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総司がアストリアの騎士団に正式入団してから数日。
私は大きな心配事もなくなり、清々しい気持ちで空気を吸い込んだ。
昼下がりの庭園は、木々の間からこぼれる陽射しが優しく、微風が緑の葉をそよがせている。
夏の日差しに目を細め、私はお気に入りの場所のひとつである庭園の奥へと足を向けた。
そんな私の視界が無意識に捉えたのは、昔からある大きな木。
子供のころ、こっそり登って遊んでいた思い出の木だ。


『懐かしい……』


子供の頃は途中までしか登れなかったけど、今試したらどこまで登れるのかな?
そんなことを考えながら、ふと立ち止まり、その木を見上げる。
お父様や山南さんに見つかると叱られてしまうから、あまり堂々とはできなかったけど、登るたびに感じた高揚感は今でも忘れていなかった。


「セラ、何してるの?」


不意にどこからかよく知った声がして、驚きながらも辺りをを見回す。
でもどこを見ても、総司の姿は見つけられない。


『総司?どこ?』

「こっちだよ」


直ぐ近くから総司の声が聞こえるのに、やっぱり彼はどこにもいない。
私は小さく首をかしげ、もう一度周辺を見回した。


「上だよ」

『上?』


不思議に思いながら見上げると、少し離れた木の枝の間に総司がいる。
しなやかな身のこなしで太い枝の上に座り、余裕そうに微笑んでいた。
まさかそんなところにいるなんて思わないから、一度言葉を失ってしまう私がいる。
騎士になってからの総司の行動も、私には読むことが出来ないみたいだ。


「あはは、その顔なに?そんなに驚かなくてもいいじゃない」

『だって、そんなところにいるなんて思わなかったんだもん。木の上で何してるの?』

「んー、なんとなく登ってみただけだよ。ここから見たらどんな風に見えるのかなって思ってさ」

『でも落ちたら危ないよ?結構高いし』

「大丈夫だよ。僕、こういうの得意だから」


軽い調子で言いながら、総司は器用に枝を渡り私の真上の木へと移動した。
この前の特別試験を見ていても思ったけど、多分総司の運動能力は並外れに優秀そう。
下りてくるつもりがなさそうな総司を少し羨ましい気持ちで見上げていると、彼は言った。


「セラも登ってみる?」

『え?』

「さっきから羨ましそうに見てるよね」


図星を突かれ、言葉を失う。
そんなつもりは……ううん、本当は心のどこかで登ってみたい気持ちが疼いていた。


「ほら、遠慮しないで」


総司は木の真上から低いところまで移動して、その手を私に差し出してくれる。
少しだけ迷ったけど、ここには総司と私、二人きり。
こんな機会は二度とないかもしれないと考えれば、私は総司に一度手を伸ばしかけた。
でも総司の手が触れる寸前で思わず引っ込めてしまうと、彼はエメラルド色の綺麗な瞳を瞬かせた。


「あれ?」

『このこと、誰にも言わないでいてくれる?』


私はもう小さい子供ではないから、木登りしていたなんて知られたらちょっと困る。
少し心配になって聞いてみると、目をぱちくりさせた総司は、くすりと笑うと言ってくれた。


「うん、言わないよ。これも二人だけの秘密ね」


一つ目の秘密は、総司の剣の柄に私が彼の名前を刻んだこと。
緊張したけど、あの夜、総司は刻まれた名前を見て嬉しそうに微笑んでくれた。
総司の大切な剣に私が刻んでしまっていいのか躊躇われたけど、私を選んでくれた総司の気持ちを信じようと思った。

君がいてくれる証をずっと持っていられる、そう言ってくれた総司の言葉を思い出せば、今もまた心臓が少しドキドキする。
騎士にとって、剣はいつも肌身離さず持ち歩くものだから、まるで私とずっと一緒にいたいと思って貰えているみたいだ。


