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体育の授業が終わり、僕はセラの身を案じて足早に制服へと着替える。
前回の時同様何も起こらないことを願っているけど、離れてしまうと心配で居ても立っても居られない。
学院での生活は有無を言わさず別行動を強いられる時があるから、その度に不安に苛まれてしまう僕がいた。
「なんでわざわざ体育を分けるのかな。今まで通り合同でいいじゃない」
「仕方ありませんよ。今日からはバレエのレッスンみたいですし、流石に僕達はご一緒出来ないじゃないですか」
「別にいいよ、僕はバレエでも」
「でも俺、あの格好はしたくないって思っちまうんだけど。女の子のレオタード姿は可愛いけどさ」
「確かにね。あーあ、見たかったな。セラのレオタード姿」
「あんたのような生徒がいるから、分けて指導をするのだろうな」
「よく言うよね、はじめ君だってどうせ見たいと思ってるくせに」
「そのようなことは断じて思っていない」
「ふーん、断じて?本当に?」
「……断じてだ」
今の間が怪しい気もするけど、とにかく早く更衣室に行かなければならない。
他の三人より数歩早く階段に辿り着いたけど、一歩上がったところで上にいただろう女子生徒がいきなり落ちてきたから、僕は思わず彼女を腕の中で受け止めてしまった。
「うわっ……、ちょ、なに?」
「びっくりしました……。よく受け止められましたね」
「ナイスじゃん、総司」
ナイスも何も、別に受け止めたくて受け止めたわけじゃない。
何もしなかったら僕まで巻き添えを喰らうし、咄嗟にこうするしか方法がなかっただけだ。
「彼女は隣のクラスの王女殿下だな」
「……え?」
今は気を失っているのか静かに目を閉じているけど、確かに前回の時、セラに代わって声楽を披露した王女だった。
この子のせいでセラがどれだけ辛い思いをしたかを考えれば憎しみに近い感情が湧き、僕は彼女を嫌々支えたままはじめ君に向き合った。
「はい」
「はい、とは?」
「僕はセラのところに行くから、はじめ君が王女殿下を保健室まで連れて行ってくれる?」
「何故俺が……。あんたが助けたのだからあんたが行くべきだろう。それに昼は忙しい、風紀委員の集まりがあるからな」
「じゃあ伊庭君か平助、お願いできる?」
「僕と平助君も委員会の仕事がありますので無理ですよ。保健室まではここから離れていますし、流石に間に合いません」
「そーそー。俺達がちゃんと女子更衣室まで向かうから、セラのことは安心して任せてくれよな」
「いや、それは困るってば。誰か代わってよ、少しくらいは時間あるでしょ?」
黙り込んだ三人は、時間がないというよりただセラの迎えに行きたいだけに見える。
もう腕も疲れてきたし、本当に余計なことになったと眉を顰めた。
「あ、よかった。沖田君、みんな!」
僕達四人が階段で揉めていると、千ちゃんが走り寄ってくる。
もう制服に着替えているのに、彼女と一緒にセラがいなかったから、心中が騒めいてしまう僕がいた。
「セラちゃんがね」
「まさかセラに何かあったの!?」
間髪入れずにそう聞けば、僕を見て、そして次に王女殿下を見て目を瞬いた千ちゃんは「落ち着いて」と一言。
「セラちゃんが高熱で、バレエの途中に倒れちゃったの。三十九度もあるから帰ることになったのだけど、沖田君が付き添うでしょ?」
「勿論僕が付き添うけど、セラは大丈夫なの?」
「どうかしら。最後はだいぶふらふらしてて、バーに頭をぶつけちゃったの。今保健室で寝てるけど、心配だわ」
「そんなの大変じゃん!すぐ見舞いに行かねーと!」
「そうですね、このまま教室に戻らず保健室に行きましょう」
「俺も委員会まではまだ時間がある故、同行しよう」
「君達、ふざけてるの?」
つい先程までは誰も保健室に行きたがらなかったくせに、この態度の変わりようは些か納得出来ない。
「それより沖田君、そちら王女殿下よね?彼女、倒れちゃったの?」
「ああ、うん。今丁度ここの階段でね」
「彼女も早く保健室に連れて行ってあげた方がいいと思うわ。あとこれ、セラちゃんの制服を持ってきたから」
「でしたら制服は僕が持ちますよ」
「まさか本当に三人とも保健室まで来るつもり?」
「あんたは行かないのか?」
「いや、行くから」
「私は一回教室に戻って、セラちゃんと沖田君の鞄を持って保健室に行くわね」
