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記憶がないとわかってから、ずっと不安だった。
自分であって自分でないような、そもそも自分が偽者であるような、そんな気持ちがいつも付き纏っていた。
だから総司達と会えた時は嬉しい気持ちと不安な気持ちが入り混じって、最初は上手く話すことも出来なかった。
変わってしまった、以前までと違う……そう思われるかもしれないと考えれば、私を知る人に会うことが怖くも感じられた。
けれど目の前のこの人は、以前までと変わらないと言ってくれる。
大丈夫だよって微笑んでくれる。
その言葉は私が一番聞きたかった言葉だから、記憶をなくしてから一度も泣くことはなかったのに涙が溢れて止まらなくなる。
総司と話して初めて、私の本当の感情が少しずつ戻ってきてくれたような気がしていた。
『ありがとう……』
少し震えてしまった声を恥ずかしく思いながら顔を俯かせると、頬に触れる彼の手が涙を優しく拭ってくれる。
そのまま耳を辿って髪を撫でてくれる触れ方が心地良くて、ふとよく見ていた夢を思い出した。
あの温かい温もりや撫で方は何度も夢で見たから、もう身体が覚えているのだろう。
あの夢の人は、きっと総司に違いないと、触れられて直ぐ確信にかわった。
総司は専属騎士だから、もしかしたらずっと私の傍にいてくれた人かもしれない。
私が泣いた時や落ち込んでいる時は、こうして慰めてくれていたから、心細さを感じていた私の夢に何回も出てきてくれたのかもしれないと考えていた。
「泣き虫なところも変わらないね」
『私、そんなに泣き虫だったの?それは嫌だな……』
「人前では泣いてなかったよ。でも僕の前ではたまに泣いてたかな」
『だからなのかな……』
「ん?だからって?」
『記憶がなくなってから初めて涙が出たの……。ずっと寂しくて心配もしてたんだけど、全然涙は出なかったのに……。でも、総司が大丈夫って言ってくれて、変わらないって言ってくれた……から……』
今まで止まっていた感情がようやく動き出したように溢れて止まらなくて、再び涙と一緒に湧き出てきた。
頬や髪を撫でる総司の手が私の涙を誘発させている気がしたけど、不意に抱き寄せられた身体は再会した時のように優しい総司の腕の中にいた。
『え、あの……』
騎士の人とこんなに距離が近くていいのかなって少し驚いてしまった。
けれどその腕の中も髪を撫でてくれる手も、ずっと私が求めていた温もりのような気がして、結局涙は誘発される。
本当に止まらなくなってしまって思わず彼の背中の服を掴めば、私を抱きしめる腕の力も強められた。
「……セラ、会いたかったよ」
私もこの人に会いたかったのかもしれない。
情けないくらい何一つ思い出せないのに、ここが私の居場所であるかのように総司の腕の中は心地良かった。
私を見つけてくれた時の彼の表情も、ベッドサイドで悲しそうにしていたあの表情も、この人がどれだけ私の身を案じてくれていたのか痛い程伝わってくるものだった。
きっと私達の間には信頼関係が築けていたのだろうと思うことが出来るから、早く彼のことを思い出したいと思っていた。
『私も……会いたかったよ』
「はは、覚えてないのに?覚えてなくて、どうやって会いたいって思うのさ」
『夢で何回も見たの。誰かが髪を優しく撫でてくれる夢でね、凄く温かくてずっと会いたいって思ってたんだけど、今それが総司だったんだってわかったんだ』
「それは本当に僕なわけ?」
『うん、だって何回も見たんだよ。それで撫で方が本当に一緒なの。だから絶対に総司だと思う』
「それが本当なら嬉しいけどね」
総司は少し寂しそうに微笑むから、その顔を見ると記憶がないことを申し訳なく思ってしまう私がいる。
でもこうして話して、また仲良くして貰えそうで良かったと彼に微笑みを向けた。
「どうだった?ここでの暮らしは」