『ありがとう……』

「ほら、手出して」

『……うんっ』


足をかけると、すぐに総司が手を引いてくれる。
そしてまた少し上に移動して、再び私の手を引き上げてくれた。


「次は結構高いよ、セラに登れるかな」

『総司、手伝ってくれる?』

「いいよ、おいで」


再び総司の手を取り、少し覚束なくなりながらも次の幹に足をかける。
すると手を引くのと同時に総司の腕が私の腰に回されて、そのままぐいっと引き上げられた。


『……あっ……』


驚いて目を見開いた時には、私はもう総司のすぐ傍にいた。
身体を包む温かい体温に心音が早くなったけど、私が幹に座れたことを確認すると、直ぐにその温もりは離れていった。


「はい、到着」


木の上は思ったよりも高く、葉が生い茂っていて、まるで秘密の隠れ家のようだった。
木々の間から見える庭園はおもちゃの箱みたいに小さくて、光を浴びてきらきらと輝いている。
思わず身を乗り出し、目の前に広がる景色を見つめた。


『わあ……』


凄い、想像していたよりずっと綺麗。
風も心地良いし、太陽だって近い。
何より目線が上になることで、私自身が特別な存在になった気分になる。


『すごい……!』

「楽しい?」

『うん、とっても』

「そっか。セラって意外とやんちゃなんだね」

『やんちゃじゃないよ。ただ懐かしくて』

「懐かしいっていうことは、昔も木登りしてたの?」

『うん、子供の時に少しだけ。でも見つかると叱られるから、あまりできなかったの』

「へえ。セラが木登りしてるところ、ちょっと見てみたかったな」

『でもこんなに高くまでは登ったことなかったから本当に嬉しい。総司のおかげだね、ありが……』


右側にいる総司の方を向いてお礼を言いかけたけど、それは思っていた以上に真隣だった。
その距離の近さに驚いて目を見開き、私は慌てて顔の向きを戻した。


「ありが……、なに?お礼は最後までちゃんと言わないとね」

『……ありがとう』

「知ってる?お礼を言う時は、相手の顔を見ないといけないんだよ」

『…………』


総司は普通にしていれば優しいんだから、こうやって余計な意地悪をしなければいいのに。
そう思いながら横目で睨んでみると、やっぱり意地悪な笑みを浮かべているから結局私も笑ってしまう。
くすぐったいような、恥ずかしいような気持ちになるけど、私は総司のそういう部分も好きみたいだ。


「はは、照れてる」

『照れてないよ』

「本当に?」


総司が意地悪そうに微笑みながら、少しずつ距離を詰めてくる。


『ちょ、ちょっと……近いよ』

「そう?」

『そうだよ……』


総司が悪戯っぽく笑い、ふっと顔を近づけた。


「もう少し近寄ってみたら、もっと照れた顔が見られるかなって思ったんだけど」

『総司、やめて』

「どうして?」


真隣の総司の腕を押してみても、その右手首は掴まれてしまった。
どんどん詰め寄られ、思わず私は幹の上を横にずれる。
でも手をつこうと思った場所には何もなく、身体からぐらりと揺れると、目を見開いた総司が咄嗟に腕を伸ばして身体を支えてくれた。


「……びっくりしたよ。あんまりそっちに行くと危ないよ」

『あ……ごめんなさい。ありがとう……』


総司の腕の中、よく分からないドキドキがおさまらなくて私の声も小さくなる。
でもその温もりが離れるとそれはそれで少し寂しくて、そのよく分からない自分の感情に何とも言えない気持ちになった。


『でも、落ちそうになったのは総司のせいだからね』

「はは、ごめん。セラがすぐ照れるから、ついからかいたくなっちゃうんだよね」

『私が恥ずかしくなるのは、総司がそうするように仕向けてるからだと思うけど……』

「だって君みたいに表情がころころ変わると見てて面白いじゃない」

『面白いからって私で遊ばないで』


そう言ってみても、総司は意地悪い笑みを浮かべたまま何も返事をしてくれない。
そのいつもの如く飄々とした彼の態度にも慣れてきたけど、ふと他の女の子にも同じように接するのだろうかと考えてしまう私がいる。
距離は近いし、たまに戸惑いなく触れてくるし、こうして優しくもしてくれる。
それがもし、他の女の子にも与えられるものだとしたら、またよく分からない感情が心の中に湧きあがるのを感じた。


