僕に残してくれた物だった。
今は手元にはないものの、それがどこの店で買った物なのかはもう把握済み。
セラがその店で、僕に知られずそれを買いたいと考えていることは、騎士団の稽古場で話をした時からわかっていた。
だから嘘の提案をしてレストルームに入ったふりをした僕は、念の為少し離れたところから護衛を続ける。
いくら店の中とはいえセラを一人に出来る筈もなく、会計時も直ぐ近くから街娘の装いをした彼女を見つめていた。
『ごきげんよう、店主様。こちらの時計を頂けますか?』
無駄に丁寧な挨拶をしているセラに苦笑いをしながら見守っていると、少したどたどしいながらも無事に時計を買えたらしい。
その横顔は見て分かる程嬉しそうで、その顔を見ればここ最近の疲れも癒やされるから不思議だ。
先程は僕が席を外すと言えばわかり易く顔を明るくするから、つい面白くて笑ってしまった僕だけど。
危険な目に合うことなく、こうしてここに連れて来ることが出来て良かったと思っていた。
でも微笑んで見ていた僕も、セラが大切そうにその贈り物を抱きしめる様子を目にした瞬間、笑うことが出来なくなってしまう。
以前、こんなに想いを込めて時計を買ってくれただろう彼女に、僕は散々酷いことを言った挙げ句、護ることも出来ないまま一人で逝かせてしまったことを思い出したからだ。
この店に一人で来るのはきっと不安だっただろうし、背徳感もあっただろう。
そうまでしてもこの時計を用意してくれたセラの想いを目の当たりにした今、僕の胸は苦しくなった。
もうあの時の時間は戻らないけど、僕は新しい世界でまたセラと新しい時間を刻んでいる。
あの頃のセラの想いごと大切にしようと心に決めて、贈り物を鞄にしまったセラを後ろからそっと抱きしめた。
『総司……?』
「ただいま」
『おかえりなさい。お洋服、大丈夫だった?』
「うん、直してきたから平気だよ。待たせてごめんね」
『全然待ってないから大丈夫だよ。あとお店の中で抱きしめられたら恥ずかしいよ』
「どうして?暫く会えなかったから僕は寂しかったんだけどね」
彼女の肩に触れる僕の手を柔らかく掴んだセラは、少し恥ずかしそうにしながらも微笑んでくれる。
彼女の手を再び取り店の外に出ると、もう夕日が沈む一歩手前だった。
「なんか時間が経つのが早いな」
『そうだね、あっという間だった……』
寂しそうに夕日を見つめるその横顔を見てしまえば、このまま帰ることはしたくないと思う。
時間があれば行きたいと思っていた場所が一つあったから、彼女にそれを提案してみることにした。
「セラはボートとか乗ったことあるの?」
『小さいころ、お父様とお母様と一緒に乗ったことがあるみたい。全然覚えてないんだけどね』
「そうなんだ。じゃあ今から一緒に乗る?」
『乗れる場所があるの?』
「うん。乗り場は馬車があるところから近いから帰りも安全だし、乗ってから帰ろうよ」
『うん、ありがとう』
セラの手を引き向かった先は、いつかこの子と乗りたいと思っていたボート乗り場。
二人分の料金を支払い、不安定な足場を怖がる彼女の手を取って、ボードへと乗り込んだ。
『その棒で漕ぐの?』
「そうだよ。オールっていうんだ」
『そうなんだね、凄い』
嬉しそうにしているセラを乗せて、ボードはどんどん進んで行く。
僕達しかいない運河は、僅かな夕日の光を反射してキラキラ輝いていた。
『わあ、ここから見るとこんなに綺麗なんだね』
運河沿いにはカラフルな家屋や店が並んでいて、暗くなり掛けている今はその灯りが温かい光を放ってとても綺麗だ。
そしてその灯りを尊いものを見つめるように眺めているセラの横顔もとても綺麗だった。
「お嬢様、ボートの乗り心地はいかがですか?」
『ふふ、最高ですよ?』
「それなら良かった」
『今日とっても楽しかった。この格好で街を歩けたことも、総司と一緒に美味しいもの食べて遊んだことも、このボートも全部。私、絶対忘れないね』
瞳を少し潤ませながらそう言って微笑むセラに、今更ながら見惚れてしまった。
それと同時に愛しさが込み上げてきて、彼女に触れたくて堪らなくなった。
僕が頬に手を添えるとセラの頬も色付くから、きっと彼女も同じ気持ちでいてくれていると信じることが出来る。
引き寄せ合うように唇が重なったこの瞬間、もう何度目か分からないけどこの子が大好きで堪らないと思うんだ。
「好きだよ、ずっと君に触りたかった」
『私もだよ、学院に通い始めてから二人でいられる時間が全然なかったから』
「何度も君の部屋に行こうか迷ったんだけどね。でも今問題を起こして専属騎士になれなくなったら流石に立ち直れないからさ」
『うん、今総司が大事な時期なのは分かってたよ。それなのに今日は連れ出してくれてありがとう』
「僕も君と過ごせて楽しかったよ。セラと会えると明日からまた頑張ろうって思えるし、何よりも活力になるんだ」
僕らしくもなく素直な想いを口にしたくなるのは、セラがいつも僕にそうしてくれているからかもしれない。
セラは「私もだよ」と言って微笑むと、僕の手に優しく自分のを重ねた。
『もうすぐ大会があるね、私総司のこと応援してるからね』
「ありがとう、頑張るから見ててよ」
『うん、ずっと見てる。大会で良い成績残せたら、総司は私の専属騎士になってくれる……?』
「勿論。その為にここまで頑張ってきたんだから当たり前じゃない。君の専属騎士の座は死んでも誰にも譲らないよ」
