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食事が終わり、美味しい料理に満足していた僕が隣を見ると、頭一つ分小さい彼女がちらりと僕を見上げた。
『じゃあ、城内を案内するね?』
「うん、宜しくね」
会話こそ普通だけど、僕達の間を流れる空気は少しばかりぎこちない。
それは今夜のセラが、やたら僕から不自然に目を逸らすからだった。
よそよそしく感じる理由はよく分からなかったけど、そんな様子も可愛らしい。
この前はついからかい過ぎちゃったし、警戒されているのかなと心中で苦笑いをこぼした。
でもそれは最初だけで、城の案内が始まるとセラは嬉しそうに微笑み始める。
その様子からはセラが公爵邸で幸せに過ごしてきたことや、この場所が大好きであることが伝わってくるようだった。
それにセラと一緒に城内を歩いていると、どこを見ても美しい景色が広がっていて、まるで夢の中にいるような気分になる。
彼女がにこやかにに案内してくれる度に、その表情がますます魅力的に見えて、つい目を奪われてしまう僕がいた。
『ここは図書室だよ。お気に入りの本が沢山あって、私の大好きな場所なの』
セラは柔らかく微笑んで、書庫の扉を開ける。
中に入ると、壁一面に並べられた本が目を引く。
大きな窓が続いていて、静かで落ち着いた雰囲気を作り出していた。
「すごいね、こんなに沢山本があるんだ」
本の数に圧倒されながらも、つい声を漏らす。
セラは嬉しそうに頷いて、少しだけ恥ずかしそうに視線を逸らした。
『私は本を読むのが好きだから、よくここに来るんだ。総司も本は好き?』
その言葉に、僕は少し考え込む。
本……か。
思えば自ら進んで本を手に取ることなんて、今までなかった気がする。
「うーん、実は本を読むのはあんまり得意じゃないんだよね。でも折角だし、今度一冊読んでみようかな」
僕の答えに、セラは嬉しそうに顔を輝かせた。
『うん。物語や学業のこと以外にも、剣術のことやアストリアの歴史のことが書かれた本もあるから、時間がある時のぞいてみてね』
「僕も自由に出入りして良い場所なの?」
『もちろん。騎士団の人はお城の入り口のところでその紋章見せれば入れるはずだよ』
図書室を後にして、セラが次に案内してくれたのは豪華な食堂だった。
広々とした部屋には大きなテーブルが置かれ、壁には大きな絵画が飾られている。
『ここは食堂だよ。さっきお食事した場所とはまた別で、大勢の人と一緒に食事を摂る場所。お父様がよくここで会食を開くの』
セラは部屋の中央に立ち、手を広げて説明してくれた。
「へえ、すごいね」
『私はあまり来ないけどね』
そう言った後、次の場所に行く為、彼女はまた僕の前を歩いて行く。
その後ろ姿を眺めながら、何を話そうか懸命に考えているなんて僕らしくもない。
しかも話し掛ける前に次の場所に着いてしまうから、結局会話という会話はないに等しくて。
一階と二階を周り終えても、ずっと同じような調子だった。
『ここの角部屋が山南さんのお部屋。これで二階も全部回ったかな』
「あとは三階だけだね」
『うん、でも三階は星が見えるバルコニーと、あとはお父様と山崎さんのお部屋と私の部屋しかないの。三階だけは騎士団の人達も勝手には入れない決まりになってるんだ』
「そっか、残念だけど規則なら仕方ないね。バルコニーで星を見てみたかったけど」
『今は私と一緒だから三階にも入れるけど、行ってみる?』
「いいの?」
『うん、いいよ』
むしろセラが生活をしている三階に一番興味がある。
二階の階段の手前にすら警備の人間が立っているから、さすがはアストリア騎士団を所有する公爵家だ。
「凄い厳重な警備だね。これなら君も安心して暮らせるんじゃない?」
『うん、お城の中は安全かな』
「この環境に慣れたら外を出歩くのは心配にならないの?」
ましてやつい半年前にはセラは買収された侍女のせいで、誘拐犯に監禁されていた身だ。
外の世界への不安が拭いきれないのではないかと気になって聞いてみると、瞳を伏せたまま彼女は答えた。
『いつも護衛の方がついていて下さるから大丈夫だよ。それに私、小さい頃からあまりお城の外には出掛けてないの』
「そうなの?」
『うん。外に出るのは年に数回だけかな』
普通なら、他家で開かれるお茶会に出向いたり、街に出かけたりしていい年頃だろう。
その理由が気になって「どうして?」と聞くと、セラは薄く微笑み言葉を続けた。
「お母様がいないから、お茶会に行く機会がないっていうこともあるけど、殆どはお父様のご意向なの。ある程度大きくなって学院に通うようになるまでは、公爵邸で過ごしなさいって。だから私は、まだ社交の場に出たことがなくて』