「セラ?怒ってるの?」

『え?怒ってないよ?』

「そう?」


身を屈めて座る総司は、頬杖をつきながら私を斜め下から見上げている。
折角木の上にいるんだから、私じゃなくて周りの景色を見ればいいのに。


『あの、あんまり見ないで?』

「どうして?」

『ずっと見られてると恥ずかしいから』

「なんで僕に見られてると恥ずかしいの?」


総司は今まで出会ってきた人達と全然違う。
総司と話していると、私が考えもしなかった角度から色々言われるから、どう言葉を返そうか迷ってしまうことがある。
でも予想できないからこそ、総司の言葉一つ一つが特別に感じられてしまう。
話す度に落ち着かない気持ちになるのに、どうしてか私の瞳はいつも総司のことを探してしまっていた。


『……だっておかしな顔って思われてたら困るし』

「あははっ、そんなこと思ってないってば。可愛いなって思って見てるだけだよ」

『よく言うよね。知ってる?男の人って、本当に可愛いって思ってたら、気軽に可愛いって相手に言えないんだって』

「そうなの?」

『うん、そうだよ。だから総司が私に可愛いって言うのは、本心じゃないから気軽に言えるんだね』


この前読んだ物語にそう書いてあった。
ヒロインの相手役の男性は心でそのヒロインを想う気持ちが強いばかりに、なかなか素直に想いを表現できない様子だった。
不器用ながらも懸命に愛情を表現する様子に心が惹かれたけど、総司はどちらかと言うとその真逆。
私をからかうために可愛いね、なんて言って私の反応をただ楽しんでいるように思えた。
まあ別にそれはいいんだけど、私だって総司のことかっこいいってよく思ってるよ。
それを無闇矢鱈と口に出せない理由はよく分からないけど、やっぱり私には気楽に言える言葉ではないみたいだ。


「そんな酷いこと言わないでくれる?僕は本心で言ってるんだけど」

『そうなんですか?それはどうもありがとうございます』

「うわ……、なんかその言われ方も傷付くな」

『私、総司からの可愛いは、もう聞き流すことに決めたんだ』


だってそうしないと、私の方が無駄にドキドキしてしまう。
嬉しいって思ってしまう。
その気持ちはどうしようもないのに、それが顔に出ているみたいでいつもからかわれるから、それが少し癪だった。

でも……総司が他の女の子に言うくらいなら、冗談半分だったとしてもその言葉は私だけに向けて欲しいとも思う。
だから可愛いという言葉が私だけのものだと言って貰えた時は、少しだけ嬉しかった。


「へえ、聞き流されちゃうんだ。それはちょっと残念かな」

『うん』

「でも、本当に聞き流せるの?」


にやりと笑った総司は、また良くないことを企んでそうだから警戒して眉を顰める。
そんな私の髪を手に取って、その毛先を彼の指が柔らかく梳いていった。


「セラって毛先だけ少し巻かれてるよね、地毛でこうなの?」

『うん、小さい頃からそうみたい。短くするとカールが強くなるから伸ばしてるの』

「そうなんだ。色も綺麗だし君に似合ってるよ。可愛いよね」

『ありがとう……』


総司は私の髪を指先で遊ぶように弄びながら、楽しそうに微笑んでいた。
柔らかい指の感触がくすぐったくて、私は少し肩をすくめる。


「セラの髪ってこんなにふわふわなんだね。ちゃんと触ったことなかったけど、気持ちいいな」

『そうかな』

「うん。こうして撫でるとさらさらだし、猫みたいじゃない?」

『もう、猫ってなに?』


私の返答を聞いてくすくすと笑いながら、総司はさらに髪を撫でていく。
その指先の感触が心地良いような、でも落ち着かないような、なんとも言えない気持ちになってしまって、私は思わず彼の手を払いそうになった。


