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学院での初日は、悲しい一日で終わった。
以前誘拐されたことが知れ渡り、私は傷物公女と呼ばれているらしい。
それ以外にも総司たち三人のことまで酷く言われて、ただ皆に申し訳ない気持ちになった。
けれどそんな私の為に盛大な食事会を開いてくれた彼らは、優しい言葉をかけ私を沢山励ましてくれた。
その優しさに触れて涙が出てしまったけど、明日からは心機一転頑張れそう。
皆と楽しい思い出を沢山作りたいから、悩むのはやめようと思うことが出来た。
けれどふと視線を向けた先には、総司が贈ってくれた綺麗な箱がある。
その中に入った短剣を見た時、とてつもない恐怖と不安が心にのし掛かり、気付いた時にはそのまま倒れてしまっていた。
その理由が分からないからこそ余計に心配だったけど、折角総司が私の為に選んでくれたものだから、もう一度しっかり見てみようと恐る恐る箱を開けた。
『……っ……』
シンプルで綺麗なデザインの短剣だと思った。
小さいけどそれが敢えて女性向きに作られているように感じられたし、大きさのわりに先は鋭利で護身用に持つには適しているものだった。
けれどやっぱり心がこれを受け付けたくないと思っているような、言いようのない不安感が広がっていく。
でもこれは総司がくれたものだから大丈夫と何度も自分に言い聞かせて、そっとその短剣を手に取った。
『あ……大丈夫だ……』
触ってみたら普通の短剣で、当たり前だけど何も起こらない。
ようやく安堵してそれをじっと見つめてみたら、先程の恐怖心や不安が嘘のようになくなっていった。
でも確実に感じたあの違和感は、とても気のせいだとは思えないから一人小首を傾げてしまう。
その時、部屋のドアはノックされ、開けると山崎さんが私を見て苦笑いをしていた。
「良かった、まだ起きていらしたんですね。夜分遅くに申し訳ありません」
『いいえ、どうかされましたか?』
「それが沖田さんがお嬢様に用事があるらしく、今下の応接間でお待ちになっております」
『え?総司が?』
「実は沖田さんはお嬢様の部屋へ木を登って行かれるつもりだったようです。それを偶然目撃して俺が止めたのですが……」
『そ、そうなんですか?それは……驚いてしまいますね』
「驚いたなんてものじゃないですよ。今は専属騎士就任前の大切な時期なので、お嬢様からも沖田さんには余計な行動は起こさないよう注意してさしあげて下さい」
『はい、分かりました……。あの、お父様にこのことは言わないで頂けませんか?ここまで頑張ってきた総司が、今日のことで専属騎士になれなくなってしまったらとても悲しいので』
素直に想いを告げて山崎さんにお願いしてみれば、山崎さんは目を瞬いた後、優しく微笑んで頷いてくれた。
「勿論言うつもりはありません。なので安心されて下さい」
『良かった……、ありがとうございます』
「では応接間まで行きましょう」
まだ専属騎士のいない私は、夜に城中を歩く際、こうして山崎さんに同行してもらうことが多い。
彼と他愛ない話をしながら廊下を歩き、一階の応接間までは直ぐに辿り着いた。
「では一時間後、またお迎えにあがります」
『はい。ありがとうございます、山崎さん』
総司がわざわざ会いに来たということは、何か大事な用事があるのかもしれない。
そんな気持ちでドアを開けると、いつも通りにこやかに笑った総司がソファーに座って手を振っている。
思わず私も笑顔で総司の傍まで行くと、彼の隣に座る直前、お腹に回された腕に引き寄せられ、総司の膝の上にぺたんとお尻をついた体勢になった。
『あっ……、何?』
「セラを膝の上に乗せたいなって思ってさ」
『もう、意味が分からないよ。下ろして』
「まだ駄目かな。どうして僕が君を膝に乗せたいのか考えてみたらいいよ」
ぎゅっとお腹を抱き締めた総司は、私の肩に頭を預ける。
擦り寄られると擽ったいけど、総司に甘えて貰うのは新鮮で彼が少し可愛らしく思えた。
『重くない?』
