3
デビュタント当日、セラは綺麗な純白のドレスに身を包み、幸せそうに微笑んでいた。
セレモニーの途中、毅然とした態度でティアラを受け取り、誰よりも洗練された立ち振る舞いでそこに立つセラはアストリア自慢のお嬢様だ。
騎士という立場に悩まされた日々もあったけど、彼女の専属騎士であることを誇りに思いながら、可憐な彼女をずっと眺めていた。
そしてワルツが流れると、ファーストダンスを踊るため近藤さんに手を引かれ広い会場の中心へと歩いて行く。
多くのご令嬢が同じような純白のドレスでいる中で、セラだけが参加者の視線を集めていた。
「山崎君はどこで近藤さん達の護衛をするの?」
ファーストダンスはご令嬢とそのご家族のみで踊る神聖な場だ。
僕達が直ぐ真横で待機するわけにはいかず、会場の端で彼にそう尋ねる僕がいる。
「こちらは入場規制が厳しい場ですので何か起こることはないでしょうが、一応直ぐ駆けつけるようにはしておけるよう俺はあちら側で待機します。ただ踊るとなると場所は多少動きますからね」
「そうだよね。僕と山崎君は違う場所に待機していた方がいいと思うし、ここで見てることにするよ」
「わかりました、では後程」
僕がこの場所に待機することに決めると、直ぐ隣からは土方さんの舌打ちが聞こえる。
大鳥さんが席を外したこともあり、土方さんとはある意味二人きり。
会場の端であるこの場所は、あのことを聞くにはもってこいの場所だから敢えて残ったわけだけど、土方さんからしたらいい迷惑だったようだ。
「どうしたんです?僕がここに残ってそんなに嬉しいんですか?」
「俺のことは気にせず、どっか行ってくれていいぜ」
「いいじゃないですか。たまには二人でゆっくり話でもしましょうよ」
「お前と話すことなんざねぇよ」
「僕はありますよ、土方さんと話したいこと」
僕が土方さんに視線を向けると、彼は訝しげな目で僕を見てくる。
けれど再び僕はセラと近藤さんに視線を戻し、幸せそうな二人の姿に思わず口元に笑みを作った。
「お前は失礼な奴だが、護衛の仕事だけは真面目にやってるみたいじゃねぇか」
「当たり前じゃないですか。急にどうしたんです?」
「いや、近藤公が前にお前のことを褒めていたからな。セラが俺のところに嫁いだ暁には、セラの専属騎士としてお前を連れてってやって欲しいとまで頼まれたよ」
「え?」
「断りたいのは山々だが」
近藤さんがそんなことを頼んでいてくれていたなんて知りもしなかった。
それに土方さんの口ぶりだと、僕を受け入れることすら了承しているようにも聞こえて複雑な心情にもなってしまう。
「近藤さんってば……、そんなことまで土方さんに話していたんですね。全然知らなかったから驚いちゃったな」
「まあ……セラは俺とのことに気乗りしてねぇみたいだから、どうなるかはわからねぇけどな」
土方さんはセラの心情を多少なりともわかっているのか、踊る彼女を見ながら少し寂しそうにそう呟く。
この人のことは好きにはなれないけど、本気で嫌いにはなれない僕がいる。
少し重くなってしまった口を無理矢理開くように言葉を続けた。
「僕、土方さんに聞きたいことがあるんですよね」
「なんだよ、聞きたいことって」
「土方さんの妹さんの話ですよ」
この話が土方さんの足枷になるとは本気で思っていない。
土方さんがセラをどう想っているかなんて、同じあの子を想う者として嫌という程わかるからだ。
けれど黙り込んだまま何も言わない彼の方を見ると、土方さんの顔は見るからに驚愕したような、動揺を表したものに変わった。
明らかに何かあると言っているようなその表情に、僕の眉も思わず顰められた。
「お前……なんでそのことを知ってやがる?」
「はは……、なんです?その顔。まさか本当なんですか?」
「本当って何がだよ」
「土方さんには血の繋がってない妹さんがいて、本当はその子と相思相愛だって話ですよ。血の繋がりはなくても形上は兄妹だから結婚は出来ませんよね。だからってただのお飾りの結婚相手にセラを選んだなら、僕はさすがに黙っていられないですけど」
「は?なんだよ、その話は」