『触るのはおしまい。そんなに弄らないで』

「なんで?気持ちよくない?」

『そういう問題じゃなくて』

「じゃあ、何が問題なの?」


総司は楽しそうに首を傾げながら、私の顔を覗き込んできた。
その無邪気な笑顔が、なんだかすごく意地悪に見える。


『とにかく、もうやめてほしいの』

「ふーん。でも、やっぱり可愛いね」

『またそんなこと言って……』

「本当のことだからしょうがないよね。セラって髪の毛が柔らかくて、ほんのり甘い香りがするし、触ると気持ちいいし、すごく女の子らしいよね」

『…………』

「それに耳も小さくて可愛いかな。髪をこうやって耳にかけると、少し赤くなるのが分かるし」


総司はさらりと私の髪をかき上げて、耳を露わにする。
その指が頬に触れた瞬間、心臓が大きく跳ねた。


『やっ……』

「あれ?なんで耳、そんなに赤くなってるの?」

『……なってないよ』

「なってるよ。ほら、触ってみる?」


総司が悪戯っぽく笑いながら、私の手を取ろうとする。
慌てて身を引いたけど、彼はまるで逃がさないと言わんばかりにじりじりと迫ってくる。
 

「耳が赤くなるのって、照れてる証拠だよね」

『違うから』

「じゃあ、なんでこんなに赤くなってるの?」

『それは……』

「それは?」


総司は意地悪そうに微笑みながら、私の耳をじっと見つめてくる。
その視線が恥ずかしくて、私は顔を逸らすことしか出来なかった。


『もう、本当にやめてほしいの。折角木の上にいるのに、からかわないで』

「ははっ、ごめん。可愛いからついね」

『可愛くないもん』

「またまた。セラは嘘つくの下手だよね」


総司はくすくす笑いながら、私の髪をそっと撫でた。
その手が優しくて、でも意地悪で、私はどうしても総司のことをまともに見られなくなってしまった。


『……もう、総司なんて知らない』


ふいっと顔を背けると、総司は少し驚いたように目を瞬かせた。


「あれ?もしかして拗ねちゃったの?」

『拗ねてないけど』

「じゃあ、拗ねてないって証拠にこっち向いてよ」

『もう……本当にやなの……っ、やめて……!』


私はますます顔が熱くなるのを感じながら、はっきりとそう告げた。
でもそんな私の耳に聞こえてくるのは、総司のとぼけた声。


「えー、どうして?聞き流してくれるんでしょ?」

『…………』


今結構本気で怒ってみたのに、総司はそんなことどこ吹く風だ。
その様子に苛立ちを通り越して、思わずため息を吐き出してしまう私がいる。


『私、怒ってるんだからね』

「なんで怒ってるの?聞き流せてない証拠じゃない」

『聞き流してるけど、嫌なの……』

「でもセラは可愛いとか綺麗とか、他の騎士達にも言われ慣れてるんじゃないの?」

『総司から言われるのは、またちょっと違うっていうか……』

「違うって?」

『なんか……少し、いやらしい意味に聞こえる』


そう言った私の言葉を聞いて、ぶはっと吹き出した総司は何がおかしいのか笑い始める。
私は真剣に話しているのに、結局総司はいつもこんな調子だから困るよね。


「あっはは……、もう本当に酷いよね。可愛いねって本心で言ってるだけなのにさ」

『それは総司の普段の行いが悪いんじゃないの?山崎さんも言ってたよ、沖田さんは真面目なのか不真面目なのか分かりませんって』

「えー?僕は真面目だよ。特に君に関してはね」

『とてもそうは思えませんけど』

「それは困るな。どうしたら信じて貰えるんだろうね」


総司は目尻の涙を拭いながら、眉を下げてそんなことを言う。
私は無意識にどんどん片頬が膨らんでくるから、その様子を見て総司も苦笑いをしていた。

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