「全然重くないよ。それにいい匂いがするな。柔らかいし温かいし、このまま部屋に連れて帰りたくなるよ」
後ろから抱き締められると身体が密着して、総司の身体を纏う石鹸の良い香りがする。
心臓が早くなってしまうのを少しでも抑えたくて、私は総司に話し掛けてみることにした。
『そう言えばどうして会いに来てくれたの?山崎さんに見つかっちゃったんだよね?もうすぐ大会もあるし、気をつけてね?』
「もしかして僕のこと心配してくれてるの?」
『そうだよ。だってもし見つかって、専属騎士になる権利を剥奪されちゃったら悲しいもん。総司は今日まで凄く頑張ってきてくれたから』
いつも稽古場に行くと、普段の総司とは思えないくらい真剣な顔で誰よりも懸命に剣術に向き合っている彼の姿を見ることが出来る。
あの姿がとてもかっこよくて好きだなんて総司には言えないけど、この人が夢を半ばに諦めなければならない姿なんて見たくない。
それに私は絶対総司に専属騎士になって欲しいの。
『総司、聞いてる?』
顔が見えないから総司が聞いているのかそうでないのかよく分からない。
返事が貰えないままだから思わず後ろを振り返ると、そのまま総司の方に引き寄せられたから、気付けば総司の膝の上に横抱きされるようになっていた。
「勿論聞いてるよ。それにセラが可愛いこと言ってくれるから嬉しいかな」
『総司……一回離して』
「嫌だよ、折角一緒にいられるんだから君に触りたいんだけど」
『でも私、真剣に話してるんだよ』
「分かってるよ。ちゃんと気をつけるし、僕は大会で優勝して絶対に君の専属騎士になる。だから心配しないで僕を信じて」
信じてなんて言われたらこれ以上何も言うことは出来なくて、取り敢えずそのまま二度頷く。
すると総司は少し嬉しそうに微笑んで、私の頬に手を添えた。
「セラ、可愛いね」
総司はよく、私に可愛いねって言ってくれる。
それは嬉しくもあって恥ずかしくもあるけど、いつも優しく触れてくれるから大切にしてもらえてると思うことが出来た。
唇がそっと触れて最初は私を気遣うように重ねられる。
そして次第に甘噛みしたりなぞるように総司の唇が触れるから、心地良さと緊張が折り混じって、一言では言えない心情になってしまう。
『総司、大好き……』
「僕も大好きだよ」
結局総司は何の用事で私に会いに来たんだろう。
それが気になるのに、折角二人きりになれた貴重な時間だから、まだこうしていたいと思ってしまう私がいる。
そんな私の気持ちを分かってくれているのか、再び引き寄せられてキスが繰り返される。
嫌なことを全て忘れて、総司のことだけ考えるこの時間が一番幸せ。
「あーもう、可愛いな」
『……それ何回言うの?』
「だって思った時に言いたいじゃない。君が可愛い過ぎるのがいけないんだよ」
『そんな風に思ってくれるのは総司だけだよ』
「君のことは皆が可愛いって思ってるだろうけどさ、セラの本当に可愛い姿を知ってるのは僕だけだよね」
そう言ってからかうように唇を人差し指でふにふに撫でる総司は、私を見つめながら楽しそうにしている。
私も総司に触りたくなりそっと伸ばした指先で総司の少し硬い髪を撫でると、翡翠色の瞳は少し細められた。
「早く専属騎士になりたいよ。そしたら君ともっと一緒にいられるようになるからね」
『うん、総司があの部屋に来てくれる日が待ち遠しいよ。私応援してるからね』
「ありがとう。専属騎士は僕以外には務まらないし絶対に僕がなる。どんなことがあっても君を護るよ」
触れた身体や絡められた指先から総司の温もりが伝わってきて、ずっとこの熱を感じていたいと思ってしまう。
「ありがとう」と告げると総司は嬉しそうに笑って、優しく私の髪を撫でてくれた。
「ねえ、セラ。あの短剣、君には合わなかったかな」
あまりに唐突に言われた言葉に、私は思わず総司を真顔で見つめてしまった。
直ぐ我に返って首を横に振ったけど、総司は私の感情の変化によく気付いてしまう人だ。
少し寂しそうに微笑みながらも、髪を撫でる手はそのままに言葉を続けた。
