8

放課後、セラを護衛出来ないことに落ち着かない心情になりながら、急いで課題を仕上げ帰路に着いた。
城に戻ればセラが無事ヴァイオリンのレッスンを受け終えていたため、取り敢えず安堵の息を一つ。
城内に見当たらなかった彼女の姿を探して、よくセラと行く庭園を目指すことにした。

セラは今、何を考えているんだろう。
あの子の記憶がなくなってからは毎日が手探りで、どうしたらあの子が笑って過ごしてくれるのかそればかり考えている気がする。
別れ際、僕を見つめる瞳が寂しそうに見えてずっと気になって仕方がないわけだけど、兎に角今セラに会いたい。
会えばこの言いようのないもやもやとした心情は、少し晴れてくれるような気がしていた。

いつの間にか雨が降り始め、太陽の光が粒を綺麗に見せている。
庭園でセラの姿が見えないことに肩を落とすも、よく座るベンチの上に彼女の物だろう教科書が置かれたままになっていることに気が付いた。
歩みを進めていくと、奥の方で鼻を啜るような音が聞こえて、誘われるようにその場へと向かってみる。
すると木漏れ日の下、愛らしい顔を頼りなく歪ませたセラはその場で一人涙を流していた。


「セラ……!」


思わず駆け寄ると、彼女の身体も髪も雨に濡れてしまっている。
その様子から長いこと雨の下にいたことが窺えたから、その身を案じて雨を凌げるよう着ていたブレザーを彼女に掛けた。
こんな場所に座り込んで、何故かノートを抱き締めているセラは、驚いた様子で僕を見上げていて。
その久しぶりに見る愛らしい泣き顔は、また僕の心を掴むかのように儚くとても綺麗だった。


「なんで泣いてるの?何かあった……?」


伸ばした手が頬に触れると、雨と涙で指先は濡れる。
でも伏し目がちな瞳から再び溢れてきた水滴が僕の手の甲も濡らすから、僕の温もりを素直に受け入れてくれるこの子に、何をしてあげられるのかと真剣に考えていた。


「何かあったら何でも僕に話す約束でしょ?どうしたの?」

『ううん、何もないよ』

「何もなかったら泣いたりなんてしない筈だよ」

『本当に何かあったわけじゃなくて……』

「じゃあどうして雨の中、こんなところにいるのさ。風邪引いたらどうするの?」

『……これだと総司が濡れちゃうよ?ブレザー返すね』

「駄目だよ、君が使って。それにほら、もうすぐ雨も上がるみたいだよ」


元々明るかった空がより一層明るくなって、沈む前の力を振り絞るように太陽が明るく照らしている。
木陰になったこの場所は木漏れ日がきらきら輝いて、空を見上げたセラを綺麗に照らしていた。


「取り敢えず、その濡れた身体をどうにかしないとね」


風邪でも引いたら大変だ。
部屋に戻って落ち着けば、この子も泣いていた理由を話してくれるかもしれない。
そう考えてセラの手にそっと自分の手を伸ばすけれど、手が触れると僅かに目を見開いたセラは、何故かその場から動こうとしないまま僕を見上げていた。


「セラ、行かないの?」


繋いだ手の指先がどちらからともなく絡められると、以前の僕とこの子の思い出が蘇る。
それはもうずっと前のような気もするけど、いまだ鮮明に残っていた。

今日のような夏の日差しが降り注ぐ中、この場所だけは木漏れ日が揺れていて、光る日差しの下のセラがとても綺麗で。
初めて想いを伝えた時の緊張と喜びは、今でもずっと心に在り続けている大切な思い出だった。

あれから色々なことがあって、僕達は奇跡的に二度目の人生を送っているけど、僕は変わらず君が大好きだから、こうして傍にいるだけでこの心は精一杯君で満たそうとしてしまう。
未来の前に手足が竦んだ時だって、君の声が僕の心を解いてくれたことも鮮明に蘇ってきた。


『総司、あのね』


聞き心地の良い柔らかい声が、僕の名前を呼んでくれる。
目の前のセラが僅かに頬を染めているから、僕の心音も早くなった。
彼女の指先に僅かな力が加わると、その視線がようやく重なる。
涙に濡れた瞳は、ただ真っ直ぐ僕だけを見つめていた。


『私、総司が好きだよ。専属騎士としてとかじゃなく、本当に総司のことが大好きだよ。こんなことを言ったら総司を困らせちゃうかもしれないけど、それでもどうしても伝えたかったの』


