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それから冬を超え、春が過ぎた。
初夏の日差しが降り注ぐ公爵邸の庭園。
以前の僕がセラに想いを告げたこの場所は、僕にとって特別な場所だった。
低木が連なるこの場所は案外死角らしく、ここには誰も入って来ない。
人がいないことを確認してその場所へと足を進めた僕は、この身を隠すようにそっと腰を下ろした。
「よいしょっと」
隠れ家みたいなこの場所のことを、この世界のセラはまだ知らない。
この世界でも思い出深い場所にしてほしいから、僕はこの場所へと足を運んだ。
今セラはピアノのレッスン中で、終わり次第ここに来て貰うことになっている。
この少しの合間時間、よくここで昼寝をする僕も今日ばかりは違っていた。
「この花が綺麗かな、あとは茎が長いのを選ばないとね」
僕の下に広がる沢山のシロツメクサ。
その花をまずは二本積み、交差部分をしっかり押さえ上の茎をくるっと下の茎に巻き付けた。
三本目も同じ手順で巻き付けて、その茎を一番上になるようまとめる。
それを繰り返して最後にまとめる用の一本を準備し、繋げて結んで行くと驚くくらい綺麗なシロツメクサの花冠が出来上がった。
なんてことのない普通の夏の日が、少しでも特別な一日になってくれたらいい。
そう思ってしまうのは、やっぱりあの日は僕にとって大切な一日だったからだ。
セラの肩に揺れた木漏れ日も、熱い頬を冷ました夏の風も今だって鮮明に覚えている。
あの時より早く想いが通じた今、その再現は出来なくとも、この場所でセラに改めて僕の気持ちを伝えたいと思っていた。
それから暫くして、シロツメクサの上で寝転んでいると、セラが僕に会いに庭園にやってきた音がする。
あの日同様、セラなら僕を見つけてくれる気がしてこの場所から動かないまま目を閉じていると、予想通り彼女は僕を見つけてくれたらしい。
小さい声で僕の名前を呼んだ後、狸寝入りしている僕の横に静かに横になってくれた。
『総司……』
甘えるように僕の名前をもう一度呟き、そっと胸に擦り寄ってくるところが可愛らしい。
思えばあの時も、気付けばセラは僕の横で静かに眠っていたっけ。
あの時は、目を覚ました僕の隣でこの子が眠っていることに驚いたわけだけど。
懐かしいあのひと時がまた戻ってきたように感じて、無性に嬉しくなってしまった。
「お嬢様はこんなところに寝そべったらいけませんよ」
僕の方を向き、瞳を閉じてしまうセラの頭を撫でて声を掛ける。
すると直ぐに目を見開いたセラは、少し顔を赤らめて慌てて上体を起こしていた。
『起きてたの?』
「ずっとね」
『寝たふりしてたんだ、酷い……』
「なんで酷いのさ」
『折角少しだけ総司の隣で眠れるかなって思ったのに』
「僕が専属騎士になれたら、いつでも隣で眠れるようになるよ」
僕の言葉に先程より更に大きく目を見開いたセラは、また恥ずかしそうにしながら今度は少し眉を顰めていた。
『そんなこと出来るわけないでしょ?品のことないこと言わないで……』
男女が一緒のベッドで眠ることは、セラにとっては品のないことになるらしい。
少し残念に思いながら苦笑いをこぼしたけど、身持ちの堅いだろうこの子のことも好きだからそれでも全然構わなかった。
「冗談だよ。ピアノのレッスン、お疲れ様」
『ありがとう。総司に会いたくて廊下を走っちゃったらね、山崎さんに見つかってお叱りを受けちゃった』
「ははっ、お嬢様は大変だね。廊下なんて走るものなのにね」
『ふふ、本当にそう。あんなに長い廊下、ゆっくり歩いてたら時間が勿体ないよね?』
「そうそう。なんて、こんな会話を聞かれたらまた山崎君に僕のせいでお嬢様に悪影響が……って叱られちゃうんだけどね」
『でも総司のそういう自由なところが好き。一緒にいて楽しいし、総司といると堅苦しいこと全部忘れてホッとできるよ』
「それは僕がいい加減だから一緒にいて楽ってこと?」
『違うよ。総司は騎士の仕事に関しては一生懸命で真面目だし、いい加減なんて思ってないけど……。たまにびっくりするようなことをしたり言ったりするから、そんなところも楽しくて総司の良いところかなって思うの』
一生懸命な様子で話すセラに微笑みを向けて、少し火照った頬を撫でる。