『とても親切にして頂いて、過ごし易かったよ。土方さんも大鳥さんも、あとお城の方々も皆良い方達ばかりで、居心地は良かったかな』
「じゃあセラはこれからもここにいたい?」
最初、総司達が来た時は、身内がいることに喜びを感じたと同時に、元の生活を思い出せないまま元いた場所に戻ることは心配だった。
初対面だと感じてしまう人達と家族のように生活していくことの想像が、今の私にはうまく出来なかったからだった。
でも総司と話してみて、少しその不安が和らいできたのかもしれない。
今は早く記憶を取り戻す為にも、元いた場所に戻りたいと思うことが出来るようになっていた。
『ううん、そんなことないよ。私は総司と一緒に元いた場所に戻りたい。緊張はするし心配な気持ちはあるけど、でもきっと大丈夫って思えるから』
私の言葉を聞いた総司は、先程より嬉しそうに笑ってくれる。
この人が傍にいれば不思議と乗り越えられそうな気がしてくるから、前向きでいたいと思えた。
「君がそう思ってくれて良かったよ。それに、皆凄く喜ぶよ。君に会いたくて堪らない人達が沢山いるんだ」
『本当……?私、何も覚えてなくてがっかりされないかな?』
「前にも君に言ったことがあるんだけどさ、一番大事なのは君自身の存在なんだよ。だから前の自分と比べることはないし、君は君のままで大丈夫だ。だからがっかりされるとか、そんなことは考える必要なんてないんだよ」
総司と平助君は、私に記憶がないと分かった時、少なからず動揺している様子だった。
だから近しい間柄だった人達は、少なくとも残念に思ったり悲しんでくれたり……きっとそういう感情になってしまうと思う。
けれど目の前の総司のように、何も分からなくなってしまった私を一生懸命受け入れて、どうにか元気付けようとしてくれる人がいる。
その愛情を辛いとか、重荷だとか……そういう風には捉えたくないから、強くある為にも彼の言葉に甘えたいと思った。
『ありがとう。そう言って貰えて元気が出た。それに私を待っていてくれてる人達に早く会いたいって思えるよ』
「僕も早く会わせてあげたいよ。君の体力が回復したら、僕と一緒に帰ろう。君が生活していた場所に」
『うん』
私の暮らしていた場所は、どんなところなんだろう。
街娘だと思っていたから、肖像画があるなんて少し驚いてしまったけど、優しそうな父親らしき人が椅子に座る私の後ろに立っていた。
あの人にも早く会って、沢山の話をしたいと思う。
「君が無事で、こうして生きていてくれて良かったよ。この半年間、ずっとこの日が来るのを待ち望んでいたんだ。僕も平助も城の皆もね」
多分記憶のなくなった私が、私を知っている誰かを探すより、ずっと心労を掛けてしまったのではないかと思う。
遠くの街からここまで渡り歩いて、あの肖像画一つで私を探し続けてくれていたとしたら、それは想像を絶する大変さだと思った。
それなのに私は本当の意味でこの人達の心を満たしてはあげられないのだから、こうして励まして貰ってばかりで申し訳ない。
記憶を戻すことが一番大切なんだろうけど、どんなに切望しても記憶はまだ戻ってきてくれそうになかった。
『私の帰りを待っててくれる人がいて凄く嬉しいよ。誰か分からないことは心苦しいけど、一日でも早く思い出せるように沢山話をしたいし、みんなのことも教えて欲しい。それでいつか全部思い出せた時、総司にもう一度お礼を言いたい。それが今の私の目標かな』
「お礼なんていらないけどね。でも早く思い出せるといいなって僕も思うよ」
『うん。でもお城戻ったらさ?案外簡単に思い出せるかもしれないよね?』
「そうだね。少なからずいい刺激にはなるんじゃないかな」
『そうだよね。早く会いたいな、私の知ってる総司に』
その言葉を聞いた総司の瞳が揺らいだけど、また直ぐに微笑んでくれていた。
『私の住んでた所はどんなとこなんだろう。自分の部屋とかあるのかな?』
