6

星が見えるバルコニーは、僕にとって思い出のある大切な場所だった。
あそこから見える星空は格別で、以前セラも大好きだと言っていたこともあり、ただあの星空をあの子にも見せてあげたいと思っていた。
心なしが元気のないセラが、綺麗な星空を見上げることで少しでも元気になってくれたらいい。
そう思っていたけど、彼女の笑顔は終始どこか無理をしていそうで落ち着かない心情になる僕がいた。

だからこそ外に出て気分転換することも必要だろうと街に出掛けることを提案したものの、いざ街へ出掛けてみても、あの子の笑顔はいつもどこかぎこちない。
頑張って笑顔を作っているように見受けられたから、以前僕が言った言葉を気にしているのかもしれないと心配していた。
だからそのお詫びも兼ねてちょっとした贈り物をすると、セラはいきなり涙を溢し、そのまま意識を手放してしまう。
その泣き顔を見たら胸が痛むから、その夜はあまりよく眠ることが出来なかった。

そして迎えた次の日、セラは完全に体調を崩したらしく部屋から出てこなかった。
熱が出た彼女の為に、侍女さんが氷枕を持って行く姿を歯痒い気持ちのまま眺めることしか出来ずにいた。
でもあの涙の理由が何であっても、僕はあの子を一人にはしたくない。
彼女のために厨房でありったけの果物を用意してもらい、それを口実に彼女の部屋に行くことにした。


「セラ、果物持ってきたよ。入るからね」


有無を言わさない声掛けで部屋に入ると、セラはベッドの中で僕を見るなり瞳を揺らしている。
でも果物を見てお礼を言うと、少し照れくさそうに微笑んでくれた。


「体調はどう?やっぱり熱があったみたいだね」

『うん、でもちょっとだけだから大丈夫だよ。一昨日久しぶりに勉強したから知恵熱が出ちゃったのかも。昨日は迷惑掛けてごめんね……?』

「迷惑なんて掛かってないから気にしないで。僕こそ君が体調悪いことに気付いてあげられなくて悪かったよ」

『ううん、総司は謝らないで。それに出掛けてる間はちゃんと元気だったよ』


そう言って微笑む様子は、若干無理をしている雰囲気はあるのものの、いつも通りだ。
本当は色々考えていることがあるんだろうけど、セラはそれを悟られたくないのか、ずっとにこにこしている。


「これ、僕が食べさせてあげる」

『自分で食べられるよ?』

「いいから、このくらい甘えてよ」

『でも……なんだか悪いよ』

「前はよく食べさせてくれてたんだよ?ちょっとくらい、いいじゃない」


ちらりと僕を見上げたセラは、少し迷った様子を見上げながらもこくんと頷いてくれる。
口元に持っていくと素直にりんごを食べてくれるから、僕の頬は自然と緩んだ。


「おいしい?」

『うん、とってもおいしい……』

「良かったよ。あんまり無理しないで、辛い時は言うんだよ」


微笑んで頷いてくれるから少し嬉しく思ったけど、その瞬間にセラの瞳からぽろぽろと涙が溢れ落ちていく。
そしてそのまましゃくり上げて泣き出してしまうから、僕も思わず一度言葉を失った。


「……セラ?昨日から本当にどうしたの?」

『……ごめん……』

「何がごめんなの……?」

『……うっ……』

「もしかして食欲なかった?食べたくなかったらいいんだよ、無理しないで」

『……そうじゃ……なくて……』


泣きじゃくる様子を目の前に、だいぶ精神的に辛かったことが窺える。
でも愛らしい泣き顔やその言葉が彼女的には不本意でも僕の心を刺激してしまうから、伸ばした手でそっと彼女の涙を拭った。