『嬉しいな。私ずっと待ってた、だから最近凄いドキドキしてて……』
「はは、何にドキドキしてるのさ。僕が本当になれるかどうかってこと?」
『ううん、総司がなってくれるって信じてるけど、実感が沸かないっていうのかな……もう待ちくたびれるくらい待ってるから、ようやく願いが叶うと思うと逆にどうしていいか分からないっていうか』
セラの言っていることの意味がよく分からなくて、思わず笑ってしまう。
それでも色々考えて話しているだろうその表情は愛らしいから、ずっと見ていたくなる。
「今更やっぱり僕は嫌だなんて言わないでよ」
『ふふ、言うわけないよ。あと少しなのに、最近になって急に待ちきれなくてうずうずしてるんだよ?』
「あはは、うずうずって何なの?セラって本当可愛いね」
セラは言いたいことを上手く伝えられていない様子でいるけど、そんなところも好きだから。
セラを引き寄せると再び優しく唇を重ねた。
『絶対勝ってね?私は絶対総司がいいんだよ』
「知ってるよ。君は最初の頃からそう言ってくれてたよね」
『総司は最初、私の言うことあんまり信じてなかったみたいだけどね?』
「そうだね。あの頃は、一年後くらいには君の気が変わってるかなって思ってたよ」
でもあれからもう二年半、セラは何も変わらず僕だけを見てくれている。
それが嬉しい筈なのに、儚さを見せるセラがいつかまた遠くに行ってしまいそうで、いつだって不安が消えなかった。
このまま誰の手も届かないところまで二人で逃げてしまいたいくらい、僕にはこの子が必要で失いたくない。
君が傍にいれば他に何も望まないし、専属騎士になりたいのだって誰よりも君の近くにいたいからだ。
『でも私の気持ちは変わらなかったよ、これからもずっと変わらない。総司だけがずっと大好きだよ』
セラの眼差しが僕をまるごと温かく包み、まるで私を信じて欲しいというように訴えかけている気がしてしまう。
その言葉を今、初めて全力で信じてみたくて、僕は絡めた指先に力を込めた。
「本当に変わらない?これから先も僕だけを見ててくれるの?」
いつものようにただの肯定の返事で返さなかったことが意外だったのか、僕を見つめるセラの瞳が僅かに揺らぐ。
でもそれは直ぐに綺麗な輝きを見せて、僕の甘えすら受け止めるかのように柔らかく細められた。
『うん、変わらないし総司だけ見てるよ。総司が傍にいてくれたら、他に何もいらない。そのくらい大好き』
この言葉を信じ切ってしまえば、後で辛い思いをすることになるのかもしれない。
けれど、それでもいいと思えてしまうくらいセラからの言葉や僕と同じ想いを抱いてくれていることが胸を熱くするから、彼女を抱きしめずにはいられなかった。
「僕も同じだよ。君が大好き過ぎてきっともう離してあげられない。傍にいてくれないと不安で堪らなくなるんだ。僕だって君さえいてくれたら他に何も望まないよ、だからずっと僕の傍にいて」
柔らかい温もりをこの身体に染み込ませるように、セラを抱きしめる腕に力を込める。
城に戻ればまたこうして触れたり出来なくなると思えば、どんなに今こうしていても足りないくらいだった。
でも大会で勝ち進み専属騎士になれれば、この子の傍にいられるようになる。
その実感はまだ沸かないけど、絶対に僕が勝ち取ってみせるよ。
『嬉しいけど照れちゃうよ、そんな風に言ってもらえたら』
「なんでさ。本心なんだけどね」
『意外なの。総司ってそういうことあんまり言ってくれなさそうだったから』
「そうだね、僕も自分がこんな恥ずかしいこという奴だとは思わなかったよ」
『ふふ、何それ。でも他の子に言ったら怒るからね』
「言うわけないじゃない。僕が好きなのはセラだけだって君は分かってる筈だよ」
『うん……』
そろそろこの幸せな時間も終わる、そう思った時、夜空には大きな花火が上がった。
真上に広がるその光に目を奪われて、あまりの綺麗さに言葉が出なかった。
でもそれはセラも同じだったのか、ふとみた顔は目を見開いてまるで花火に引き込まれていくかのよう。
そのまま勢いよくその場に立ち上がるから、僕は心底驚くことになるわけだけど。
「ちょ、立ったら……」
『あっ……』
「座って……!」
今にも転覆しそうに傾いたけど、僕が彼女の手を引きその身体を腕の中に閉じ込めれば、僕達の身体はボートから落ちることはなかった。
「危ないでしょ?何やってるのさ、ボードは立ったら駄目なんだよ」
『ごめんなさい、知らなくて……』
「良かったよ、君が落ちなくて」
僕に背を向け座るセラを腕の中に閉じ込めたまま、少ししゅんとした彼女の髪を耳にかける。
再び花火が舞い上がると、空が明るくなり瞳をきらきらさせて見上げるセラの横顔もよく見えるから、僕の頬は緩んだ。
『見て、総司。凄い綺麗……』
どうしてだろう。
夜空の下、光を見上げて嬉しそうにしているセラを、僕は以前にも一度見たことがある気がしてしまう。
それはもしかしたらただの夢かもしれないけど、その顔を見て愛おしさが込み上げ、僕は今のようにこの子をきつく抱き締めるんだ。
「セラ、好きだよ」
振り返って僕を見つめると、セラは愛らしく瞳を潤ませてくれる。
額をこつんと合わせて二人で笑い、花火の下、また柔らかく唇を重ねる僕達がいた。
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