7
星祷祭、それは二年生以降が参加出来る年に一度の催し物。
夜会に慣れる為の準備として設けられたその催しは、食事をしたりワルツを踊ったりしながら生徒同士が交流を深められるよう開催されるものだと聞いた。
だから本来は顔見知りではない人と行くべきなのかもしれないけれど、気心の知れたはじめがエスコートしてくれることに、内心安堵してしまう私がいる。
そしてそれはきっと千ちゃんと総司も同じで、そのことに深い意味がないのは分かっていた。
それでも皆の話を聞いたら少し悲しくなってしまうから、自分で自分が嫌になる。
この気持ちは絶対に気付かれたくなくて、あの時は反射的に総司から視線を逸らしてしまっていた。
「セラ」
終礼が終わり帰り支度をしていると、総司が少し申し訳なさそうな顔で私を呼ぶ。
先程ついあからさまに目を逸らしてしまったかもしれないから、取り敢えず笑顔で総司を見上げた。
『総司、もう帰る?』
私の様子に少しほっとしたような表情を浮かべる総司を見て、気を遣わせてしまったことを申し訳なく思う。
小さなことをいちいち気にしてしまう自分の余裕のなさを恥ずかしく思った。
「帰りたいんだけど、今日の選択科目でまだ提出出来ていないのがあってさ。それを済ませてからじゃないと駄目なんだ。今日はこの後レッスンあるよね?それまでに終わりそうにないから伊庭君と平助と先に帰っててくれる?」
総司が一人になったら、また女の子達に沢山声を掛けられるのかなと考えてしまう私がいる。
最近の私は、ずっともやもやしていて、それが幼稚な嫉妬心だということはとっくに自覚していた。
総司は別に女の子達と親しくしているわけではないから、気にする必要なんてないのに、どうしても無理みたい。
総司が私を護衛対象や友達ではなく、一人の女の子として大切に思ってくれたらいいのにと願わずにはいられなかった。
「セラ?」
私に手伝えることがあれば手伝うよって、そう言いたいのに上手く言葉が出てこない。
でもそんな私達のところに千ちゃんが来たから、その言葉は完全に喉の奥へと飲み込まれていった。
「沖田君、早く課題終わらせに行きましょ?」
「ああ、うん。今行くよ」
「セラちゃん、また明日ね」
『うん、二人とも頑張ってね。千ちゃん、また明日』
私がそう言った時、平助君と伊庭君に呼ばれて三人でお城へと帰ることになる。
馬車の中、景色をぼんやり眺めていると、不意に伊庭君が声を掛けてきた。
「学院にはもう慣れましたか?」
『うん、今はすっかり慣れてきて楽しいよ。課題は多いけど、授業も分かり易いし伊庭君が休暇中に教えてくれたから授業にもちゃんとついていけてる気がするの』
「それは良かったです。何か力になれることがあればいつでも声掛けて下さいね」
『ありがとう、そうさせて貰うね』
「そう言えば藤堂君は、沖田君と同じ選択科目をとっていましたよね。今日は残らなくて良かったのですか?」
「ああ、今二人一組でやっててさ。俺はもう提出出来たから残る必要ねーんだ。総司と千はなんか二人ですげー凝ったのやってるから時間かかってるんだと思う」
二人の会話に頷きながらも、千ちゃんと総司が意外に仲良いことを知った。
思えば私の記憶がなくなったばかりの頃、千ちゃんを送って行った総司と二人で私のことを話していたよね。
総司は千ちゃんには心を許しているのか普通に優しいし、よく楽しそうに話もしている。
だから星祷祭で総司が千ちゃんを選ぶのは当然のことで、私だって大好きな二人が仲良くするのは嬉しいことでもあった。
でもそんな気持ちとは裏腹に、ずっと心が苦しくてあの二人が手を取り合って一緒に踊るところを見たくないと思う私がいる。
大切な人達にこんな気持ちを抱きたくなんかないのに、自分ではどうにも出来ない感情が心を暗い色に染めていくようだった。
暫くしてお城に到着し、稽古があるという平助君と伊庭君と別れた私は、一人ヴァイオリンのレッスンを受ける。
なくなってしまった記憶を少しでも取り戻す為にも懸命に演奏し、先生に褒めて頂けると嬉しかった。
そして部屋に戻り明日の予習をしていていたけど、今日は上手く頭に入らない。
気分転換に外で勉強をしようと思い立ち、教科書とノートを片手に庭園へと足を進めた。
『気持ち良い……』
もうすっかり陽が伸びて、夕方でも外は明るい。
気温は夏に向けて温かくなり、風が少し強めな今日は涼しくて心地良かった。
暗記科目はそこまで得意ではないから、コツコツ勉強を続けることが大事。
キリスト教の歴史や聖書の重要箇所を復唱し、何度も何度もそれを繰り返した。
そして少し疲れてきた頃、ふと視線を向けた先には低木が続く場所がある。
それは以前総司がシロツメクサの指輪を作ってくれたところだったから、思わず誘われるようにその場所に足を踏み入れた。
隠れ家みたいなその場所にはシロツメクサがまだ沢山咲いていて、思わずしゃがみ込んだ私は持っていたノートを膝に乗せて、その花達を眺めた。
この花が好きだと言った総司の言葉を思い出すと、私もこの花が大好きになるから不思議。