「僕が何かしちゃった?」

『ううん、違うよ……総司のせいじゃなくて……』

「何かあるなら話してよ。君のためならなんでもするよ」

『総司にはもう、沢山してもらってるよ……』

「ほっとけないんだよ、君のことが心配なんだ。もしかして、前に僕が言ったこと気にしてるの?」


首を横に振ったセラは、尚も泣きながら悲しそうに顔を歪めていた。


「セラ、おいでよ」


腕を引いて半ば無理矢理だけど、腕の中に抱き締める。
熱のせいなのか、一生懸命に泣いているせいなのか、彼女の身体はいつもより温かかった。


『ごめ……なさい……』

「何に謝ってるのさ」

『この前から泣いてて……』

「いいんだよ。僕は君が僕の前で泣いてくれるのは嬉しいよ、隠れて泣かれる方が嫌だからさ」


色付いた頬を撫でるとようやく視線が合って、でもそれは直ぐに逸らされる。
少し動揺した様子が可愛らしいわけだけど、一昨日の僕の発言が引き金となって悩んでいるなら一刻も早く誤解を解きたいと思った。
セラはそのまま泣き続けたけど、暫くすると少し落ち着いたのか静かになる。
身体を離した僕をぼんやりと見つめる顔には、無理に作られた笑顔はなかった。


「少しは落ち着いた?」


頷くだけでそのまま瞳を伏せるこの子が何を考えているのか知りたかった。
僕を見て欲しくて頬に触れ、そのまま優しく髪を撫でると揺れた瞳がようやく僕を映してくれた。


「僕にだけ話してみない?セラが悩んでること、教えてよ」


頷いてくれたのに中々話し始めないセラは、どう伝えようか迷っている様子だった。
その頼りなさげな顔を見つめていると、小さい声で少しずつ話してくれた。


『総司や皆とね、どう話せばいつもの私らしいのかなってどうしても考えちゃうの。でも考えても分からないし……皆はいつも前の私の話をするけど、それも全然分からなくて……凄く心配になる時があるの。このまま思い出せなかったら皆にがっかりされちゃうのかなって……』

「そんなことないよ。どんな時だって君は君だし、誰もがっかりなんてしないよ」

『でも総司は私がこのまま思い出さなかったらやっぱり悲しいよね?変わっちゃったって……そう思うよね……』


心を見透かされているみたいで返す言葉に迷ってしまったけど、「思わないよ」と返す。
それを言われてしまうと正直辛い部分があってセラの言葉を待っていると、か細い声でセラが僕に話してくれた。


『別にそう思うのは普通のことだし、皆が私に気を遣って昔のことを話してくれてるって分かってるんだ。でも皆の気持ちが分かっちゃう分、何も思い出せない自分が嫌で……こうやって悲しくなるのも嫌なのに……凄く悲しくて……これからどうしていけばいいのか、自分でも分からないの……』


少しずつセラの本音が分かり安堵しながらも、この子なりに色々葛藤していたことも知り、愛らしい泣き顔を包むように手を添える。
小さな身体にそんなに重圧が掛かっていたことに気付きもしないで、より負荷を掛けるような言葉を言ってしまったことが悔やまれた。

そしてきっと土方さんはセラの生真面目な性格を知っていたからこそ、僕達にこの子のことを一番に考えてやれと言ったのかもしれない。
僕はどんなこの子であっても受け入れてあげるべきだったのに。


「ごめんね。君がそんなに悩んでるなんて知らずに僕は余計なことを言って君に負担をかけちゃったよね」

『ううん、総司の言葉は本当に嬉しかったよ。私のことを考えてそう言ってくれてるんだって分かったから、私も諦めたくないって思ったし総司の言う通りだと思った。でも……』


そう言って一度言葉を詰まらせたセラは瞳を潤ませ言った。


『ずっと思い出せなかったらって思うと怖いと思った。総司には悲しそうな顔はして欲しくなくて……気付いたら総司に嘘ばっかりついてた……』

「嘘って?」

『本当は……暫く一人でいたいって思ってたの……だって総司と出掛けるのは心配だった、一緒にいればいる程がっかりさせちゃうんじゃないかって……そう思ったら何を話せばいいのかも分からなくなっちゃって……』

