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喉の痛みと渇きから、苦しくて目を開ける。
直ぐに身体は動かなかったけど、自分が今ベッドで寝ていることは分かった。
ぼんやりした頭では、ここがどこなのかも、何が起きているのかもよく分からない。
けれど横たわる私の直ぐ近くで、誰かの話し声が聞こえてきた。
「おい、大鳥。もう四日だって言うのに、なんでこいつは目を覚さないんだよ」
「そんなこと僕に言われても困るよ。第一、このまま置いていけないって言ったのは土方君だよ?」
「んなこと言ったって、あのまま放置してたら完全にあの世行きだろうが。ったく、そもそもなんであんなところに倒れていやがったんだ?」
「本当に可哀想だよね。こんな年若い女の子に出来る仕打ちじゃないと思うよ。とにかく、あと暫く待ってみるしかなさそうだね」
誰の声かも分からない。
けれどなんとなく私のことを話している気がして、視線だけを動かした。
すると一人の男の人が私に気付いて、その目を大きく見開き、私の傍へとやって来た。
「おい、起きたのか?」
何か話さないと。
そう思っても声が上手く出てくれない。
焼けつくような喉の痛みから顔を顰めると、もう一人の男の人も眉尻を下げて私を見つめた。
「僕達は君が道端で倒れているところを偶然見つけて、ここに連れて来たんだよ。医者の話によれば、君は今軽い気道熱傷を起こしているみたいなんだ。無理に話すと良くないだろうから、辛かったら話さなくていいよ」
少しずつ意識がはっきりしてきて、ゆっくりと身体を起こしてみる。
すると頭が酷く痛く、身体にも痛みがあり、自分の身体の状態に不安を覚えた。
「ほら、水。飲めるか?」
受け取ったベッドサイドの水をストローで口に含むと、喉の痛みから少ししか飲むことが出来なかった。
けれどようやく喉の渇きが癒えて、僅かに落ち着くことが出来た気がした。
「そうだ。紙とペンが必要だね」
そう言った一人の男の人は、私に紙とペンを渡してくれる。
そして二人とも私の両側にある椅子にそれぞれ腰を下ろすと、神妙な顔付きで私のことを見つめていた。
「僕は大鳥圭介と言います。そしてこちらの怖い顔の人のが、土方歳三君。一応彼はこの城の大公様で、僕は土方君の補佐をしているよ」
「誰が怖い顔だよ」
「ほら、そういう顔が怖いんだよ」
「悪かったな。それで、お前の名前は?なんであんな場所に倒れていたのか教えてくれねぇか」
彼らの名前を心の中で復唱して覚えたものの、土方さんの問い掛けに私の頭は一度停止する。
私……私は……
「あれ?もしかして文字が書けないのかい?」
「今時、そんな奴いるかよ」
「いや、分からないよ。書けなければ無理しなくてもいいからね」
「名前すら分からねぇままじゃ困るだろうが」
「そんな急かさないであげなよ」
何度考えてみても自分のことが分からなくて、ペンを握る手が震えてくる。
そもそもどうして私は今ここにいて、このような状況になっているのかも何一つ分からなかった。
「……ほら、土方君が虐めるから怖がってるよ。女の子には優しくしてあげないと」
「別に虐めてなんざいねぇよ」
「あ、そうだ。文字がかけないならマルかバツで教えて貰うことは出来そうかい?」
頭が真っ白になってしまってこの人達の問い掛けに答えられていなかったけど、まずはきちんと伝えなければならない。
文字は覚えているようだったから、私の今の状況を知って貰おうと紙に文字を書き、それを彼らに見て頂くことにした。
「なんだよ、書けるじゃねぇか。どれ」
「名前が思い出せません、何も覚えていません……?」
紙を見て目を瞬いた二人は、私に確認を取るように今度は私に視線を向ける。
そんな彼らに二度頷いてみせれば、お二人の瞳は更に大きく見開かれた。
「……おい、嘘だろ?名前すら思い出せないってどういうことだよ」
「頭を強く打っていたみたいだから、その衝撃かな。外傷は医者に手当して貰ったけど、まさか記憶がなくなっていたなんて驚いたよ」
「何でもいい、何か思い出せることはねぇのか?」
そう言われて考えてみても、何一つ分からなくて首を傾げてみる。
すると土方さんは、唖然とした様子のまま無言になってしまった。
「あそこにかけられてる服さ、もうぼろぼろだけど一応君の着ていた服だから勝手に捨てるのもどうかと思って取っておいたんだ。格好から見るに君は多分どこかの街娘だと思うんだけど、あの服や街のこととか何か覚えていることはないかい?」