「いいの?ありがとう、千ちゃん」
「セラちゃんのためだもの、任せて」
にっこり微笑む千ちゃんにだけは感謝をして、四人で保健室を目指す。
するとその途中で僕の腕の中にいた王女の瞳が開かれ、僕達の視線はぶつかった。
「気がつきました?階段で倒れたみたいですけど、お加減は大丈夫です?」
本当は言葉すら交わしたくない相手だけど、王族相手に無礼な態度は取れない。
以前聞いた話だと、この子ともう一人の双子の兄は悪魔の双子と呼ばれているみたいだし、目をつけられてセラや近藤さんに迷惑が掛かったら大変だからだ。
「……はい、助けて頂いてありがとうございます」
「構いませんよ。今保健室に向かってるんですけど、どうします?ご自分で歩かれますか?」
「あの……申し訳ないのですがこのまま連れて行って頂いても宜しいですか?」
「承知致しました」
腕が無駄に疲れてうんざりしていたものの、作った笑顔で頷く。
他の三人は身軽そうで、ただただ羨ましかった。
それから程なくして保健室に到着すると、セラの姿が見えないことに少し安堵してしまう僕がいる。
たとえ別の世界の出来事だとしても、セラを苦しめた元凶の一人を、腕で抱えているところなんて見られたくはない。
そんな心情でいると、保健室にいた先生は腕の中の彼女を見て目を見開いていた。
「あら?やだ……王女殿下?」
「ええ、先程倒れてしまったんですよね。どこに寝かせればいいですか?」
「ああ……えっと、そうね……」
ベッドは埋まっているのか、全てのスペースのカーテンは閉められていた。
けれど直ぐ目の前のカーテンだけは少しだけ開いていて、早く下ろしたいとばかり考えている僕の前で、それは静かに開けられた。
『あの、王女殿下をこちらに寝かして差し上げてください』
愛らしいレオタード姿で出てきたのは他の誰でもなくセラだった。
思わず目を見開いた僕の視線に気付いたセラは、目が合うなり瞳を揺らして直ぐに伏し目がちになってしまった。
「でもあなた、熱が高いじゃない……。今他の人にも聞いてみるから」
『いえ、こちらは王女殿下のベッドなので使って頂いて大丈夫です。私は馬車の用意が整うまで、ここの椅子をお借り致します』
「……ごめんなさいね。多分もうすぐ馬車も到着するとは思うのだけれど」
『はい、お気遣いありがとうございます』
僕がこの王女を連れてきたせいで高熱にも関わらずセラがベッドを開け渡さなければならないこの状況が最悪だ。
けれど先生の指示の元、王女をセラがいたベッドに寝かせると、王女はいきなり僕の手を握って微笑んできた。
「助けて頂き、ここまで運んで頂いてありがとうございます」
「……いえ、偶然通り掛かっただけですから」
「私、千鶴といいます。あなたのお名前は?」
音楽のクラスが一緒でも僕のことを把握していないのは、この王女があまり学院に来ていないからだろう。
セラの前で手を握るなんて本当に勘弁して貰いたいところだけど、払い除けることは出来ずにただされるがままになっていた。
「沖田総司です」
「総司さん、ですね。覚えておきます、本当にありがとう」
笑みの奥に、悪意の影は見えなかった。
けれど本番直前にセラの出番を故意に奪った人間だ。
性格の悪さは疑う余地もない。
これっきりにしようと考えながら頭を下げて、カーテンを閉めるなり座るセラの傍へ足を進めた。
「セラ、熱が出ちゃったんでしょ?大丈夫?」
『うん、大丈夫。心配かけてごめんね、みんなも来てくれてありがとう』
「全然いいって。てかめっちゃ顔赤いじゃん、平気か?」
「熱があると身体が冷えますからね、着替えるのは辛いでしょうし上からブレザーを着られますか?」
『ありがとう、そうしようかな』
「良かったらこれを使ってくれ。今保健室で見つけたのだが、額に貼ると良いだろう」
『ありがとう……』
近寄りたくても丸椅子に座るセラを取り囲むように三人が立っているから邪魔でしょうがない。
そして何よりそんな無防備なレオタード姿を他の男に晒さないで貰いたいというのが本音だけど、伊庭君が出したブレザーを羽織れば取り敢えず上半身はだいぶ隠れた。
「セラちゃんお待たせ、鞄持ってきたわ」
『千ちゃん、色々とありがとう。助かったよ』
「どうして寝てないの?あんなにふらふらだったんだから寝てなくちゃ駄目じゃない」