「がっかりなんてしないよ、するわけないじゃない」


僕の言葉は聞いて頷いたセラは、涙を拭いながらまた次の涙を溢れさせる。
そして弱々しい声で、再びまた言葉を紡いだ。


『総司は沢山私に優しくしてくれて、昨日だってあんなに私を喜ばそうとしてくれてたのに……私、自分のことばかりで総司の気持ち……気付けなくて、ごめんなさい……』

「僕の気持ちって……?」

『ずっと……総司が少し寂しそうにしてるの、気付いてたの。でも、どうしたら総司を笑顔にできるのかわからなくて……総司の優しさにちゃんと向き合うことが怖かったの。でも……私が笑ったら昨日……総司も笑ってくれて……それが凄く嬉しかった……。だからね、前までの私とは違うかもしれないけど……これからはちゃんと正直に話すから、今の私のままもう一度総司と仲良くなりたい……』


話を聞いて、セラが自分のこと以上に僕や周りの人達のことを気にかけていてくれたことが分かった。
そして皆の気持ちになるべく答えようとして気疲れしていたことや、僕や周りの人達の話す以前までのセラの話がこの子を追い詰めてしまっていたことにも気付いた。
ずっとにこにこしてくれていたのも、楽しそうに話を聞いてくれていたのも、近藤さんの言葉に無理して従ったのだって、僕達のことを想うが故のセラなりの愛情だったのかもしれない。

それにセラだけでなくきっと僕もうまく笑えていなかっただろうから、知らず知らずのうちにこの子から自信を奪ってしまっていたんだろう。
それでも今のセラのまま懸命に僕と向き合おうとしてくれる彼女の言葉が嬉しくて、目の前のセラのことがまた一つ愛しくて堪らなくなった。


「セラが無理して笑ってるんだろうなってことは気付いてたよ」


僕の言葉を聞いてセラは揺らいだ瞳で僕を見つめる。


「気付いてたけど、僕もどうしてあげるのが正解なのかわからなくてさ。ただ何も考えずに楽しめれば少しは気が晴れるかなって思って街に誘ったんだ」


でも結局街に出掛けてもセラはずっと無理して微笑んでいた。
そうさせてしまった原因は僕にもあるだろうから、僕も改めて目の前のこの子に向き合うべきだと思った。


『それなのに、私……難しく考えて、ちゃんと笑えなくてごめんね……』

「ちゃんと笑えてなかったのは僕も一緒だよ」

『え?』

「セラはそれに気付いて、僕とどう話していいかわからなくなっちゃったんじゃないの?」


この子の元々の性格は変わっていない。
人を気遣える分、相手の僅かな変化にも気付ける子だからこそ、僕の態度や言葉に不安になってしまったのかもしれない。


『それは……当たり前のことだから。半年も探してくれたのに、記憶がないなんて誰でも悲しく思うよね』

「正直に話すと、最初は確かに驚いたし信じたくなかったよ。僕にはセラと過ごした大切な思い出が沢山あるし、君の中からそれが全部なくなってたって聞いた時はやっぱり悲しかったんだ」


出会った時のこと、想いが通じた時のこと。
僕を案じて涙を流してくれたことや、一緒にふざけて笑ったこと。
全てがあまりにも大切だからこそ、その現実を受け止めることが苦しく感じられたけど、本当に大切なのは記憶があることじゃない。
今僕の目の前にセラが生きていてくれることだと、その手を握った。


「でも、今は記憶があることよりも大切なことが何かちゃんと分かってるつもりだよ」


記憶がなくても、僕達がこうして同じ時間を過ごせる限り、またセラと絆を深めていける。
目の前にいる彼女は僕が好きなセラと何も変わらないとわかったから、握った手に力を籠めた。


「セラがここにいてくれることだよ。セラがこうして僕の傍にいてくれることが一番大切なんだ。本当にそう思ってるよ」


瞳を揺らしたセラは僕の言葉を素直に受け止めつつ、少しまだ不安そうな顔をしている。
その理由はきっと僕の今までの態度にも原因があったんだろうから、腹を割って話すべきだろうと再び口を開いた。


「最近確かに僕も元気がなかったかもしれないけど、別にそれは君に記憶がないからとか、君が変わったからとかじゃなくてさ」


この先の言葉を言っていいものか迷いはしたけど、セラはまだ不安そうに僕を見上げている。
だからこの子に抱えている不安が少しでもなくなればいいかと思い、最低限言えることは告げることにした。