「そうだったんだね」
『うん……おかしいかな?』
高貴族になればなるほど、幼い頃からの友人付き合いが将来の家の存続に大きく関わる。
だからこそ躍起になって社交の場に子供を行かせて、少しでもいい人脈を作ろうとするのが大抵の親だ。
ヴェルメルにいた頃も、僕はまさにそんな環境にいた。
けれど今の話を聞いて、近藤さんは決してセラに無理な付き合いはさせたくないのだろうということが分かる。
この場所はきっと、本当の意味でこの子を護る城なのだろう。
「いや、むしろいいと思うよ。焦らなくてもその時が来たら必要な人脈は広がっていくものだしね」
僕の言葉を聞いてホッとした様子を浮かべるから、その様子も愛らしくて僕の頬も緩む。
階段を上りきると、セラは振り返って一番手前の部屋に手のひらを向けた。
『この階段を上がって直ぐのお部屋がお父様のお部屋だよ。その隣はお母様のお部屋なんだけど、お母様が好きだった絵画や美術品が飾ってあるの』
「いくつの時に亡くなったの?」
『私が七歳の時。事故だったみたい、馬車が山道の途中で崖から転落したんだ』
「そっか……、まだ小さかったし君も辛かっただろうね」
『昔よく泣いてたのは覚えてるよ。でも今はお母様のことをよく思い出せないの。大切だった記憶はあるのに、もう声とかどんな風に私を抱きしめてくれてたのかとか何も分からない。それでも私を想ってくれてたのは確かだから、私も忘れたくなくてあのペンダントずっとつけてたんだ』
あの時奪われかけたペンダントは、彼女の首元に今はなかった。
恐らくあの時壊れてしまったからだろう、少し寂しそうな横顔が気になって見つめていた。
すると彼女も僕の方を見るから、この時ようやくセラとしっかり視線が合った気がした。
『あの時、ペンダントを取り返してくれてありがとう。あの時も総司のこと、優しい人だなって思ったんだよ』
ペンダントを必死に守ろうとしているセラを見た時、どうしてか心が騒めき、助けてあげなければいけない心情にさせられた。
初めて会った時から、この子の悲しそうな顔を見ると僕の心は何かに反応したように手を差し伸べたくなってしまうみたいだ。
それに気付きたくなくて見張りの時はなるべくセラを見ないようにしていたわけだけど、この感情の意味を今の僕は痛いほどよく分かっている。
でもこれは知られてはいけない想いだから、今日も僕は余計なことは言わずにただ彼女に微笑みを返した。
「君が必死だったから、余程取られたくないんだなって思っただけだよ」
『でも総司はずっと優しかったよ。毛布もくれたし、パンもくれたし』
「だってそうしないと君が死んじゃいそうだったからさ」
『寒さとか空腹も辛いけど……あの時総司がいなかったら、気持ち的にも乗り越えられなかったかもしれないって思うんだ。総司がたまに私の方を見て、気に掛けくれてるのが分かったから、私はきっと無事に帰れるって希望を持つことが出来たんだと思う』
この子のことを多少なりとも気に掛けていたのは事実だけど、それが見抜かれているのは気恥ずかしくもなる。
でもその時の自分の行動が少しでもセラの支えになれたのであれば、それはそれで良かったとも思う。
「それなら良かったけどね。でも君にそこまで感謝されると複雑なんだけど。僕は当たり前のことをしただけだし」
『当たり前のことじゃないよ、自分の命投げ打ってまで初対面の人を助けられる人なんて中々いないと思うよ?』
「でも自分の行いが招いた結果なんだから、自分はどうなっても仕方ないって思うじゃない」
『それを言ったら、元々総司が首謀者じゃなかったし、最初は人の見張りだってことも知らなかったみたいだよね?』
「まあ、それはそうなんだけどね。でもお金欲しさに見張りを引き受けたのは僕なんだから、やっぱり君に感謝されるのはおかしいよ」
『だけど、総司は見張りの報酬捨ててまで私を助けてくれたよ。前にお父様とも話してたの。目の前に大金があったら普通は自分から面倒事に関わらない人が殆どなのに、総司みたいな立派な人がいるんだねって』
とてつもなく美化されていて、気まずさを通り越して言葉が出なかった。
なんていうか……うまく言えないけど、あの時はセラを見捨てることの方が怖かった。
愛らしい顔を見たら、僕が護ってあげないといけない気がして気づいたら手を伸ばしていた。
なんて、本人には絶対言わないけどね。
ただ一つだけはっきりしていることがある。
助けたのはセラだったからで、他の誰かだったのなら僕は絶対に動かなかった。
誰にでも優しくできるほどお人好しじゃないことは、自分が一番よくわかっているから。
だからこそ、あの衝動は僕にとって奇跡に近い。