「いいんだよ、別に。苦手だったら無理して身に付けなくていいからね」
『苦手じゃないよ。丁度山崎さんが呼びに来て下さる前に短剣を手に持ってみたんだけどね、小さいのにしっかりしてて細工も綺麗で、とっても気に入ったよ。あれなら私でも護身用に持てそうだなって思ってたの』
「でも、あれを見てからセラの体調が悪くなったから気掛かりなんだ」
『ううん、違うよ。あれは伊庭君が言ってたみたいにちょっと貧血みたいになっちゃっただけで……』
「別に隠す必要はないんだよ。君があの短剣を見た時の顔で分かったんだ、僕が気付かないと思う?」
嘘が見抜かれた気まずさと、折角の贈り物に対してマイナスな感情を抱いてしまった自分が嫌で思わず唇をきつく結ぶ。
それにあの時の心情を上手く言葉に出来る自信もなくて、ただ言葉を探しながら黙ることしか出来なかった。
「何にでも相性はあるから気にしないでいいよ。ただ今後の為に、もし理由があるなら聞いておきたいと思ったんだ」
自分でもよく分からない漠然とした理由を総司に話したところで、きっと総司も困ってしまう筈。
それに総司が私の為に選んでくれた贈り物に文句なんてつけたくはないから、私はまた首を横に振った。
『本当に何もないよ。さっきもう一度ちゃんと見たんだけど、綺麗でとても気に入ったの、本当だよ?だから明日から護身用で持つことにするね』
もう一度見て気に入ったことも、明日から身につける予定だったことも本当。
だからそう言って微笑んでみたものの、総司はまた少し寂しそうに微笑んだ。
「ごめんね、気を遣わせて。セラのことだから無理して明日から身に付けてくれそうだから、どうしても今日のうちに会って話をしておきたかったんだよ」
『……もしかしてそれで来てくれたの?』
「だって君に辛い思いはさせたくないじゃない。だからつい君に会いに行っちゃったんだけど、山崎君に見つかったから一時はどうなることかと思ったよ。近藤さんに言わないでいてくれるみたいだから助かったけど、もう少し慎重にならないと駄目だね」
眉尻を下げてそう言った総司は、自嘲気味にそう話す。
けれど危険を犯してまで私に会いに来てくれたのは、たったの一日でも私の心に負担をかけないように私を護ろうとしてくれていたからだと分かった今、胸がぎゅっと苦しくなった。
だって私は、そんな総司に対して正直に話すこともしないで結局総司に寂しそうな顔をさせている。
そのことに気付けば自分でも驚いてしまうくらい一気に瞳に涙が湧き上がり、総司は総司で驚いた顔で私を見つめた。
「え……?どうしたの?」
『ううん……』
「ごめん、心配かけて。別に専属騎士のことを軽んじてるわけじゃないからね、これからはちゃんと大人しくしてるつもりだし」
『違うよ、そうじゃなくて……』
泣いたら余計に総司を困らせてしまうから、懸命に下唇を噛み涙を堪える。
少し大きく息を吸えば何とか涙は溢れ落ちなかったから、これは泣いたことにはならないと思いたい。
「セラ、そんな顔しないで」
駄目だな、私。
総司のことになると、どうしてこんなふうに涙が出やすくなってしまうんだろう。
私は小さい頃から物語を読むとすぐに泣いてしまう子で、人前だけは泣かないようにと必死でこらえていた。
周りの大人から褒められることも多くて、だからこそ余計に、誰かの前で涙を見せるのは嫌だと思っていた。
きっと、か弱いだけの女の子にはなりたくないとずっと思っていたんだと思う。
けれど今の私は、どうしてか全然うまくいかない。
総司がいてくれるから頑張れるし、学業も他のレッスンも驚くほど成績が上がったのに、総司を好きになったことで、私の心は以前よりずっと繊細になってしまった気がする。
けれどその気持ちさえ、総司の名前を胸の中で呼ぶと静かにあたたかく揺れて、どうしようもなく愛おしくなる。
人を真剣に想う気持ちは感情すら自分で抑えられないものだと、初めて知った。
『あの剣が気に入ったのも、明日身に付けようと思ってたのも本当だよ。ただ最初見た時は、何かとても怖いことを思い出しそうで、不安で……気付いたら倒れちゃってたの。でも今は本当に何も感じなくなったから、ただの気のせいだったんだと思うよ』
