9
総司と想いが通じたことがまだ夢のようで、自室でぼんやり庭園でのことを思い浮かべる。
どうしても顔に熱が集まってしまうから、冷たい水を淹れたコップで火照る頬を冷やしていた。
暫くすると部屋のドアはノックされ、総司が私を見て柔らかく微笑んでいる。
嬉しくて今直ぐ飛び付きたい気持ちと、恥ずかしくて顔を背けたくなる気持ちが心の中で押し合いをしていた。
『もう寝る支度済んだの?』
「うん。君も?」
『私も終わったよ』
「じゃあこっちにおいでよ」
いつもの総司と変わりない筈なのに、いつもより更に優しく見えるのはどうしてなんだろう。
手を繋ぐことは以前からあったのに、今日は手が触れるだけで緊張してしまう気がした。
「はは、なんか緊張してる?」
『そういうわけじゃないよ』
「本当に?」
『少しだけ……』
総司は私を気遣うようにそっと手を引き、ソファに座るよう導いてくれる。
そして冷たいハーブティーを目の前に用意すると、私の隣に腰掛けた。
「セラ、おいでよ」
総司は腕を広げると、そのまま私の身体を優しく包んでくれる。
記憶をなくした私が初めて総司と会った日の夜、こうして私を慰めてくれたことを思い出し、心がまた温かくなった。
『ドキドキするけど、総司に抱きしめて貰えると安心する』
「僕も君が腕の中にいてくれると一番安心するよ。この状態なら君を誰にも取られないからね」
『ふふ、私も総司は誰にもあげたくないよ』
「じゃあずっとこうしてようか」
『うん』
本当にずっとこうしていたいくらい幸せで、総司の肩に思わず頬を擦り寄せる。
身長も肩幅も、私の髪を撫でる手だって私よりずっと大きくて、男の人なんだなって意識するとまた緊張してしまうけど、好きな人と触れ合えることがこんなに幸せだって知らなかった。
「セラ」
腕の力が弱められた代わりに、今度は温かい手が頬に添えられる。
熱っぽい総司の視線が私を見つめ、そのまま唇が重なった。
角度を変えては何度も確かめ合うように唇が重ねらて、時に甘噛みされると気持ち良さと緊張で何も考えられなくなる。
『総司……』
唇が離れても、変わらず私の頬を撫でる総司は、いまだ熱の籠った瞳で私を見つめている。
唇を指先で撫でられると、心地良さから私の瞳もまともに開かなくなって、ただされるがまま総司から与えられる感覚に身を委ねることしか出来なかった。
「そんな可愛い顔されたら止まらなくなるよ……」
呟くようにそう言って再び唇が重なった時、総司の腕に引き寄せられて今まで以上に身体が密着する。
力強い腕の力に反して、触れるだけのキスはとても優しくて、心に余裕はなくても怖いとは思わなかった。
「セラ、好きだよ」
こんなにも真っ直ぐ気持ちを伝えてもらえると、嬉しくて瞳が潤んでしまう。
その様子に気付いた総司は、眉尻を下げながらも微笑んでくれていた。
『記憶がなくなる前、私と総司はどんな関係だったの?』
この前は濁されてしまったけど、今度こそ本当のことが知りたいと思う。
真剣な面持ちで総司を見つめていると、彼はまた少し笑って私の頭をぐしゃりと撫でた。
「そんなに気になるの?」
『うん、気になるよ』
「まあ……そうだね」
総司は一度口を開きかけたけど、何かを考えたように一度黙り、再び私の方を向き直る。
「別に昨日までの僕達と同じ、普通の関係だったよ。ただ僕はずっと君が好きだったけどね」
『そうなんだ』
なんとなく、総司の私への触れ方が少し慣れているような気がして尋ねてみたけど、予想は外れたみたい。
少し淋しいような、それに反して安心したようなおかしな気持ちだった。
「なに、その顔。意外だった?」
『ううん、その可能性の方が高いかなって思ってたよ。私の片想いだったのかなって』
「君がどう想ってたかはわからないじゃない」
『さっき泣いてたのはね、ノートにあった落書きを見つけたからなの。ちょっと待ってて』
庭園にいる時は内緒と言ったけど、総司にも見て欲しくて自室からノートを持ち出す。
雨に濡れたせいで所々ふやけてしまっているものの、今はそんなことは気にならなかった。
『ちょっと恥ずかしいけど、見せてあげるね』
総司を見上げてそう言うと、彼はくすりと笑っている。
ページをめくり、まずは護衛の三人組の絵を見せて、落書きを辿った先に出てくる二人の絵で手を止めた。
『これね、記憶がなくなる前の私が書いた絵なんだ。この落書きを見て、今の私と同じ気持ちだったんだってわかったら、何だか凄く嬉しくなって……それで思わず泣いちゃったの』