「しらばっくれるのはもうやめたらどうです?さっきの顔は何かあるって言ってるようなものですよね」
「おい、勝手に話を進めるのはやめてくれねぇか。あいつと相思相愛だ?ふざけるんじゃねぇぞ」
怒りを含んだ音色の声を聞き、再び土方さんに視線を向けると、彼の表情からは嘘を言っているようには見えない。
それなら真実は何なのかと、僕も彼を睨み付けた。
「本当のことを話して貰えません?そうでないと、このことを近藤さんやセラにも話して大事にしますよ」
「逆にこの情報を仕入れててなんで今まで言わなかったんだよ」
「噂だけを鵜呑みにするわけにはいかないでしょ?セラや近藤さんに無駄な心労はかけたくないんですよ。でも土方さんがあの子に相応しくない相手かどうかは専属騎士として見極めないといけませんからね」
「ふざけたことばっか抜かしやがって」
土方さんは本日二度目の舌打ちをすると、昔を思い出すかのように話し出す。
それはまだ土方さんが今より若い十代半ばの頃の話だった。
土方さんの父親が政略結婚を考え、孤児院から一人の女児を引き取ったことが始まりだったらしい。
物静かで大人しい彼女は、彼の父親からしたら結婚の駒にするには最適だったのだろう。
優しい言葉で言葉巧みに騙し、引き取った後は彼女に半ば無理矢理礼儀作法を叩き込んで、とある公爵家へと嫁がせる段取りを進めていたそうだ。
「まあその相手ってのが、婚期をとっくに逃したような奴でな。年齢もだいぶ上だし良い奴とも言えなかったから、気の毒に思っちまったんだよ。俺もその時はまだガキだったてのもあるが」
だから土方さんは父親を説得しようと試みたものの、その家に嫁がせることを目的に引き取ったその子に別の使い道はなかったらしい。
その父親は全く聞く耳を持たなかったそうだ。
そして最悪なことに、その子の悩みを聞いているうちに彼女は抱いてはならない恋心を土方さんに抱いてしまったんだとか。
土方さんは父親とその妹さんの間で板挟みになりながらも、自分の力ではどうにも出来ないとわかると、深入りすることはやめたそうだ。
「中途半端に顔を突っ込んじまったことを悔いたよ。結局本気で助けてやりたいと思ってたわけじゃなく、ただ罪悪感から動いていただけだったからな。だが俺もまさかあいつがそこまで思い詰めてるとは思ってなかったんだよ、それであんなことが起こっちまったんだが……」
「あんなこと?」
「俺が社交界デビューをして少し経った頃、父親がうちの城で盛大なパーティーを開きやがったんだよ。俺のお披露目会という名の、婚約相手探しだ。父親が厚意にしている奴らを集めて開かれたが、娘を差し出すことで俺を懐柔できるなんて下卑た感性を持ち集めた奴らばかりが集まった最悪なもんだったよ。とは言え同じことをしようとしている父親からしたら、そんなもんどうとも思わなかったんだろうが」
貴族の間柄での結婚は、相手がどうというより、家にとってどれだけの利益になるかどうかだ。
それが一般的な考えであり、そうした親の考えに便乗して割り切れる子供もいればそうじゃない子供もいて、土方さんは割り切れない方だったのだろう。
忌々しげに語る様子からは、亡き彼の父親のことを尊敬しているようには見えなかった。
「その会の途中であいつが問題を起こしたんだよ」
「問題って?」
「そのパーティーに参加した令嬢どもを斬りつけやがった。幸い持っていたナイフが果物ナイフだったから死人は出なかったが大変な大惨事だったさ」
「それは何が目的で?土方さんをとられたくなかったから?」
「さあな。怒り狂った父親に縁を切られてからは会ってもねぇから動悸まではわからねぇよ。俺や父親への当てつけだったのかもしれねぇしな」
土方さんの父親は家の評判を落とさない為に直ぐに親子の縁組を解消し、厚意で引き取った娘が勝手に起こした事件として片付けたらしい。
大事にしない為にも国外追放という処罰を言い渡し、一切の関係を断ったようだった。
「最後に話さなかったんですか?その妹さんと」