あの夏の日と同じようにセラは頬を染めながら僕だけをまっすぐ見つめ、その眼差しに僕への愛情を込めてくれていた。
「セラ、好きだよ」
セラの瞳は揺らいで、温もりを待ち侘びるように少し細められる。
僕もその瞳に引き寄せられてきれいな唇に自分の唇を重ねた。
そして直ぐ近くの木の裏に隠しておいたシロツメクサの冠を取り出して、セラの頭に乗せてみる。
すると予想より遥かに似合うその姿はまるで花の精のようで、思わず見惚れてしまう僕がいた。
『わあ、お花の冠?』
「うん。君を待つ間、シロツメクサで作ったんだ」
『凄いね、冠なんて作れるんだ』
セラは冠を手に取ると嬉しそうにしながらも、その出来栄えに感動している。
そしてもう一度自分の頭に乗せて、僕の腕に抱きついてきた。
『ありがとう、総司』
「どういたしまして。似合ってて可愛いよ」
『可愛くなれたのは総司のおかげだよ。総司大好き』
本当に可愛い過ぎるんですけど。
もう何度そう思ったのか分からないけど、セラの仕草や表情、その言葉一つ一つまでもが僕の心を揺さぶるから、こうして二人でいると頬が緩みっぱなしになる。
「喜んで貰えて良かったよ」
『とっても嬉しい。花冠なんてもらったの初めてだよ』
「それなら余計に良かったかな。一つでも多く、君の初めてが欲しいからさ」
それがたとえ些細なことでも、この子にとっての初めてが僕によってもたらされることなら嬉しいと思う。
だってこれから先、君はシロツメクサを見る度にきっと僕を思い出す。
そういう思い出を一つでも多く作りたいと願わずにはいられないんだ。
『私は総司が初めてのこと、沢山あるよ?』
「沢山あるなら嬉しいかな。例えば?」
『今の花冠もそうだし、家族以外で手を繋いだのも総司が初めてだよ。私の部屋に忍び込んだ人も総司が初めてだし、あと誰かを好きになったのも総司が初めて。ね、沢山あるでしょ?』
「それだけ?」
『え?それだけって言われても……まだあるとは思うけど……直ぐには思いつかないよ』
少し困った様相のセラに手を伸ばし、形の良い唇を親指の腹で撫でるとセラは構えるように僕を見上げた。
「ふーん。じゃあセラは僕以外とキスしたことあったんだね」
『そんな、ないよ……。総司が初めてだよ』
「それならそれも言わないと駄目じゃない」
『だってそういうこと言うのは恥ずかしいから』
「どうして?」
『どうしてって言われても……、恥ずかしいのに理由はないもん』
「ちゃんとセラの口から聞きたいんだけどな」
目を逸らしたセラを尚も真っ直ぐ見つめていると、再び僕を見てくれたセラは小さい声で言った。
『キスも総司が初めてだよ』
「良かった。そうじゃなかったら、相手の男を切り刻んでるところだったよ」
『ふふ、怖いこと言わないで。でも総司は私が初めてのこと、ある?』
「当たり前じゃない。キスは勿論、頬に触れるのも抱き締めるのもセラが初めてだよ。誰かをこんなに好きになったのも初めてだしね」
『本当?それなら凄く嬉しい』
「本当だよ。だからこうやって無性に君に触わりたくなった時、どうやってそれを抑えればいいか分からないんだけど、どうすればいいと思う?」
僕の隣に座るセラの腰を引き寄せ、真近でその愛らしい顔を見つめる。
僕の言葉や行動に色々な顔をする彼女を見たくてついからかってしまうところは僕の悪い癖だけど、セラは予想外にも熱っぽい瞳で僕を見つめ返した。
『そういう時は触っていいよ』
その言葉にどんな意味を孕んでいるのかは分からなかったけど、考えるよりも早く唇を重ね合わせていた。
甘噛みするようなキスを繰り返して、長くそうしていた気がする。
どんなに触れていても決して満足は出来ないから、この貪欲な気持ちには自分でも手を焼くほどだった。
「セラの唇、気持ちいいね」
『総司のも……』
「じゃあいっぱいしていい?」
『うん……』
まだ触れるだけのキスだけど、気持ち良さそうに虚ろな瞳で僕を見つめるその表情が見れただけで今は満足できてしまう。
夏の日差しが僅かに差し込む木陰の下、木漏れ日が照らすセラに心を奪われて、今日という一日が僕にとってまた特別な一日になった気がしていた。
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