総司は私の絵を慈しむよう撫でると、また私に笑顔を向ける。
「良かったよ。僕はまた君を悲しませるようなことをしたかもしれないって、ずっと気が気じゃなかったんだ。それに、まさかセラがこんな絵を書いてくれてたなんてね」
『ふふ、そうだよね。でもこの絵が背中を押してくれたんだ。記憶のない私が誰かを好きになったりしたら、記憶が戻った時に混乱しちゃうんじゃないかってずっと心配で、総司への気持ちも絶対誰にも気付かれたらいけないって思ってたの。でも前の私も総司のことが好きだったってわかって、ようやく私は私なんだって思うことができたから、本当にこの絵に気付けて良かった』
この絵を見つけられていなかったら、今も私は一人で悩んで自信を無くしていたかもしれない。
だからこの落書きは前の私が今の私に残してくれた大事なメッセージだと思った。
「嬉しいよ、君が変わらず僕を好きになってくれて」
『総司は優しいし、いつも一緒にいてくれて気遣ってくれて……絶対好きになっちゃうよ。学院でも総司を好きな女の子は沢山いるみたいだし』
「周りの子達は僕のことなんて別に好きなわけじゃないよ。公爵家の専属騎士だからとか、騎士特級を持ってるからとか、そんな風に影で言われているのは僕だって知ってるし。だから男爵家や侯爵家のご令嬢辺りが声を掛けてくるだけでそこに深い意味なんてないんだよ」
皆がそうとは言い切れないけれど、中にはそういう考えで近付きたいと思う子は確かにいるのかもしれない。
それが貴族の世界の常であり、仕方ないことではあるからだ。
「でもセラは最初から違ったんだ。僕の生い立ちを知っても変わらず接してくれたし、僕を正しい道に導いてくれたのは君なんだよ。それに君の立場からしたら僕を選んでも何の得もない。それでも君は僕をこうして選んでくれるから、それがどれだけ僕にとって嬉しいか、君にはわかる?」
いつになく真剣に、私の手を握りながら話す総司の言葉を聞いて心音がまた早くなる。
私がこうして胸を高鳴らせるのは総司だけで、そこに理由なんていらない気がした。
『私はただ総司のことが大好きなだけだよ。優しくして貰えたら嬉しいし、いつも楽しい気持ちにさせてくれるところとか、たまに意地悪なところとか、とにかく全部が好きだよ。でも好きなところは沢山あるけど、好きになる明確な理由なんてなくて、なんて言えばいいのかな……私はきっと何度忘れても、また総司を好きになっちゃうんだと思う。その気持ちはずっと変わらないよ』
これはもう仕方のないことなの。
条件がどうとか、自分にとって利益になるとか……そういう理由で明確に相手を選べたら生き易いのかもしれないけど、私の気持ちは結構頑固で、どう足掻いても言うことを聞いてくれない。
総司が優しいから好きなわけではなくて、総司に優しくして貰えることが嬉しいのと同じ。
総司からの言葉や行為だから、私はこうして幸せを感じられるし、私もまたこの人を大切にしたいと思うことが出来る。
「今言ってくれたことって本当?」
ノートの落書きを見ていると、不意に腕が引かれる。
距離が近くなって目を見開いた私に、総司は静かな声で尋ねてきた。
『うん、本当だよ』
「じゃあ君は未来永劫僕だけを好きでいてくれるってこと?」
『うん……』
「なんか自信なさげだけど」
『そうじゃなくて、近くて……』
そんなに近くから見つめられたら、目だって当たり前に泳いでしまう。
「じゃあ今だけは僕で遊んで、将来は土方さんと、なんて思ってないって信じていいんだよね?」
その言葉を聞いて、総司が私と土方さんのことを不安に想っていたことに気付いた。
以前まではまさか総司が私を想ってくれているなんて考えてもみなかったから、土方さんの申し出を有り難く受けていたけど、総司と想いが通じた今はこのままではいられない。
総司を一番大切にしたいから、この人を不安にさせない為にもしっかりお断りしようと決めた。
『うん。土方さんには今度お会いした時にお断りする。総司を不安にさせることは絶対にしないよ』
そう言って微笑んでみても総司の顔は晴れなくて、そのまま抱きしめられたから、その後の総司の顔は見ることが出来なくなってしまった。
「ごめんね。君にとっては多分、土方さんを選んだ方が幸せなんだと思う。地位も名声も申し分ないし、近藤さんだってあんなに喜んでてさ。僕なんか足元にも及ばないってわかってはいるんだけどね」
