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学院祭の途中で連れ去られたあの日。
私が身体の痛みから目を覚ますと、そこは見知らぬ馬車の中だった。
前列には男の人が二人、私と同じ荷台には女の人が一人いて、この三人に拉致されたことを瞬時に理解することになった。


「この子、目を覚ましたみたいよ」

「丁度良かったな」


身なりからして、そこまで怪しい人達には見えなかったけど、女の人は私を感情の読めない瞳で見下ろしている。
そして縛っていた私の腕の拘束を解くと、代わりにナイフを向け私に話し掛けてきた。


「そんな服じゃ目立ってしょうがない。この服に着替えて」


そう言って手渡されたのは普通の街娘のような服。
逆らうわけにはいかずに取り敢えず素直に言うことを聞くと、再び彼女は私の腕を後ろで組ませ、縄できつく縛った。


「着替えさせたけど、この馬車のまま指定された場所まで行けないわけ?」

「車輪がもう限界なんだよ。ったく、あんな大岩さえ転がってなけりゃ、このまま予定通り行けたっていうのに」

「だが街に出てこいつが騒いだりしたら厄介だぜ」

「馬車は一人が調達してくりゃ良いだろ。どっか人目につかないところに止めて、こいつを見張ってればいい話だ」

「だったら別に着替えさせなくても良かったんじゃないの?」

「万が一見られた時に厄介だろうが。今頃こいつを血眼になって探してる奴らがいるだろうからな」

「まあ、あそこの騎士団は厄介そうだもんね。目撃情報から追って来られでもしたら面倒になるか」


三人の話からは、私を連れて行かなければならない場所あることや、馬車を交換しなければ目的地までいけないこと。
そしてこれからどこかの街の近くに立ち寄り、馬車を調達する予定であることが分かった。
私には総司がくれた護身用の短剣もあるし、このままじっとしていたら助からないから何か行動を起こさないと。
どうにかこの人達から逃れる方法はないか、必死になって考えていた。

暫くして馬車は、見知らぬ森のような場所へと入って行く。
気を失っているうちに夜は深くなっていたらしく、外は真っ暗。
一人が馬車を調達する為、この場から離れたタイミングを見計らい、私は目の前の女の人に話掛けてみることにした。


『あの、お手洗いに行かせて頂けませんか?』


まずは馬車から降りられなければ話にならない。
相手が女性なら、うまくすれば逃げられる可能性もあると考えた上でそう言った。


「新しい馬車が来た時ね。どのみち乗り換えるようだから、その時にそこらへんでしな」


やはり警戒されているのか、思い通りに事は運ばない。
駄々を捏ねて危害を加えられたり、警戒されることは避けたかったから、素直に返事をしてその時を待った。
そして馬車を取りに行った人が戻ってくると、彼は苛立った様子で愚痴を溢し始めた。


「くそ、馬車の数が足りないんだとよ。今夜中にあと一台戻ってくる予定らしいが時間が読めねぇみたいだ」

「じゃあどうすんの?」

「取り敢えず少しだけ待って、駄目なら次の街近辺まで行くようだな」

「ったく、ついてねぇ」


この人達は然程私に興味がないのかもしれないと、直感でそう思った。
けれど彼らから垣間見える節操感から、上に指示役の人間がいて、私を連れてくるよう指示が出されている可能性もあると考えた。
けれど当たり前に彼らの服には何の紋章もなく、手掛かりになる言葉も発せられない。
取り敢えずここが何処かを確かめる為にも、一度外に出ようと再び彼女に話しかけることにした。


『あの、度々ごめんなさい。お手洗いに行かせて頂けますか?』

「ああ、そうだったね」


腕の拘束が解いてもらえないまま、ようやく馬車から降りられる。
けれどそこは真っ暗な森が鬱蒼と生い茂っているだけで、街の明かりすら見えなかった。
肌寒さから身体は震え、この状況により一層不安を覚える。
そんな私を馬車の真横まで歩かせた彼女は、半ば無理矢理私をその場に座らせた。