目を見開いた僕を目の前に、セラは精一杯の様子で僕を見つめている。
細い指先は僅かだけど震えていて、きっと怖い気持ちを懸命に抑え込み僕に気持ちを告げてくれたのだと分かった。
まさかセラの方から伝えてくれるなんて思ってもみなかったから、驚きから直ぐに言葉は出てきてくれない。
嬉しくて、そしてこの子の気持ちに精一杯の愛情を返したくて、僕は繋いだ手にもう一つの手を重ね合わせた。


「ありがとう。そんなふうに言ってくれて、凄く嬉しいよ」


不安そうに僕を見上げたセラはもう殆ど涙目で、その顔が可愛くて堪らなくなる。
記憶をなくしてもまたこうして僕を選んでくれた彼女が愛しくて、どんな言葉でも伝え切れないくらいだ。


「僕も……セラが好きだよ、他の誰でもなく君だけが大好きだ。君が記憶をなくす前も、記憶がなくなってしまった後も、僕はずっとセラのことが好きだったよ」


今度はセラが大きな瞳を揺らして、唇をきつく結ぶ。
まるで信じられないと言わんばかりの表現で僕を見上げながら、小さな声で呟いた。


『それ本当……?』

「本当だよ。シロツメクサの指輪を渡した時、君は好きな子以外に言ったら駄目って言ってたけどさ。あれ、僕は本気だったんだけどね」


大真面目に告げた言葉はあの時は伝わらなかったけど、こうしてシロツメクサが咲き誇るこの場所で気持ちが通じ合えたことが嬉しい。
再び涙を溢す彼女の頬を拭って、ようやくまたこの子を抱き締めることができることに喜びを感じていた。


『嬉しい……』


セラは、感極まった様子でそう呟くと顔を俯かせて唇をきつく結ぶ。
いまだ肩も唇も僅かに震えていて、どれほどの勇気を振り絞って伝えてくれたんだろうと思えば、言葉では言い表せない愛しさがまた心に積もった。


「ごめんね。本当は僕から言ってあげられたら良かったんだけど、君を困らせるのは嫌だったし、まだ僕自身にも自信がなかったからさ」

『私も同じだよ。でも今言わないと後悔するって思ったの。それにこの場所で総司に言いたいって思ったから』

「この場所で?」

『相変わらず何も思い出せないのは変わらないんだけどね、でもここで何か大切な思い出があった気がしたの。今日みたいに夏の太陽がきらきらしてて、木漏れ日が総司の肩で揺れてて……総司の顔を見たらどうしても今伝えたいって思ったんだ』


僕が思い浮かべた一度目の世界でのことを言っているのだとしたら、例え記憶がなかったとしても心の奥深いところでは僕とのことを全て覚えてくれている気がして抱き締める腕に力を込めた。


「本当に嬉しいよ、セラが振り向いてくれるのをずっと待ってたしね」

『私もだよ。私はずっと総司に女の子として見てもらえてないと思ってたから』

「どうして?君のことは誰よりも女の子扱いしてると思うんだけど」

『それは私の専属騎士だからかなって思ってたよ。それに総司は私のことからかってばっかりで、いつもただ遊ばれてるような感じだったから……』


意識して欲しかったのと、ただこの子に近付きたかったから本能のまま動いてしまっていた部分はあるけど、僕なりに愛情表現はしてきたつもりだった。
それが裏目に出ていたことに苦笑いを溢したけど、頬を撫でる僕を見上げたセラは訝しげな瞳を向けてきた。


「それは君が可愛いくてつい意地悪したくなっただけだよ。だから全く伝わってなかったとしたらちょっと驚くかな。僕は君に好きだって気持ちを口に出してたし、いつだってこんなに君のことが好きなのにね」

『それが本当なら、とっても嬉しいよ』

「本当だよ。だからもう泣かないで」


泣いた顔も可愛いけど、笑った顔が一番可愛いから、君を笑顔にできるならどんなことでもしたいと思う。
それが僕の役目であり僕の願いだ。


『うん、もう悲しくないから大丈夫』

「さっきはどうして泣いてたの?」

『さっきのはね』


そう言い掛けて一度黙ったセラは、次の瞬間には悪戯に微笑んで「内緒」と言った。


「なんでさ、教えてくれないと気になるよ」

『総司に気にしてもらえるのは嬉しいから、余計に言わない』


可愛いらしい返しに思わず笑ってしまったけど、頬に触れ、額をこつんと軽く合わせてみるとセラは目を一度ぱちばちさせた後少し照れくさそうに笑っている。
見つめ合った先、その瞳が揺れたのと同時に顔を寄せると、僕達の唇は今まで触れ合えなかった時間を埋めるかのように、優しく重なった。


『……ん……』


触れるだけでは物足りなくて、セラを引き寄せるなり何度も何度も甘噛みするようなキスを繰り返す。
僕のシャツを掴んだセラの指先には力が入り、唇が離れた時には彼女の頬はすっかり紅潮していた。