『ううん、もう馬車が来るからそろそろ起きておこうと思って』
いつもの如く優しいセラは、決して王女殿下の名前は出さずに当たり障りのない言葉を口にして微笑んでいる。
でも体調があまり良くはないのだろう、その顔は無理をしているように見えたから、僕は口を開いた。
「じゃあ後は僕に任せて、皆はお昼食べてきなよ。ね、セラ」
『うん。折角のお昼休みなのに、ここまで来てくれてありがとう。今日は休んで早く良くなるね』
「ああ、無理はするな。ゆっくり休んでくれ」
「そうよ。セラちゃんがいないと私の学院生活がつまらなくなるんだから早く良くなったよね」
「では気をつけて帰って下さいね。お大事にされて下さい」
「ちゃんと食って寝て、早く元気になってくれよ!」
『うん、頑張る。ありがとう』
皆が去って行くと、保健室は静かになる。
保健の先生も今はどこかに行っているようだったから、僕もセラ同様丸椅子に腰掛け、彼女の横までキャスターを動かした。
「大丈夫?かなり熱が高いみたいだけど、辛くない?」
『うん、大丈夫。総司まで一緒に帰ることになっちゃってごめんね、もし何か用事とかあれば私一人でも帰れるから……』
「何言ってるのさ、セラを一人にはしないよ」
寝ている人達に聞こえないよう、小さな声で会話をする。
甘えたように僕を見上げるセラの髪を撫でれば、綺麗な瞳は潤んで揺れていた。
「でもレオタードで帰るのもね。上からスカート穿いておく?」
『うん、そうしようかな』
薄いブルーのレオタードは、セラの華奢な身体のラインを際立たせている。
短いシフォン素材のスカートから覗くタイツを身につけた脚も細く綺麗で、着替えるその姿ですら目を離さず見つめていた。
『あ……』
よろけたセラを支えれば、その身体は思った以上に熱い。
頬もずっと桃色に染まってるし、目もとろんとしてるし、早く城でゆっくり休ませてあげたかった。
「大丈夫?穿かせてあげようか?」
『ううん、大丈夫。手を煩わせちゃってごめんね……』
「謝らなくていいよ。帰ったらゆっくり休まないとね」
スカートのホックを止めたセラは、僕を見つめて儚げに微笑む。
その笑顔に微笑みを返した時、保健の先生が戻ってきて馬車の手配が済んだことを教えてくれた。
『お世話になりました、馬車の手配もありがとうございます』
「いいえ、ゆっくり休んでね。お大事に」
二人分の鞄を手に、セラと並んでゆっくり歩き出す。
何も話さないセラは少し辛そうに見えたから、僕は思わず足を止めた。
「セラ、背負ってあげるよ」
『え?ううん、それは大丈夫だよ』
「遠慮しなくていいよ、歩くの辛いでしょ?」
『本当に大丈夫だから。ちゃんと歩けるから』
「いや、でもさ」
『辛かったらその時お願いするね。今はまだ大丈夫、ありがとう』
そんな言い方をされてしまえば無理強いは出来なくて、頷くことしか出来なかった。
でも再び歩き出そうとした時、走る音が聞こえたと同時に目の前の曲がり角からいきなり人が現れる。
その生徒は思い切りセラにぶつかったから、セラはその場で尻餅をついてしまった。
『……っ……』
「セラっ……、平気?」
「ちっ、邪魔だな」
睨み付けるなり、こちらが何か言うより早く走り去って行ったのは、王太子だろう。
千鶴と名乗った王女と同じ顔をしたその男は、不機嫌さながらな態度で保健室へと入って行った。
「……なんなの、あいつ。自分からぶつかってきたのにね。立てる?」
『うん……』
セラの手を引き立たせてあげると、か細い声で「ありがとう」と言う。
本当ならこのまま背負って連れて行ってあげたいけど、とりあえず素直に並んで歩くことにした。
少し進んだ先に待機していた馬車に乗り込むと、セラは当たり前のように僕の隣へ腰を下ろす。
馬車が動き出したと同時に、小さな肩を抱き寄せて、寄りかかりやすいようそっと身体を引き寄せた。
「僕に身体預けていいから。城に着くまで寝てなよ」
『ありがとう、総司……』
僕が何かする度に、当たり前みたいにありがとうと言ってくれる。
その声や優しさに愛しさが込み上げる。
ただの風邪だと分かっているのに、こんなにも心配で仕方がない僕の方がどうかしてるんだろう。
それでもこの世のありとあらゆるものから、セラを護りたいと思ってしまう僕がいた。
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