7
今日一日を思い出しながら、私は寝る支度を整える。
施されたお化粧も今では綺麗に洗い流され、いつもの少し幼い私が鏡に映っていた。
『はあ……』
人の気持ちを読むのは難しい。
それは総司にしても土方さんにしても言えることで、今日土方さんと話すまで、あの人が考えていることを私は全く知らなかったことに気付いた。
大人の余裕というものか、目先のことで頭がいっぱいになる私とは違って、ずっと先を見据えていた土方さん。
そんな彼に結婚のお断りをしようと思っていたけど、彼の言葉を聞いて今の時点で断る理由が私の中でうまく浮かばなくなってしまった。
好きだ何だという感情だけで相手を選べない可能性のある私には、彼の言っていた通り、いつかお父様が見初めた相手の中から結婚相手を選ばなければいけない日が来てしまうのかもしれない。
私がいくら総司を好きだとしても、その気持ちを言ったところで土方さんにとっては些細なことにしか過ぎないのだろうと思った。
それに私にとっては総司も何を考えているのかよく分からない。
私を女の子として大切にしてくれているのか、ただの護衛対象として優しくしてくれているのか、今の私には判別が出来なかった。
だって私は総司のように、気軽に好なんて絶対に言えない。
いざ言おうと決心しても、結局最初の文字すら声に出すことが出来なかった。
だからこそ私が勘違いしてこの気持ちを告げてしまえば、きっと総司にとって重荷になる。
この関係も壊れてしまう可能性を考えれば、その一歩を踏み出す勇気をまだ持つことが出来なかった。
それなのに、今日の総司はどこか元気がないように見えて胸がいつになくざわめいてしまう。
もしかしたら私が婚約することで、専属騎士を解任されることを不安視している可能性もあるのかと思えば、私は誰とも結婚なんてしたくないと思ってしまった。
『総司、入ってもいい?』
ドアを叩いて、今夜も総司が開けてくれるのを待つ。
直ぐにお風呂上がりの総司がドアを開けて私を迎え入れてくれるこの瞬間が、堪らなく幸せだ。
「どうぞ、待ってたよ」
『ありがとう』
「今飲み物作るから座ってて」
『良かったら今日は私に作らせて欲しいな、総司はゆっくり座ってて』
少し元気のなさそうな総司には、この時間からは専属騎士の職務を忘れてのんびり過ごして欲しい。
彼の背中を押して座って貰うと、私はボードの上でマグに柚子ジャムを入れてはちみつを少し垂らした。
「僕がやるから別にいいのに」
『たまには私が作りたいの。総司もこの時間は専属騎士おやすみね?』
「はは、そうなの?」
『うん。だからこの時間は総司は総司として過ごして』
「僕はいつも僕なんだけどね」
言ってしまえば、公女や護衛対象としてではなく一人の女の子として見て欲しいという意味でもあるけど、中々うまく伝えられない。
ストレートに言うのは恥ずかしいと思ってしまう私の言葉に、総司は眉尻を下げて微笑んでいた。
『できた』
二つ並んだ柚子はちみつは、柑橘系の良い香りを放って気持ちに安らぎを与えてくれる。
トレイに載せて後ろを向けば、総司が微笑んでくれるから嬉しくなって少し私の足は早歩きになった。
けれど総司まであと少しという距離で、片側のスリッパが急に脱げて、それに蹴躓くことに。
総司は目を見開き咄嗟に私に手を伸ばしてくれたけど、総司が支えてくれたのは私の身体で、トレイから落ちた柚子はちみつは思い切り総司の頭や身体に降り注がれた。
「うわっ……、あっつ……!」
『あ、ごめんっ……』
座る総司の上、二つのマグの中身は殆ど総司にかかってしまったらしい。
頭からポタポタと薄オレンジ色の液体が零れ、総司はその場で呆然としていた。
『あ……総司、本当にごめんなさい……。今拭くね、火傷はしてない?』
ボードに置いてあるタオルで総司の髪と顔を拭いても、酷いくらいベトベトしている。
もう一回お風呂に入らなくてはならないことは私にも分かるから、疲れている総司に申し訳なくて思わず下唇を噛み締めた。
「火傷なんてしてないから大丈夫だよ。セラにはかかってない?」
『私は総司が支えてくれたから大丈夫だったけど……、本当にごめんね。もう一回お風呂入るようだよね……』
「別にそんな気にしなくていいってば。君にかかってなくて良かったよ。僕、ちょっとお風呂入ってくるね」
『うん……。本当にごめんね、ここは拭いておくから』
「ははっ、気にしないで。ありがとう」
溢したのは私だから、総司がありがとうなんて言う必要ないのに……。
そもそもお風呂上がりにあんなに熱くてベトベトする飲み物を頭から掛けられたら、物凄く嫌だった筈。
少しくらい怒られることは覚悟していたのに、総司は嫌な顔一つしないから余計に心が苦しくなってしまった。
それに以前平助君が総司の服に紅茶を零した時、総司は平助君を睨み付けて結構怒っていたけど……。
専属騎士だからという理由で、色々我慢させてしまっていたらどうしよう。
「ただいま」
『総司、ごめんね。お風呂二回も入ることになっちゃって……』
「大丈夫だって言ってるでしょ。僕は何も気にしてないんだから、セラも気にしなくていいですよ」
私の目の前まできて頭をぐりぐり撫でてくれる総司は、優しく微笑んでくれている。
その顔を見ればやっぱり大好きだと思ってしまうから、駄目な私だけどもう少し総司と一緒にここにいたいと思う。