『そんなこと言わないで。総司は私にとって一番素敵な人なのに』
「君はそう言ってくれるけど、一般的に言えばそうなんだよ。でもそれがわかっていても僕は君を手放してあげられないし、君が僕を必要としてくれる限りずっと傍にいたい。本当に大好きなんだ」
言葉や温もりを通して総司の気持ちが伝わってくる。
私が予想していたよりずっと、総司は私のことを考えて大切にしてくれていることを知り、胸が掴まれたような感覚だった。
土方さんがここに訪問された時、あんなに苛立っていたのも、あの夜元気がなかったのも、きっと私を想って悩んでくれていたからに違いない。
それでも何も言わずに私の傍にいてくれた総司の優しさを知って、私の瞳はまた潤んでしまった。
『私も総司が大好きだよ。総司がいてくれれば幸せだし、総司がいなかったら他が全部満たされてたとしても悲しいよ。だからずっと傍にいて欲しい。総司にずっと好きでいて貰えるように私も頑張るから』
記憶を無くしてからの私に、誰よりも真剣に向き合ってくれたのは総司だった。
この人の言葉に真剣に悩んだり、救ってもらったりしながら、記憶がない中でもこうして毎日を懸命に過ごしてこれた。
だから今度は私が総司を支えてあげたいし、そうなれるように努力もしたい。
「馬鹿だね、君はそのままでいいんだよ。僕はいつだって君が好きなんだから」
頬に温かい手が触れて、優しく総司の唇が重なる。
そっと撫でるように触れる体温が心地良くて、こんなに幸せなのは生まれて初めてだと思ってしまうくらいだった。
「あと、星祷祭のことだけど」
『うん?』
「僕は君を指名する為に大会に出たんだよ。皆が変なことを言うから、君を誤解させてたら嫌だと思ってさ」
『大丈夫だよ、わかってるから。ただちょっと悲しいかな、私は総司にはエスコートして貰えないから』
「本当になんでそんな煩わしい規則があるんだろうね。僕も君がはじめ君にエスコートされる姿なんて見たくないよ」
『でも総司の相手が千ちゃんで良かった。知らない女の子だったら、それこそもっとやきもち焼いちゃってたと思う』
「そう?僕ははじめ君だろうが他の誰だろうが、嫌なものは嫌だけどね。あーあ、その日だけはじめ君になりたいよ」
可愛らしい総司の物言いに笑ってしまったけど、今はこうして総司と想いが通じたから前までのような不安はない。
やきもちは焼いてしまうけど、それももう仕方のないことだよね。
『私は大丈夫。総司はちゃんと私を想ってくれてるって信じてるから』
「その言い方は狡いな。そんなこと言われたら、僕も君がはじめ君と参加するのを認めざるを得ないじゃない」
『その代わり、千ちゃんとか他の女の子に浮気したら駄目だからね』
「そんなのしないよ、セラしか見てないってば」
『約束だよ、もししたら……』
「したら何?僕のこと嫌いになるの?」
いつの間にか先程までの真面目な総司から、普段の意地悪な笑みを浮かべた総司に戻ってしまっている。
『嫌いになれないからしないでって言ってるの』
「はは、浮気しても嫌いにならないでいてくれるなんて君ってお人好しなんだね」
『お人好しとかじゃないよ。総司は私が浮気したらやっぱり私のこと嫌いになっちゃうの?』
「僕だって嫌いにはなれないよ、そう単純なことでもないしね。ただ、そうだな……」
そう言って私を見つめる笑顔はどことなく怖い。
思わず総司を凝視していると、総司は穏やかな口調で恐ろしいことを口にした。
「相手の男は間違いなくあの世行きだろうね。君を唆したことを全身全霊で後悔するまで痛めつけて、最後は君の目の前で殺してあげる」
『…………』
「だからはじめ君にそんな思いをさせたくなかったら、浮気したら駄目だよ」
浮気なんてするつもりは毛頭ないのに、総司の言葉は冗談でも少し怖い。
怖すぎて笑ってしまえば、「笑い事じゃないよ」と総司は顔を顰めていた。
『浮気しても私には何もしないでいてくれるところが優しいね?』
「凄い前向きな考え方だね、それ」
『でも浮気なんてしないよ。総司だけが好きだもん』
きっと何回この記憶がなくなったとしても変わらない、私の中の大切な想いだ。
それをこれから時間を掛けて総司に伝えていきたいと思うから、総司にはずっと傍にいてこの気持ちを受け止めて欲しいと願った夜だった。
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