「勿論あるし、立派なお城だよ。敷地もここに負けないくらい広くて噴水もあって、大きな騎士団を抱えているから警備も万全かな。あとは綺麗な庭園や星空がよく見えるバルコニーもあるんだ」
『わあ……そうなの?私はずっと街娘だと思ってたから、それも信じられなくて』
「君は大事に愛されて育った公爵家の一人娘だよ」
『そうだったんだね……』
総司の言葉を聞いて、実感も湧かないし少し照れくさくもなる。
でも大事にして貰っていたと分かって、また心が安堵していった。
思えば話せるようになったばかりの頃、土方さんと大鳥さんが私は街娘ではないのではないかと言っていたけど、お二人の予想が当たっていたということだよね。
それなら私の木を見るとよじ登りたくなるあの衝動は何なのだろうと不思議に思う。
『もしかして、私ってよく木に登ってたりした?』
「え?木に?登ってないと思うけど。一回一緒に登ったことはあるけど、君一人では無理そうだったし、僕は君が木登りしているとこは見たことないよ」
『あれ?そうなんだ』
「なんで?まさかこの城で毎日木に登ってたの?」
『ううん、登ってないよ。ただなんかね、木を見るとよく登ってた気がして……あれは気のせいなのかな』
「変なの。公爵家のお嬢様が木登りなんてしないんじゃない?」
『そうだよね』
まだまだ自分について分からないことは山積みだけど、少しずつ知っていきたい。
私のことも総司のことも、他の大切な人達のことも。
そして一日も早く本当のただいまが言える日がくればいいと思った。
『総司、ありがとう。総司と話せて、元気貰えたよ』
「それなら良かったよ。会った時はあまり話せなかったから心配してたけど、元気そうで良かったしね。身体の傷や火傷は大丈夫?」
『うん、この半年で全部治ったよ。身体は特に何も問題なさそう、たまに眠くなっちゃうくらい?』
「馬に乗っててもいきなり寝ちゃったもんね」
『ごめんね……、先に話しておけば良かったよね。外に出掛けた日は、よく夕方くらいにそうなっちゃうの』
「土方さん達に聞いたよ。丸一日寝ちゃう時もあるんでしょ?」
『うん。いつもはそうなんだけど……あれ?総司と会ったのって今日?昨日?』
「今日だよ。だから今日はいつもより早く目が覚めたみたいだね」
『良かった、また丸一日経っちゃったのかと思った……』
部屋の時計は十二時過ぎをさしているから、七時間くらいしか寝ていないことになる。
これは進歩だから嬉しく思うけど、誰かが泣いている夢を見て目を覚ましたら、そこには辛そうに顔を歪める総司がいたから、少し不思議。
総司が部屋に来てくれていたこの時間に目覚められて良かったと思う。
「多分徐々に回復していってるんだよ。でもまだ無理はしないに越したことはないと思うから、何かあればその都度僕に話して」
『うん、ありがとう。でも、総司は大丈夫?』
「僕?僕は全然平気だよ」
『でも半年間も探すのは大変だったよね……?多分凄く疲れてると思うからお城に戻ったらゆっくり休んで欲しいよ』
「大丈夫だってば。君を見つけ出せたから、半年間の疲れなんて吹き飛んだみたいかな」
『ふふ、そう言ってくれてありがとう。お城に戻ってからも総司と沢山話がしたいよ』
「うん、勿論。色々聞いてよ、君の恥ずかしい話も笑える話も沢山知ってるからさ」
『ええ?そんな話は聞きたくないよ』
その後暫く総司が私に付き合ってくれて、周りの人達のことを沢山教えてくれた。
お父様のことや、お父様の専属騎士や補佐役の方のこと。
騎士団の皆や通っていた学院のことも。
自分の話なのに全然ぴんとこなくて変な気持ちだったけど、皆良い人そうで今から会えるのが楽しみになる。
ようやく私のいるべき場所に帰れることが、総司のお陰で楽しみに思えた夜だった。
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