「セラ、大好きだよ。だからあんまり心配しなくても大丈夫だよ。それに何か言いたいことあれば直ぐに話して」

『ありがとう……。私も総司が大好きだよ、これからは心配しないようにするね』

「これからはってことは何か心配だったの?」

『それは……少し。だって総司には沢山の女の子が会いにくるし千ちゃんとも仲が良いみたいだから、いつか総司が他の女の子を好きになったらどうしようって最近そればっかり考えちゃって……』


「考えたくなくても、これはもう仕方ないことなの」と眉尻を下げてそう溢すセラが可愛らしくて、思わず僕の口元が緩んでしまうのも仕方ないことだと思う。


「随分可愛いこと考えてくれてたんだね」

『可愛いことじゃないよ、どちらかというと醜い嫉妬だもん……』

「セラが僕を想って嫉妬してくれるなら、僕からとっては可愛い以外の何ものでもないんだよ。だから存分にやきもち焼いていいよ」

『ええ?やだよ、あんまりやきもち焼かせないで欲しい』

「僕は君にしか興味ないし君しか見てないよ。だから僕を信じて」


笑顔で頷くセラを目の前に、ただまたこうして躊躇いなく手を伸ばせることが嬉しいと思う。
そしてまた僕を選んで貰えたことが僕の中で自信に繋がるから、万が一記憶が戻らなかったとしても、セラとならまた一から良い関係を築いていけると思うことが出来た。


『違ったらごめんねなんだけど』


セラは僕を見上げると、そっと首元のペンダントを手に取る。


『もしかして、このペンダントをくれたのって総司だったりする?』


記憶がなくなってからも、どうしてかセラはいつもこのペンダントを身につけてくれていた。
その理由を彼女に尋ねたことはなかったけど、まさか僕からだと気付いてくれるとは思ってなくて思わず目を見開いた。


「凄いね、どうして分かったの?」

『やっぱりそうだったんだ。嬉しいな、何となくさっきそうかなって思ったの。ほら、見て?』


セラは愛らしい声で僕を誘うと、足元を指差して見せる。
そこには当たり前にシロツメクサが広がっているわけだけど、よくよく見るとその葉っぱの一枚が四つ葉になっていた。


『さっきね、四つ葉のクローバーを見つけたの。それで総司がシロツメクサが好きって言ってたことを思い出して、そうかもしれないって思ったんだ』

「ああ、なるほどね」

『あとスフェーンは七月の誕生石だけど、ずっと前から総司の瞳の色に似てるなって思ってたの』

「はは、目の色は関係ないよ。でも名推理なんじゃない?君に当てて貰えて嬉しいよ」

『私もこのペンダントが総司からのものだったって分かって今凄く嬉しい。このペンダントは私が何一つ分からなくて不安だった時に、私のことを教えてくれた唯一のものなの。総司はやっぱり、どんな時でも傍にいて私を助けてくれるんだね』


あまりに愛らしい物言いにまた僕の心は君で埋め尽くされてしまうけど、この子と二人で過ごす時間は本当に心地が良いと思う。
それはセラが笑っていても泣いていても、怒っていたとしたって変わらない。
セラが僕に向けてくれる眼差しや言葉が、本当に上手く僕の気持ちを埋めるから、ひたすら君に懐柔したくなってしまう。


「僕は君がこのペンダントをずっと付けていてくれたことが嬉しかったよ」

『だって大切だったんだもん。でもどうして総司からだって教えてくれなかったの?』

「大切なのは今をどうやって生きるかでしょ?記憶がないからこそ、昔のことを振り返るより、これから先のことを考えて君には生きて欲しいと思ったんだ。だからわざわざ言う必要ないって思ったんだよ」


最初こそ思い出して欲しいとセラに言ってしまった僕だけど、時間が経ち今のこの子と過ごすうちに大切なのは過去だけではないことに気が付いた。
勿論思い出すに越したことはないけど、僕は最近この子の記憶が戻ることはないかもしれないとも思い初めている。
それでも気落ちしないでいられるのは、前を向いて頑張っている目の前のセラと一緒に、僕も新しい思い出を一から作り上げていきたいと思えるようになったからだ。


『ありがとう、総司。いつも気遣ってくれて』

「当たり前のことだよ、僕は君を好きなんだから」

『ふふ、なんだか恥ずかしい』

「そのうち慣れるよ」


だって僕はこれから先、何度だってこの気持ちを君に伝える。
しつこいって言われたとしても伝え続けると思うから、どうか僕の想いを聞いた君がいつまでも優しく微笑んでくれますように。
そう願いながら、そっと彼女の額に唇を寄せた僕がいた。


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