『これね、私の使ってるタオルなんだけど凄く吸水率がいいんだよ。髪、拭いてあげるね』
ソファーに腰掛けた総司の横に立って、まだ濡れている総司の髪を優しく拭く。
少し瞳を細めながらも気持ち良さそうに微笑んでくれるから、私も自然と笑顔になった。
『うん、だいぶ乾いたよ』
「本当だ、早いね」
『便利だよね。これ総司にあげる、洗濯に出してまた使って』
「いいの?ありがと」
この程度のことでさっきの失敗はなかったことにはならない。
淑女らしい振る舞いから程遠い行いをしてしまった自分に辟易する。
以前までの私は、こんな失敗をすることもなかったのかなって、思わず考えてしまう私がいた。
「今日はどうだったの?土方さんと」
総司の隣に腰掛けた私に、総司はそんなことを聞いてくる。
総司のことが好きな分、他の男の人ことを話すのは複雑で、どう答えるべきなのか一生懸命言葉を探してしまった。
『テラスでお茶して、お城を案内させて頂いて、その後は少し庭園でお話したよ』
「ああ……、庭園で手を出されそうになってたしね」
『あれは……土方さんもふざけてただけって言ってたから』
「そう?僕がこなかったら完全にされてたと思うんだけど」
『そんなことないよ……。それに万が一の時は、私だってちゃんと拒むから』
「君はまんまと手を出されそうだけどね。そもそもあんな拒み方じゃ、逆に煽るだけで全然駄目だと思うよ」
『でも、前の時だってちゃんと拒めたから……』
そこまで言って咄嗟に言葉を止めたけど、もう遅かったのか総司の眉はぴくりと動いた。
「前の時……?まさか前にもああいうことあったの?」
『あ、違うよ……、前の時は今日みたいな強引な感じじゃなくて……』
「まさかそのままされたわけじゃないよね?」
『うん、してないよ……。好きな人としか絶対にしたくないもん』
好きな人と唇を重ねる感覚がどういうものなのか私には分からないけど、言いようのない憧れがあった。
多分とっても幸せで心が満たされる行為なんだろうなと思うから、一回一回を大切にしたい。
特に初めてのキスは、絶対に忘れられない思い出になる筈だ。
「されてないなら良かったけどね。でも君は土方さんのこと好きなんじゃないの?」
『土方さんはお兄様みたいな存在だから、全然そういう感じとまた違うよ……』
「ふーん。そのこと、土方さんは知ってるの?」
『今日ちゃんとお伝えしたよ。でも土方さんは私よりずっと大人で考え方が違うみたいで、そういうことはあまり気にされてないみたい。最終的に選んで貰えたらいいから、候補に入れておいてくれ……みたいな感じだった』
「最終的に、か」
総司は私を見ずにそう言った後、そのまま何も話さなくなる。
私も何を話して良いか分からなくて、部屋の中はしばらく沈黙が続いていた。
「まあ、土方さんくらいになるとそうなのかもね。つまり最終的に選んで貰えれば、その途中に君が他の男と関係を持ってても構わないってこと?」
『そこまでは話してないから分からないけど……、そういうことなのかな?』
「僕には土方さんの考えが分からないから何とも言えないけどね。ただ単に君に気負わせないようにそう言っただけかもしれないし。ただ僕だったら好きな子が他の男とそういう関係になったら絶対嫌だし、最終的に選んで貰えればいいなんて理解あることは絶対に言えないな」
いつになく真剣に話す総司の横顔からは、その言葉に感情が込められているように感じられる。
そして総司に好きになってもらえた子は、きっと愛されて幸せなんだろうなと考えたら、羨ましくて仕方がなくなってしまった。
「まあ、土方さんのことなんてどうでもいいけどね。さ、そろそろ寝ようか」
『……うん、そうだね』
明日から私達の生活は今よりずっと忙しくなるだろう。
総司の任務が始まれば、公爵邸に戻ってからは別行動になることもあるらしい。
二人の時間が持てなくなるかもしれないと思うと、ただ悲しいと思った。
本当はもっと総司と一緒にいたいし、離れたくない。
これが人を好きになることだとしたら、恋愛は楽しいことばかりではないのかもしれないと初めて知った。
「大丈夫?ぼんやりしてるけど疲れちゃった?」
考え事をしてたら、ついソファーに座ったままになっていたことに気付く。
慌てて立ち上がって、目の前の総司に微笑みを向けた。
『ううん、全然疲れてないよ。総司こそ今日はゆっくり休んでね』
「セラもね、朝声掛けてよ」
『うん、そうさせて貰うね。おやすみなさい』
「おやすみ」と言って微笑む総司に微笑みを返し、総司の部屋から出るこの瞬間が、一日で一番寂しい時間。
閉めたドアを振り返って見つめて、暫くそのまま立ち尽くしてしまった。
近いようで遠くて、もどかしくなる。
それでも色々なことが心を縛り、この気持ちのやり場を見つけることが出来なかった。
でも私はやっぱり総司が好き。
今日も明日もその先も、あの人以外考えられないと心が訴えているようだった。
だからもう少し自分に自信が持てたら、いつか総司に伝えたい。
どうかこの想いが幸せな結末を迎えることが出来ますようにと祈りながら、優しい総司の微笑みを思い浮かべる私がいた。
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