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ついに迎えたデビュタント当日。
私はお城で白いオペラグローブとそれに合わせた純白のドレスを身に纏い、鏡の前で一回転をした。
全身真っ白な自分は少し新鮮だったけど、今日から私も社交界デビュー。
幼い頃に憧れていたこの日を、こんな複雑な心境で迎えることになるなんて思ってもみなかった。
「セラ、とても美しいぞ。俺の自慢の娘だ」
涙ぐみながらそう言ってくれるお父様に微笑みを返し、彼の温かい愛情に感謝の気持ちから一礼をする。
記憶をなくしてお父様との思い出もなくなってしまったけど、そんな私に変わらず愛情を注いでくれるお父様のことが気付けば大好きになっていた。
『ここまで私を大切に育てて下さりありがとうございます。私、お父様の娘で良かった。この家に生まれてこれて本当に幸せです』
「……っ、……俺も……セラが娘で幸せだぞ」
『やだ……、お父様、そんなに泣かないで下さい』
「す、すまんな……、感極まってしまってな……」
私までもらい泣きをしてしまえば、山南さんと山崎さん、総司も優しい笑顔で私達を見守ってくれている。
山崎さんは「折角のお化粧が落ちてしまいますよ」と、私にハンカチを差し出して下さった。
『山崎さん、ありがとうございます』
「いえ、俺も感慨深いです。お嬢様と初めてお会いした時はまだとても小さかったですからね」
「ええ、懐かしいですね。幼い頃からとても可愛らしいお嬢様でしたが、今はとても立派なご令嬢になられました。とても綺麗ですよ」
『山南さんもありがとうございます。皆さんのお力添えがあったから、私はここまで無事に成長することが出来ました』
三人を順番に見て、最後に総司へと視線を向ける。
かしこまって告げるのは少し照れくさいけど、今だから伝わる想いもあると思うから、真心を込めて総司に告げた。
『それに総司がここまで私を護ってくれて、私が家に帰れない時も私を見つけて連れ戻してくれたから今日を迎えることが出来たと思ってるよ。いつも私を助けてくれて本当にありがとう。総司が私の専属騎士になってくれて、本当に嬉しい』
人一人を護ることがどれだけ大変か、こんな私でも分かるつもりだ。
総司の手には日々剣術を磨いて努力している傷や豆が沢山あって、きっとこれまでも相当努力してきてくれたことが窺えた。
気付いた時には当たり前に傍にいて、当然のように私を護ってくれていたけど、私はそれを当たり前だと思いたくない。
また涙が湧き上がってきてしまったけど、少しでもこの気持ちが届いて欲しいと願わずにはいられなかった。
その言葉を聞いた総司も僅かに目を見開くと、珍しくその瞳を綺麗な色で揺らしながら私を見つめてくれる。
そして柔らかく微笑むと、優しい音色で言葉を返してくれた。
「僕もセラの専属騎士になれて幸せだよ。君を護れることは、僕にとって何よりも名誉あることなんだ。だから僕は君の傍でこれからも君のことを護り続けるよ」
生きている限り悩みは尽きない。
けれど、私の周りには私を愛してくれて温かい言葉をかけてくれる人達がいる。
それがどんなに恵まれていて幸せなことか私には分かるから、今日という日を皆に祝福されながら迎えられたことに感謝したいと思えた。
『ありがとう。ふふ、幸せだなって思ったら……涙が……』
「こらこら、これ以上泣いてはいかんぞ」
『うう……お父様だって泣いていらっしゃったではないですか』
「近藤さんもお嬢様も涙脆くて困ったものですね」
「ええ、親子でよく似てらっしゃいます」
「はは、確かにそうですね。でも僕はそんなお二人が好きですよ」
時計を見ればもうすぐお城を出る時間だ。
山崎さんからのハンカチを私の手からやんわり取り上げた総司は、私の目元の涙を優しく拭き取り微笑んでくれた。
「私は城内の管理を任されておりますので同行は出来ませんが、良いデビュタントを過ごされ下さいね」