「ああ。一言も声を掛けなかった。公務も始まったばかりで忙しい時に、毎日毎日泣きつかれて俺もうんざりしてたんだよ。他の令嬢達も権力欲しさに近寄ってきやがって、そういうの全てが煩わしくてな。だから関わるのは一切辞めるのが得策だと思った。中途半端な優しさが一番相手を傷付けることもわかったからな」
だから千ちゃんの言っていた通り、この人は女嫌いと噂されていたのだろう。
縁談を全て断り、城の中に若い女の人を雇わないでいた理由もようやくわかった。
そして中途半端な優しさが一番良くないと言いながらも、セラには優しくするその理由が明確になり、僕の拳には力が入る。
これではただ、土方さんのセラへの想いの強さをただ露呈させられて終わっただけだ。
「土方さんも苦労されてたんですね。それなのにセラのことはどうして好きになったんです?」
「セラは俺に恋愛感情やら何やらと求めて来なかったからな、最初は一緒にいて楽だったってのもあるが、一緒に過ごすうちにあいつなら生涯かけて護ってやりたいと思えた。そもそもお前だってわかってんじゃねぇのか?あいつの良いところは」
「当たり前じゃない。土方さんの何百倍もわかってるつもりですよ」
「だったら聞いてくるんじゃねぇよ」
悔しいけど、結局のところ土方さんに大した落ち度はなさそうだった。
それが残念でもあり、少し安堵してしまう気持ちもあって、複雑な心境のまま再びセラと近藤さんを眺めていたけど、一つだけ懸念する部分があり土方さんを見据えた。
「一つ気にかかることがあるんですけど」
「なんだよ」
「土方さんってその問題が起きた後、女の人とお付き合いしたり結婚の申し込みをされたことはあるんですか?」
「一切ねぇよ。こうなったのもセラが初めてだ。なんでそんなことを聞く?」
「いえ、その妹さんって土方さんが好きだったわけですよね。それで他のご令嬢を襲ったってことは、土方さんに結婚したい相手ができたなんてその妹さんの耳に入ったら危険じゃないですか?」
「もう六年近く前の話だぞ、あいつだって俺のことなんざ忘れてるよ」
「もし忘れてなかったら?土方さんが思うよりずっとその相手が執念深いことだってあるんですよ。そうだとしたらセラの身に危険が及ぶ可能性だってあるかもしれないじゃないですか」
山南さんが以前話していたセラの母親とはじめ君のご両親のことを思い出せば、悲惨な出来事が起こってもおかしくはない。
人を想う気持ちは時に刃となって誰かを傷付けることもあり得るのではないかと思わずにはいられなかった。
「ちゃんとその妹さんが今どんな生活をしているのか、土方さんへの執着は本当になくなったのか、そこらへんの確認が取れないと危険だと思いますよ。セラに何かあったらどうしてくれるんです?」
「確かにお前の言うことも一理あるかもしれねぇな。その可能性は低いだろうが、一応俺もあいつのことを調べてみるよ。セラに何かあればそれこそ問題だからな」
「お願いしますよ。結婚を申し込むのはそれからにして下さい。というか申し込まれても僕は断固として反対ですけど」
「なんだと?」
「土方さんじゃ、セラを幸せに出来ませんよ」
だってあの子は僕のことが好きだから。
セラを幸せに出来るのは僕だけだと思いたかった。
でも僕を睨み付ける土方さんに僕も睨みをきかせていると、突如響き渡る何人かの悲鳴。
近藤さんを呼ぶ切羽詰まったセラの声を聞き、僕は何かを考えるより早く彼女の元へ走り出していた。
「お嬢様っ!!離れてっ、すぐに!」
山崎君の声が、ざわめきの向こうから掻き消されるように届いた。
何があったのか、何が起きたのか、何一つわからないのに心臓だけが嫌な音を立て始める。
目の前に広がる人垣を押し退けるようにして駆けた僕は、
人と人の間を無理やり縫うように走った。
けれど漸く視界が開けたその先で、僕の目が真っ先に捉えたのは、血に染まって倒れる近藤さんの姿。
そして真っ白なドレスを着たセラが、今まさに短剣を振りかぶる女に斬りつけられようとしていた。
「セラ……っ!!」
一瞬だった。
セラの身体には深々と剣が突き刺さり、鮮血が白いドレスの胸元から花のように咲き広がっていく。
そしてその場に倒れたセラにもう一度剣を振り上げたその女の動きを目の前に、僕は叫ぶことしかできなかった。