どうしてかは分からないけど、僕の心を動かすこの子のことが気になって仕方なかった。
「買い被りすぎだよ。そんなことばっかり言ってると、いずれ後悔することになるかもよ」
『ふふ、どんな後悔?』
「僕のことをもっと知ったら、いずれがっかりするんじゃないのってこと」
『そんなことないよ。だから総司のこと、これからも色々教えてね』
セラは愛らしい笑顔でそう言うから、突っぱねる気すらなくなる。
「いいよ」と短い返事をする僕ににっこり微笑むと、次の部屋まで歩いて行った。
『ここは私の部屋だよ』
「中は見せて貰えないんだ」
『中は見ても何もないよ?』
「えー、一瞬でもいいから見てみたかったんだけど」
『でも見てもつまらないと思うけど……』
「そんなことないってば。それに今日を逃したら永遠に見れないかもしれないし、僕は見たいな。だめ?」
そう駄目元で聞いてみると、少し困った顔をしながらも彼女はドアノブに手を置いた。
『じゃあ一瞬だけだよ?』
「うん、十分」
『はい』
ドアの先には、女の子らしい家具で囲まれた綺麗で可愛らしい空間が広がっていた。
淡く漂う花の香りを心地良く感じる中、無意識にここで過ごすセラの姿を頭に思い浮かべた。
今更ながらあんな檻の中で数日間も生活させてたことがいかに酷い仕打ちだったかを思い知るけど。
セラが普段ここで生活していると思えば、優しい気持ちになれる気がした。
『はい、おしまいです』
「ほんとに一瞬だね」
『もう次に行くの』
「あれ、この隣のドアは?」
『そこは専属騎士が決まったら、その人に生活してもらうためのお部屋だよ』
平助達が話していたことは本当だったらしい。
思わずそのドアの前で立ち止まる僕に、彼女は不思議そうに顔を向けた。
『総司?』
「この部屋は見てもいいの?」
『うん。でも今は誰も住んでないから最低限の家具以外は何もないけど』
そう言ってドアを開けてくれたから中を見てみると、調度品は少ないながらも落ち着いた広い部屋だった。
中へと進むと、これもまた噂通り右奥にドアがあって、これはセラの部屋に繋がるドアではないかと考える。
「このドアは?」
『そこは私の部屋と繋がるドアだよ』
「本当にこういう造りになってるんだね」
『知ってたの?』
「うん、平助達が前に話してたんだ。皆もこの部屋に来たりしてるの?」
それに、君の部屋にも。
僕はほんの数秒見せてもらっただけだけど、セラの部屋の中に入らせてもらった人もいるんじゃないかと少し面白くない感情が胸を渦巻く。
「お嬢様、お話中申し訳ありません。今少しお時間宜しいでしょうか?」
『うん、大丈夫だよ。どうしたの?』
「明日のピアノのレッスンのお時間のことなのですが」
侍女の一人に呼ばれたセラは、「ここでちょっと待っててね」と僕に言い残して部屋から出て行く。
専属騎士専用の部屋をゆっくり見て周り、いずれ誰かがここで生活することを無意識に考えていた。
「まあ、僕ではないだろうけど」
皆が専属騎士を切望するのは当たり前だ。
一部の人間しか自由に出入り出来ないこの場所に立ち入ることが出来て、こんな良い部屋にも住まわせて貰えるんだから。
何より護衛対象があの子ときたら、目指さない理由がない。
先日までは皆の専属騎士を狙う動機が不純なものに感じられて面白くなかったけど、いくらひた隠しにしていても惹かれずにはいられなかった。
それに何より、この扉一つ隔ててセラの部屋がある。
そう思えば、いずれ他の男がここに住むことを想像するだけで明確な嫉妬心が胸を襲った。
その理由は意外にも、一度自分の意志で護ることに決めたあの子を、これからも自分の手で護りたいだなんていう子供じみた使命感が僕の中にあるからだけど。
逸れ者だった僕を光のある世界に掬い上げてくれたセラを大切にしたいと思う想いは、自分の中で驚く程純粋なものだった。
とは言え、今のままでは過去の汚点の面でも候補者に入れてもらえるかすら分からない。
ようやくスタート地点に立ったばかりの僕にとって、遠く険しい道のりだった。
それに一番気掛かりなのは、僕が志願してもあの子に嫌がられるのではないかということだ。
剣術の腕だけで判断されるわけではないと聞いた時、自分の選んできた過去の選択が大きな足枷となっていた。
でももしセラが目指してもいいと言ってくれるなら、僕はきっと死に物狂いで頑張れる。
誰よりも強い騎士になってみせるよ。
そんな未来があればどんなにいいかと思いながら、諦める気は毛頭ない自分に気付く。
あの子の笑顔を思い出しながら、これからのことについて考えずにはいられなかった。
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