「本当に今は平気になったの?体調は悪くならない?」
『うん。部屋で触ってみたんだけど、全然大丈夫だったよ。だから総司に話して心配かけるのも申し訳なかったし、総司が選んでくれたものに余計なことは言いたくなかったの……。でも私を心配して折角総司が来てくれたのに、本当のこと言わないのも複雑で……こんなことを話して、もし気分を悪くしたらごめんね』
また滲み出しそうな涙を堪えるように眉間に力を入れてしまえば、頬に総司の手が触れて視線がぶつかる。
想いが通じてからもう一年以上経つのに、こうして見つめられると私の心臓は今も変わらずドキドキするし、この気持ちは日毎に大きくなって私一人だと抱えきれないくらいまで成長してしまった。
「謝る必要なんてないし、正直に話して貰えて嬉しいよ」
頬を撫でてくれる総司の手が、気に病むことはないよと言ってくれているかのように温かい。
優しい眼差しが私の不安な心を全て包み込んでくれるから、話して良かったとも思えた。
「僕は君が無理してないかが気掛かりなんだけど、本当に今はあの短剣を見ても大丈夫になったの?」
『うん、不思議なくらい全然大丈夫だったよ。最初見た時だけだった、なんであんなに不安になったのかも考えても全然分からなくて……』
「大丈夫だよ、無理に考えなくていいし、また不安になったり怖くなったりしたらその時は短剣を身に付けなければいい。それに何かあれば直ぐに僕に話して、一人で悩んだら駄目だよ」
いつからだろう、総司が優し過ぎて言葉を交わす度に更に想いを膨らませてしまう私がいる。
これ以上好きになれないくらい好きなのに、一日経つ毎に好きの程度が上回ってしまうから困るくらい。
『うん、そうするね。いつも私のこと考えてくれてありがとう』
「好きな子のことを気にかけるのは当たり前のことだよ」
私もいつだって総司のことを考えてるよ。
勿論将来のことやこれから学んでいく公務のこと、学業のこと……私が考えなければならないことは沢山あるけど、私が一番幸せを感じるのは総司のことを頭に思い浮かべている時。
総司の隣にいられるように少しでも素敵な女の子になりたいと思う。
「そう言えば、今日の挨拶凄く良かったよ。セラって一見儚気っていうか護ってあげたくなる雰囲気あるけど、ああいう場だとしっかり話せるよね。堂々としてて頼もしかったんじゃない?」
『本当?』
「うん。あとあの頭がおかしな大公子にもしっかり言い返して僕達を庇ってくれたじゃない。それも頼もしかったかな」
総司にはよく頼りないと言われるからそのことを気にしていたけれど、初めて言って貰った頼もしいという言葉に一気に心が明るくなった気がした。
「ははっ、なんか凄い嬉しそうだね」
『嬉しいよ、総司に頼もしいなんて言って貰えるの初めてで……って、どうして笑ってるの?』
「別に……笑ってないけどね、あははっ……」
笑ってますけど……。
それは何の笑いなの?と思いながら睨んでみたものの、総司が笑うと私も自然と笑顔になれる。
「良かった。セラの笑った顔が見れて」
総司のその言葉一つで、この人がどれくらい私のことを気にかけてくれているのかが分かる。
私が一人で小さいことを気にして悩んでいる間も、総司は私のことを考えてくれているのかもしれないと思えば、自分に自信を持って真っ直ぐ頑張りたいと思えた。
『私も大好きな総司の顔が見れて良かったですよ』
「それはどうも」
『総司、大好きだよ』
真っ直ぐ見つめてそう言うと、珍しく少し頬を染めたようにも見える総司が微笑んでくれた。
この人とずっと笑い合っていたいから、私も気持ち明るく毎日を過ごしていきたいと改めて思える。
あと少しでさよならの時間だけど、また明日おはようが言えるから。
こうして好きな人の顔を毎日見られる日々に、心から感謝した夜だった。
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