可愛いらしいのに一生懸命咲いている姿が愛おしくて、そっと指先で触れてみた。
そして花の下にクローバーが沢山咲いていることに気付き、シロツメクサの葉っぱがクローバーなのだと、今初めて知った私がいた。
『あ、凄い。四つ葉のクローバーだ』
四つ葉のクローバーには、幸運と私のものになってという二つの花言葉があるらしい。
このペンダントが誰からの贈り物か気になっていた頃、調べたことがあったから覚えていた。
お父様からの贈り物ではなかったから、結局誰からの贈り物かは分からないままになっているペンダント。
もしかしたら総司が贈ってくれたものかもしれないと、この時初めてその可能性を頭に思い浮かべた。
でも、もしそうだとしたら総司はきっと教えてくれているのかな。
私の願望がそう思わせてしまっているだけかもしれないと、少し自嘲気味た笑みを溢した。
でもちょうどその時、晴れた空からポツポツと大粒の雨が私の上へと降ってくる。
お城に戻ろうと立ち上がったけど、膝に乗せていたノートの存在を忘れていたから、それはばさりと広がってシロツメクサの上に落ちてしまった。
『あ……』
シロツメクサが潰れてしまったら悲しいから、再びしゃがみ込んでノートを拾う。
すると今より少し前のページが開かれて、そこに書かれた以前の私が描いただろう落書きに思わず少し笑ってしまった。
だってそこには可愛いらしい人形のような絵が描かれていて、鼻のない絵なのに、それが総司と平助君、伊庭君だとはっきり分かる。
簡易的な絵だけど、平助君は髪が立っているし、伊庭君は髪がちゃんと長めで緩く巻かれている。
総司に至っては少し口が斜めで、悪戯な笑顔を浮かべている様子が上手に描かれていた。
『ふふ』
本当の私に戻ることばかり考えていた今の私は、前までの自分をどこか遠い存在のように感じていた。
同じはずなのに今の私とは違う、立派で自信のある私だと思い込んでいて、それがずっと少し苦しかった。
でも記憶をなくす前の私も、今の私と同じように机に向かって勉強をして、飽きてくるとこんなふうにノートの端に小さな落書きをしていたんだと分かると、なんだか少しだけ親しみが湧く。
こんな落書きを見つけただけで、ふと肩の力が抜けて、完璧じゃなくてもいいのかもしれない、無理に背伸びをしなくても今の私のままで少しずつ前に進めばいいのかもしれないと、思うことができた。
また落書きが出てくることを期待して、雨に濡れるのも気にしないで、一ページ、また一ページと捲っていく。
途中途中で様々な絵が出てきたけど、更に次の絵が出てきた時、私の指先は少し震えてそっとその絵を撫でていた。
『これ……』
そこに描かれていたのは、横顔の男の子と女の子が向かい合ってキスをしている落書き。
ハートが一つ描かれて、名前の頭文字が記されているその子達は、他でもない私と総司だった。
『前の私も同じだったんだ……』
記憶がなくなってから、毎日ずっと不安だった。
まるで自分が出来損ないの半端者みたいで、こんな私が誰かを好きになったり勝手な感情を持つべきではないのだろうと思っていた。
だから総司への想いも抑えないと駄目だと言い聞かせてきたのに、どうしても無理で大好きで。
でもこのノートを見て、前の私も総司が好きだったことがようやく分かった。
以前の私も今の私と同じように総司を想ってドキドキしたり不安になったりしながら頑張って生きていたのだろうと思えば、初めて以前の私が愛おしく感じてしまう。
そしてその頃の私の気持ちを抱き締めるように、手元のノートを抱き締めていた。
『……ぐすっ……』
私は私のまま変わらない。
総司を好きでいても良いんだと分かり、ようやく素直な気持ちのまま生きていくことが出来る気がする。
たとえ記憶が戻らなくても、私の選択は他でもない自分の選択なんだと信じることが出来た。
そして伝えたくても伝えられないまま消えてしまった以前の私の想いを、今の私が引き継げたことが本当に嬉しくて堪らない。
そして総司を想うのと同じくらい切なくて、色々な感情が入り混じった涙が、雨と一緒に私の頬を濡らしていった。
「セラ……っ」
いつの間にかその場で座り込んでしまった私に、いつの間にお城に戻ってきたのか総司が走り寄ってくる。
そして制服のブレザーを脱ぐなり、私の頭の上にそれをやさしく乗せてくれた。
「なんで泣いてるの?何かあった……?」
雨はまだ降っている。
けれどもうすぐ止もうとしているのか、初夏の訪れを意識させるような綺麗な太陽の光が辺りに降り注いでいた。
風が庭園の花弁を散らし、総司の肩に木漏れ日が揺れていて。
何も覚えていない筈なのに、私はこれに似た光景を見たことがあると本能が告げていた。
こんなにも懐かしくて愛おしいのは、以前の私が総司を大好きで堪らないと胸を焦がしながら、この場所でこれに似た景色を見ていたからだろうと私の中の大切な想いが伝えてくれている気がする。
そして今、同じように総司に思い焦がれた私が、この気持ちを彼に伝えたくて堪らないと思いながら、この夏のはじまりの日を新たに心に刻もうとしていた。
ページ:
トップページへ