「本音を言うと、記憶のない君が僕から離れて行ってしまいそうで心配だったんだよね。それで寂しかっただけなんだけど」

『え……?』

「だから……僕は君が変わらず僕と仲良くしてくれたら嬉しいし、それだけで元気でいられるってことなんだけど、わかる?」


セラはそこまで聞くと、少し意外だったのか僕を可愛い驚き顔で見上げている。
その顔を見たらここで止める気もなくなって、一番言いたかった言葉を彼女に伝えた。


「前の君と今の君、僕にとっては両方大切でどちらも護りたい存在なんだ。だから僕はどんな君でも好きだからね。それだけは絶対に変わらないよ」


真っ直ぐに伝えた好きという言葉はきっと本当の意味ではこの子に届いていないだろうけど、セラはようやくその瞳に光を宿してくれる。
少し頬を染めながら「本当?」と聞いてくるところは、愛らしいいつもの彼女だった。


「本当だよ。だから心配しないで、言い難いことも僕には言いなよ。ちゃんと力になるし、悲しい時は慰めてあげるから」


僕をじっと見つめるセラは、ようやく僕に心からの笑顔を見せてくれる。
なんだろう、懐いてくれなくなった子猫がまた擦り寄ってきてくれるみたいで無性に嬉しいと思ってしまう。


『ありがとう……。じゃあ私が前のこと分からなくても、もしずっとこのままでも、総司は嫌いなったりしない?』

「なるわけないよ。それに疲れたら疲れたって言っていいし、無理はしないでいいんだよ。君が幸せじゃないと僕も幸せじゃないってこと、ちゃんと覚えておいて」


セラにはまず、自分を一番大切にして欲しい。
それは僕にとっても一番大事なことだった。


『総司にそう言って貰えて凄く元気出たよ。だからこれからはあんまり考え過ぎないようにするね。でも何かあった時は、総司に色々相談してもいい?』

「勿論いいに決まってるじゃない。その為に僕がいるんだから甘えてよ」

『嬉しいな。私、総司がいてくれて良かった』


前に言って貰った言葉だったから、より嬉しくて僕まで笑顔になる。
勿論、この子に余計なことは言わないけど。


「じゃあセラはこれから僕と仲良くしてくれるって思っていいのかな」

『うん、総司が仲良くしてくれるなら』

「勿論するよ。多分僕はしつこいくらいに君に会いに行っちゃうかもしれないけど、それでもいいってことだよね」


笑いながら頷くセラの顔からは嫌がっている素振りはないから、取り敢えずは良しとする。


「じゃあ仲良くなれた記念に、僕がこれ食べさせてあげる」


ただ単に僕が食べさせたいだけだけど、セラは少し笑いながらも頷いてくれる。
切った苺を口元に運ぶと、少し恥ずかしそうに僕を見上げながらも美味しそうに食べてくれた。


『そう言えばお父様が言ってたこと……あれは違うんだよね?気にしなくて平気なんだよね?』


再び不安気に揺れた瞳を見て、この子にこんな顔はさせたくないと切に思う。
不確かなことで心配させる必要はないと思うから、その頭に手を置いて彼女に告げた。


「当たり前でしょ。あれは近藤さんが勘違いして暴走しちゃっただけだよ」

『良かった……、それも心配だったの』

「確かにあんな言われ方したら心配になっちゃうよね。でも大丈夫だよ、セラは何も心配しなくていいです」


頭に置いてた手を更にぐりぐりしてみると、嬉しそうに笑ってくれる。
一時は本当に嫌われたかもしれないと焦ったけど、ようやく少し距離が縮められたみたいで僕も再会して初めて心が落ち着いた気がしていた。


「さ、果物で栄養摂って早く治さないとね」

『元気になったら、私もう一回総司とお出かけしたい。昨日のやり直し、してくれる?』

「勿論いいよ、楽しみにしてて」

『ふふ、ありがとう』


セラは一度心を開いてくれれば、こんなにも可愛いく微笑んでくれる僕の大切な人だ。
小指を絡めて他愛ない約束をしながら、新しい絆を作っていく僕達だった。


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