「駄目だっ……やめろ……!」
喉が裂けそうなほどの声を上げ、足は無我夢中で床を蹴っていたはずなのに間に合わなかった。
それは残酷に命を奪っていく終わりの始まりのようで、倒れ込んだセラになおも躊躇いなく振り下ろされる剣を、僕はまるで悪夢の中にいるような感覚の中で見ていることしかできなかった。
「セラ……っ」
山崎君がその女を床にねじ伏せたけど、遅かった。
僕が辿り着いた時には、セラは血の海に沈み、両手で包み込んだその手は冷たくて震えていていた。
「……止血っ……止血を……」
右胸と腹部の傷からは、彼女の心臓の鼓動とともに血液が溢れて僕の手の中にまで沁みてくる。
まるでこの子の命を、僕の手が一滴残らず受け止めてしまっているかのように錯覚してしまうほど、その場はあまりにもむごい情景だった。
「セラ……大丈夫だよ、すぐ……止めるから……」
けれど止血をして間に合うような状態ではないことは、目の前の現実が教えていた。
服を裂き、応急処置の手を伸ばそうとする僕の手が震えてしまっているのは、血を見たからじゃない。
セラを助けられなかったその事実が、僕の精神を一瞬でぐらつかせたからだ。
「……っ、死んじゃだめだ………!」
床に膝をつき彼女の傍に身を寄せたまま、ただ願うことしか出来ない僕はなんて無力なんだろう。
湧き上がる涙は僕の頬を濡らし、僕の命なんてくれてやるからどうかこの子だけは連れて行かないでと、縋る思いで傷口を押さえていた。
「……うっ……」
頬を落ちた涙の雫が、静かに落ちる。
そんな僕を見ていたのか、セラは掠れた声で僕の名前を呼んでくれた。
かすかに聞こえたその小さな声に僕は思わず息を詰めた。
「セラ……しっかりして、僕がそばにいるよ。絶対に君を死なせないからっ……」
叫びながらその冷えかけた手を、僕は力の限り握返した。
『……総司のこと……、忘れて……ごめ……ね……』
「セラ……」
『……ぜん……ぶ、思い……出したよ……』
こんな時ですらセラは涙を溢しながらも優しく微笑んで、僕だけを見つめてくれる。
でもその様子はもう呼吸すら辛そうで、唇も青白く変わってしまっていた。
「……セラ、……死んじゃだめだ……」
『私……記憶がなくても、総司のこと……好きに……なったよ……』
「……うっ……」
『……だ……から、また……ぜったい総司を……好きになるから……』
「セラっ、……僕を残して……いかないで……」
セラはかすかに微笑んだ。
まるですべてを赦すように。
最期まで僕を悲しませまいとするように。
『……そ……じ……』
僕の名前を呼ぶ、温かい声が聞こえる。
僕の大好きな、君の声。
その一言に、何故か酷く愛情が込められているように感じた。
けれど握った手のひらに僅かに力が込められたのに、セラの笑みが儚く揺れた次の瞬間、ゆっくりとその瞳は閉じられる。
指先からふっと力が抜けていくのが、手のひら越しに伝わってくるようだった。
「セラ……?セラ……!ねえ、起きて……お願いだから……!」
どれだけ呼んでも彼女は応えてくれなくて、胸の奥が破けそうなほど苦しかった。
「……セラ……!起きてよ、セラ……っ!」
「沖田さん、落ち着いて……!」
「いやだ……!セラっ……」
山崎君の腕が僕の肩を掴んでも、もう抑えきれなかった。
引き離されまいと必死に暴れて泣きじゃくって、何度もセラの名を叫んだ。
でもいくら呼んでも、セラの瞳は閉じられたまま。
何も応えてはくれなかった。
それから先のことは、あまり覚えていない。
気がつけば僕は山南さんに腕を引かれて、大聖堂の奥に立ち尽くしていた。
静かすぎる礼拝堂の中、月光に照らされた二つの白い棺が、まるで祈るように並べられている。
棺の中には、穏やかな表情を浮かべた近藤さんと、セラがいた。
ただ眠っているだけのように見えるのに、その手はもう、どれだけ呼んでも握り返してはくれない。
僕の大切な人がもう二度と戻らないのだという現実だけが、冷たく胸を締めつけて離さなかった。
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