「脱がしてやるから、ここでしな」

『いえ、私が自分で……』

「ふざけてんの?あんたの縄を外すわけないでしょうが」


馬車を背にして座り込んだ彼女は、私のスカートの中へ手を入れると、下着に手を掛け、それをいきなり脱がせてきた。
相手が女性だとしてもそれは絶対に嫌で、私は思わずその場で暴れた。


「おい、お前……!手間とらせんじゃないよ」


突きつけられたナイフが首に食い込み、皮膚の切れた痛みに身体が震える。
以前誘拐された時を思い出し、私は恐怖から声も出せなかった。

けれど、その時だった。
凄い爆発音と共に何かが爆発し、酷い熱風と飛んできた何かの破片が身体の所々に突き刺さる。
思い切り後ろに吹き飛ばされて、喉の痛みに私の身体は動かすことも出来なくなった。


『……っ……う……』


喉が焼けるように熱い。
そして身体中がひりひりして、至る所に何か刺さったような痛みがある。
何かが身体に乗っている重みがあったのに、瞳を開くまでに数秒かかった。
けれど私はまず逃げなければいけないと身体を奮い立たせ、どうにか懸命に上体を起こす。
すると私の上に乗っていたのはうつ伏せに倒れたあの女の人。
彼女の背中は、酷い状態に焼け焦げていた。


『……っ……』

「ぐ……うううっ………」


目の前にあった馬車が爆発したのだろう、二人の男の人は中で炎に包まれ悶えている。
その地獄のような光景を目の前に、私の身体は震え声も出せなかった。
そして私が奇跡的に無事だったのは、恐らくこの女性が私の前に立ち塞がっていたことにより盾代わりになってくれたのかもしれない。
彼女の身体は、もうきっと生きられないと思うほどに焼け爛れてしまっていた。


「な……んで、爆発……、ううっ……」


苦しげな呻きとともに、その女性は顔を上げた。
焼けただれたその顔は、もはや誰だかわからないほどだったけれど、目だけははっきりと私を見ていた。


「……私たち、……計画が……失敗、したんだね……」


彼女の言葉はかすれて掠れて、ほとんど聞き取れない。
でも私はそれでも彼女が何を言おうとしているのかを、感じ取れた気がした。


「……ねぇ……お願い……」


彼女の手がゆっくりと私の袖に伸びた。
手の皮膚も焼けただれ、痛々しく血が滲んでいた。


「……お願い……殺して……もう、苦しいの……これ以上、こんな姿で……」

『……っ……』


私は思わず首を横に振った。
そんなことはできるはずがなかった。
人の命を自分の手で奪うなんて。

でも彼女の目は真剣だった。
もう助からないと悟っている目は、苦しみからの解放を願っていた。


『……私、そんなこと……無理です……っ……』


私は震える声で言いながら、首を横に振った。
だけどそのとき爆風で跳ね飛ばされたらしい銀の光が、草の上に落ちているのが目に入る。
それは総司がくれた、あの短剣だった。

あの時、総司が私のために用意してくれた小さな護身用の刃。
何も起きなければそれはただのお守りで、ずっと使われずに終わるはずだった。
けれど今、それは目の前で息絶えそうになっている彼女にとって唯一の救いだった。


「お願い……お願いだから……こんな風に……生きたくない……」

『……っ……』

「あんたを……攫って悪かったよ、謝るから……っ、だから、もうっ……殺して……」


どちらが正解なのかわからなかった。
ただ酷く辛そうなこの人の願いを無視することはあまりにも残酷な気がして、私は震える手で短剣を拾い上げていた。
指先がかすかに切れて、細く血が滲む。
けれどその痛みは、心の痛みに比べたら何でもなかった。