『ありがとうございます。行ってまいりますね』
お父様と山崎さん、総司と並んで城を出ると、待機していた馬車へと乗り込む。
そして二時間程揺られると、馬車はデビュタントボールのセレモニーが開かれる宮廷サロンへと到着した。
『わあ……素晴らしいところですね』
高い天井に、豪華なシャンデリア。
大理石の床には宝石が散りばめられていて、宮廷内の豪華さに思わず目を奪われてしまう。
会場の中は私と同じように純白のドレスで身体を包んだご令嬢が多数参加されていて、私もそのうちの一人だと思うと無性に胸がドキドキしてきてしまった。
「お嬢様が一番綺麗ですよ」
お父様や山崎さんにも問題なく聞こえる言い方で、総司はそう言ってくれる。
にやりと笑ういつもの顔を見たら私も笑ってしまうから、少し緊張が解けた気がしていた。
「トシ!大鳥君!久しぶりだな、元気だったかね?」
総司と話していると、少し先から土方さんと大鳥さんが私の元へと歩いてきてくれる。
久しぶりの対面に緊張してしまうけど、今夜からは私も一人前。
意識して平常心を取り戻すと、丁寧にカーテシーをしてみせた。
『土方さん、大鳥さん、お久しぶりでございます。本日はわざわざこちらでいらして頂きありがとうございます』
「ああ、デビュタントおめでとう」
「本当におめでとう。純白のドレス、とても良く似合っているよ」
優しい微笑みを向けてくれるお二人に、有り難い気持ちからお礼を言う。
以前のお城での生活を思い出してしまうから、彼らのことは大切な人だと思えるし好意もあった。
でも、ここ最近の私は土方さんの結婚の申し出を断ることばかりを考えている。
それなのに優しくして頂くのは心苦しくて、この胸は痛むばかりだった。
「夜はまだまだ長いからな。セレモニーが終わったらゆっくり話そうではないか」
土方さんを気に入っているだろうお父様は、土方さんと話しながらもとても嬉しそう。
二人のお話をただ黙って聞いていると、不意に土方さんの視線が私へと向けられた。
「それにしてもお前はやけに静かだが、緊張してんのか?」
『ふふ。そうですね、少しだけ?』
「大丈夫だよ。綺麗だから自信持っとけ」
さらりと言われた土方さんからの言葉に気恥ずかしくなりながらも微笑みを返すと、真横にいる総司からの視線が痛い。
「わざわざデビュタントまで来て下さってありがとうございます。土方さんって本当に暇なんですね」
「なんだと?」
「沖田さん!大公様に向かって何てことをおっしゃってるんですか!」
「だって呼んでもないのに来るなんて、そうとしか思えないじゃない。それともうちのお嬢様が他の男にとられないか気が気じゃなくて見張りに来たのかな」
「てめぇ……、会う度にいちゃもんつけてきやがって」
「あれ?随分怒ってるみたいですけど、もしかして図星ですか?」
「沖田さん!少しは自重して下さい!」
お父様と大鳥さんが先を歩きお話に盛り上がっていることが災いして、総司と土方さんの仲裁を山崎さんが必死にしている目の前の光景に苦笑いを溢す。
そんな中、開会セレモニーが始まると場は一気に静まり返り、神聖な雰囲気の中、式は執り行われた。
しばらくしてワルツの前奏が流れ、お父様が私に手を差し出してくれる。
笑顔でその手を取り、見守る四人に微笑みを向けて、私達は会場の真ん中まで移動した。
『お父様とワルツを踊るのは初めてですね』
「いや、一度踊ったことがあるのだぞ」
『そうなのですか?』
「まだお前が幼かった時、俺とお前の母様が踊っていた姿を見て私も踊りたいと泣いてしまったのだよ」
『ふふ、私は我儘を言ってお父様を困らせていたのですね』
「いいや、とても優しい良い子だったよ。今も変わらず素晴らしい娘に成長してくれて、俺は嬉しく思っている。天国でお前の母様も同じ想いでいてくれている筈だ」