「あとここにあるホルスター、お前が身に付けていた物らしい。これにも覚えはねぇか?」
指差された場所にかけてある服を見ても、ベッドサイドのホルスターを見ても、全く何も思い出せない。
悩んだ末に再び首を傾げてみせると、大鳥さんが苦笑いを溢していた。
「困ったね、土方君。どうしようか」
「どうしようも何も、取り敢えずはまた医者に来てもらって診てもらうしかねぇだろ。専門的なことは俺もよく分からねぇよ」
「そうだね。まだ身体も辛そうだし、まずは元気になってもらうことが先かな」
「ああ。だが名前や年齢も分からねぇとなると、色々と不便じゃねぇか?」
「まあ仕方ないよ。動物みたいに気軽に名前をつけるわけにはいかないだろうからね」
目の前のお二人は、多分良い人達なのだろう。
知りもしない私のことを助けて、保護してくれているだろうことは会話から分かった。
せめて感謝の気持ちは伝えようと紙に書き、再び彼らにその紙を渡すことにした。
「ん?なんだ、ありがとうございます。ご迷惑お掛けして申し訳ありません……って、別にこんなことわざわざ紙に書く必要ねぇよ」
「まあいいじゃないか。話せないうちはこれでやり取りすることになるだろうし、なんでも書いて貰っていいからね」
二人に頭を下げ、再び自分のことについて考える。
ゆっくりベッドから出ようとすると、土方さんは眉を顰めて私を見ていた。
「おい、まだ無理すんじゃねぇぞ」
「僕は料理長に何か彼女が食べられそうなものを作ってもらってくるよ」
大鳥さんの計らいに感謝しながらも、ゆっくり歩いた私が向かったのは、部屋にあるドレッサーの前。
その鏡に自分を映してみると、私の顔自体はそれとなく覚えているのか、見覚えがある気がした。
「自分の顔は分かるのか?」
土方さんの問いかけにうんうんと頷いて、首にかけられたペンダントに触る。
このペンダントのことは思い出せずにただ指先で弄っていたけど、裏にある文字に気付き私は目を見開いた。
「俺はそろそろ行く、無理するなよ」
去って行こうとする土方さんを呼び止めたくても、声が出ない状態ではそれも叶わない。
慌てて彼を追いかけその服を掴むと、彼は私の方へ振り返ってくれた。
「どうした?」
ここに名前があるんです、そう言いたい気持ちを込めてペンダントの裏を指差す。
そしてその文字を見た土方さんは、私を真っ直ぐ見下ろし言った。
「お前、セラって言うのか?」
恐らくそうですという意味を込めて、また私は頷いてみせる。
名前が分かったことは大きな一歩に繋がりそうで、私は思わず微笑んでいた。
「あれ?嬉しそうにしてるけど何かあったのかい?」
大鳥さんが戻ってきて、彼にも同じようにペンダントを見てもらう。
すると彼も少し目をぱちくりさせたあと、その顔に少し微笑みを見せてくれた。
「君、セラちゃんって言うんだね。名前が分かって良かったよ」
「名前しか分かねぇけどな」
「そういうこと言わないであげなよ。ごめんね、この人愛想なくて。悪い人ではないから怖がらないであげてね」
「別段俺は愛想悪くはねぇだろうが」
仲の良さそうなお二人に会釈をしたものの、急に立ち眩みがして倒れそうになる。
それを咄嗟に支えてくれた土方さんは、苦い顔をして私を見下ろしていた。
「平気か?だからまだ無理すんじゃねぇって言ったんだよ。ほら、寝てろ」
半ば強制的にベッドへと戻されたけど、土方さんの言う通りまだ動き回る体力はなさそう。
再びベッドに座った私に、大鳥さんは持ってきた食べ物を渡してくれた。
「どの程度食べられるか分からないけど、喉に優しいりんごのすりおろしだよ。食べられるかい?」
感覚的に食べられそうで、私は頷きそれをスプーンで掬って一口食べる。
暫く何も食べていなかった身体にはとても優しくて、思わず口元に笑みを作った。
「食べられたみたいで良かったよ。まずは早く元気になれるといいね」
大鳥さんの言う通りだから、私は彼に頷いてみせる。
そしてゆっくりとりんごを頂き、まず今は目先のことを考えようと思った。
そして私を助けてくれたこの人達に早く自分の声で感謝の言葉を伝えたい。
そう考えながら、自分の名前を不思議な気持ちで心に唱える私がいた。
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