「……ありが……とう……」


剣を構えた私にそう言った彼女の顔を、私は最後まで見ることが出来なかった。
ただこの人が出来る限り苦しまないように、力の限りその胸元に刃を当てた。


『……ごめんなさい……ごめんなさい……』


涙が止まらなかった。
怖くて、苦しくて、でも、それでも……この人の苦しみが少しでも短く済むのならと思ってしまった。

彼女の身体は僅かに跳ねたかと思うと、すぐに動かなくなった。
焼け焦げた匂いと、遠くでなおも燃え続ける音の中で、私はその場に膝をついたまま動けなかった。


『……ふ……うっ……』


膝の上に落ちた涙が、ひとつ、ぽたりと土を濡らした。
それでも私は何も言えず何もできず、ただその場に座り込んだまま、震えた指先を握りしめていた。

誰かに命を奪われることは怖いと思っていたけど、
自分が誰かの命を奪うなんて、そんなこと考えたこともなかった。


『……こわ……い……』


声にならない声が、喉の奥で小さく響いた。
怖くて苦しくて胸が締めつけられて、呼吸がうまくできなかった。

だって私があの人を、自分の手で……


『……ごめんなさい……』


誰に向けた言葉かも、もう分からないまま何度も呟いた。
涙は止まらなくて、視界がにじんで、月さえぼやけて見えた。

私はもう短剣に手を伸ばすことができなかった。
総司から贈られた、大切なものなのに。
私のために、彼が選んでくれた愛情の込められたものなのに。
でも私はそれで、人を殺してしまった。


『……総司……』


名前を呼んだら、余計に涙がこぼれた。

総司がこれを知ったらどう思うんだろう。
私の手を、もう握ってくれないかな。
私のこと、嫌いになってしまうかな。
私はもう……普通の女の子じゃなくなっちゃったのかな。

それでも、私は……


『……総司に、会いたい……』


もう一度、あの優しい瞳に包まれたい。
あの声を聞きたいし、私の名前を呼んでほしい。

あたたかい手のひらを、思い出す。
そっと髪に触れてくれたあの優しさや大丈夫だよって笑ってくれるあの笑顔。
心の中に咲く総司への想いだけが、私の中の唯一の光だった。

その光にすがりながら、私はふらりと立ち上がる。
今はまず皆のところへ帰らないと。
その一心で、私は歯を食いしばった。

足元はまだおぼつかなくて膝が震えていたけど、まずはここから離れないと。
森の向こうに光が見える気がして、その方向に向かって歩き出そうとしたその時だった。


『……え?』


背後から風を裂くような音がして、振り返る間もなく、熱と衝撃が一気に押し寄せた。

爆発だった。
馬車の中に残されていた火薬か何かが再び引火したのだと、あとで気づいた。


『きゃっ……』


身体がふわりと浮いたような感覚。
そして次の瞬間、何か硬いものに背中から叩きつけられたかと思うと、重力が私を下に引っ張った。

冷たい水の感触とごうっという音とともに、私の身体は川に落ちていた。


『っ……く、うっ……』


冷たすぎて痛くて、息が吸えなかった。
目を開けようとしても、何も見えなかった。
水面はもう遥か上にあるようで、私はなすすべもなく流されていく。

どこが上で、どこが下かもわからない。
手足も思うように動かない。
頭がぼんやりして、何かを考える余裕さえなかった。

ただ、苦しくて、怖くて、怖くて……


『……そうじ……』


かすかに唇が動いたのに、声にはならなかった。
ただ総司の名前だけが、何度も心の中で繰り返されていた。

もう一度、会いたい。
たった一言、ありがとうって言いたい。
もう一度、笑ってほしい。
あの人の腕に、帰りたい。

けれど瞼はどんどん重くなっていって、総司の顔を思い浮かべたところで私の意識はふっと深い闇に沈んでいった。
水の流れにすべてを委ねるように私の身体は川に流され、暗闇の中へと一人意識を手放していった。


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