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この前の叙任式の夜。

ーー「君のために何かできることがあれば、僕はしてあげたいと思う。だから何か困ったことがあれば、真っ先に僕に言うんだよ」

そう言って貰えたことが本当に嬉しかった。
嬉しくて何度も思い出してしまうせいか、最近は気付くと総司のことばかり考えてしまっていた。
以前までも総司のことを考えることは多かったけど、それは総司が見習い騎士として無理をしていないか、辛い思いをしていないか心配していたから。
こうして無事騎士になった暁には、そういうことも自然と減ると思っていた。

でも実際は、以前にも増して総司のことが頭に浮かび上がってしまう。
その理由を考えてはいけない気がして唇をきつく結んでいると、私を見つめる総司の眉が少し下がっていた。


「セラ?」

『あ、うん?』

「ごめんね、そんなに嫌だった?」

『え?なにが?』


考え事に没頭していたから、総司が何に謝っているのかよく分からなくて首を傾げる。


「どうしたの?なんだかぼんやりしてるね」

『ごめんね、ちょっと考え事しちゃってたかも』

「ふーん、何を考えてたの?」

『大したことじゃないよ?』

「僕に言えないこと?」

『そういうわけじゃないけど、総司には関係ないことだよ』


思わずそう言ってしまえば、目を僅かに見開いた総司は、直ぐにその瞳を細めてみせるから少し怖い。


「あっそう。僕に関係ないことね」


言い方が良くなかったのか、総司は少し機嫌を損ねたらしい。
少しばかり扱いが難しい総司は、やっぱり今まで私が出会ったことのないタイプの人だ。


『総司、騎士になってからはどう?』

「んー、別に?任務に同行はできるようにはなったけど」

『任務はどう?大変?』

「別に普通」

『…………』


総司があまり喋ってくれなくなっちゃった……。
さっきからそっぽを向いて私の方を見てくれなくなっちゃったし。
私もからかわれ過ぎて、なんだか少し疲れてしまった。


『あの、私そろそろ下りるね?』

「僕はまだ下りないけど?」

『うん。総司はここにいていいよ』

「君一人で下りられるの?」


そう言われて、私ははっとした。
確かに、登るときは総司が手を貸してくれたからよかったものの、改めて見下ろすと思ったよりも足場が遠い。


「ほら、やっぱり一人じゃ無理そうじゃない?」


くすくす笑いながら、総司は腕を組んで私を見つめる。


『大丈夫だよ、自分で下りられるから』

「じゃあやってみなよ」


総司がまるで試すように言うから、私は意地でも自分で下りてみせようと木の幹にしっかり掴まる。
でも一つ下にある幹まで足が届かなくて、少しぐらついてしまった。


「ほらね?」

『…………』

「素直に下ろてくだいって言ってくれたら、ちゃんと手伝ってあげるのに」


総司は楽しそうに微笑みながら、やっぱりどこか意地悪な笑みを浮かべている。


『そんなこと言わないよ』

「じゃあ頑張って自分で下りる?」


私は唇を噛んだまま、目線を木の幹と地面の間で彷徨わせた。
本当にどうしよう。
下りるのに失敗して転んでしまったら恥ずかしいし……でも、総司にお願いするのもなんだか悔しい。
そんなふうに迷っていると、総司がふっと息を吐いて立ち上がるなり、私のそばに近寄り優しく手を差し伸べた。


「ほら、おいで」

『え?』

「意地張らないで、僕に頼ればいいのに。セラが下ろしてって言うまで待ってようかと思ったけど、そんな顔されると放っておけないかな」


総司の声はいつものように柔らかく、でもどこかくすぐったくなるような響きを持っていた。
私がじっと見つめていると、総司はさらに一歩近づき、そっと私の腰に手を添えようとする。
でもその距離の近さに思わず驚いて、私がほんのわずかに後ろへと下がってしまった時だった。


『っ、あ……』


足が空を切る。
木の幹からずるりと滑り、あっという間に身体が後ろへ傾いた。


「セラっ……」


一瞬、視界がぐるりと反転した。
風が耳元をかすめ、心臓が跳ね上がる。
落ちる、そう思った刹那、目に映ったのは必死に私へと手を伸ばす総司の姿だった。

そして次の瞬間にはふわりと抱きしめられるような感覚とともに強く何かに引かれて。
地面に落ちたわりには緩やかな衝撃が全身を駆け抜けた。


『……っ』


驚きに目を瞬かせながら、状況を理解しようとすると、自分がしっかりと総司の腕の中に抱き寄せられているのがわかった。
下敷きになった総司は、私を庇うようにして地面に倒れ込んでいた。


「……いった……」


微かに息を吐きながら、総司が小さく呟く。
私ははっとして、慌てて彼を覗き込んだ。


『総司っ……大丈夫?ごめんね……』

「いや……大丈夫だよ。セラこそ、どこか痛くない?」

『私は大丈夫、平気だよ。総司が庇ってくれたから』

「ならよかった。ちょっとからかいすぎちゃったかな、ごめんね」


その優しい声に、胸の奥が締め付けられる。
さっきまでの意地悪な表情とは違う、心配そうに私を見つめるその瞳は、どうしようもなく心を揺さぶってしまうものだった。


『総司は本当に大丈夫?身体、痛いよね……』

「この程度、大したことないよ。だからそんなに心配そうな顔しないで」

『でも、私のせいでごめんなさい……』

「セラが怪我してないなら、それでいいよ」


総司はそう言って、私の頭をぽんっと軽く撫でる。
さっきまで不機嫌で意地悪だったのに、今の総司はとても優しくてあたたかかった。


『本当に痛くない?』

「んー……ちょっとは痛いけど、セラを受け止めたんだからむしろご褒美みたいなものかな」

『え?ご褒美って?』

「だって、君に下敷きにされた騎士なんて僕くらいじゃない?」


総司はそう言って、にやりと意地悪く微笑む。
けれどその瞳の奥には、どこか優しさが滲んでいた。


『もう……』


総司の笑顔がちょっとずるい。
さっきまで不機嫌だったのに、こうして私が困ると優しくしてくれる。
からかいすぎたことを謝ってくれる。
でもだからこそ余計に、心が妙に落ち着かなくなる。