ワルツを踊りながらも、優しいお父様の眼差しや言葉に再び涙が湧き上がってしまう。
この人になら私の本当の気持ちを話しても分かって貰えるのではないかという期待が生まれた。
嘘をついてこの人を欺くより、私はお父様と本音で話し合える親子でいたい。
その為にもまずは信じることから始めようと、彼を見上げる私がいた。
『お父様?』
「ああ、なんだね?」
『私……、今度お父様にご相談したいことがございます。聞いて下さいますか?』
「勿論だとも。何か悩み事か?」
『悩みというか、私が今考えていることや思っていることを正直に全てお父様に聞いて頂きたいのです』
お父様に全てを包み隠さず話すことは怖いと思う。
けれどこの人ならきっと頭ごなしに叱ったり、私の気持ちを無視するようなことはしないと信じられた。
そして今の私の切実な想いがお父様にも伝わったのか、真顔で私を見つめた彼は直ぐに優しく微笑んでくれる。
その顔を見てまた泣きそうになってしまったけど、それに気付いただろうお父様はより瞳を細めて柔らかい表情を見せてくれた。
「ああ、何でも聞くとも。俺は可愛い娘の話を聞かない父親ではないぞ?」
『ふふ、知ってます。だってお父様は私の自慢の……』
優しいお父様だから、そう言い切る前に。
温かい眼差しを注いでいたはずのお父様の瞳が、突如として見開かれた。
言葉にならない何かを察したように、その表情が一瞬で鋭く険しくなる。
そして次の瞬間には私の腰を強く引き寄せ、その身体で私を包み込むように覆いかぶさってきた。
「……くっ……セラ……逃げろ……っ」
耳元で掠れるように囁かれた声は、いつものお父様の声とはまるで違っていた。
『え……?』
混乱する思考の中、背中越しに感じたのは、まるで熱湯のようなぬるりとした感触。
そして、私の前からお父様の身体がゆっくりと崩れ落ちていく。
『お父様……?』
手を伸ばしたけれど、その手に触れたのは滴るほどの鮮やかな血。
濡れた手袋の感触に現実感が追いついた瞬間、声が震えを伴って喉から飛び出した。
『お父様っ……!!お父様っ、どうして……!』
「お嬢様っ!!離れてっ、すぐに!」
振り返ると、駆け寄ってくる山崎さんの叫び声が耳を貫いた。
でもその声より先に目の前に現れた一人の女の人の姿が、私の時間を凍りつかせた。
白いグローブ、繊細なビーズ刺繍、まるで私と同じデビュタントの装い。
けれどその手には、紅い返り血を吸い込んだ剣。
彼女の顔には笑みさえ浮かんでいて、何が起こるのか理解する間もなく、冷たい鉄の刃が何のためらいもなく私の右胸を貫いた。
『……ぁ……っ』
呼吸が止まった。
胸の奥で何かが張り裂ける音がした。
全身が痺れ崩れるように倒れた身体に、容赦なくもう一度剣が振り下ろされた。
腹部を深く穿つその痛みに、喉から声も出ない。
もう身体は動かせなかったけど、意識が遠ざかっていく中で見えたのは、床に伏したまま動かないお父様の姿だった。
『おと……さま……』
嫌だ……、お父様がこのまま死んでしまうのは絶対に嫌……。
これからもっと沢山の話をしたいって、そう思っていたのに。
記憶が戻らなくても、ようやく私の時間は動き出して、私は私のままで大丈夫だって……そう思えるようになってきたのに。
耐え難い痛みや突然の出来事に何が起こったのか分からなかったけど、私の頭の中には今頃になって今までの記憶全てが走馬灯のように一気に流れ込んできた。
『……っ……』
ああ、そうか。
私……もうすぐ死んじゃうんだ。
今頃になって色々なことが分かり、涙が頬を伝っていった。
大好きな人の私を呼ぶ声が聞こえるけれど、私にはもう殆ど時間が残されていないみたい。
心臓が弱々しい鼓動を繰り返す度、刺された場所から溢れる血液の温かさを感じながら最後の力を振り絞るように手を伸ばした私がいた。
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