「でも、びっくりしたよ。まさか君が落ちるなんて思ってなかったから、間に合わなかったらどうしようって、ちょっと焦ったかな」

『うん。そんな顔、してた気がする』

「え?」

『私が落ちる時……総司、すごく真剣な顔してた』

「それはそうでしょ。セラを怪我させたくなかったから」


総司の言葉は、とても自然だった。
迷いも誇張もなく、ただそう思ったからと言うように。


『ありがとう……』

「どういたしまして」


ふわりと微笑む総司を見つめていると、どうしようもなく胸が高鳴る。
やだな、もう……私の心臓は少しおかしくなっちゃったのかもしれない。


『総司、あのね……』


何か言いたいのに、言葉が出てこない。
この気持ちをどう表現すればいいのか、分からなかった。
でも身を挺して庇ってくれた総司の姿が頭から離れない。
そして思い出すのは、私のために命懸けで戦ってくれたあの日の総司の姿だった。


「うん?」


総司はどうして私を大切にしてくれるんだろう。
私を護ろうとしてくれるんだろう。
このお城の中で当たり前に護られてきた私が、今更改めてこんなことを考えるのは、どう考えてもおかしいということは分かってる。
でも総司に対してだけは、どうしてもその答えを教えて欲しいと思ってしまう。
勿論聞けるわけがないから、私は首を横に振って微笑みを浮かべた。


『……あ、ううん。やっぱりなんでもない』

「ふーん?」


総司がじっと私の顔を覗き込む。
その瞳は私の心を探るようで、それでいて真剣味も帯びていた。


「ねえ、さっきの話だけどさ。やっぱり、僕にも関係あることだったんじゃない?」

『え……?』

「僕には関係のないことだって言ってたけど、僕はセラに何かあれば真っ先に助けてあげたいし、心配だってするよ。だから僕からしたら、セラのことはなんでも関係あると思うんだよね」


そう言って、総司は私の髪をそっと耳にかける。


「だからさ、あんまり僕を遠ざけないでよ」


総司の言葉が、耳元にふわりと落ちる。
からかいではなく、本当にそう思っているんだと伝わる声色だった。


『……私は……』


何か言葉を返さなければと思うのに、喉の奥で言葉がほどけて消えてしまう。
自分の中に芽生え始めているこのあやふやな感情が何なのかはっきりと分からないまま、ただ総司を見つめることしかできなかった。

胸が締めつけられるように痛くて、鼓動が早くなって、息が詰まりそうになる。
この気持ちの正体を知りたくて、でも知ってしまえば戻れなくなるような気もして、私は小さく唇を噛んだ。


「セラ?」


優しい声が、そっと私の名を呼ぶ。
それだけで、胸の奥の揺らぎが大きくなっていくから怖かった。

どうして、こんなに苦しいの?
どうして、こんなにも総司ばかりを目で追ってしまうの?
心の中で問いかけても、答えは見つからない。
私が戸惑っていると、ふっと総司が微笑んだ。


「そんな深刻な顔しないでよ。僕が君を護りたいと思うのは当たり前だよ」

『……え?』

「だって、僕はこの公爵家の騎士だからね」


さらりとした口調で、当たり前のように言われる。
柔らかい声なのに、どこか遠く感じてしまうその距離が、少しだけ寂しかった。


「セラお嬢様のことは、騎士の誇りにかけて必ずお護りしますよ」


その言葉が優しいほど、胸が痛くなった。
お嬢様としてしか見られていないと思うと、どうしようもなく切なかった。

でも……そうだよね、総司はアストリアの騎士だから。
騎士団の一員として、私を護るのは当然のことだと思ってくれているんだ。

それだけのことなのに、総司が私を特別に想ってくれているような気がしてしまっていた。
違うのに。
そんなはずないのに。
総司が大切にしてくれるのは、私がこの公爵家の娘だからで、それ以上の意味なんてないのに。

先程までのあたたかい気持ちは、するすると指の間からこぼれ落ちていく。
代わりに、ひどく冷たい風が吹き抜けるような気がした。
でも総司の前でこの気持ちを悟られるわけにはいかない。
だから必死に平静を装い、私はそっと微笑んだ。


『うん、ありがとう。総司のこと、頼りにしてるからね』


総司は変わらない笑顔を向けてくれる。
それが余計に切なくて、胸が苦しくなった。

だって気付いてしまった。
総司にとって特別なわけじゃない、私が勝手に特別かもしれないと思い込んでいただけ。
だからこんなに苦しくなるんだと思った。

私は微笑みながら、心に渦巻いてしまう自分の気持ちをそっと胸の奥に押し込む。
余計なことは考えず、ただ前だけ向いて一日一日を大切に過ごそう。
そう思いながら、庭園の風の心地良さに身体を預けることしか出来なかった。

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